経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

1月31日礼拝メッセージ要約

2021-02-01 12:04:48 | 礼拝
ヨハネの福音書2章1~11節「水をぶどう酒に変える」

イエス様が弟子たちを招いた三日目の出来事です。ガリラヤのカナで結婚式が行われました。母マリアがいたことから、親類の結婚式と思われます。そこにイエス様と弟子たちも招待されていました。当時のユダヤの結婚披露宴は、友人や親戚、近所の人たちを招いて、花婿の家で一週間ほどかけて行うのが普通でした。ところが、ぶどう酒がなくなるというハプニングが起こりました。おそらく夜中にぶどう酒がなくなったことに気づき、どうすることもできなかったのでしょう。そこで、マリアはイエスに(3)「ぶどう酒がありません。」と声をかけます。わが子をよく知る母として、きっと何とか解決してくれるだろうと期待したのかもしれません。しかし、主から思わぬ答えが返ってきました。(4)「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」一見母を突き放す冷たいことば、人間的なつながりとは一線を画することばのように聞こえます。「わたしの時」とは、「この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時」ということです。イエス様がいつどんな方法で神の子としての力を示すかは、神のご計画の中で定まった時があり、ご自身がお決めになることを示しています。マリアは給仕の人たちに、「あの方が言われることは、何でもしてください。」と、イエスの言うとおりにするよう伝えました。
 
その頃のユダヤ人の家には、手や足を清めるための水を入れるかめが置いてありました。彼らは手足や食器を清める習慣がありました。厳格なユダヤ人は食前に手を洗い、食事中も出されるものが変わるごとに手を洗いました。洗い方にも決まりがありました。イエス様は給仕たちに(7)「水がめに水でいっぱいにしなさい。」と命じました。給仕の人たちは何度も水を運んで、六つの水がめの縁まで水を注ぎました。すると次に、(8)「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」とイエス様はおっしゃいました。給仕の人たちは、「さあ」「今」との促しでくみ上げ、宴会の世話役に持って行きました。イエス様の指示は、かめを水でいっぱいにしたら、それをくんで持って行くという、常識では何の解決にもならないと思われることでした。しかし、その時、奇跡が起こったのです。水が良質のぶどう酒に変わりました。イエス様が言われるとおりに行った時に、水がぶどう酒に変わったのです。

世話役は味見をしました。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのか知っていましたが、世話役は知りませんでしたので、一口飲むと驚いて花婿を呼んで言いました。(10)「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」と花婿をほめました。このぶどう酒は、最初に用意されていたものより、ずっとおいしいものだったのです。この出来事は、イエス様がなさった最初のしるしでした。そして、しるしを目撃した弟子たちは、確かにこの方は神から遣わされた救い主だと信じました。また、水をぶどう酒に変えるしるしには象徴的な意味が含まれています。ぶどう酒は人を喜ばすものです。きよめのしきたりのための水がめの水がぶどう酒に変わったことから、ユダヤ教の律法主義的、儀式的きよめにとって代わる、さらにすぐれた新しいいのちがイエスを通して与えられることが明らかにされました。自分の能力にではなく、主のみことばを信じる時にこの喜びは与えられるのです。「ぶどう酒がありません。」私たちの切なる願いに耳を傾けてください。主のみことばにお従いします。主は十字架にかかりよみがえり、私たちにいのちを与えてくださいました。このイエス様のいのちにこの週も生かされていきますように。
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