「人人具足箇箇円成」ということですが、
「実相は無相なり、不知不識生なり、本来成仏なり」
ということは、たしかに「法」としては、そうでなければ
ならないというのは「理(理論)」としてはよく分かりますが、
「人(にん)」としてはどうしても「分かっている」という
ものが残っていて邪魔をするということです。
これを「事(事実)」といいます。
道元禅師のお言葉を拝借すれば、
「修せざるにはあらはれず、證せざるにはうることなし」
ということなのです。
「人人具足箇箇円成」ということですが、
「実相は無相なり、不知不識生なり、本来成仏なり」
ということは、たしかに「法」としては、そうでなければ
ならないというのは「理(理論)」としてはよく分かりますが、
「人(にん)」としてはどうしても「分かっている」という
ものが残っていて邪魔をするということです。
これを「事(事実)」といいます。
道元禅師のお言葉を拝借すれば、
「修せざるにはあらはれず、證せざるにはうることなし」
ということなのです。