夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

伊勢物語を詠む (その1)

2014-07-27 23:55:25 | 短歌

今日は私の所属する短歌結社で研修会があり、参加してきた。
今回の研修のテーマは、
「『伊勢物語』を読み、その内容にちなんだ歌を詠む」
というもの。事前に『伊勢物語』全125段の中から第4段、第6段、第9段など10の章段が指定されており、そのうちのどれか一つ、あるいは複数の段を選んで短歌5首を詠み、投稿することになっていた。

現代短歌で古典作品にちなんだ歌をどう詠むのか、全く見当がつかないまま、とりあえずひねり出した歌を郵送しておいたが、正直、不安なまま今日の研修会に臨んだ。

初めに、まず先生から『伊勢物語』と〈歌物語り〉についての解説があった。
『伊勢物語』は歌物語の最初の作品といわれるが、それよりはるか以前から歌を伴う物語、ある歌の詠まれた事情を物語ることは存在し、その〈歌物語り〉の痕跡が『万葉集』や『古事記』には窺われる。
また、『伊勢物語』の〈みやび〉(風流)の精神の源流は、中国唐代の文人達の文学観・人生観に求められる。
といったお話であった。

その後は、参加者の詠歌の紹介。全員の詠歌が予め段ごとに分類整理されており、まずそれぞれの段がどのような内容か、説明があった後で、進行役が各人の歌を詠み上げ、先生が添削(一人につき一首のみ)、さらに進行役が詠者に感想を求める、といった流れで、ゆっくり進んでいった。



私は、『伊勢物語』第4段で詠んだので、読み上げられる順番が最初の方になった。
この第4段は、愛する女性を失った男の心惑いを描いた話である。
男には深く愛していた女がいたが、旧暦の正月(むつき)十日頃、女は行方をくらましてしまった。
その後、男は、女の居場所は知っていても(帝のもとに入内したとされる)、通っていくこともできないで、つらいと思いながら暮らしていた。
翌年の正月、梅の花盛りの頃、男はかつて女の住んでいた家に行き、昨年とのあまりの境遇の変化を嘆きつつ夜を明かし、一首の歌を詠む。

  月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして

『伊勢物語』でも代表的な章段であり、「月やあらぬ」の歌も名歌としてよく知られている。
なまじ小細工を弄するよりは、自分の感じたままを詠もうと思い、男の気持ちに寄り添って、自分のただ思いつく言葉を使って詠んだ。

  かたはらに君なきを思へばいにしへに見しごともあらぬ春の夜の月
  ともに見し梅の色香は変はらぬを契り絶えにしことぞかなしき
  ありし日を恋ひて来つれど一人のみ見るもかひなし梅の盛りに
  この世にはむなしきものとなしはてし縁(えにし)も知らで梅は咲きけり
  面影を心にこめて来し宿は立ち居につけて昔しのばる

どうしても、現代の言葉や感覚を取り込むことができず、現代の短歌とはいえない歌になってしまった…。
先生からは、二首目の歌がよいと言われ、

  ともに見しこの梅の花は変はらねどたより絶えにし人ぞかなしき

というように添削していただいた。

この研修会の話題は、後日もう一度取り上げる。