今月の「初心者短歌講座」に参加。
前半、先生の現代短歌についての解説は、佐藤佐太郎『帰潮』(昭和27年)について。
恥ずかしながら、私は佐藤佐太郎については名前しか知らなかったのだが、斎藤茂吉に師事し、戦後を代表する歌人の一人で、宮中歌会始めの選者も務めている。
先生は、「佐太郎のすごさは、徹底的に茂吉を模倣するといいながら、まるで別のものになっている」ところにあると言われ、特に修辞の使い方がうまいと評価しておられた。
佐太郎の第五歌集『帰潮』に収められた歌は昭和22~25年のものだが、先生によるとこの時期は、佐太郎にとって非常に苦しい時代だったそうである。
昭和20年、佐太郎は罹災して、勤めていた岩波書店を辞め、出版社を興したり養鶏業を営んだりしたが、いずれも失敗し、貧乏のどん底にあった。その中で佐太郎は戦後の混乱や生活の困難と戦いながら、作歌を続け、歌論『純粋短歌論』を執筆連載する。当時は短歌否定の第二芸術論が歌壇に大きな反響を呼んでいたが、佐太郎は自分のやっていることに自信があったため、歯牙にもかけなかったそうである。
今回、『帰潮』から取り上げられたのは、次の十首。(便宜上、番号を振る。)
①苦しみて生きつつをれば枇杷の花終りて冬の後半となる
②連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音
③生活は一日(ひとひ)一日を単位としただ飲食のことにかかはる
④あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼
⑤かの丘はこもごもに風の音ぞするひとつは堅く清き松風
⑥洪水を悲しみしより幾日(いくひ)過ぎこのひややけく甘き柿の実
⑦浄(きよ)きもの常にかよへる丘の上に銀杏の一樹(ひとき)黄いろになりぬ
⑧女一人罪にしづみてゆく経路その断片を折々聞けり
⑨舗装路のところどころにあらはれて虔(つつま)しきこの土の霜どけ
⑩戦ひはそこにあるかとおもふまで悲し曇のはての夕焼
②連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音
③生活は一日(ひとひ)一日を単位としただ飲食のことにかかはる
④あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼
⑤かの丘はこもごもに風の音ぞするひとつは堅く清き松風
⑥洪水を悲しみしより幾日(いくひ)過ぎこのひややけく甘き柿の実
⑦浄(きよ)きもの常にかよへる丘の上に銀杏の一樹(ひとき)黄いろになりぬ
⑧女一人罪にしづみてゆく経路その断片を折々聞けり
⑨舗装路のところどころにあらはれて虔(つつま)しきこの土の霜どけ
⑩戦ひはそこにあるかとおもふまで悲し曇のはての夕焼
先生の評言で心に残ったことを、以下、簡単に紹介する。
①「苦しみて生きつつをれば」は、一見、無駄な言葉に見えるが、他の歌人ではこうは詠めない。過不足なく一首に詠み込んでいる。
②「連結を終りし貨車は」の「は」は、本来「の」とあるべきだが、読者にすんなり読ませてしまう。助詞の使い方を違えて、面白い歌にしている。
④「ぬばたまの夜あかねさす昼」は、本来要らない言葉。三十一音しかない歌の中で、半分も無駄言を言っているが、それがすごくいい。
⑤「堅く清き松風」は、彼の標榜する写生からは遠いはずなのに、こう歌われてみると、とてもよい気がする。
佐太郎はこの歌集によって読売文学賞を受賞し、歌人としての地位を確立することになる。
先生は、「一語一語彫刻するように詠んでいる」と評しておられたが、佐太郎の鋭い感覚、研ぎ澄まされた表現の一端を感じ取ることができたように思った。
『帰潮』については、来月の講座でもう一度取り上げるそうなので、今から期待している。
今回の講座の後半、出詠歌とその添削については、また明日の記事で紹介する。