函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

森友問題と大間原発判決

2018年03月20日 12時52分23秒 | えいこう語る

▼「戦争が終わるということは、戦いが終わった時のこと、それは我々が勝つということだ。そして、我々の国が戦争に勝つということは、結局、我々が負けないということである」。

▼これは、昭和18年、戦況が悪化した時の東條英機の答弁だ。昨日(19日)の国会中継の、アベ総理や太田理財局長の答弁を聞いていて、事態が不利になると、同じような心理状態になるのだなと感じていた。

▼森友問題は、昭恵夫人が関与したのは明白だ。その責任をとると明言した、アベ総理の退陣を野党共闘で要求すればいいだけだ。

▼その結論は、3月25日の自民党大会で出そうな気もする。だが、憲法改正が現実化しそうな昨今、アベ総理は、誰も成し遂げられなかった改憲を、他人に渡すわけにはいかないだろう。永田町は魑魅魍魎が跋扈し、権謀術数うごめくどす黒い夜がある。

▼同じ19日、8年近くにも及ぶ、函館の市民団体が函館地裁に起こした「大間原発差し止め訴訟」が、原告敗訴となった。

▼「原子力規制委員会の審査中で、運転開始のめども立たない状態で、重大事故が起きる危険性を直ちに認めることはできない」という、なんとも稚拙な判決だ。

▼「法の精神とは一言でいえば、正義だ。法を学ぶ者は、正義を求め、正義を実現する精神を持たねばならない。この原点を忘れた者は、法について語る資格はない。このようなものが、法を学び、法を使うことは、むしろ有害でさえある。そしてまた、法律知識を独占し、その知識を正義のために使わない職業的法律家が多ければ多いほど、その国は、不幸な国であると言わざるをえない」。・・・渡辺洋三著「法とは何か」より。

▼この裁判長は、どうやら想像力が希薄なタイプのようだ。福島原発事故は【人間は核を制御できるか】という、教訓を残したのに、それとも、その事故には目をつぶったのか。

▼世界初のフルMOX燃料稼働後に、事故があった場合を想定する、能力に欠けた人物なのか。それとも事故を想定するのが恐ろし過ぎて、想像することを止めてしまったのか。

▼【過去に目を閉ざす者は、現在にも目を閉ざすことになる。非人間的行為を心に刻み込もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいものです】。

▼ナチスのユダヤ虐殺に対し、こう言い放ったヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉を、函館地裁浅岡千香子裁判長に、送り届けたい。

▼森友問題も大間原発問題も、原因ははっきりしている。上に対する思いやりという「忖度」が働き過ぎているからだ。公務員とは「公僕」である。公僕とは「公衆に奉仕する者の意」と広辞苑にある。

▼お上に奉仕することではない。公衆に奉仕してこそ、公務員の鏡と言えるのだ。あんなに積もっていた雪もすっかり融け、日差しもあたたかくなってきたが、ちょっぴり肌寒い世間だ。
    
  
薄掛けの一枚のこす寒さかな     三等下