経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

2月7日礼拝

2021-02-07 20:02:54 | 礼拝
ルカの福音書5章1~11節「でも、おことばですので」

 イエス様は湖の岸辺に立って、神のことばを群衆に語っていました。群衆は熱心に神のことばを求めてイエス様に押し迫って来ました。そのため、そばで夜を徹して漁をして帰ってきた漁師たちが網を洗っているのを見て、二艘ある小舟のうち一つはペテロの舟でしたが、イエス様はペテロにお願いして、陸から少し漕ぎ出すように頼みました。そして、腰を下ろして、舟から群衆を教え始めました。
 イエス様は話を終えると、シモンに(4)「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」と言われました。ペテロたちは夜通し釣りをしましたが、何一つ釣れませんでした。ペテロは(5)「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう」と答えました。夜通し精一杯苦労しましたが、網には何もかかりませんでした。彼は長年この湖で漁をしてきた地元の漁師です。この湖の漁については何でも知っていました。私たち漁のプロが一晩中一生懸命やっても何も捕れなかったのに、沖へ出てまた網を下ろすように指図するのですか?と言わんばかりです。プロの漁師としてのプライドがありました。しかしペテロは(5)「でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう」と言いました。でも先生がそう言うならば、もう一度網を下ろしましょうと言ったのです。(6)「そして、そのとおりにすると」おびただしい数の魚が入り、網は破れそうになりました。その時、ペテロはイエス様の足もとにひれ伏して、(8)「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」と言います。ペテロには到底考えられない、信じられないことでした。神の臨在に触れて、自分がいかに罪深い者であるかが示されます。この時ペテロは自分のすべての誇りは打ち砕かれ、ただイエス様を仰ぎ見るより他にない心境でした。ペテロはイエス様の中に神の姿を見、同時に自分が罪人であることを発見し、イエスの前に立つことができない者であることを感じて、「私から離れてください。」と叫びました。そして「私は罪深い人間ですから」と悔い改めたのです。

 そこでイエス様は、恐れおののくシモンに対して、(10)「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」と言われました。これまで漁師として魚を捕ってきたが、これからは、人間を捕る漁師になると言われたのです。自分の罪を認め、悔い改めて、イエス様を主と信じたペテロに、新たな使命を授けました。イエスはこの奇跡を通して、ペテロが福音を宣べ伝えて人をすなどる者となることを教えられました。そして、その方法は自分の経験や能力を頼りとせず、たとえ不可解でも主イエスのみことばに単純に信頼して従うこと、イエスを主と仰ぎ自らの罪を告白して悔改めること、そうするならば、その伝道が豊かな実を結ぶことを示されたのです。(11)「彼らは舟を陸につけると、すべてを捨ててイエスに従った。」この時から、シモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、舟を陸につけるとすぐにすべてをすててイエス様に従っていきました。しかし、この後も弟子たちは生活のために漁に出ています。ですから全く漁師を止めてしまったということではないようです。「すべてを捨てて」とは、「神を第一として」「神のみこころに従って」歩むことと言えます。自分には到底、人間を捕るなどできないと思うかもしれません。しかし、イエス様は私たちをそのような者に整えてくださるのです。どのようにしてでしょうか?「でも、おことばですので」と、みことばを単純に信じ従う時にそのようにしてくださるのです。主は私たち一人一人を招いています。みことばを信じ、罪を悔い改め、主にお従いしていく者とさせていただきましょう。
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