雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

ちびくまの作文

2006年06月27日 | Wonder of Autism
ちびくまが学校で修学旅行について作文を書きました。

6月21日と22日に広島とチボリ公園に修学旅行に行きました。広島に着くととてもあつかったです。平和公園で、お弁当食べてその後平和学習をしました。広島のことや原爆のことがよくわかりました。

それからフェリーに乗って宮島に行きました。船の中に車が乗っていたのでおどろきました。ホテルには、F君と同じ部屋でゆっくり過ごしました。夕食を食べてお買い物にも行きました。S学級(障級)のお友だちにおみやげを買いました。帰ってきてからお風呂に入りいつも(より)早くねました。

2日目は、雨がふっていました。少し気になりましたがチボリ公園へ出発しました。また、フェリーボートに乗ると車がまた船に乗っていたのでわらってしまいました。チボリ公園に着くとM先生(障担・体調不良のため途中で合流)がいました。お昼にサンドイッチを食べてそれから乗り物に4回乗りました。一番気にいった乗り物は、かんらん車です。そしてチボリでもおみやげを買いました。それは、ぼくが気にいったおもちゃです。ずっと雨がふっていましたがとても楽しかったです。修学旅行にいってとてもよかったです。○○に着くとお母さんがおむかえに来てくれていました。ぼくは、元気に「ただいま」と言いました。お母さんは、「おかえり」と言ってわらっていました。いい思いでもいっぱいできた楽しい修学旅行でした。


*()内は母の注釈

多分先生のヒントで書く要素を整理し、順番に文にしたものと思いますが
一応きちんと作文の形になっていますね。

お葬式

2006年06月25日 | 母もいろいろ忙しい
今日は夫にちびくまを見ていてもらって、障担のお義父さんの
お葬式に参列してきました。

修学旅行の直前に意識不明になったお義父さんは、障担が
修学旅行から帰ってくるのを待っていたように、翌23日の朝に
容態が急変し、その晩息をひきとられたのだそうです。

危篤の家族を置いて息子のために修学旅行に行ってもらって、
もしも最期のときに間に合わなかったら申し訳ない、と思っていた
私の気持ちも一緒に救っていただいたような気がしています。

障担が帰ってくるまで待っていてくださって、
障担に最期を看取らせてあげてくださって、ありがとうございました、と
今日はお祈りしてきました。

修学旅行(2)

2006年06月23日 | 楽しい学校生活
出発したバスは中国道・山陽道を経て広島へ。
広島では平和記念公園と原爆資料館を訪ね、平和集会を開き、
夕方船で宮島へ向かい、1泊。

息子は落ち着いて平和集会にも参加し、夕食はもりもり食べて
先生と一緒に障級の下級生へのお土産を買い、隣のクラスの障担に
お風呂に入れてもらい、早起きの疲れからか、9時半には
お布団に入って寝たようです。

環境の変化と子どもの騒ぐ声に敏感なことに配慮してもらって
障級在籍の2人は障担の先生と一緒に別室を用意してもらい、
ぐっすり休めたようでした。ちなみに、後で聞いた話では
校長先生も同室だったようです。(気の毒

「ちびくまくんの隣の布団で寝ましてね、私も13回くらいずっと
修学旅行に行ってるんですが、いや楽しかったですよ。ちびくまくん、
夜中に目を覚まして、私の顔をこんな感じで見てね、また寝ましたよ」と
楽しそうに話してくださいました。私が小学生のときは、校長先生といえば
朝会や始業式のときによくわからない話を長々とする人、というイメージで
身近に感じたことなどありませんでしたけど、いやはや、息子にとって
校長先生はとても身近な人のようです。

翌日は朝からあいにくの雨。
バスで倉敷・チボリ公園へ。雨天のため、楽しみにしていたジェットコースターに
乗れなかったのが残念だったようですが、先生と一緒に観覧車や
急流すべりなどに乗って楽しんだようです。

そして予定通り夜6時に元気な顔で帰ってきました。
バスの出口で私を見つけるなり、にっこり笑って
「おかあさん、ただいま~、しゅうがくりょこう、たのしかったよ」と。
息子にずっと付きっ切りで大変だったはずの障担も介助の先生も
ニコニコして「楽しかったですよ」と言ってくれました。

これでまた、息子の小学校生活最後の行事が1つ終わりました。
先生方の配慮に支えられて、楽しく、自信をもっての参加。
息子を支援してくださる人々に感謝しつつ、残りの日々をより
楽しく充実したものにできるよう、私も頑張っていきたいなと思っています。

修学旅行(1)

2006年06月22日 | 楽しい学校生活
21、22日は息子の修学旅行でした。行き先は広島、倉敷。
昨年の自然学校に行く前は「ぼくはいきたくない、おうちで
ねんねしたい」とごねまくった息子、今年は去年のことで慣れたのか
あるいは事前学習でしっかり心構えができたのか、一言も
不安をもらしません。

私も毎年どんなに障碍の重い子もきちんと自然学校・修学旅行に
行けるよう、支援してきてくれた学校のノウハウを信頼していますから
大船に乗ったつもりでいれるのですが、ひとつ心配なことがありました。
付き添ってくれる障担の、同居のお義父さんが、ずっと危篤状態であること。
その落ち着かない状態で、先生に無理に行ってもらう事にも、
旅行中にもしものことがあったらどうするのか、ということにも
不安がありましたが、4年前からずっと息子のクラスを担当している
息子と仲良しの介助の先生も一緒に行ってくれる、という形で
解決がつきました。

何もなければ息子には2人の先生がつき、万が一の時には
障担は飛んで帰るけれども、介助の先生は残ってくれる。
私の知る限り、子ども側の理由(1人だけのつきそいでは
スムーズな旅行ができないなど)の理由以外で複数の付き添いが
認められた例はありません。障担の立場と息子のことを両方
配慮しての校長先生の英断だったようです。
3人の小学生のお母さんでありながら、2つ返事で同行を
引き受けてくれた介助の先生にも感謝です。

第1日目、集合はなんと朝6時半。4時半に起きてお弁当を作り、
息子と荷物を車に載せて学校へ向かいます。
介助の先生に息子を託して、他のお母さんたちと一緒に
バスまで子どもたちの見送りに行きます。

息子の通うM小は周りを細い路地に囲まれているため
バスが横付けできないので、最寄のJRの駅前から
バスが発着することになっていたのでした。

息子はもう振り返りもせず、先生と一緒にバスに
乗り込みます。お母さんたちが一斉に手を振る中、
2台のバスは出発していきました。

どこが悪いの?

2006年06月19日 | 母もいろいろ忙しい
高校卒業から息子を授かるまで、私は標準体型より少しやせ気味でした。
ウエディングドレスなどは、9号だと少しウエストが余るので
ぴったりのほうがシルエットがきれいだから、と7号を着たものです。

その頃ずっと言われ続けた「華奢」という言葉は
出産後、過去の栄光になりました。
子どもの言葉の遅れに胸を痛めつつ、夫は単身赴任で連絡もしてこない中
独りでもんもんと暮らしていた頃を過ぎ、
渡米後は子どもがおかしいのは私の性格や育て方が悪いのだと言う
夫と対立し、暴言を吐かれ吐き返し・・・
帰国後は米国に打って変わって、なんのヘルプも受けられないまま
「アメリカ帰りのわがままで自己主張の強い母親」とあちこちで呼ばれ・・・
ストレスの極致の中で、私はどんどん太っていきました。
20代の10年間、ずっと保っていた体重を、かるく10キロ以上も
オーバーするまでになってしまったのです。

教育委員会主催の療育キャンプで海水浴に行ったときに
学校の先生が撮ってくれたスナップ写真を見て愕然としたのは
息子が3年生のときです。
だって、「わあ~、うちの学校にこんなに太った人いたかなあ」と
思ったのが、よく見ると自分の後ろ姿だったのですから。

一念発起、私はダイエットを始めました。
ゆっくりゆっくり体重を落とし、3年間で12キロ減量に成功しました。

びっくりしたのは周りの人たち。特に最後の3キロが減った頃から、
「どうしたの、やせたじゃない」と言われるようになりました。
帰国後に知り合った人は、私のむくむく太った姿しかしりませんから、
褒めるというより、むしろ心配してくれるのです。
「どこか悪いんじゃないの?」と。

先日も、就学相談に一緒に出るために来てくれた、隣の障担のH先生が
私をしげしげと見て「自分、ほんまに痩せたなあ~」

「うん、どこか悪いんじゃないかって、よく言われるんですけど、
悪いところと言ったら・・・


顔か頭か根性くらいかなあ。」



「・・・そんな、返答に困るようなこと言わんといてくれ」と先生。

・・・とりあえず、私は元気です。

就学相談

2006年06月15日 | 楽しい学校生活
来春中学校に進学するちびくま、今日は進学先を決めるための
就学相談でした。

障担が別件で出張中のため、隣のクラスの障担のH先生と
進学希望の中学の就学担当のK先生がちびくまと私に付き添って
くれました。

部屋に入ると、就学指導委員さんは男女1人ずつ。
机の上には、子どもが遊べるように、なのでしょうか、紙と色鉛筆、
それに数冊の絵本が用意されていました。ちびくまはさっそく
椅子に座って、それらを確かめます。

うちの市では就学相談はあくまで「相談」です。指導委員からの
アドバイスはありますが、たいてい保護者の希望通りに決まります。
それだけに、我が子の就学先に何を望むのか、何を決め手に
選ぶのか、保護者は自分の考えを整理して望む必要があります。

まず、指導委員さんにうながされて私が子どもの進学先選びに対する
思いを述べ、進学希望先を伝えます。
指導委員さんはそれに対して小学校と中学校の先生の意見を
それぞれ求めました。もちろん、障担とは進学希望先については
打ち合わせ済みですし、希望先にも承認を取ったうえで来ていただいて
いますから、2人とも私の考えを後押しする方向で話してくれます。

それで、進学先についてはあっさりと決定の方向になりました。

さて、それまでは男性の委員さん主導で話が進んでいたのですが
そこで、男性が女性の委員さんに「先生の方から特になにかございますか」と
話を振りました。すると、「おかあさんにひとつご質問したいのですが・・・」

「先ほど、お子さんには苦手なことがある(注・聴覚過敏や触覚過敏、
 こだわりのことなど)とのお話でしたが、苦手なことを全部取り除いて
 生活させる、という考え方と、あえて苦手なことをそのままにして、
 慣らしていく、という考え方があると思いますが、お母さんはどちらですか」

げっ、と思いました。この場でそんな質問をされるとは思わなかったので。
この委員さんは養護学校の先生です。私は昔、専門家と呼ばれる人に、
「あなたは子どもの言いなりになりすぎる。躾が足りないから
 お子さんが伸びないのです。どこでも環境に配慮があるわけじゃない
 でしょう、避けて通っていてはいつまでも克服できませんよ」と
言われたことが何度もありました。
でも、私の考えは固まっていますし、M小は私の思いをこれまでもずっと
受け止めてくれてきました。そこで正直に答えました。

「もちろん、世間はどこでもそんな配慮をしてくれるわけではない、
 だから、配慮のない環境に慣らしておくんだ、という考え方もあるとは
 思うんですが、私は反対です。だからこそ、家庭や学校といった生活の場では
 本人の感じ方に合わせて環境を整えることが大切だと考えています。
 本人が納得していないのに辛い環境におくことで、子どもが本当の意味で
 成長するとは思えません。家庭ではそう考えて環境を子どもに合わせて
 いますし、学校でもそのようにご配慮いただいてきたと考えています」

すると、その先生がにっこり笑って、大きくうなずき、
「そうですね。私も、苦手な刺激を取り除いて安心させてあげて
 初めて、お子さんがどんどん伸びていく力を発揮するんだと思います。
 お子さんが今こんなに落ち着いて穏やかでいられるのは、お母さんが
 その姿勢を貫いてこられたからでしょう。上手に育ててこられましたね。
 中学の先生方には、こうしたお母さんや小学校の取り組みをぜひ
 受け継いでいただき、万が一にも二次障碍につながることのないよう
 お願いしておきます」

就学指導で子育てを褒めてもらえるとは思っていませんでしたが、
息子のことを褒めてもらうと、素直に嬉しく、ほくほくして
帰ってきたのでした。


だるまさんがころんだ

2006年06月10日 | adorably autistic
今日は教育大での個別指導の日。
自分の体との付き合い方が苦手なちびくまは、運動面を中心に
指導を受けています。

さて、先だって受けたK-ABCというテストで、どうやら
左右の概念がまだあいまいなのではないか、と考えた院生先生、
今日は新しく体の部分を認識するゲームを考えてくれました。

それは、「だるまさんがころんだ」。

普通の遊び方ではなくて、鬼が「だるまさんがころんだ」のほかに
「だるまさんが右手をあげた」「だるまさんが左足をあげた」などと
指示を出して、そのとおりにするというもの。

大人と遊ぶのが好きなちびくまは、沢山の院生先生たちと遊べるので
ご機嫌でゲームに参加します。
でもモニター越しによく観察していると、やはり指示から1拍遅れて、
周りの先生たちがするのをまねて動いています。
聴覚認知は決して悪いほうではないのに、耳から聞いた情報だけでは
体は動かせないんですね。

先生たちの指示は「だるまさんがジャンプした」
「だるまさんが上を見た」といろいろバリエーションが増えてきました。

ひととおりの指示がすんで、鬼役の先生がもう一度
「だるまさんがころんだ!」と言ったところ、


そこでころんでいる息子がおりました。

修学旅行の説明会

2006年06月08日 | 楽しい学校生活
6年生になったちびくま、ついに近々修学旅行に行くことになりました。
今日はその説明会。

会場の図書室がどこにあるのかわからなくて、校舎入り口の
教室案内図を眺めていたら、ちょうど校長先生が通りかかって
「ご案内しましょう、どうぞ」と連れて行ってくださいました。

カーペット敷きの図書室に100人あまりのお母さんたちがぎっしり。
私も障級の仲間のお母さんと並んで、先生方の説明を聞きました。

ちびくまたちは1泊2日で広島、倉敷へ行く予定です。
ちびくまたち障級の生徒には障担がマンツーマンで付き添ってくれることに
なっていますし、既に去年5泊6日の自然学校を経験していますので
あまり心配はしていませんが、今度は随分「班で話し合って決めて
行動する」時間が多いようなので、ちびくまがみんなにとって負担に
ならないか、そしてみんなが息子にとって負担にならないか、は
少し気にはなるところです。

でもまあ、毎年数多くの障級の子どもを修学旅行にノートラブルで
送り出してきたこの学校のノウハウを信じるしかありませんね。

一緒に行ってくださる校長先生も保健室の先生も、多分障担に代わって
息子の入浴の世話をしてくださる先生も、みんな顔見知り。
「お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」と挨拶しても
「いえいえとんでもない、まあ任せておいてください」と
頼もしい返事が返ってきます。
こうした環境で子どもを送り出せるのは、とても心強いことです。

息子は親だけで育ててるんじゃない、いろんな人が心を寄せてくれ
いろんな人に支えてもらって生活しているんだ、ということを
改めて感じます。

出発はまだもう少し先ですが、思い出に残るような楽しい旅行を
してきて欲しいな、と思っています。



しあわせ

2006年06月02日 | Wonder of Autism
ちびくまは週に一度、市の療育センターで感覚統合療法の
訓練を受けています。

今日もセッションのあと、OTの先生から訓練の様子を
うかがっている間、待合室の玩具で遊んだり、うろうろと
歩き回ったりする息子。

そのちびくまを見ながらOTの先生が
「ちびくまくんって、なんか見てるだけでしあわせになりますよね
 ずーっと見てたいくらい」

いえ、私は彼の母親ですから、もちろん息子が世界で一番可愛くて
一番癒される存在なんですけどね。

息子の先生にまでそんなふうに言ってもらえると、
息子がいるしあわせがもっともっと膨らむ感じ。

なんだか照れちゃって、そこに大きく反応はできなかったのだけど、
先生、ありがとう。
あなたの言葉は、息子の存在と同じくらい、私をしあわせにしてくれましたよ。