活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

相対的認識1

2017年07月03日 | 法理

私たち衆生は、どうしても相対的認識の下にものを見ています。


善いといえば悪いものが必ずあり、悪といえば必ず善いものが

あるものです。

 

上だといえば下があり、迷いがあるといえば悟りがある、等々。

 

私たち衆生は、「自分」を立てて相対的なものの見方を

しているために、「ものを認める」という自分の習性が

なくならないということがあります。

 

「自己を忘れる」ということは、善悪、好嫌、上下というものが

きれいになくなることです。

 

元の私たち衆生の「本性(ほんしょう)、自性」は「無性」

なのです。         

 

「本性、自性に成れる」その時があるのです。

実に不思議なことですけれども、よいことはよいことで終わって

いるのです。

 

分からないことは分からないことで円満に成就しているのです。

 

「半信半疑なところ」も「半信半疑」というそのことだけで

終わっているのです。