活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

相対的認識2

2017年07月04日 | 法理

私たち衆生はどうしても相対的な考えから脱し切れない

ものです。

 

「迷いと悟り、生と死、苦と楽」というものが、相並んで

あるかの如くに”錯覚”を起こしているということです。

 

「迷いのままが安心(あんじん)であり、生のままが

死であり、苦そのものが楽であり、楽はまたそのまま

苦に成る」ということが分からないのです。

 

これを「無明(むみょう)」といいます。

 

本来一つのものであるのに、それを二つのものに見てしまう、

そういう「見(けん)」がある為に、相対的な考えから

どうしても脱することが出来ないわけです。

 

よく指導者は「迷いのままに成っていなさい、苦のままに

成っていなさい」といいます。

 

そうでなければ、「真の解決」にはならないからです。

 

「迷い」が何らかの方法によって「悟り」に変わったならば

その「悟り」というものは、また何かの条件によって「迷い」

に成ってしまうのです。