ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

母のことを思って泣いた!

2024年07月06日 | 介護
母のことを思って泣いた!
ろくな親孝行も出来なかったことに泣いた!
心の中ですまないと詫びて泣いた!
もしも生まれ変わっても私はこの母の娘で生まれたいと思った。
そしたら親孝行をたくさんしたいと思った。
美味しいものも食べよう!
旅行にも行こう!
温泉にも行こう!
今、私は悔やんでいる。
母を責めていたこと。
好きな道に進めなかったこと。
やりたいことをやらせてもらえなかったこと。
芸能人を好きなことや追っかけをすることを否定されたこと。
私が二十歳の頃に親の反対を押しきって他所へ行きすぐに挫折して帰ってきたこと。
継母に育てられた母の人生はいかばかりかと?
小学2年生から家事と子守りを強いられ、女学校を出ると働きに行き、実家に仕送りをしていたこと。
弟や妹が生まれれば働いていても実家に帰されたこと。
働いて買ったミシンを実家に預けたら売られたと言う話も聞いた。
半年間の洋裁学校を出て、和裁は目の見えない下宿先のおばあちゃんに習ったのだ。
小学生の時に手作りしてくれたワンピースはめちゃくちゃ嬉しかったです。
中学生になった私の家庭科のブラウスをほとんど母が縫って先生にばれたこと。
一緒に行った京都旅行や初めて泊まったユースホステルや岩手に旅行に行ったことや、青春18きっぷを使ったことなどを…。
そうそう、お人形の浴衣も作ってくれましたね。
母が作る土曜日のお昼のオムライスはめちゃくちゃ美味しかったですね。
母が作るハンバーグも絶品でしたね。
こうやって私は今、母のことを思い出しています。
そして泣いています。
小学生の時も中学生の時も高校生の時も社会人になってもいじめにあっていたことは母には言えませんでした。
だから私は憧れの芸能人に救いを求めてすがるんですよ。
幼稚園や保育園に行かれなかったこと。友達の作り方がわかりませんでした。
勉強が出来ない。
容姿が悪い。
背が低い。
小太り等でいじめられるんです。
陰湿ないじめは続くんですね。
家に帰ったら涙は封印する。
夜は布団を被って涙を殺して泣きました。
心の支えは憧れの芸能人でした。
その後は「家を出たい!」と「自由になりたい」と、やっとのことで32歳で結婚記しました。
が、私が40歳の時に母が70歳で働けなくなり我が家に来ましたね。
そしたら私は元の木阿弥でした。
生活は母に監視され、とうとう私も50歳手前で更年期からの別の病気になりましたね。
たまたまテレビで見たシャンソン歌手のクミコさんに「この人だわ!この声だわ!この歌だわ!」と、母の目を盗んで追っかけをするようになりましたね。
でも母にはバレましたね。
私は心療内科に通いながらクミコさんの歌を聞きに行き少しずつ元気になりました。
その後は60歳でたまたま聴きに行った浪曲の五代目天中軒雲月師匠の声に「この人だわ!この声だわ!」と、聴きに行くようになりましたね。
その頃の母はすでに認知症の初期で雲月師匠のことはいまだに母にはバレてはいません。
友達の作り方もわからず、友達との接し方もわからない私はこんなになりました。


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