雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

「従順な子」の怖さ

2007年04月28日 | 「発達障碍」を見つめる眼
今回、ちびくまが大きく崩れた原因を、K先生は
「自分がちびくまくんの困り感に気づけず、頑張らせ
 過ぎてしまったせい」だと言って謝ってくれました。

もちろん、中学の対応にも、私にも、ちびくまの今までの
安定した姿に安心していたための「見通しの甘さ」があったことは
否定できません。

でも実は、今回の爆発の一番大きな原因になったのは、
6年生後半の、「中学生になったときに困らないように」という
数々のスキル指導だったのではないか、と私は考えています。

母親が突然の病気で長期の入退院を繰り返し、その間
これまであまり接触のなかった祖母が家で面倒を見る、という
環境の変化にも、学校では「いつもと殆ど変わらない様子」
だった、というちびくま。

でも、一番密接に関わる母親がいなくなって、
家庭で大きなストレスがかかっていないわけがないのです。
だから、学校では「いつもと殆ど変わらないように見える」影には
本人のどれだけの頑張りがあるか、ということを
常に意識してかかって欲しかったと思います。
ところが、私の入院中に、中学への準備として、偏食や排泄など、
もっとも微妙な彼の「泣き所」である分野に指導が入って
しまったのです。

6年の障担の名誉のために断っておくと、決して知識やノウハウの
ない先生ではなく、むしろ大ベテランで経験もアイディアも豊富で
次から次へと子どもの課題を見つけ出してはぐいぐい引っ張っていく、
指導力抜群のエネルギッシュな先生なのです。
でも、幼児期~小学校低学年の、本当にちょっとでも対応を
間違ったらすぐにボロボロになってしまう脆さが前面に出ていた
頃のちびくまを知らない先生にとっては
「いつもと変わらず落ち着いている」息子が、そう見せるために
既にどれだけのエネルギーを消費していたか、
先生にとっては「軽~く、ソフトに説明した」つもりの言葉が
彼の心にどれだけ強迫的な影を落としていたか、
ただ先生について行くだけのために、彼がその身と心を痛めていたか、
そしてそのことを私がどれだけ心配していたかについては
想像もできなかったのではないかと思います。

それでも、ちびくまはそうした数々の指導の中でも
「床屋へ行って髪を切ってもらう」ことと
「ベルトをはずさずに立ったままおしっこをする」
ことについては、
「そつぎょうしたからもうしないほうがいい」
(=担任の先生に従ってしていただけなので
  もうやる気持ちはない)
と宣言するだけのたくましさは持ち合わせていました。

ただ、もともと「他の子と同じようにきちんとしたい」という
気持ちが強く、しかも中学入学で張り切っていたちびくまにとって、
「給食はできるだけ残さないほうがいい」という指導は
「中学生になったのだから絶対に給食は残してはいけない」
「完食しないといけない」
というプレッシャーとして残り、
「そうしなければならないとわかっているのに、できない自分」
との間で自信を失い、苦しみが限界を超えて
身体症状として出るところまで来てしまったのではないかと
思うのです。

小学校に入学してから、ちびくまが交流級で給食を食べられるように
なるまでには4年かかりました。
その積み上げが崩れるのはほんの一瞬のことでしたが、
再びちびくまが交流級で授業を受けられるようになり、
給食を食べられるようになるまでに
どれだけの時間ときめ細かい積み上げが必要になるのかは、現時点では
想像もつきません。
が、むしろ小学校のときよりも時間をかけるくらいの覚悟が
あってもいいのではないかと思っています。

ちびくまのように「従順に指導に従う子」
「多少のことでは目立つパニックを起こさない子」
の怖さはここにあります。
「ちょっとしたことですぐパニックになって騒ぐ子」は
問題児のように思われがちですが、指導者・支援者が道を間違わない
道しるべになってくれる、「とてもわかりやすい親切な子」なのです。

ところが、多くの場合「受動型」と呼ばれる従順な子達は
自分にとっての強迫・抑圧をそれとわかるように拒否できないために
表面上は「指導がとてもスムーズ」にいってしまう。
悪いことに、それは指導者の達成感を呼ぶために、さらに
「(その子にとって)辛い指導」を増幅・強化してしまう。
私が「本人のモチベーション」「本人の達成感」ということを
繰り返し主張するのはそのためです。
どんなに大切なスキルであっても、本人の中に「やらされた」
気持ちがあるかぎり、本当の力にはならない。

そして、押し付けの指導の結果がどうなるか、は殆どの場合、
ずっと後になってその子が爆発する力をつけてから、ということになるのです。
多くの場合、指導者は自分の指導がどんな結果になったかに気づくどころか、
「指導の成果を上げた」ことについて満足していることでしょう。

ちびくまにはとても辛い思いをさせてしまいましたが、
今の時期に、ちびくまがこういう比較的マイルドな形での
爆発を見せてくれたことは、私にとっても、中学にとっても
とても幸運だったかもしれません。
ちびくまの生活をコーディネートするキーパーソンである
私は、やはりちびくまのこういう部分をしっかり認識して
周りの人に伝える努力、ちびくまを強迫・抑制から守る努力を
怠ってはならないのだ、と改めて実感しています。


家庭訪問

2007年04月27日 | 楽しい学校生活
今日は3時間目から障担と散歩に行き、4時間目終了頃に
帰校したちびくま。
「給食も食べていく?」という障担の誘いには、それでも
乗りませんでした。

「でも、僕が提示した課題を『それはやりたくない』と
 拒否したり、教室のソファーでだらだらしているうちに
 眠ってしまったり、だいぶいい感じになってきました」
と障担。

さて、今日は家庭訪問の日。
うちには交流担のS先生と、障担K先生がやってきます。
ちびくま、予定の時間の少し前からそわそわして、
「S先生に、これ、見せてもらう(=見せてあげる)んだ~」と
言いながら、お気に入りのビデオクリップがいつでも
PCで再生できるように用意して、ニコニコしています。

さて、S先生が到着。
「先生に僕のパソコンを見てもらうんだと言って
待ちかねていたんですよ」と言うと
「へ~、嬉しいなあ、ちびくまくん、見せてくれるの?」と
傍に来た先生を隣に座らせて、待っていましたとばかりに、
「これ、見て~」とビデオクリップを見せる息子。

ちびくまは本来、他人が家に入るのをとても嫌います。
そのちびくまのS先生に対する態度を見て、交流級に行くのは
辛くても、交流担の先生のことは好きだし、自分のことを
受け入れてくれる人だと感じているのだな、とひと安心。

そうこうしているうちに、少し遅れてK先生も到着し
まだ他の家庭も回らないといけないS先生は入れ替わりに
出て行きます。そのS先生にも「また見に来てね」とご機嫌な息子。

そして、K先生の手をとって自分の近くに座らせて
今度はK先生にはこれを見せようと思っていたらしい
別のビデオクリップを再生して見せています。

「あっ、これやったんか~。わかった、それでわかったわ!」
と手を打つK先生。実は学校で繰り返していた再現遊びの
元ネタがわからず、「なんなんだろう?」と思っていたそうです。
ちびくまもそれがわかっていて、説明のために見せたかったのでしょう。

その後、また今後の方針について、障担と私が話しあっている間も
ちびくまは再々障担のところへ来て、「これ見て」「これも見て」と
ネット上のビデオクリップや家にあるビデオテープを再生して
見せようとします。

そのうち、障担の手を引いて自分の近くに座らせてから
そこへくんにゃりともたれかかって甘えるしぐさをしたり、
体を触ってくれと目で誘う姿が何度も見られるようになりました。
触覚過敏があるため、本来は体を触られるのが好きでない
ちびくまがこういう甘え方をするようになったら、
かなり心を許した証拠。
この1週間で、障担が自分のことをわかってくれる人であることを
ちびくまは実感したのでしょう。

この時期に、こういう関係ができればしめたもの。
あとはちびくまがこれを礎にして、新しい環境に馴染んでいくのを
ゆっくり見守っていれば良さそうです。

のんびりモードは続く。

2007年04月25日 | 楽しい学校生活
今日もちびくまは障級で障担と2人、いろいろ遊んで
過ごします。

前任者との引継ぎも、親からの聞き取りもちゃんと頭に
入れたうえで、改めて自分の目で
「この子はどういう刺激にどういう反応をする子なのか。
 何が好きで、何が嫌いで、どういうところが今後の指導の
 糸口になりそうなのか」
を見極めるために、とりあえず子どものリードに従いながら
じっくり一緒に遊んでみる、というスタンスをもつこの先生、

障碍児教育を正式に勉強したことはこれまでなかったそうですが、
かなり良いセンスの持ち主だと私は感じています。

ちびくまは障担に「給食を食べないで帰りたい」ことは訴えたものの、
昨日の私の説明で3時間目終了で帰ることはできないと覚悟して
いたらしく、私が会議を終えて教室を覗きに行くまで、先生と
遊びながら待っていました。
教室の近くまで行くと、キャラキャラと笑う息子の声が聞こえて、
ちょっと安心。

それでも、私の顔を見ると、「待ってました」とばかりにさっさと
帰宅する用意を整えて、障担の前で気を付けをして
帰りの挨拶をする態勢になります。障担に
「では、今日はこれでおわります。さようなら」と
声をかけてもらうと、ぴょこんと頭を下げて、
一目散に昇降口へ向かいました。

さて、今日はもう1つ関門があります。6時間目がおわった後に
学校で夏制服の採寸があるのです。
これについては、早退しなかったときは障担が付き添い、
早退したときは私が付き添って再び登校することで
障担とは打ち合わせ済みでしたが、一度帰宅してのんびりしてから
また制服を着て学校に行くことにちびくまがどう反応するかは
やや懸念の残るところではありました。

でも、予めプリントを見せて、説明してあったためか、
時間になるとしぶしぶという感じでまた制服に着替え始めました。
そして「ぼくは1人で行くのかな~」と言うので、
不安の種はそれか、と、「お母さんが一緒に行くよ。サイズを測る
時もお母さんが一緒にいて、お店の人とお話しするから大丈夫」
と言うと、幾分明るい表情に。

先に無事採寸を終えて、2人で障級の教室を覗きます。
同級生の2人が帰るまで待って、また少し障担に
遊んでもらいながら今日の様子を聞かせてもらい、
今後の対策を話し合ってきました。

とにかく、本人が自分からその気になるまで交流には
行かせないこと、特に給食については、当分の間
障担と1対1で、まず「リラックスして食べられる」ことを
目標にすることにしたい、という基本線で
一致していることが確認できているので、安心していられます。

外から見れば、「順調ではないスタート」かもしれない。
でも、私は今の時期に、「ちびくまがガラス細工と呼ばれる
所以」を先生に実感してもらえてとても良かったと思っています。



仕切りなおし(その2)

2007年04月24日 | 楽しい学校生活
ちびくま、今日も時間通りに登校しました。

障担は今日も交流の予定を全てキャンセルして、
1時間目は2人で校外を散歩してくれました。
よく晴れた春らしい天気で、ちびくま、足取りも軽く
随分よくあるいたようです。

2時間目はやはり2人でドミノ遊び。
3時間目は2人でパソコンゲーム。

3時間目の途中で、「ぼくはつかれちゃったよ」と
障担に訴えて、「早退して帰りたい」ことを伝えたそうです。
「今日は僕から切り出さなくても、ちゃんと早退したいことが
 わかるように意思表示してくれました。一歩前進です」
子どもが「早退したい」と訴えたことを喜んでくれる先生は
かなり貴重かも。

帰ってきたちびくまの昼食には、少しだけハードルを上げて、
いつもは入れないにんじんを少しだけ入れてみましたが、
ちびくま、「あ、にんじん入ってる~」とコメントはしたものの
きれいに平らげてくれました。

その後で、「あしたは何時間目までがんばるのかな~」と
言いながら、こちらをちらちら。
実は私は明日の午前中、教育委員会との会議に出席することに
なっていて、3時間目終了には間に合いません。
場所はちびくまの通うF中なので、会議が終われば合流して
一緒に帰ることはできます。
そのことをちびくまに説明すると、ちびくま、黙って聞いていました。
まだだいぶ葛藤はあるようです。

仕切りなおし

2007年04月23日 | 楽しい学校生活
さて、一夜明けて。
目を覚ましたちびくまは、「昨日はしんどかったけど、
今日はなおったよ。よかったね」と一言。

「でも、昨日の夜、だいぶしんどかったからね。
 今日は学校をお休みしたらどう?」
「ううん、ううん、お休みしない。だいじょうぶ。
 ちゃんとがんばれる」

・・・その「頑張れる」というのがなんとも・・・

「ちびくまくんはもう十分頑張ってるよ。しんどい時は
 お休みしていいんだよ。K先生もお休みしたほうがいい、って
 メールくれてるよ」
と見せても
「だいじょうぶ。もうしんどくない。ちゃんと学校行く」

息子はどうしても欠席するつもりはなさそうです。
しかたなく、K先生にその旨メールを入れて、今日は一日
家で待機しているので、なにかあればいつでも連絡してください、と
伝えました。

先生からは「本当は休んだほうがいいと思うけれど、本人が納得
しないのなら仕方がないですね」と返信が来ました。

さて、K先生、今日の交流の予定を全てキャンセルし、
ちびくまと一緒に障級でしばらく遊んでツボにはまるポイントを
探してケタケタと笑わせるのに成功したあと、ちびくまに
ゆっくり話をしてくれました。

ちびくまはとても頑張っている良い生徒で、先生は彼のことが
とても好きであること。
でも、頑張ったあとは疲れたり、病気になることもあること。
だから、しんどい時は休んだ方がいいこと。
先生は頑張っているちびくまも好きだが、しんどい時に
「しんどい」と言ってくれることもとても嬉しいこと。

そのうえで、「今日はもうよく頑張ったから、この時間が
終わったらお家に帰るのはどうかな?」と水を向けると
これまでずっと「だいじょうぶ」と頑張っていたちびくまが
「うちに帰ります」と言ったそうです。
結局、3時間目が終わったところで、早退して帰ってきました。

家に帰ってきたちびくまはかなり安心したのか、表情が和らいでいます。
私が提示したメニューの中から「チャーハン」を選んだ彼は、
「ボクはおなかのちょうしがわるくてしんどかったから、 
 3時間目がおわったら家にかえってくるのがよかったんだね」
とニコニコしながら、山盛りのチャーハンをペロッと平らげたかと思うと、
「おかあさん、チャーハンおかわりある?」と催促(笑)。

そして、きれいに空になったお皿を見て言ったのです。
「ぼく、かんしょくしたよ。えらいね」

完食。家での生活で使う言葉ではありません。
私が入院した去年の秋の時点でも給食が半分しか
食べられなかった子どもに、
そんな概念を植えつけたのはいったい誰でしょう。

中学生になった自分は「かんしょく」しなくてはいけない、
ちびくまは私もK先生も知らないうちに、そんな「ルール」で
自分をがんじがらめにしていたのかも知れません。
ただでさえ、昔は私が一緒にいるだけでも食事ができなかった
ほど食べることが微妙な問題になる子どもが、そんな強迫観念を
持ってしまったら、学校で食べる給食がどれだけ苦しい時間になるか。

もう、しばらく給食を食べなくても構わない。
そのために午前中しか居られないのならそれでもいい。
私も腹をくくることにしました。

ついに・・・

2007年04月22日 | 楽しい学校生活
本人の平日の頑張りをねぎらうため、いつもに輪をかけて
だらだらモードで過ごした週末。
それでも、ちびくまはもう月曜日からのことが気になるのか、
「月曜からまたF中だね」と繰り返していました。

そして今日の夕方。
敷きっぱなしになっていた布団(彼の布団は彼が在宅中は
上げないのがこだわりの1つです)の上でごろごろしながら
「また明日から学校だね、ぼく頑張るよ」と繰り返していたちびくま、
突然嘔吐しました。

カーペットの上に吐いてしまったので、慌てるちびくまですが
私のほうは精神的な息切れが体に出てくるとしたらそろそろかな、と
覚悟はできていたので、できるだけ穏やかに
「おかあさんがお掃除するから大丈夫。まだ気持ち悪い?
 洗面器とタオル持ってきてあげようね」
と声をかけてから、始末をします。

額に手を当てると微熱もあるような感じですが、
他に風邪症状もないし、少し様子を見て、他に症状が出なければ
やはり心因性のものと考えてよさそうです。

いつもは食欲もりもりなちびくまですが、夕食が出来ても
全く食欲を見せず、その後もごろごろしながら
ビデオを見ています。
そしてしばらくすると、また
「おかあさん、また出るよ~」と言って再び嘔吐しました。

ちゃんと予告でき、しかも今度は洗面器を使えたことを褒めて、
とりあえず布団に入れて寝かせることにします。
ちびくまは疲れていたのか、ほどなく眠ってしまいました。

障担K先生には「やっぱり来ました」と事の次第を
説明し、明日の朝の様子を見て休ませる旨を連絡しました。
「頑張りすぎが身体症状として出やすいこと」は以前から
先生にはお話ししていましたが、本当にそうなったことに
先生も驚いた様子。
とにかく今は無理させないのが一番です、ゆっくりさせて
あげてください、とお返事がきました。

そんなに辛くなるまで頑張らなくてもいいのに。
この子のこんな姿を見ると、いつも辛くなってしまうのですが、
これもちびくま。
私は「静かなる応援団長」でいるしかない切なさを
感じています。

そろそろ息切れ?

2007年04月20日 | 楽しい学校生活
ちびくま、相変わらずの「いい子モード」で頑張っています。

給食の牛乳は、先生に何も言われないのに、水曜日には
2口、木曜日には3口、今日は4口、と段階的に増えてきました。
交流級の教室にも1人で行って、静かに授業を聞いています。

でも、さすがに疲れの色が見えてきました。
朝、学校へ行くときの顔が、小学校に通っていたときとは
随分違います。それは成長によって顔つきが変わってきたとか、
制服を着るようになったために中学生らしく見える、とか
いうところを超えて、「こわばった顔」と
呼びたくなるような微妙な影が入っています。

家に帰ってきたあとも、特に大きく乱れたところはありませんが、
なんとなくぐずぐず言う回数が増えたり、
「おかあさん、抱っこして」(というのは、現在は「ハグして」の
意味になっています)と言ってくる回数が増えたり、
「できない。手伝って」という回数が増えたり。
精神的な息切れ、といったところでしょうか。

障担K先生もしっかりその兆候を見抜いてくれていて、
連絡帳にはその日のうちの本人のテンションの上がり下がりまで
記録されています。
それを見ていると、明らかに障級の教室ではリラックス、
交流級に行く前は沈んでいるようです。

いくら落ち着いていて、授業の妨げになるようなことは
全くない子だといっても、これまで6年間いつも介助の先生と
一緒だったのが、突然1人で交流級の教室に行くだけでも
とても不安で、しんどいことなのでしょう。
この週末はゆっくりさせて、来週の様子を見ながら
またK先生と今後の対応については話し合っていこうと
考えています。

牛乳

2007年04月17日 | 楽しい学校生活
給食を食べる場所に関しては「いい子モード」を脱することに
したらしいちびくま、今日もSRで食べることを選びました。
K先生と2人、静かな給食です。

ところで、ちびくまは給食に出てくる牛乳を飲みません。
1歳の誕生日を過ぎてから、約1年間、白いご飯と
牛乳とヨーグルトと豆腐だけで生きているのではないかと
思われる時期が続いた後、確かアメリカに住むようになって
すぐだったと思うのですが、ぴたっと牛乳を飲まなくなりました。
(アメリカの牛乳は味が違ったのか?)

同時に食べなくなったヨーグルトのほうは、数年前から
気が向くと食べるようになりましたが、牛乳に関しては
ついに小学校6年間の間、一度も口をつけませんでした。
(牛乳を入れたシチューやグラタン、フルーチェなどは
 牛乳が入っていることがわかっていてもちゃんと食べます)

本人は「本当は給食の牛乳は飲んだほうがいい」ということは
十二分に理解していたようで、2年生のとき、交流級の子が
何気なく「ちびくまくんは牛乳飲まへんねんなあ」と
コメントしたところ、しばらくの間、介助の先生に
無理やり牛乳2本飲ませて、自分は空瓶を1本もらって
ご機嫌で片付ける、という行動に出ました。

そのため、その後卒業まで、彼が給食に出る牛乳を飲まない
ことについては一切不問にふしてもらっていたのです。
もちろん、そのことについては新しい障担K先生にも伝え、
配慮をお願いしました。K先生も無理強いして飲ませるような
ことはしないと約束してくれました。

昨日の給食のときは、ちびくまは先生に
「牛乳、苦手で~す」と訴えたので、先生が
「じゃあ、先生がもらってあげる」と言ってくれて
無事に済みました。

今日もまた、「牛乳、苦手で~す」と言ったちびくまに、
先生、「じゃあ、ふただけ開けてみようか」と提案しました。
先生は、ふただけ開けられれば口はつけなくていい、と
思っていたそうですが、ちびくま、たぶん思うところが
あったのでしょう、おもむろに一口だけ牛乳をすすりました。

これには先生のほうがびっくり。
「おかあさん、牛乳に口つけましたよ~!!」と電話が
かかってきました。
いくら「いい子モード」だといってもここまで頑張るか、と
私もびっくり。
しかも、先生がなんにも言わないのに、他のものも
残さず食べたのだそうです。

でも、ここで「なんだ、いけるじゃないか」と思わないのが
K先生の偉いところ。
「あれも頑張る、これもできる、こりゃすごいな、と最初は
 思ったんですけど、さすがに、ちょっと待てよ、こりゃ
 頑張りすぎやで、という実感がわいてきました。
 もうちょっと交流を減らして、のんびりムードでいきます」

はてさて、多少しんどくてもこのまま山を越えていけるのか、
それとも頑張りきれなくて休息が必要になるか、
私もアンテナをきちんと張って見守っていきたいと思います。
 


いい子モード

2007年04月16日 | 楽しい学校生活
先週の金曜、中学初の給食の日、障担K先生に
「給食は(交流級の)教室とSRとどっちで食べますか?」と
訊かれて、
「教室でたべます」と答えたちびくま。

月曜日も毎時間、「教室、それともSR?」と確認してくれる
先生に「教室」と答える彼を見ていて「ピンときた」先生、
4時間目に入る前は質問の仕方を変えて
「教室に行きますか?」と訊いてみてくれました。

これまで「教室」と即答だったちびくまが「う~ん」と
考え込むのを見て、もう一度
「教室に行きますか?それともSRにいますか?」と訊くと、
「SRにいようかな・・・」
と答えが返ってきたそうです。

たぶん、本当はもう交流級に行くのはしんどくなっていたのだけど
自分からは言い出せなかったのでしょう。
新しい環境に入ったり、まだ関係のできていない新しい支援者に
会ったときに、まず「おそらく相手が求めているであろう行動」に
徹底的に合わせる、という傾向がちびくまにはあります。
これを私は「いい子モードに入る」と呼んでいます。

もちろん、それは彼にとっては無理に頑張っているところも
多分にあるので長続きはせず、しかももっとややこしいことに
そこからくるひずみは発熱や嘔吐といった身体症状としてだけ
出てくることが多いのです。

ですから、そこに気づけるだけのデリカシーのない支援者だと
「親や前任者からは○○はできないと聞いていたけど、
 自分が対応したら最初からちゃんとできた。
 きちんと対応すればできるのだ」
と思ってしまいます。

支援者にとっては、「これまではできなかったことが自分が
対応することでできるようになった」というのは
ものすごく達成感を刺激されるできごとですから、
自然「きちんとした対応をすればもっとできる」と
要求が高くなり、結果ちびくまをどんどん追い詰めていくことに
なります。大きくパニックになって暴れたりすれば
気がつくかもしれないのですが、いかんせん身体症状だけでは
「風邪」「新学期の疲れがでた」くらいにしか見えません。

「お母さんからは○○が心配、△△はできないと聞いていましたが
 最初から全く問題なかったですよ」
と「先生」が胸を張り始めたら要注意、というジンクスが私にはあります。
自分がどれだけ子どもに負担をかけているかに気がつけないで
指導に自信と達成感を味わってしまった支援者は、
もう親の私が何を言っても
「それはお母さんの気持ちですよね」
「お母さんは心配するけど、全然大丈夫でしたよ」
になってしまいます。

もちろん、限界まで背伸びさせられたちびくまは
砂上の楼閣と同じ。
そんな状態で「学ばされた」スキルの多くは、その人が
支援者でなくなった途端、まるで意味をなさなくなります。

自閉っ子はある場面で身につけたはずのスキルが、別の場面では
全く使えなくなることが多い、つまり「汎化ができない」と
言われることが多くありますが、その中にはこういうことが
原因になっているものもあるのではないかと思ったりします。

さて、K先生に自分の気持ちを無事引き出してもらって安心したのか、
ちびくま、この日から給食はSRで食べることを選ぶように
なりました。

関係が出来ていない最初は言うことをきいてくれないけれど、
関係が出来てくることで言うことをきいてくれるようになる、という
パターンしか経験していない支援者だと、ちびくまのこうした
「いい子モード」にはなかなか気が付いてくれないのだけど、
K先生が「ピンときて」くれるデリカシーのある人で
本当に良かったなあ、と思っています。

初めての遅刻(その2)

2007年04月14日 | 楽しい学校生活
ちびくまは、朝起きてきてからこれまでどおりのんびりと
パンを食べていました。
ここで一応、「8時15分までには家を出ましょうね」と
声をかけると、「はい」と答えましたが、8時を過ぎても
着替えにかかる気配はありません。
小学校時代は、着替えにかかっていた時間はおよそ5分。
おそらくそれぐらいの時間があれば着替えられると
思っているようです。

予想通り、8時10分を過ぎた頃になって、息子はようやく
白靴下を履き、制服に着替えを始めました。
ところが。やはりカッターシャツのボタンがうまくいきません。
ゆっくりではありますが、前のボタンは一番上だけ残して
自分ではめ、袖口のボタンはしばらくすったもんだした挙句に
「おかあさん、これむずかしい。やって下さい」と
言ってきました。

ネクタイは簡易式で、頭からかぶって手前のリングを引くと
締められるようになっていますが、これにもまたすったもんだ。
ボディイメージの弱いちびくまにとって、目に見えない位置で
体を操作するのはとても難しいのです。
これも「おかあさん、ネクタイできない~。てつだって」と
言って来たところで手を貸しました。

ズボンはなんとか履いて、ベルトを締め、ブレザーを着て、
できあがり、のはずですが、カッターシャツの裾は
ズボンから出たまま、ブレザーの襟は立ったまま、です。
これを直してやって、やっと用意ができたときには、
時計はすでに8時25分を過ぎていました。

中学には8時30分までに登校することになっています。
これでは多分遅刻です。
でも私はにっこり笑って
「じゃあ、行ってらっしゃい。今8時27分だから、
 急いで行ったほうがいいよ」
とだけ言って息子を送り出しました。

出発した息子を上から見ていると、最初はのんびり歩いていましたが、
学校の前の道に出ても、もう誰も歩いていないのを見て
さすがに「やばい」と思ったのか、慌てて学校のほうへ駆け出しました。

「しめしめ」とほくそ笑みながら、洗濯物を干す準備をしていると、
障担K先生から電話がかかってきました。
「今日、遅刻して来たんですが、家を出るのが遅かったんでしょうか?」
「はい、すみません、制服を着るのに手間取って、遅くなりました」

そこで私はK先生に説明しました。
「着替えは自分1人でできる」と思っている息子のプライドを
傷つけずに、しかも「制服を着るのは私服を着るより難しい」と
いうことを納得させ、必要な援助を要求できるようにするには、
自分で一度着てみてもらうしかない。

しかも、着替えに必要な時間が長くなれば、小学校時代と
同じ調子で着替えていたのでは学校に間に合わない、と
いうことも、親や先生に言われて従うのではなく、
自分で考えて判断する機会を与えるには、
「自分で考えた時間で着替え始めたら遅くなってしまった」と
いう体験をさせるのが一番。

まして、緊張や焦りでガチガチになっている息子に、
朝から「早くしなさい」「間に合わないよ」と
しかりつけるような言い方をするのは全く逆効果。
だから、私は何食わぬ顔で、手も口も出さないでいたのです。

「ああ、そうですか。いや、今日から給食が始まるので、
 それがプレッシャーになって家を出られなかったんじゃないかと
 心配だったので。でも、さすがに本人、焦ったみたいですよ。
 職員室の前を前傾姿勢になって走ってましたから」

ちびくまの学校では、昇降口に行くには、職員室の前を
通らないと行けないのです。
それも、私が安心してちびくまを遅刻で送り出した理由の
ひとつなんですが(^^ゞ。

それにしても、
「これからは遅刻しないようにお母さんから言い聞かせるか
 支度を手伝ってやってください」
なんて言わない、センスある障担でホントに良かった。

はてさて、帰宅したちびくま、さすがに初めての
遅刻に懲りたようで
「きょうはあさ、おそくなっちゃった。あしたは
 おくれないようにいかないとね」
と宣言したのでした。