夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

隠れ家 その1

2014-04-15 23:41:34 | 日記
今日は、8時頃に勤務が終わってから、駅前に買い物に行き、帰りに空腹を覚えたので、柳川交差点近くにある某うどん屋に入った。ここには一度行ったことがあり、うどんはまあまあだが、接客や雰囲気は微妙だった記憶がある。しかし、この辺りには、気軽に定食などを頼める手頃な店がないので、(ま、いっか。)と思いつつ入ったら、やはり微妙だった…。

バイト男子に、カツ丼と小うどんのセットを注文し、料理が出るまでにと、グラスビールも頼んだ。しかし、ビールを飲み終えても、料理の方はだいぶ経っても出てこず、バイト男子はまかないを食べ始めるし、店主は洗い物を始めるし、(どう考えても作ってない状況だよなあ…。)と思われたので、
「注文したカツ丼が出てこないのですが。」
と店主に指摘したところ、あまり誠意の感じられない対応であった。
「すみません、すぐ作ります。」
とは言われたものの、もうこの店では美味しく食事ができないだろうと思われたので、
「いえ、もういいです。」
と答え、支払いを済ませて出てきた。
店を出るときに、バイト男子が、まかないを食べながら、
「ありがとうございました~。」
と言ったのには、正直呆れてしまった。

この時間になると、もう定食を食べさせるような店はたいて閉まっているし、かといってチェーン店で夕食もわびしいので、平日ではあるが思い切って居酒屋に入った。駅前に、以前からその前を通るたび気になっていた店があったのだ。
(この話題続く)

歌学び、初学び (その三)

2014-04-13 23:08:06 | 短歌
今月も、「初心者短歌講座」に参加。

今回の先生のお話は、正岡子規の『墨汁一滴』明治34年5月11日の記事。根岸(東京・下谷区(現台東区))に住まいを移して以来、毎年春の暮れから夏にかけてはホトトギスの声を聞いていたのに、今年はまだ鳴き声を聞けず、ある人から贈られたという剥製のホトトギスを見ながら詠んだという十首連作の歌が挙げられている。
  うつ抜きに抜きてつくれるほととぎす見ればいつくし声は鳴かねど
  我病みていの寝らえぬにほととぎす鳴きて過ぎぬか声遠くとも
先生が言われていたが、子規は脊椎に結核菌が転移して背中と腰に穴が空き、そこから膿が出、包帯を替える時には号泣する有様だったという。「我病みて」の歌にあるように、寝返りも打てぬ苦しみに夜も寝られず、咳をするだけで全身に激痛が響いたそうだ。
しかし、子規が身動きもできない病人でありながら、その痛みに耐えて短歌や俳句の革新運動を成し遂げたことや、その弟子たちが子規の偉業を継いだことなどを先生が語っていかれる。雑談のような口ぶりなのだが、伊藤左千夫・長塚節・島木赤彦らの履歴やその短歌などがよどみなく口をついて出るのに驚く。

その後は、会員諸氏の詠歌の紹介と、先生による歌の添削。今回は、私の順番は最後でホッとした。
(提出歌)
  皇室の書(ふみ)守り継ぐ書陵部の前に咲きたる三叉(みつまた)の花
(添削後)
  皇室の書守り来(こ)し書陵部の前に咲きたる三叉の花
 【解説】
この歌は先日の記事(4/4)に書いた、宮内庁書陵部を訪れた際に詠んだもの。先生からは、第二句の「書守り継ぐ」は、守り継いで来たという意味の「守り来し」の方がよいと言われた。先生はその後で、「ミツマタは、一万札の原料にもなるからね。」と言って笑っておられた。


(提出歌)
  今日のため風雨に耐へて残りけむ入学祝ふ校舎の桜
(添削後)
  今日のため風雨に耐へて残りけむ入学の日の校庭の桜
 【解説】
この歌は、4/9の記事にも書いたが、入学式の日の、担任としての思いを詠んだもの。先生からは、桜が植わっているのは「校舎」でなく「校庭」だろう(笑)と直されたが、この歌がいちばんよいと○を付けていただいた。

(提出歌)
  人みなが寿言(よごと)を告(の)るは学び舎に迎へし子らを幸(さき)くあれとぞ
(添削後)
  人みなが寿言をば告る学び舎に迎へし子らよま幸くあれと
 【解説】
この歌は、二首目と同じく、入学式の日に詠んだもの。式典では、校長を初めPTA会長や来賓の方々から、新入生へ次々に祝辞が述べられる。堅苦しい挨拶のようにも見えるが、担任の身になってみると、新たにこの学園に迎えた生徒たちの、入学後の生活が幸福であるようにとの願いがこめられていることを感じ、ありがたく聞こえたので詠んだのである。
この歌については、先生の添削の冴えを強く感じた。元の提出歌では句切れなしの説明的な歌だったが、添削後は二句切れとし、また命令口調を伴って、歌に躍動感というか生命感が生じているのがわかる。

感想
今回の講座では、総じて先生の添削の手際の見事さを改めて感じた。
参加者の方々はみな、それぞれの経験や実感をもとに、その人にしか作れない歌を詠んでこられるのだが、先生はそのどの歌にも親しく寄り添い、作者の言わんとするところを酌み取りつつ、短歌の表現としてはかくあるべしということを明確に示し、説明される。先生の添削により、参加者の短歌が新たな生命を与えられ、また表現として完成するさまを間近に見ていると、短歌や俳句のような短詩型文学にとっては、文字の用捨が致命的に重要なことが分かり、推敲によってその歌が生きたり死んだりすることもあることを如実に感じた。

最近、短歌は、言葉を用いたデッサンやスケッチのようなものであるという確信めいた考えを持つようになった。
人生や自然の瞬間、断面を短く切り取るのだが、正しく捉え、正しく見るために、幅広い知識と技術、経験が必要であり、天分もあるが修練による部分もかなり大きいと思う。改めて、子規らに始まる近代短歌の歩みが大きく見えてくる。

両思い

2014-04-11 23:41:08 | 日記
今日までは授業はなく、教室でLHRをしたり、新1年生を集めて来週の宿泊研修の説明をしたり、部活動紹介のオリエンテーションがあったりで、午前中で終了。

LHRでは、クラス委員の選出を行った。
これは以前の記事(2012/4/11)にも書いたことだが、委員長を誰にするかはその後の学級経営を左右する重要事であり、ここでリーダーにふさわしくない者が決まってしまうと、1年間苦労するので、ゆめゆめ疎かにしてはならない。
今年、私が担任することになったクラスでは、意中の生徒が一人いたので、昨日からどのタイミングで言い出そうかと気をもんでいた。

一昨日の記事で、入学式の日に、クラスの生徒全員と会話をしたことを書いたが、そのときに最も受け答えがしっかりしており、しかも、初対面の私に「よろしくお願いします。」と言った者は、その一人だけだったので、こんな生徒に委員長をしてもらいたいと思っていた。
また、その生徒は先日の入学前テストで1番の成績であり、スポーツもしていて文武両道である。
勉強・運動・人柄の三拍子揃っている上に、容姿もよく、挨拶や礼儀もしっかりしているとくれば、これは余人をもって代え難いというものである。さらに、入学式の日の保護者会の後で、その母親と話をしたのだが、彼女もしっかりした方であった。
念のため、職場の先生何人かに意見を求めたのだが、全員がその生徒を褒めていた。

昨日は別件で、その生徒と二人きりで話をする機会があったのだが、その時には言い出せず、夜に自宅に電話しようかとも思ったものの、やはり変かなあという気がして、実行には移せなかった。
結局、今朝、始業前に教室を覗いて、その生徒を呼び出し、人気のない廊下の隅で、
「もしよかったら、委員長をしてもらえないかと思っているんだけど。」
と率直に私の気持ちを伝えた。すると、
「僕も、ぜひやりたいと思っていました。」
という返事がかえってきた。思わず、
「ありがとう。」
と言うと、その生徒も、
「ありがとうございます。」
と答えてくれた。

LHRでの委員選びは、件(くだん)の生徒が委員長にすぐに手を挙げてくれたことで、その他の委員の選出もスムーズに進み、全員立候補で決まった。
あまりにすんなり決まったので、他の用事を済ませても、LHRの時間が大幅に余ったため、ゲームをして過ごすことにした。
「ゲームといっても、ハンカチ落としかフルーツバスケットくらいしか思いつかないんだけど。(笑)」
と言うと、
「ハンカチ落としやりたーい。」
と言うので、教室の後ろに机を全部寄せてスペースを作り、ハンカチ落としをした。
単純なゲームなのに、結構盛り上がった。
結局、チャイムが鳴るまで、生徒たちは互いにだましだまされ、歓声を上げたり笑ったりして、大いに楽しんでいた。

来週から通常授業が始まる。
クラスの型はできたので、あとは集団として勉強・運動や行事に取り組む姿勢を促していきたい。

桃太郎

2014-04-10 23:55:52 | 日記

入学式から一夜明けた今日は、様々な行事や、生徒にやらせるべきことが集中し、きわめて慌ただしい一日であった。
各種の健康診断・検診に加え、身体計測、自転車点検、写真撮影、新入生アンケート、etc…。
聞けば、ベテランの先生でも、一年生の入学式前後のこの時期はしんどいと感じるそうな。
新入生の担任はつらいよ。

ただ、この時期を逸すると、後からクラスのルールを確立させるのは、何倍もの労力を要するため、今一気にやっておくに越したことはない。
生徒が入学したばかりで、まだ新しい環境に慣れておらず、しかも、これから始まる学校生活に期待を持っている時間は、さほど長くはない。
鉄は熱いうちに打てを実践すべく、日直の仕事、掃除の仕事の意義と、必ずこの内容、このやり方で行ってほしいということを伝える。
来週からは、担任の目がなくても、生徒たちだけでクラスが回っていくイメージを思い浮かべながら。

今日は様々な用事で、生徒と共に校内のあちこちを回ったのだが、そのついでに一通り、施設の案内もした。
私が先頭に立って歩くと、生徒たちは素直に一列になって後をついてくる。
時々振り返りながらその様子を見て、なんだか桃太郎のようだなと思った。
政治の世界では、選挙に出馬した候補者が、スタッフを連れて行列で街頭を練り歩く選挙活動のスタイルを桃太郎というそうだが、そのことを思い出してしまった。

今日の行事をすべて終えた後で、生徒たちのために20分ほどゲームの時間をとった。
私が大学に入学する前、新入生の交流会があり、そこで先輩たちのスタッフが教えてくれた「名前覚えゲーム」である。
クラス全員の顔が見えるように輪になって、時計回りで、一人一人自己紹介をさせる。
その後、手拍子に続けて、「自分の名前→クラスの他の人の名前」を呼ぶことをループさせるのだ。
シャン、シャン(手拍子)、「前田、大島!」
シャン、シャン、「大島、小嶋!」
シャン、シャン、「小嶋、柏木!」
というように。
初めはぎごちなく、途切れがちだったが、生徒たちは若いだけに記憶力がよく、すぐに目の前の級友の顔と名前とがつながっていくのが分かった。
教室に漂っていた、やや重い雰囲気も、少し軽くなったように感じた。

黄金の3日間も、残りあと1日。
先憂後楽を信じ、明日も出来る限りのことをしよう。

入学式

2014-04-09 17:11:23 | 日記

今日は、勤務校の入学式。
朝から非常によい天気で、新入生の学校生活の出発にふさわしい日和である。
今日まで桜の花が、まだ散らずに残ってくれていたのも嬉しい。
岡山市では、桜の開花の発表が3月28日であったので、その時は正直、
「入学式までには、ほとんど散っているだろうな…。」
とあきらめていたのだ。

実際には、遠目で見て、七分咲きの頃と変わらないほど花が残っており、新入生を祝うために、桜も待っていてくれたかのように思われた。

新年度初めの3日間は、向山洋一氏のいう「黄金の3日間」であり、この期に一気に「クラスのルール」「クラスのしくみ」「授業のやり方」を固めてしまい、生徒たちを「学ぶ集団」にもっていかなければならない。
この3つについて、生徒用・保護者用にそれぞれ学級通信を作成し、それを読み合わせながら、教育方針について説明したり、理解を求めたりした。

生徒とは、たてこんだ行事の合間などを利用して、短くはあるが全員の名を呼び、会話をすることができた。保護者の方々には、われわれが子どもたちの望みを尊重し、人間として成長する手助けをするとともに、彼らの手本となるべく努めなければならないという話をさせていただいた。

また、最後に、今日作った歌として、次の一首を紹介した。これは、入学式で、校長先生の長~く有難~いお話を聞いているうちにできたのである。(笑)

  今日のため風雨に耐へて残りけむ入学祝ふ学び舎(や)の花

明日からも、またがんばろう。