迷いとか悟りとかいいますが、「もともと迷っていなかったんだ」
ということに気が付く、それだけのことです。
迷っていなければ悟りというものがあるはずがないのです。
ですから、「迷いも悟りもない」のが今の私たち衆生の
「本当の様子(状態)」なのです。
それを、「今」といっているのです。
今の連続ですから、今を離れてものというものは存在しないのです。
迷いも悟りも入る隙間もないのが「今」なのです。
そういう今の中にありながら、「自我を持った人」というのは
「このままではいけない、結果が出て来ない」という、そういう
「見(けん)」がチラチラ出て来るわけです。