雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

入院5日目(1)

2006年10月31日 | 入院生活
さて、私の入院もはや5日目になりました。
朝の検温では36.8度。「う~ん、微妙な数字だねえ。なかなか
すっきり下がらないねえ」と看護師さん。

この病棟は、内科と神経内科と整形外科の患者さんが
混じって入っているので、お医者さんの
数もそれだけ多いのですが、今日から3連休ですし、
看護師さんの数もなんとなく少ない感じです。
また、ここは見舞い客も平日のほうが多いのか、
土曜日の病棟は普段より静まりかえっていました。

かなり体が楽になった私、この病室ではいちばん
身体が自由に動く人間ということもあって、病室の電気を
つけたり消したり、カーテンを引いたりあけたり、
パジャマのボタンをかけたり、お見舞いにもらった
果物を食べやすい大きさにちぎったり、と
同室のおばさまたちのためにちょっとした用事を
こなせるようになり、その分仲良くなって
いろいろなおしゃべりをするようになりました。

特に隣のベッドのおばさまとは話がはずみ、双方起きて
いるときには、ベッドを仕切るカーテンをあけて
おしゃべりしたり、私がとなりのベッドへ出張して
お孫さんの写真を見せてもらったり、一緒にお茶を飲んだり
していました。

ちょうどそうして盛り上がっているところへ、昼前の
検温に来た男性の看護師さん。
私は慌てて自分のベッドに帰ります。
「ああ、そっちの人か。誰としゃべっとるんやろと思たよ。
 娘とはちゃうし・・・」
「娘にしてはとうが立ちすぎ、と思ったでしょ」
「いや、そんなこと、思ってるけど僕の口からは言われへん」
「思てるんやんか!」
こういうところでも笑いで盛り上がるのは関西人の
性でしょうか。
でも、お隣のおばさまは血圧が上がり、私は熱が
上がってしまいました。

午後からは連休明けの退院に備えようと思い、意識的に
歩いたり起きたりする時間を増やします。
病棟の端の食堂まで歩いていって、そこにある本を
借りてきて、ベッドの上に起き上がって読みます。
どういう関係なのか、自閉症児のお母さんが書かれた本が
あったりして、興味深く読めました。
お茶を取りにいったり、本を交換に行ったり、食堂まで
4往復くらいしたでしょうか。

だんだん両足に痛みを感じるようになりました。
最後の往復のころには、両足の筋肉が上から下まで
けいれんし、思わずうめき声がでるほどの筋肉痛を感じます。
おまけに、夕方には首の後ろから背中にかけて
ひどい凝りのため、頭を起こしていることが辛くなってきました
どうやら、まだ首の筋肉の麻痺が治っていないところへ
起き上がった姿勢を長時間続けたので、変な筋肉の使い方を
してしまったようです。

痛む脚を引きずるようにしてよろよろと病室にたどり着くと、
私はベッドの上に倒れこみました。
横になって、痛みと辛さに耐えながらなおもけいれんの続く脚を
さすり続けているところへ、今日の夜勤の看護師さんが
夕方の検温にやってきました。

入院4日目(5)

2006年10月29日 | 入院生活
さて、久しぶりのシャワーでさっぱりし、少し明るい気持ちには
なったものの、体力のなくなっている私はものすごい疲れを感じ、
詰め所の看護師さんにお礼を言ってから、倒れるように
ベッドに入って、しばらく休憩しました。

ほどなく体の辛さは回復しましたが、夕方の検温ではまだ37.1度。
それでもあまりしんどい感じはなく、夕ごはんはまたきちんと起き上がって
食べることができました。

夜8時過ぎ、半分ほど寝静まった病棟に、夫と息子と母が訪ねてきました。
「電話で一応納得したようだけど、じかに会って聞いたほうが
 ちびくまも納得するだろう。納得したらちゃんとできる子なんだから
 一度病院で会わせておこう」
という母の考えだったようです。我が母親ながら短期間のうちに
なかなかセンスが良くなってきました。

さて、病室で一度ベッドに寝ている私の姿を見せてから、同室の
患者さんの迷惑にならないように、病棟の端の食堂に移動します。
「ねえねえ、おかあさん」
食堂の椅子に座った私の膝に息子が座って甘ったるく話しかけてきます。
「なあに?」
「おかあさんのノートパソコン、つかっていい?」
「・・・は?」

なんとちびくま、いつもは「おかあさんがお仕事に使うものだから
触らないでね」と言われている私の専用機に目をつけ、
「おかあさんはびょういんにいってつかっていないから、
 ぼくがつかっていいかきいてみよう」
と心に決めてきたようなのです。

「・・・じゃあ、お利口にお留守番してくれているご褒美に、
 お母さんがお家に帰るまで使っていいことにしようか」
と言うと
「やった~!おかあさんのノートパソコンつかっていい、って
 おかあさんがいった!」
と嬉しそうに叫んだちびくま、夫と母に
「じゃあ、おうちへかえろうか」
息子よ、きみの用事はそれだけだったのか・・・

ともあれ、納得した息子は、ぐずることも全くなく、
「じゃあ、おかあさん、バイバーイ。13日にかえってきてね」
と言って、あっさりと帰って行きました。

その夜遅く、これまでずっと我が家に泊まっていてくれた母が
一度実家へ帰りました。
「じゃあ、ちびくまくん、おばあちゃんお家へ帰るわね。
 また月曜日にくるからね」
と母が言うと、ちびくま、
「おばあちゃん、ちびくまくんのおうちにきてくれてありがとう。
 げつようびにまたきてくれるんだね」
と答えたということです。

帰国直後、祖父母を全く受け付けず、ほとんど言葉も通じなかった
ちびくまを知る母にとっては、ちびくまの成長をしみじみと感じ、
感激で胸がいっぱいになる言葉だったに違いありません。

入院4日目(4)

2006年10月27日 | 入院生活
さて、そうこうするうちに、最終日の点滴も終了しました。
片付けにきた看護師さんが、「お疲れ様でした。これで終わりね」と
にっこり笑いながら、左手首の針を抜いてくれます。
私も「やっと自由の身です~」と応えました。

さて、それから、病棟の公衆電話から自宅へ電話をかけました。
いつもは電話の呼び出し音でパニックになる息子ですが
私からと聞いて即座に立ち直りました。
「もしもし、ちびくまくん?あのね、お母さん、今日お家へ
 帰る、って言ってたんだけど、お医者さんがね、
 もう少し病院にお泊りしないといけない、って言ってるの。
 13日の金曜日にはお家に帰るからね、それまで
 おりこうにお留守番していてくれる?」
「はい、ぼくは、おりこうにおるすばんしていてくれます。
 おかあさん、13にちにかえってくる?」
「うん、13日には帰るからね、待っててね」
「はい、まってます」

楽しみに待っていることが早く来るのは良いけれど、一時間、
いえ、一分でも遅れると混乱するちびくまの特性に合わせて、
退院の日はわざと遅めに伝えました。これなら、10日に
退院できればそれでOKだし、万が一また退院が延びても、
13日までに退院すれば、息子に嘘をついたことにはなりません。

それから、障害児タイムケアの施設に電話して、9日に終日
息子を預かってもらう手配をします。ここに行けば、大好きな
ドライブに連れて行ってもらえるので、息子は家にいるより
楽しめるはずです。7日は大学での療育があるし、8日は
既にガイドヘルパーさんとのお出かけをアレンジしてありますから、
これで母に帰ってもらっても、夫だけでなんとか3連休を
乗り切ることができるでしょう。

そして、手配した内容と、いつどこに息子を連れて行けば
いいかをメモに書いて、病院へきてくれた母にことづけることに
しました。

で、ふと気になったのが、お風呂のこと。私は先に点滴を
しないといけないので、後回しになったのだとばかり思っていたのですが
いつまで経っても呼びに来てくれる気配がありません。
それで、病室へ帰る途中で詰め所を覗くと、ちょうど今日私を
担当している看護師さんがいたので
「すいませ~ん、私はお風呂、何時からですか~?」と訊くと、
「えっ?ちょっと待って」と言って、慌ててどこかに電話をかけています。

そして
「ごめんね~。点滴してたり、熱があったりだったから
 お風呂は入れないんだとばかり思ってたのよ。
 でも今聞いてみたらお風呂OKだそうだから。
 もうお風呂場の片付けも掃除も済んじゃってるから、
 ちょっと待ってくれる?すぐに用意して、使った後は
 私が掃除しておくから」
「じゃあ、病室に帰って荷物取って来ます~」

病室で着替えやタオルをまとめ、浴室に行くと、さっきの
看護師さんがシャワーを浴びられるように用意をしてくれていました。
「ごめんね、バスマットもう片付けてしまってるから、
 病棟のタオルを敷いておくから。ここ閉めておくから、
 終わったら詰め所に声かけて。万が一気分が悪くなったら
 呼び出しブザー押してね」

さて、髪を洗うのも4日ぶりです。実は入院直前はもうシャンプーも
満足にできないほど腕の力がなかったのですが、今日はしっかり
頭を洗うことができました。
体を洗うのも、かなり力が入るようになっています。
おそるおそる風呂椅子から立ち上がってみると、これも
気合がいるものの、なんとか立てるようになっていました。
確かに回復してきている。ちょっと明るい希望が出てきました。

入院4日目(3)

2006年10月26日 | 入院生活
さて、看護師さんに点滴を調節してもらって、ポンプの警報が
治まると、ドクターは診察を始めました。
初診のときにしたように、手の筋力を調べ、
「ほう、腕はだいぶ回復しているね。まあ女性ならこれくらいかなと
 いうくらいの力は出ているよ」と言ったあと、
脚の筋力と、あちこちの腱反射を調べたドクター、う~んと
しばし腕組み。

「今日、帰りたいんだったよね」
「はい、できれば」
「う~ん・・・。家に帰って、トイレ以外動かないで寝ていられる?」
「えっ、それはちょっと・・・」
「今お家はどうしてるんだっけ」
「実家の母に来てもらっています」
「じゃあ、お母さんに頼んで、家事もお子さんの面倒も
 みてもらっって、寝ていたらどう?」
「いえ、それだと母が大変すぎます。それに、母も疲れてきているので
 この3連休は 一度家に帰ってもらおうと思ってるんです」

難しい顔をして、考え込むドクター。
「・・・先生、やっぱり今日退院するのは無理なんでしょうか」
「うーん。お子さんが心配なのはわかるから、帰してあげたいのは
 やまやまなんだけどね~・・・どうしたらいいかなあ」
「じゃあ、先生、あと3日だけ入院して、連休明けに退院、というん
 だったらどうでしょう?」
「え?できるの?」
「休みの日なら、夫の送迎をあてにできるので、子どもを
 専門の施設に預かってもらう手配ができます。
 それなら家もなんとか持ちこたえられると思います。
 でも、連休明けの火曜日にはどうしても帰していただきたいんです」
「うん、じゃあ、そうしよう。やっぱりね、もう少し安静に
 していたほうがいいからね。3連休だし、その方が安心だ。
 良かった良かった。じゃあ、火曜日の朝にもう一度検査と診察して、
 それで 退院ということにしようね」

ドクターは心底ほっとしたような顔でそう言うと、ニコニコして
去っていきました。
帰りに詰所に報告していったのか、すぐ看護師さんが
「じゃあ、一応10日に退院の予定でいいですね?」と確認にきました。
「はい。でも、それなら、お願いがあるんですが」
「なあに?」
「実は、昼も夜もずっと和食続きで、もう飽きちゃったんです。
 食事って1種類しかないんですか?」
「えーっと、常食なら2種類あるんだけど、食事制限なかったよね」
「はい、何食べてもいいと言われてます」
「じゃあ、今日から夕食は洋食に指定切り替えていい?
 退院まで洋食が出てくることになるけど」
「はい、お願いします」
入院が伸びるとわかって、私の頭にまず浮かんだのが
これだったのでした。(いやしい?)


入院4日目(2)

2006年10月25日 | 入院生活
免疫グロブリンの瓶と、ブドウ糖のパックを手にした看護師さんが
「今日で点滴終わりですねえ」とにっこり。
私もご機嫌で「はい!」と元気に返事をして、5日目の点滴が始まりました。

これまで4日間は、1時間に100mlという量を、看護師さんの目分量で
調節していたのですが、今日はなぜか輸液ポンプ(点滴の量をポンプで
調節する)がつけられていました。
免疫グロブリンというのは、かなりどろっとした粘性のある液体で、
それを薄めるためかブドウ糖溶液と一緒に点滴しているのですが、
あまりに粘度が違うためか、ブドウ糖のほうが逆流してしまったり、
グロブリンの点滴が止まってしまったりするのです。
これまでは自分でその様子を観察して、おかしければナースコールを
押して看護師さんに来てもらっていたのですが、
輸液ポンプではそうした異常があると、警報音がなる仕組みになっています。
それで、私もちょっと気が楽になり、昨日寝不足だった分、少し
眠ったりしていました。

ところが、この点滴、思っていたよりくせものだったのか、
しょっちゅうピーピーピーピー警報がなります。
そのたびに看護師さんが覗きにきて、点滴を調節していかなければ
なりません。
通りかかっては点滴をチェックしていく看護師さんと
「あ~ほんま、今日はとくべつよくトラブるなあ」などと言って
笑い合っているうちに、もう昼食が運ばれてきました。

昼食が済んでしばらくすると、外来の終わった主治医が
診察にきてくれました。と、それにタイミングを合わせたように
またポンプの警報がピーピー鳴り出します。
ドクターは
「あれ?これなんだ?どうやったら止まるんだ?」と
言いながら、ポンプをいじくってみるのですが、警報はとまりません。
するとドクター、おもむろに院内携帯電話を取り出し、どこかへ
電話をかけはじめます。
「あ、※※さん?Fだけど、今病棟へ来てるんだけど、
 ○○さんの点滴が大変だ!」
(おいおい(~_~;))

もちろん、ベテラン看護師さんがすっ飛んできました。
「ごめんよ~。僕、これの止めかた知らなくってさあ。
 使ったことないから。※※さんに助けてもらおうと思って。
 ああ、かっこ悪いなあ、患者さんの前で」
と頭をかくドクター。もうどこまでお茶目なんだか。


入院4日目(1)

2006年10月24日 | 入院生活
翌朝。
夜中の1時半くらいまで眠れなかった上に、病棟のいろいろな
音で何度も目を覚ましては眠れず、もんもんとしながら
一夜を過ごした私は、せっかくうとうとしかけたところへ
今度は隣の病室のおじいさんの怒鳴り声で目を覚ましました。
同室のおじいさんたちが朝早くからおしゃべりしていたのに
腹を立てて、「うるさい!黙れ!」と大声を出したようですが、
その声のほうがよっぽどうるさかったのです。

少し経つと、眠そうな顔をした看護師さんが蒸しタオルを配りに
やってきました。おっとりした話し方の、いかにもおとなしそうな
若くて可愛い女の子です。
「昨夜は仮眠する暇がなかったわ。ああ眠い~」と隣のベッドの
人に笑って言います。
「なんか、忙しそうでしたね」と私が言うと、
「あ、うるさかったかな。ごめんね~。ちょっとあっちとこっちに
 しんどい人がおってね。目を離すと死んじゃうんじゃないか、っていう
 感じだったから~」
「いや、うるさいと言えば隣のおじいちゃんですよ。あの声で
 目が覚めたわ」
「ははは。ごめんね。本人にも言っといたから」

その日の朝ごはんも彼女が配っていましたが、なぜか私の分だけが
来ません。しばらくして、
「ごめんごめん。寝不足でぼけぼけやったあ~」と言いながら
ベッドまで運んできてくれました。

やっと日勤の看護師さんたちと交代して帰るときには、患者たちから
「大丈夫かあ?居眠り運転したらあかんで~。家帰ったらすぐ
 寝えや~。ゆっくりしてなあ」
とねぎらわれていました。

さて、私はというと、寝不足の割に、随分体が軽くなったような
感じがしました。試しにベッドに起き上がってみると、
昨日までと打って変わって、片肘をつくだけで簡単に起きられます。
ベッド脇に立ち上がるのもこれまでよりスムーズにいきました。
これまでは点滴台につかまって歩いていたのですが、支えなしで
そろそろと歩いてみると、まだ脚は引きずっていますが、なんとか歩けます。
朝の検温でも、36.9度、とかなり体温が下がっていました。

朝食後、歯磨きセットを持って、初めて洗面所まで歩いてみました。
立ったままでいるとすぐに両足がガタガタ震えだすので
洗面所の椅子に座らずにはいられませんが、手のほうはほとんど
問題なく動くようで、歯磨きも洗顔も久しぶりにできました。

この病棟では今日は入浴日なので、日勤の看護師さんたちが出勤すると
さっそくあちらこちらで「さあ、お風呂に行きますよ」という声が
かかり始めます。同室の3人の人にも、全部迎えがきましたが、
私のところには点滴セットが運ばれてきました。


眠らない病棟

2006年10月23日 | 入院生活
実はこの病棟に、私より若い患者さんは3人しかいません。
(看護師さんに教えてもらいました)
同じ病室には他の患者さんよりひときわ若い女性が1人いましたが
その人でさえ61歳だということでした。
あとの患者さんは大部分が私の母よりずっと年上、おそらく
病棟の平均年齢は80歳以上でしょう。
だからこそ、40代の私が「若い」と表現されたのです。

昼間はあまり目立たない、その人たちの「困った」様子が
夜になるとはっきりわかります。

少し認知症が入っているのか、トイレに行ったはいいが
帰りに間違えて私たちの部屋に入ってきて寝ようとするおじいさん、
夜中に非常口から出ていこうとして、看護師さんにとめられている
おじいさん、
夜中のトイレのたびに、ナースコールでなく、「かんごふさーーーん」と
病棟中に響き渡る大声で呼び続けるおじいさん。(多分、こうすると
他の患者さんに迷惑をかける分、早くかけつけてもらえると
学習しちゃったのでしょうか)
「いたい~、い~た~い~~」と絶え間なくうめき続けるおばあさん。

その他にも夜中のトイレに自分で立てない人がこの病棟にはたくさんいて、
ベッドサイドのポータブルトイレに座らせてもらったり、車椅子で
トイレに連れて行ってもらったり。

看護師さんが詰め所にいないときには、看護師さんが持った携帯端末に
ナースコールが届いて呼び出し音を立てています。
これまでもずっとこうだったのか、今までそうだったのに気がつかなかった
だけなのか、2~3分おきに病棟のどこかでナースコールが鳴って
そのたびに、パタパタと小走りに駆けつける看護師さんの足音が
聞こえました。

詰め所の横の部屋では重症患者さんにつけられた輸液ポンプと
酸素・心拍のモニターが絶え間なく「ピッ、ピッ、ピッ」と
規則正しい音を立てています。

時々、「ピーーーーッ、ピーーーーッ」と言う警報音が
鳴り響き、そのたびに看護師さんたちがばたばたと駆けつけて
処置をしているようです。

ここは「眠らない病棟」なのだと思いました。
一見、夜7時過ぎにはもう電気が消えて、眠ったように見えるけれど、
ここの患者たちを支える人たちには夕方5時から翌朝9時まで
ほとんど息をつく暇さえない。

病院という場所は、高齢で介護の必要になった人たちは、こういう
人たちの献身に支えられているのだ、ということを、改めて
痛切に感じました。
自閉症児を育てる大変さは知ってはいても、今まで病気にも
高齢の人たちにも縁のなかった私にとっては、全く新しい経験でした。

入院3日目(2)

2006年10月22日 | 入院生活
午前中はとろとろと眠って過ごしましたが、昼食前の検温では
また熱が38.2度まで上がっています。

昼前に主治医が覗きにきてくれました。
「なんかすごい熱が出たんだって?なんでかな~」
(なんでかな、と私に訊かれても・・・)
「まあ、なんか感染症だったとしても、多少の感染症なら
 これだけ大量に免疫グロブリン入れたら治るから」
(・・・そ、そんなご無体な)

体を起こすのが辛かったので、お昼ごはんも寝たまま、少しだけ
食べ、またとろとろと眠って過ごします。この日の朝から午後にかけてが
入院中一番からだが辛い時期でした。

朝一から点滴を始めたので、今日は1時半ごろには終わりました。
空になった点滴セットを片付けにきた看護師のNさんが
私に言いました。

「あのね、○○さんは明日には退院して帰るつもりだったんだよね。
 もし、明日帰れると思って楽しみにしていたら、そうならなかったときに
 ショックを受けると思うから、今言っておくね。

 もちろん、明日、先生が診察してOKが出れば退院できるんだけど、
 ただ、私たちの目から見ると、○○さんはまだとても大丈夫じゃないの。
 麻痺もまだしっかり残ってるし、熱も上がったり下がったり、安定して
 いないでしょう。まだまだ安静が必要だと思う。
 だから、先生が退院許可を出されるかどうかはとても微妙だと思う。
 ごめんね、がっかりさせるけど、覚悟をしておいて欲しいと思って」

確かにがっかりはしたけれど、なるほどNさんの言うとおりでした。
私はまだ点滴台にすがらなければ歩けないし、それも病室の隣にある
トイレまでで、その2つ向こうにある洗面所まではとても歩く自信が
なかったのです。立つことはできるけど、立ち続けることは1分も
できない。今日は体を起こすことさえできない。そんな状態で
退院しても、自分も大変だし家族にも迷惑をかけることは間違いありません。

患者をがっかりさせるようなことは誰だって言いたくないに違いない。
わざわざ自分が悪者になって嫌なことを言ってくれたNさんに
素直に感謝する気持ちになりました。
 
その後、母が着替えを持って覗きに来てくれましたので、そのことを
話すと、母も今帰ってこられても心配だから、せめて連休明けまで
入院していたらどうか、と言ってくれました。

しばらくすると、今度はM小の障級保護者会の代表さんと
所属している自閉症児親の会の代表さん(この人も同じ学校)が
現れました。
実は私、入院することを息子の担任の先生と、息子を預かって
もらうことになりそうな事業所さん、そしてネット上の
ごく親しい友人には連絡したのですが、その他のお母さん仲間には
黙っていてくれるように担任には依頼していました。
治る病気だということはわかっていましたし、自分では3泊4日で
金曜日には退院して帰るつもりでいたからです。

でも、障担が息子のかつての担任2人に連絡し、その先生から
また別の先生に、その先生からうちの学校の卒業生の親御さんに、
その親御さんから別の親御さんに、とぐるぐる回って
うちの学校の保護者会にも親の会にもしっかりばれてしまって
いたのでした。もちろん、お2人には他の保護者には話さないように
お願いしましたが。

でも、病気になったときに心配してわざわざ足を運んでくださる方が
いるのはありがたいものですね。

さて、息子を学校に迎えに行ってもらう手はずになっていた母を、
同じ学校のお母さんが一緒に車で送ってくれると言うので
お願いし、私は夕食までもう一眠りしました。

夕食前の検温では37.9度。少し体も楽になったので、今度は起き上がって
ほぼ完食しました。同室の人たちは夜7時になると眠ってしまいます。
私は部屋の電気を消して枕元のスタンドだけをつけ、テレビを見ていました。

元気になってきたはいいのですが、昼間ずっととろとろ眠ったせいか、
目がぱっちりさえてしまい、とても眠れそうにありません。
そのうえ、これまで余裕がなくて気がつかなかったけれど、この病棟、
夜中でもかなりうるさいことに気がつきました。


入院3日目(1)

2006年10月21日 | 入院生活
朝、看護師さんが蒸しタオルを持ってきてくれた気配で
目が覚めました。
「どう、眠れた?」
「はい、なんかあのあとすぐ眠っちゃったみたいです」
「そう、良かった。氷枕取り替えておこうね。また何か
 変わったことがあったら呼んで」

朝の検温では熱も37.6度にまで下がっていました。
でも、朝食が来たので起き上がろうとすると、めまいが。
仕方がないので、ベッドの頭を少し起こして、コッペパンと
牛乳だけを握って寝たまま少しずつもぐもぐ食べました。

9時30分、点滴のため、看護師Nさんがやってきました。
これまで点滴をうっていた右手は血管がへたって
入りにくくなってきた、ということで、今度は左手に
カテーテルを打ち変えます。
「こないだの看護師さん、血管が見つけられなくて苦戦したあげく
 ここに打ちはったんですよ。すごい痛かったんですけど」
「あ、やっぱり?なんかすごいところに刺してるな~とは思っててんけど」
と笑う看護師さん。
「でしょ~。採血なんか、右手首の関節からとったんですよ。
 考えられへん。あんなとこ、初めて針刺されたわ」
「私ね、今月からここの病棟に来たけど、これまでは整形と外科やったから。
 こういうのはわりと得意よ」
「やった、頼もしい~」
と会話をしながら、左腕にカテーテルを刺し・・・たのですが。
「あ、あれ?」
静脈に刺すので、うまく刺されば血液が出てくるはずなのに、出てこない。
「あれ~?確かに今、手ごたえあってんけどなあ?」
明らかに動揺の色が見られる看護師さん。
失敗された私より焦っているのがわかります。
思わず顔を見合わせて、
「まあ、こういうこともありますよね」
「ごめん。なんかむっちゃ自信なくなった」
と力なく「ははははは・・・」と笑い合い、

「痛い思いさせてごめん、もういっぺん、刺しなおすね。今度は確実に」
・・・そう言って、ひきつった笑顔でNさんが新しい点滴の針を刺したのは
左手首の関節なのでした。


入院2日目(2)

2006年10月20日 | 入院生活
昼前には主治医Fドクターが診察に来てくれました。
「どうですか~?」と訊かれて
「元気で~す」と答えると、「またこいつは(ーー;)」という
顔をするドクター。
ハンマーであちこちを叩いて腱反射の様子を見ていましたが
「あれ~?初め診察したときは、まだ結構しっかり反射が
 出ていたんだけどね。もうほとんど出なくなっちゃってるよ。
 ちょっと麻痺が進んだみたいだね~。
 まあ、グロブリン入れても、すぐ進行が完全にとまるわけじゃ
 ないからね。だんだん効いて来るから、のんびり行こう。
 万が一気分が悪くなったり息苦しくなったりしたら
 すぐ看護師さんを呼んだらいいからね」
でも、自分では麻痺が進んだという自覚がなくて、健康的に
お腹がすき、食欲も旺盛、もりもり元気という感じだったのでした。

今日は朝から点滴していたので、昼食をはさんで2時半ごろには
点滴が終了しました。
やっと自由になったのを見て、看護師さんが
「体を拭きましょうか」と言ってくれました。
温かいタオルで背中を拭いてもらい、まだ腕が利くので
他の部分は自分で拭いて、下着も着替えてさっぱり。

テレビではちょうど「僕カノ」の再放送をやっています。
横になってテレビを見ていると、急に寒気と頭痛がしてきました。
「夕方になって冷えてきたのかなあ」と思いながら布団のうえに
毛布をかぶり震えているところに、看護師さんがやって来て
「気分どう?なにか変わったことない?」と訊いてくれたので
「なんか急に寒気と頭痛がしてきました~」と言うと、
「一度体温はかってみようか」

体温は38.4度にまで上がっていました。
「そりゃ、寒気も頭痛もするわな~」とひとり納得していると、
電話で主治医の指示を仰ぎに行った看護師さんが
「ドクターの指示で、座薬入れさせてもらいますね」とにっこり。
「意識がしっかりしてるんやから、飲み薬でいいのに~」と
思いながら、おとなしく座薬を入れてもらいます。
ああ、なんで腕と足が動かなくなったくらいで
こんなあられもない姿を他人に見られないといけないのか・・・
(でも、男の看護師さんでなくて本当に良かった)

座薬はよく効いて、30分ほどで体は随分楽になりました。
そこへ運ばれてきた夕食は、しっかり完食。
ご機嫌でテレビも少し見、昨夜はあまりしっかり眠れなかったせいか
今日は消灯の9時を待たずにとろとろと眠り始めていました。

ところが。
再び強烈な寒気と頭痛を感じて目が覚めました。腕時計を見るとまだ
10時です。体がとてもだるく、息もぜいぜいと苦しい感じがします。
ナースコールを押すとすぐ看護師さんが飛んできてくれました。
再び熱を測ると38.6度。吐き気もしはじめました。
でも、「ごめんね、夕方に座薬入れたばかりだから、次は
まだ入れられないの。とりあえず氷枕持って来るわね。
ドクターに電話して指示をもらいますから、ちょっと我慢しててね」

ドクターの指示は「規定の時間があくのを待って、もう一度座薬」
かくして私は2時間の間毛布にくるまってガタガタ震え頭痛に耐える
羽目に陥りました。途中で吐き気に耐えられなくなり、点滴台を杖代わりに
トイレまでよろよろと歩いて行ったは良いのですが
いざ部屋へ帰ろうとするとトイレの入り口で身動きできなくなってしまい、
通りかかった看護師さんに車椅子でベッドまで連れ帰ってもらいました。

やっと12時になって、看護師さんが座薬を入れに来てくれました。
随分体力を消耗したのか、「少し楽になってきたなあ」と思いながら
吸い込まれるようにすうっと眠ってしまったのでした。