私たち衆生の生きる目的は、無心、無我に成ることです。
無心、無我に成った人を「仏」と言っています。
私たち衆生の「一挙手一投足(いっきょしゅ いっとうそく)」
がすべて「空」であり、「無」であることを、言葉で言えば
仏法といっているのです。
ですから、「法」に成ればいいのです。
「法」に成るには「我」をなくせばいいのです。
「我」をなくするには、坐ればいいのです。
それだけのことです。
暑いときは暑い、嫌な時は嫌だ、半信半疑だ、
どれもがみんな「法」です。
比べるものがないから、本当は「法」もあっては
ならないのです。