今月も、「初心者短歌講座」に参加。
今回の先生のお話は、正岡子規の『墨汁一滴』明治34年5月11日の記事。根岸(東京・下谷区(現台東区))に住まいを移して以来、毎年春の暮れから夏にかけてはホトトギスの声を聞いていたのに、今年はまだ鳴き声を聞けず、ある人から贈られたという剥製のホトトギスを見ながら詠んだという十首連作の歌が挙げられている。
うつ抜きに抜きてつくれるほととぎす見ればいつくし声は鳴かねど
我病みていの寝らえぬにほととぎす鳴きて過ぎぬか声遠くとも
先生が言われていたが、子規は脊椎に結核菌が転移して背中と腰に穴が空き、そこから膿が出、包帯を替える時には号泣する有様だったという。「我病みて」の歌にあるように、寝返りも打てぬ苦しみに夜も寝られず、咳をするだけで全身に激痛が響いたそうだ。
しかし、子規が身動きもできない病人でありながら、その痛みに耐えて短歌や俳句の革新運動を成し遂げたことや、その弟子たちが子規の偉業を継いだことなどを先生が語っていかれる。雑談のような口ぶりなのだが、伊藤左千夫・長塚節・島木赤彦らの履歴やその短歌などがよどみなく口をついて出るのに驚く。
その後は、会員諸氏の詠歌の紹介と、先生による歌の添削。今回は、私の順番は最後でホッとした。
①(提出歌)
皇室の書(ふみ)守り継ぐ書陵部の前に咲きたる三叉(みつまた)の花
→(添削後)
皇室の書守り来(こ)し書陵部の前に咲きたる三叉の花
【解説】
この歌は先日の記事(4/4)に書いた、宮内庁書陵部を訪れた際に詠んだもの。先生からは、第二句の「書守り継ぐ」は、守り継いで来たという意味の「守り来し」の方がよいと言われた。先生はその後で、「ミツマタは、一万札の原料にもなるからね。」と言って笑っておられた。
②(提出歌)
今日のため風雨に耐へて残りけむ入学祝ふ校舎の桜
→(添削後)
今日のため風雨に耐へて残りけむ入学の日の校庭の桜
【解説】
この歌は、4/9の記事にも書いたが、入学式の日の、担任としての思いを詠んだもの。先生からは、桜が植わっているのは「校舎」でなく「校庭」だろう(笑)と直されたが、この歌がいちばんよいと○を付けていただいた。
③(提出歌)
人みなが寿言(よごと)を告(の)るは学び舎に迎へし子らを幸(さき)くあれとぞ
→(添削後)
人みなが寿言をば告る学び舎に迎へし子らよま幸くあれと
【解説】
この歌は、二首目と同じく、入学式の日に詠んだもの。式典では、校長を初めPTA会長や来賓の方々から、新入生へ次々に祝辞が述べられる。堅苦しい挨拶のようにも見えるが、担任の身になってみると、新たにこの学園に迎えた生徒たちの、入学後の生活が幸福であるようにとの願いがこめられていることを感じ、ありがたく聞こえたので詠んだのである。
この歌については、先生の添削の冴えを強く感じた。元の提出歌では句切れなしの説明的な歌だったが、添削後は二句切れとし、また命令口調を伴って、歌に躍動感というか生命感が生じているのがわかる。
感想
今回の講座では、総じて先生の添削の手際の見事さを改めて感じた。
参加者の方々はみな、それぞれの経験や実感をもとに、その人にしか作れない歌を詠んでこられるのだが、先生はそのどの歌にも親しく寄り添い、作者の言わんとするところを酌み取りつつ、短歌の表現としてはかくあるべしということを明確に示し、説明される。先生の添削により、参加者の短歌が新たな生命を与えられ、また表現として完成するさまを間近に見ていると、短歌や俳句のような短詩型文学にとっては、文字の用捨が致命的に重要なことが分かり、推敲によってその歌が生きたり死んだりすることもあることを如実に感じた。
最近、短歌は、言葉を用いたデッサンやスケッチのようなものであるという確信めいた考えを持つようになった。
人生や自然の瞬間、断面を短く切り取るのだが、正しく捉え、正しく見るために、幅広い知識と技術、経験が必要であり、天分もあるが修練による部分もかなり大きいと思う。改めて、子規らに始まる近代短歌の歩みが大きく見えてくる。
今回の先生のお話は、正岡子規の『墨汁一滴』明治34年5月11日の記事。根岸(東京・下谷区(現台東区))に住まいを移して以来、毎年春の暮れから夏にかけてはホトトギスの声を聞いていたのに、今年はまだ鳴き声を聞けず、ある人から贈られたという剥製のホトトギスを見ながら詠んだという十首連作の歌が挙げられている。
うつ抜きに抜きてつくれるほととぎす見ればいつくし声は鳴かねど
我病みていの寝らえぬにほととぎす鳴きて過ぎぬか声遠くとも
先生が言われていたが、子規は脊椎に結核菌が転移して背中と腰に穴が空き、そこから膿が出、包帯を替える時には号泣する有様だったという。「我病みて」の歌にあるように、寝返りも打てぬ苦しみに夜も寝られず、咳をするだけで全身に激痛が響いたそうだ。
しかし、子規が身動きもできない病人でありながら、その痛みに耐えて短歌や俳句の革新運動を成し遂げたことや、その弟子たちが子規の偉業を継いだことなどを先生が語っていかれる。雑談のような口ぶりなのだが、伊藤左千夫・長塚節・島木赤彦らの履歴やその短歌などがよどみなく口をついて出るのに驚く。
その後は、会員諸氏の詠歌の紹介と、先生による歌の添削。今回は、私の順番は最後でホッとした。
①(提出歌)
皇室の書(ふみ)守り継ぐ書陵部の前に咲きたる三叉(みつまた)の花
→(添削後)
皇室の書守り来(こ)し書陵部の前に咲きたる三叉の花
【解説】
この歌は先日の記事(4/4)に書いた、宮内庁書陵部を訪れた際に詠んだもの。先生からは、第二句の「書守り継ぐ」は、守り継いで来たという意味の「守り来し」の方がよいと言われた。先生はその後で、「ミツマタは、一万札の原料にもなるからね。」と言って笑っておられた。
②(提出歌)
今日のため風雨に耐へて残りけむ入学祝ふ校舎の桜
→(添削後)
今日のため風雨に耐へて残りけむ入学の日の校庭の桜
【解説】
この歌は、4/9の記事にも書いたが、入学式の日の、担任としての思いを詠んだもの。先生からは、桜が植わっているのは「校舎」でなく「校庭」だろう(笑)と直されたが、この歌がいちばんよいと○を付けていただいた。
③(提出歌)
人みなが寿言(よごと)を告(の)るは学び舎に迎へし子らを幸(さき)くあれとぞ
→(添削後)
人みなが寿言をば告る学び舎に迎へし子らよま幸くあれと
【解説】
この歌は、二首目と同じく、入学式の日に詠んだもの。式典では、校長を初めPTA会長や来賓の方々から、新入生へ次々に祝辞が述べられる。堅苦しい挨拶のようにも見えるが、担任の身になってみると、新たにこの学園に迎えた生徒たちの、入学後の生活が幸福であるようにとの願いがこめられていることを感じ、ありがたく聞こえたので詠んだのである。
この歌については、先生の添削の冴えを強く感じた。元の提出歌では句切れなしの説明的な歌だったが、添削後は二句切れとし、また命令口調を伴って、歌に躍動感というか生命感が生じているのがわかる。
感想
今回の講座では、総じて先生の添削の手際の見事さを改めて感じた。
参加者の方々はみな、それぞれの経験や実感をもとに、その人にしか作れない歌を詠んでこられるのだが、先生はそのどの歌にも親しく寄り添い、作者の言わんとするところを酌み取りつつ、短歌の表現としてはかくあるべしということを明確に示し、説明される。先生の添削により、参加者の短歌が新たな生命を与えられ、また表現として完成するさまを間近に見ていると、短歌や俳句のような短詩型文学にとっては、文字の用捨が致命的に重要なことが分かり、推敲によってその歌が生きたり死んだりすることもあることを如実に感じた。
最近、短歌は、言葉を用いたデッサンやスケッチのようなものであるという確信めいた考えを持つようになった。
人生や自然の瞬間、断面を短く切り取るのだが、正しく捉え、正しく見るために、幅広い知識と技術、経験が必要であり、天分もあるが修練による部分もかなり大きいと思う。改めて、子規らに始まる近代短歌の歩みが大きく見えてくる。