雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

ちびくまの夏休み(その1)

2007年08月31日 | 「発達障碍」を見つめる眼
いよいよ夏休みも終盤となりました。

ほんの数年前まで、ちびくまと40日以上も家で過ごす
夏休みというのは、まさに体力と精神力の限界を試される機会でした。

ちょっとしたきっかけで昼夜が逆転したり、暑いせいか
ちょっとしたことでパニックになって泣き叫んだり、
暑さと多動のせいで自分ひとりでどこかへ連れて行くこともままならず、
たまに覚悟を決めてプールに連れて行けば、監視員の兄ちゃんに
「プールサイドを走らないで下さい!」とメガホンで怒鳴られながら
ひたすら息子を追いかけて走る、という図・・・。

どこかへ行かないと間が持たないけれど、どこへも安心して
行ける場所がない、というので、夏休み中の障碍児学級の教室を
遊び場として開放していただけるよう、校長先生に交渉しに
行ったことさえありました。

それがどうでしょう。
今のちびくまは、学校が休みで家に居ても、ほとんど手が
かからないので、私がこんな体になっていても、全く困りません。
毎日ほぼ決まった時間に起きて、ほぼ決まった時間に
2~3種の中から自分で選んだメニューで食事をし、おやつを食べ、
ほぼ決まった時間に入浴して、ほぼ決まった時間に宿題をして
ほぼ決まった時間に就寝。

その合間に、新聞のTV欄をチェックして、見たい番組を選んで観たり、
インターネットで好きなサイトを見たり、ビデオを見たり、
バランスボールで遊んだり、絵本を音読したり、
自由に遊んでいます。

今の彼にとってTVやビデオや絵本はひとり遊びの道具というより、
それを私と一緒に見ながら内容について会話をする、という
「やりとりをしながら一緒に楽しむ」材料になってきたので
視聴時間が長いことを、私はあまり気にしていません。
ずっと相手をするのは疲れることもありますが、ちょうど
定型発達の幼児を相手にしているような感じで、
「ああ、『普通の子』ってこんな感じなのかしら」と
思ったりします。

買い物に行くときは付き合って「ぼくは○○売り場を見てくるね」と
言い残して自分の見たいものを見に行き、レジに向かう頃までには
ちゃんと戻ってきて家まで荷物を持ってくれるし

たまに一緒に図書館に行けば、借りていたCDを自分で返し、
新しく借りるCDを選んでカウンターへ持って行き、私が
本を選んでいる間、絵本コーナーで絵本を読みながら静かに
待っていられるし(中学生が「おかあさんといっしょ」のCDを
借り、絵本コーナーで幼稚園児~低学年向きの絵本をニコニコしながら
読んでいるのもそれなりに怪しい光景ではありますが)

「おうちでゆっくりするのがいい」と言って、なかなか外出を
したがらないのは相変わらずですが、自立支援制度のおかげで
週2回はヘルパーさんに市民プールで思いっきり遊び相手をしてもらい
週1回はタイムケア施設で日中一時支援ということで一日過ごして来ますので、
大きな旅行やイベントはないものの、私が付き合えなくても
家にこもりっきりになることもありません。



盆疲れ(その2)

2007年08月24日 | 時には泣きたいこともある。
あまりの「お客さん」気取りに腹を立てて手伝うように言うと
(本人には悪気はなく、「盆休みなのでゆっくりしたい」と思った
とおりに行動しているだけで、「一方的に世話になるだけでは気まずい」とか
「自分のために病人を働かせては悪い」とかいう発想が
 全くできないだけ、らしい)割と素直に動いてはくれるのですが、
食器を洗うと水をじゃーじゃーと大量に使う割には
汚れが落ちていないのであとで洗いなおしが必要、
台所の床と流し台の周りは水浸し、
洗濯をさせると洗濯機のマニュアルがないと洗濯機を
使うこともできないし、洗剤と水を無駄遣いするばかりで
汚れは落ちていないし、干し方もしわくちゃのまま、
形崩れなどものともせず、なので
あとで全部干しなおす羽目に・・・(T_T)ああ、使えない。


彼は息子の障碍がはっきりし始めたころから数年間にわたって
「母親の性格が悪いからこうなるんだ、育て方が悪いんだ」と
私を責め続けた当の本人ですが

じゃあ、どんな性格の母親がどんな育て方をしたら
これほど周囲への配慮ができないうえに使えない人間ができるのか
ぜひともお伺いしたいものだ、と常々思います。

やっと盆休みが終わって、彼が汚したまま去っていったシーツや
枕カバーなどを全部洗濯して、トイレとお風呂場の大掃除をして
大量に発生したごみ(なぜか普段の2倍)を出してしまったら

どっと疲れが出て、約1週間、とけかけのナメクジのように(爆)
動けなくなってしまいました。
こんなに調子が悪いと、再入院になるのではないかと、
真剣に怖かったのですが、どうやらたまりにたまったストレスの
せいだったようで、ようやくお盆前の状態にまでは回復しました。
いやはや、盆休みならぬ、とんだ「盆疲れ」です。

世の中の「お嫁さん」には、盆暮れごとにこういう試練に耐えて
いらっしゃる方がいっぱいいらっしゃるのでしょうが、
元気なときならいざ知らず、病状が思わしくないときに、
こちらの心身の負担を増やすだけのこういう帰省は、
ホントに勘弁していただきたいものです。

本来なら、こういう輩には「今後我が家への出入り禁止」をきっぱりと
言い渡したいところですが、一番の問題は、彼が

私の配偶者で、息子の父親であるということです。


盆疲れ(その1)

2007年08月23日 | 時には泣きたいこともある。
私の持病であるCIDPとは、ごく簡単に言うと
脊髄から出て手足などの筋肉につながる運動神経の鞘(髄鞘)の部分が
自己免疫によってダメージを受け(脱髄)、
筋肉を動かすための電気信号がうまく伝わらなくなって
両手足などが動かなくなってしまったり
手足などから脊髄へ向かう感覚神経の鞘が脱髄して
痛みや痺れ、感覚麻痺がおこったりする病気なのですが

こうした脱髄性疾患には気温や湿度が高いところに長時間
いることが大敵で、そうした環境では非常に調子が悪くなる
のだそうです。

しかし、気温も湿度も低い避暑地で過ごしたり、常時エアコンをつけて
環境を整えていられたりするほどの経済力のない私にとって、
この国の夏、気温と湿度の高くないところなんて望むべくもなし、
というわけで、入院が必要なほど悪化することはないものの、
梅雨のころからずっとぐずぐずと体調がすぐれない状態が続いています。

残念ながら現在の医学ではこの病気を完治させることはできないし
再燃を予防する確実な方法もなく、風邪などの感染症に
かからないように手洗いうがいを励行するとか、
身体的にも肉体的にも疲れをためないように努力することぐらいしか
自分で気をつけられることはないそうで

しかもあまり安静にしすぎると今度は本来は障害されていない
筋肉や骨が弱ってきてしまうので
週に2,3回、生活に必要な買い物など短時間の外出をする以外の時間は
家でにいて、最低限の家事をこなすほかは2~3時間おきに横になって
休むようにしています。

ステロイドの副作用で顔も体も丸々として血色もよく、
外見的にはとてもどこか悪いようには見えないのに
とにかく自分でも納得できないぐらい疲れやすいので
知らない人が見たら単にぐうたら(いや、元々すぼらでぐうたらでは
あったのですが)の限りを尽くしているように見えるでしょう。

ところが。
この盆休み、そんな我が家へ
「自分がのんびり過ごす」ために帰省してきた輩がいました。

おかげで買い物、食事の用意と後片付け、洗濯物、と
私の用事は増え、休息時間は減る一方。
人が辛い体を引きずって洗濯しているところへ
「これも洗っといて」と洗濯物を持ってきたり、
人が台所で汗をかきながら食事の用意をしていたり
炎天下で洗濯物を干していたりするときに
自分だけ涼しい場所へ移動してTVを見ていたり

私が息子と汗をかきかき杖をついて夕食の買い物に出た間、
掃除機ひとつかけるでもなく流しのお皿一枚洗うでもなく
「ゆっくり本を読んでた」とか言われると
ほとんど殺意に近いものが沸いてきました。





夏休みの宿題(その4)

2007年08月16日 | 「発達障碍」を見つめる眼
ちなみに。
「1日も欠かさず」とは書きましたが、誰に似たのか
エンジンがかかるのがめちゃくちゃ遅く、しかも
注意の転動性(あれやこれやと気が散る傾向)は
非常に高いちびくま、本人の自主性・自発性だけに任せておくと
「涼しい午前中に課題に取り組む」
「宿題を済ませてからゆっくり遊ぶ」
「遊びをきっちり中断して、集中して課題に取り組む」
なんて理想的なことはまずありえません。

早くて私が夕食の準備をしている間、遅いときは
もう日付が変わる、という頃になって
のそのそとプリントを出してくることもあります。

しかも、プリントを出して、筆記用具を持ったところで
何かを思いついてむこうへ行ってしまったり、
ストップウォッチを途中で止めては
トイレに行ったり、ビデオを見始めたり、
PCの操作をしたり、ひとしきり別のことをして
遊んでからまた課題に戻る、という有様で、
(正直、本来の100マスのあり方とはだいぶ違う(^^ゞ)
正直、見ていてハラハラ、イライラすることが
無いと言ったら大嘘になります。

それでも、そんなハラハラ、イライラは微塵も感じさせないようにして、
「もう眠たいし~、1日くらいやらないでもいいんじゃない?」
「今日はいっぱい遊んだから、百ますはしなくていいよね」
と、あくまで淡々と(「皮肉」になっては逆効果になるので
イケマセン)言ってやるのが、家の息子には一番効果があって、

「ううん、ううん、百ますやる!絶対やるよ!」
「もうちょっとだけ待って、ちゃんと百ますやるから」
と、俄然頑張りだすのです。
(だって「宿題はやらないといけない」のは本人が人一倍
 わかっているのですもの)

だから、
「今日はまた百ますしてないんじゃないの?」
「朝の涼しいうちに百ますをしあげてしまいなさい」
「そんなに遊んでばかりだといつまで経っても終わらないよ、
 先に百ますを仕上げてから遊んだらどう?」
と喉まで出かかるお小言を一切言わないように辛抱しながら
表情も声色もひたすらニュートラルに保ちつつ、
「本人をやる気にさせる」工夫を毎日姑息に考える私にとっては、

忍耐力の限界と演技力を試される日々が、
あと2週間続くことになりそうです。
ガミガミ言って宿題をさせちゃうほうが、ずっとラクチンかも。




夏休みの宿題(その3)

2007年08月15日 | 「発達障碍」を見つめる眼
ところが。
私の心配をよそに、ちびくま、なんと今日に至るまで
1日も欠かさず、1日4枚の課題を仕上げています。
タイムの方も少しずつですが上がってきていて、
特に割り算は7月の終わりには10分以上かかっていた
同じ問題を5分台で仕上げられるようになりました。
(まあ、彼の記憶力をもってすれば、単に答えを全部
 覚えただけかもしれませんが(^^ゞ)

そして、1日分の課題を仕上げるとシールを貼って
「お母さん、できました~」と宣言して
とても満足そうなのです。

そんな息子を見ていて、ふと思いました。
「夏休みだから、特別な課題を」「夏休みだから、普段は
やれないことを」と思うのは非自閉の子を基準にした発想で、
「一日を過ごす場所、時間の過ごし方」自体が
既に「いつもと違う、特別なパターン」だらけになっている夏休み、
「学期中にやっているのと全く同じ」課題学習があることが
本人にとっては安定をもたらすパターンで、そのことが
本人のモチベーションにつながっているのではないだろうか、と。

だから、自閉っ子に「夏休みの宿題」をやってもらおうと思ったら
その内容は学期中にしっかり導入して習慣づけておいて、
本人が1人で自信を持って、あるいは家族の最低限の介入でもって
達成可能な課題にしておかなければ、

「宿題なんて無理矢理やらせることじゃないわ~」とあぐらを
かいてしまえる私のような「いいかげんな親」ででもない限り、
本人にとっても家族にとっても
「自分たちの創意工夫のみで新しい課題に取り組む」ことを
強要される、辛いものになるのではないか、とも。


夏休みの宿題(その2)

2007年08月14日 | 「発達障碍」を見つめる眼
「こんなにできるでしょうか?」
4X44=176枚のプリントと、44日分の記録シートを前に、
先に弱音を吐いたのは私のほうでした。
「いや、無理はさせないでもらっていいですよ。気楽に、
 のんびりやってください。でも、今、あのシールを揃えるのは
 本人のいいモチベーションになってますからね。
 きっと使えると思ってるんです」

実はK先生、吹奏楽一筋できた人らしく、今も吹奏楽部の顧問として
指導力を買われている存在でもあるのですが、そのためか
「ドレミファソラシド」と字の書かれたシールを沢山持っています。
1学期にシールを使ったトークンシステムを始めたときに
このシールを使ったことが「文字・数字・音階・色を並べるのが
大好き」なちびくまの興味を刺激し、1オクターブ分集める度に
手に入る「ご褒美」と合わせて、学校で頑張ることへの大きな
モチベーションとなっていったのでした。

でも、これまで、長期休暇の度のシール貼り課題、
歯みがきの習慣づけやトイレットトレーニングに
シールを貼ってモチベーションにしようとしては轟沈してきた私、
ちびくまに「家庭で」トークンシステムを使うことについては
諦めに近いものを持っています。

それでも、とりあえず、学期中に使っていた「学校へ持っていくもの」用の
かご(100均のかごに給食袋や連絡帳など、その日持って行くものを
入れておくと、息子が自分で通学カバンに詰めて持っていく)に
種類ごとに分けて透明ビニール袋に入れたプリントと筆箱、
ストップウォッチ、記録シートと透明ビニール袋に入れたシールを
入れて「100ますセット」を作り、ちびくま用のカラーボックスの
上に置き、本人が課題を自己管理できるようにしました。

そして、私がお膳立てするのはここまでで、後は「100ますを
しなさい」というような指示は一切しないでおこう、と決めました。
何事も「まず本人のモチベーションありき」できた私、今更
やいやい言って息子に無理矢理課題をさせるようなことはしたく
ありません。

また、それ以前の問題として、これまでの偏食指導やトイレット
トレーニングの失敗からもわかるように、大人から
「○○をやりなさい(言い方としては「やった方がいいよ」「できたら
いいね」くらいの柔らかいものだったとしても)」と
言われることは、彼に「やらなければ認めてもらえない」という
強迫観念を植えつけるか、「絶対にやりたくない」という強い
苦手意識や拒否感を植え付けるかの両極端の結果を生み出すことが
多くあります。

だから、「夏休みの宿題ができること」を目指すあまり、
せっかくこれまでK先生との間に順調に築いてきた学習習慣に
へんな傷を付けるようなことがあってはもったいないと
思ったのです。

夏休みの宿題(その1)

2007年08月13日 | 「発達障碍」を見つめる眼
あっと言う間に、8月も半ば。親も子も、そろそろ夏休みの
宿題の出来具合が気になり始める頃ですね。

ちびくま、小学校時代は、塗り絵だとか、簡単ななぞりがきの
課題だとかと共に、家のお手伝いをしたらシール1枚だとか
はみがきがちゃんとできたらシール1枚だとかいう課題を
頂いてきていました。

知的障碍があって、いわゆる「お勉強」の課題が出来ない子にも
生活スキルでもって達成感の持てる課題を、という配慮だと
思うのですが、

これがどうもうちの息子にはうまく行きませんでした。
計算プリントだとか、漢字プリントだとかは、全部とは言えないまでも
学年が上がるにしたがって、そこそこの枚数夏休みの間に
こなせるようになったのですが、

「歯みがきをしたらシール1枚」なんて全く興味なし。
きれいにシールが枡に並んでいても、全部シールが貼れると
きれいに白い歯がならんだ子どもの顔になるようになっていても、
全く興味を示しませんでした。

そもそも、シールを貼るときれいな形になる、というのは
完成した絵の予想ができて、しかもその絵を作ることを
本人が楽しみにできなければ、何のモチベーションにもなりえないわけで。

モチベーションなしに、大嫌いな歯みがきを毎日しよう、なんて
気持ちには、もちろんならなかったようです。

そんなちびくまが、1学期の終わりに持ち帰ったのは、
100マス計算のプリント百数十枚と、そのプリントを綴るための
ファイル、タイムを計るためのストップウォッチ、それに
K先生お手製のタイム記録シートとそこに貼るための
シールの束でした。

ちびくま、4月末にやっと少し学校で勉強らしいことができるように
なったころから、ほぼ毎日100マス計算に取り組んできたのです。
最初は1桁+1桁の足し算のプリント1枚から始まり、
徐々に枚数や種類を増やしていって、1学期の終わりには
足し算・引き算・かけ算・わり算の4種類をこなせるように
なり、それぞれのタイムも始めた頃よりは随分上がってきました。

でも、K先生にとって、それは「算数ができるようにするため」の
課題ではありません。
その証拠に、1学期の間、足し算も引き算もかけ算もわり算も
ちびくまがやっていたのは全く同じ問題でした。
毎日、ある一定の時間、集中して頭を使うこと、そして
目に見えてタイムが上がっていくことで、本人の達成感と
学習への意欲を引き出すための課題、ということのようです。

そして、1学期中取り組んだ、その同じ問題が、それぞれ
夏休みの44日分、用意されていたのでした。
学期中は、自己新記録が出るとシールが1枚もらえ、それが
たまると学校のパソコン室で自由にインターネットが出来るという
ご褒美がもらえるのですが、

夏休み中は1日に足し算1枚、引き算1枚、かけ算1枚、わり算1枚、
計4枚を完成させて、それぞれのタイムを書けたらシール1枚、という
ルールになっていて、それが記録シートに書かれていました。

かわいそうな僕。

2007年08月05日 | adorably autistic
今年の7月は曇り空が多く、比較的涼しい日が続いていましたが、
8月に入ってから、いよいよ夏本番という感じで、日差しが
ギラギラと照りつける、暑い日が続いています。

でも、時代はエコ。しかも私が外で働くことがほぼ絶望的になった今、
残された道は節約、ということで、エアコンはできるだけつけないで
頑張ろうとしている我が家。

ちびくまは3年ほど前まで殆ど汗をかかない子でしたが、やっと
体温調節機能がそこまで発達してきたのか、今度は少しでも暑いと
Tシャツがじんわり湿り、頭髪がシャワーの後に見えるほど
汗をかくようになりました。

先日も朝からだらだらと汗をかきながらPCで遊んでいたちびくま、
「おかあさん、今日は暑いねえ」としきりにアピール。
エアコンをつけて欲しいのだな、ということはわかったのですが
まだまだ午前中、天気予報ではこんなのまだ序の口です。
「ホント、あついねえ。扇風機もっと近づけてあげようか」と
はぐらかしたところ、

「おかあさん、僕はあついといっぱい汗をかいてかわいそうだよ、
エアコンをつけてあげようよ」


…もうつけないわけにはいきません。

それから数日後の、昼食時。
お昼だなあ、とは思ったのですが、今日はちびくまも起きるのが遅くて
朝食が遅めだったので、もう少し後でもいいか、と
PCで韓国ドラマを見ていると

「おかあさん、もうお昼ごはんを作る時間だよ、僕はお腹がすいてかわいそうだよ」

…はい、すぐに作らせていただきます。

外で聞き覚えたことばを、なんともうまく状況に合わせて使うことの
多いちびくまですが、私は息子を障碍ゆえに「かわいそう」扱いすることは、
少なくとも私の目の届くところでは許していません。
だって、彼は「かわいそうと言いたくなるほど不当な扱い」を
されることはあっても、「かわいそうな存在」ではないなずだから。
なのに、いったいどこでこんな言葉を覚えてきたのだろう、と考えて、
ふと思いつきました。

私の入院中、彼の世話をしてくれた私の実母。
「寒い思いをさせるとちびくまくんがかわいそうだから」
「早くごはんにしてあげないとちびくまくんがかわいそうだから」
「おかあさんに会わせてあげないとちびくまくんがかわいそうだから」
いかにも彼女が言いそうなことです。

でも、「かわいそうな僕」だとは思って欲しくないなあ。
そもそも、「かわいそう」という概念を、彼はわかって言っているのだろうか。
そんな私の疑念を、ちびくま自身があっさり晴らしてくれました。

今日、大きな音でアナウンスをしながら、廃品回収のトラックが
回ってきたのです。
ちびくまは、こういう音が嫌いなようで、先日の参院選のときも
街宣車が回ってくるたびに、バルコニーに飛び出して音源を確認し、
「選挙の車はいやだねえ」とつぶやいていたのですが、

今日もバルコニーに飛び出して音源を確認したあと、
「おかあさん、選挙の車も、廃品回収の車も、僕はかわいそうなんだよねえ」

つまり「僕はかわいそう」とは「僕にとって不快」だということのようです。
合っているようで、微妙に違う(笑)。