夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

デヴィッド・シルヴィアン 某年インタビュー

2013-02-23 15:47:31 | JAPANの思い出・洋楽


先日実家に帰ったとき、デヴィッドのピンナップ写真がとってあるのを見つけた。写真の裏ページに、デヴィッドのインタビュー記事の一部が載っている。

このページだけ切り取ってあるので、どの雑誌の何年何月号かもわからない。雰囲気からいって、掲出雑誌は『ロック・ショウ』か『ビバ・ロック』だろうか?また、記事の中に、デヴィッドが最近、ジャパンの2枚組ベストアルバムを編集した話題が出てくることから、1984年後半のものと思われる。日本では、1984年12月に発売された『エクソサイジング・ゴウスツ』について、デヴィッド自身の口から、次のように語られているのは、非常に興味深い。

「ジャパンというグループには、とても不思議な規律みたいなものがあった。僕の規律で、それを他のみんなに押しつけていたわけだけれど。ほとんどの場合、それは楽しいものじゃなかったよ。僕は、わざとジャパンを楽なグループにはしないようにしていたからね。一緒にいるのも、また音楽を創るのも、ハードワークだったよ。今の僕にはもうそれは全くないけれど、でも僕にとって、それはとても貴重な経験だったと思う。ヴァージン・レコードは、ジャパンの曲の編集版を出すんだけれど、これはジャパンのベスト・ヒッツ、グレイテスト・ヒッツ(笑)。この話がきた時、僕はそれをダブル・アルバムにしたいと言ったんだ。ジャパンを好きな人は、理解してくれると思う。僕が選曲、編集をしたんだ。もう何年も聴いていなかった昔の曲を、ごく最近聴き直したんだけど、僕は、過去を振り返ってみて恥ずかしいと思う曲が、一曲もないって分かって、とても嬉しかった。ジャパンが時間のムダではなかった、何かとても大事な事があったんだって事に気がついたんだ。僕は、ノスタルジックになってるわけじゃないよ。過去というものにノスタルジックになるのは嫌いだからね。でも、僕らが何か価値のある事をしたんだって事がはっきり感じられたのは、とても嬉しかった。」




『エクソサイジング・ゴウスツ』は、ジャパン後期の3枚のアルバムを中心に選曲され、何曲かの未発表曲(主にインストゥルメンタル)を加えて発表された。元のアルバムの曲順になじんでいた私には、やや違和感の感じられる編集だったために、あまり聴く機会はなかったのだが、「フォーリン・プレイス」のように、ここでしか聴けない佳曲もある。(私個人の感覚でいえば、ジャパンのベストとしては、解散ライブを収録した『オイル・オン・キャンバス』を挙げたい)。

デヴィッドの若かりし頃の懐かしい写真、懐かしい話題で、しばし郷愁にふけった。

ふがいない僕は空を見た その2

2013-02-22 23:22:06 | 映画


内容紹介の続き R18注意!
里美は、以前から不妊治療を受けさせられていた。里美は卵管が狭く、夫は精子の数が少ないということで、人工授精もなかなか成功しない。姑のマチコは異常に孫を欲しがり、里美に無理に卵酢を飲ませたり、体外受精を勧めたりしてくる。その上、
「昔だったら、三年子なき嫁は去れ、と言われたのよね。本当なら、里美ちゃんの体、結婚する前にちゃんと検査してもらえばよかったかもね。」
などと言う。ある時は、里美がまた人工授精に失敗したことを姑に電話で告げると、姑は電話口で絶叫した挙げ句、過去のことまで含めて里美を罵る。里美は実は短大生の頃、ヤリマン、キモイ、バイ菌ばらまくな、などと言われ、いじめられていた経緯があるのを、姑は興信所を使って調べ、知っていたのだ。夫も夫で、里美の気持ちも考えずに欲望を押しつけてきたり、
「僕らのいじめられっ子のDNAを受け継いだ子どもなんて、この世で生きていけるはずないよ。」
などと投げやりなことを言ったりする。

里美にとってコスプレや卓己との不倫は、そうした殺伐とした日常の現実から束の間、逃れるための手段でもあった。里美はコミケで魔法少女リリカのコスプレをして同人誌などを売っているところに、たまたまオタクの友人と卓己が一緒にやって来、ムラマサの面影を感じさせるのに時めいてナンパし、たちまち夢中になってしまったのだ。

この里美の行動に共感はしないけれど、一見平凡で幸福に見えても、行動範囲や人間関係の狭い専業主婦は、場合によっては非常に追い詰められやすく、精神のバランスを崩しやすいことを感じた。だから、里美が卓己にのめり込み、刹那的な快楽と安逸をむさぼる動機も分からないではないし、急に別れを告げられて、「私だけが悪いの?呪ってやる!」と逆上する気持ちも理解はできる。うつろな表情でベビー用品を手に取っていた里美のむなしさも、こちらに伝わってくる。

ある日、里美がマンションに帰ってくると、姑と夫がアダルトビデオを見ている、と思ったら、それはなんと隠し撮りで撮影された、自分と卓己が愛し合う映像であった。泣きながらビデオを見ていた夫は、しかし里美とは決して別れないという。里美は土下座しながら、
「お義母さん、離婚させてください!」
と懇願するが、姑は平然とした顔で、
「いい医者がいるの。アメリカに代理母も見つけたから、三人で行くわよ。」
と言い放つ。夫も、
「もし別れるなら、この動画を世界中にばらまいてやる!」
と泣き叫ぶ。

その後のこと、七菜は友人から、あるアニメサイトに、卓己の住所と名前入りで、写真と動画が投稿されていることを教えられる。卓己と里美がコスプレで抱き合っている写真が、卓己の通う高校にもばらまかれ、卓己は退学するという噂が飛び交っている。卓己の家にも、お前の息子は変態だという匿名のメールが送られてくる…。

感想
この映画のこのあたりまでは、すごいと思いながら見ていたのだが…。時系列の操作により、あの時の出来事は実はこういうことで、というのが後から後から明らかになっていく手法は、確かに興味を引いた。また、先ほどと同じシーンが、事情を知った後に繰り返され、里美の言動や表情が、初めとは違った意味を帯びて見えてくるのも、なるほどと思いながら見た。不倫が暴露され、卓己と里美がそれぞれ破局へと転落していくさまは緊迫して、本当に恐ろしい。

だが、卓己の友人の良太に話がいくあたりから、間延びして横道にそれた感があり、二時間半近い上映時間も、どうしても長く感じられてしまった。最後にいちおう話は回収されるものの、卓己の元担任の出産シーンで締めくくられるのは、安易に感動的なもので収まりをつけようとしているような気がしてしまった。何よりも、非道徳的内容に抵抗感を覚えてしまい、あまりスッキリしないまま、映画を見終えた。田畑智子や、卓己母の役を演じた原田美枝子がとてもよかっただけに、かなり残念。

ガトーショコラ

2013-02-22 13:08:35 | 日記


調理実習で作ったというのを生徒からもらった。
遅めのバレンタインという感じだろうか?

早速、賞味してみたが、とてもおいしい。
とりあえず、以前マドレーヌを作ってもらったときの、「ジャリッ」(砂糖が溶けずに残っていた食感)がなかったので、安心。

という話をK先生にしたら、ケーキ類の中では、ガトーショコラは作りやすい部類に入るのだそうだ。
また、H先生が、ガトーショコラとザッハトルテとブラウニーは同じものだ、と言われていたのだが(もちろん、実際には少しずつ違うらしいが)、私にはよく違いがわからない。

わざわざ余分に作っておいてくれたらしいので、後でよくお礼を言っておこう。

ふがいない僕は空を見た その1

2013-02-21 23:18:45 | 映画


監督が『百万円と苦虫女』(2008)『俺たちに明日はないッス』(同)のタナダユキ、ダブル主演の一人が、以前『さんかく』(2010)で平凡な主婦が壊れていく怖さを、これ以上ないという感じで演じていた田畑智子だったので、かなり期待して観に行ったのだが…。

内容紹介 R18で非道徳的内容なので注意
男子高校生の斉藤卓己(永山絢斗)がとあるマンションの一室に入っていく。すでに用意されていたコスプレの服(「魔法少女リリカ」に出てくるムラマサの着る服、という設定)に着替え、寝室へ。中で待っていたのは、こちらもコスプレでリリカの服を着た、専業主婦の里美。里美は、卓己には自分のことを「あんず」と呼ばせている。予めシナリオを渡されていたとおりの情事(避妊していない)の後、里美は卓己にお小遣い(二万円!)を渡し、
「そろそろダンナが帰って来るから。」
と言って帰らせる。

卓己はある日、同級生の松永七菜から学校で告白される。好きだった相手から直接告白された卓己は、返事はちょっと待ってくれ、と気を持たせる返事をしてしまう。

後日、卓己は里美からいつものように部屋に誘われるが、関係を持つのは断り、
「もう来ないから。」
「やだ、だめだから。」
「こういうの、よくないって。ねえ、ダンナに悪いと思わないの?要はオレを金で買ってるわけでしょ?」
「私だけが悪いの?…呪ってやる!」
里美は、逃げるように帰っていく卓己の背中に叫ぶ。

その後、卓己は偶然、ドラッグストアのベビー用品売り場で品物を手に取る里美を見かけて、不安になり思わず声をかけてしまう。
「子ども、できたの?」
里美は一瞬驚いたあと、黙って首を振って立ち去る。

七菜とつきあい始めた卓己だが、深い関係になることには抵抗を感じたまま、ある日、元のように里美のマンションを訪ねてしまう。会えば、激しく求め合ってしまう二人。
「あんず、好き…。」
その日から、卓己の心は、里美でいっぱいになってしまう。

と、ここまで見てきただけなら、いい気なもんだ、という気しか起こらないのだが、映画はこのあたりから時系列を前後させて、二人がどのような背景を持ち、結ばれるに至ったかを、少しずつ語っていく。その中で、初めに卓己の視点から見たときには気づかなかった里美の言葉や表情や態度の一つ一つに、深い意味があったことがわかってくる。この、その時点では気づかない(がどこかひっかかる)けれども、後になって腑に落ちる表情や言動を、田畑智子が巧みに演じていたと思う。

筒井筒 その後

2013-02-20 15:26:29 | 教育

(國學院大學図書館蔵 奈良絵本『伊勢物語』)

今日は昨日とは別クラスで、古文の公開授業を行った。普段はもっと落ち着きのないクラスで、5月の公開授業の時には、保護者の前で雷を落としたこともある。(5月30日の記事参照)。しかし、今日はよく集中していて、別のクラスかと思うくらいいい雰囲気で授業ができた。生徒を叱る場面もなく、一度だけ、居眠りしかけた生徒をネタにして、「な寝たまひそ。」(おやすみにならないでください、の意)と注意して、笑いを取ったくらいだった。ちょうどそのとき、「な…そ」はゆるやかな禁止を表す、と教えていたところだったのだ。

さて、今日の授業は、『伊勢物語』第23段「筒井筒」の最後の場面。このクラスは進度的に遅れていたのが幸いして、公開授業でこの作品を扱うことができた。

前回の場面は、幼な恋の男女が大人になって結婚したが、その後、女が親を亡くして生活が不如意になり、男は河内の高安に住む裕福な女に、新しく通うようになった。しかし、元からの妻は嫌な顔も見せず、逆に、夜半に立田山を越えて高安に行く夫の身の上を案じる和歌を詠んだりしたので、男は限りなく愛おしく思って、高安の女のもとには通わなくなってしまった、という話だった。

今回はその後日談である。男がたまさかに高安の女のところに来てみると、彼女は通い始めた当初こそ奥ゆかしく装っていたが、今はうちとけて、自分の手で直接しゃもじを取って、器に盛っているのを見て、男は嫌気がさして通わなくなってしまった。彼女は、男の住んでいる大和の方角を見やって、
  君があたり見つつををらむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
と詠んだり、
  君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る
と歌ったりしたが、男はついに通ってこなくなってしまった。

メイン発問は、一つだけ。
Q男はなぜ、高安の女が「手づから」、自分の手でしゃもじを取ってご飯を器によそっているのを見て「心うがり」、嫌気がさしてしまったのですか?

生徒があっさり、「身分の高い女性のすることじゃない」と答えてくれたので、大いにほめた。その上で、現代の女性なら普通にすることだが、当時は身分ある女性なら召使いにさせるべきことで、はしたない行為だから、男は幻滅したのだ、と説明を加えた。
ついでに雑談。
高安の女は、それまでよそ行きの自分で接していたけれど、慣れてきて地金が出てしまったのだろう。食事の時には特に素の自分が出やすいから、今でも、大口を開けて食べたり、口に食べ物を含んだまましゃべったりして幻滅される話はよく聞く。みんなも、交際相手とつきあいが長くなって安心しかけた頃が危ないから気をつけよう、などと他愛もないことを話す。

…先ほど、録画しておいた授業のビデオを見て、昨日の授業よりずっと面白く感じた。(自分の授業を自分で面白いというのは変だが)。やはり、古文の方が授業していて楽しいかな。もちろん、ミスも幾つもあったし、改善点も多いが、昨日よりずっとリラックスして、柔らかな表情でやれているな、ということを感じた。…今日は、他の先生方の授業も3つも見学できたし、収穫の多い一日となった。