先日実家に帰ったとき、デヴィッドのピンナップ写真がとってあるのを見つけた。写真の裏ページに、デヴィッドのインタビュー記事の一部が載っている。
このページだけ切り取ってあるので、どの雑誌の何年何月号かもわからない。雰囲気からいって、掲出雑誌は『ロック・ショウ』か『ビバ・ロック』だろうか?また、記事の中に、デヴィッドが最近、ジャパンの2枚組ベストアルバムを編集した話題が出てくることから、1984年後半のものと思われる。日本では、1984年12月に発売された『エクソサイジング・ゴウスツ』について、デヴィッド自身の口から、次のように語られているのは、非常に興味深い。
「ジャパンというグループには、とても不思議な規律みたいなものがあった。僕の規律で、それを他のみんなに押しつけていたわけだけれど。ほとんどの場合、それは楽しいものじゃなかったよ。僕は、わざとジャパンを楽なグループにはしないようにしていたからね。一緒にいるのも、また音楽を創るのも、ハードワークだったよ。今の僕にはもうそれは全くないけれど、でも僕にとって、それはとても貴重な経験だったと思う。ヴァージン・レコードは、ジャパンの曲の編集版を出すんだけれど、これはジャパンのベスト・ヒッツ、グレイテスト・ヒッツ(笑)。この話がきた時、僕はそれをダブル・アルバムにしたいと言ったんだ。ジャパンを好きな人は、理解してくれると思う。僕が選曲、編集をしたんだ。もう何年も聴いていなかった昔の曲を、ごく最近聴き直したんだけど、僕は、過去を振り返ってみて恥ずかしいと思う曲が、一曲もないって分かって、とても嬉しかった。ジャパンが時間のムダではなかった、何かとても大事な事があったんだって事に気がついたんだ。僕は、ノスタルジックになってるわけじゃないよ。過去というものにノスタルジックになるのは嫌いだからね。でも、僕らが何か価値のある事をしたんだって事がはっきり感じられたのは、とても嬉しかった。」
『エクソサイジング・ゴウスツ』は、ジャパン後期の3枚のアルバムを中心に選曲され、何曲かの未発表曲(主にインストゥルメンタル)を加えて発表された。元のアルバムの曲順になじんでいた私には、やや違和感の感じられる編集だったために、あまり聴く機会はなかったのだが、「フォーリン・プレイス」のように、ここでしか聴けない佳曲もある。(私個人の感覚でいえば、ジャパンのベストとしては、解散ライブを収録した『オイル・オン・キャンバス』を挙げたい)。
デヴィッドの若かりし頃の懐かしい写真、懐かしい話題で、しばし郷愁にふけった。