雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

外泊許可

2006年12月28日 | 入院生活
CIDPは自己免疫疾患と考えられているので、免疫グロブリンの
点滴5日間が終了した後、免疫を抑制して再発を防ぐため、
ステロイドの大量内服を行っています。今45mg/日で、これを
最低1ヶ月続けたあと、1年以上かけてゆっくり減らしていきます。
通常はこれが30mg/日くらいにならないと退院できないのだそうです。

それで、年末年始の過ごし方をどうしようか迷っていたのですが
(CIDP自体は命にかかわる病気ではありませんが、感染症に
かかりやすく重症になりやすくなっているので、風邪をひいたり
ノロにかかったりすると、シャレにならない事態になる可能性もあるので)

家と病院の直接往復だけで、買い物や初詣などの外出を控えれば
外泊してもいいのではないか、子どもさんのために一度帰ってあげれば、
ということで、主治医から2泊3日の外泊許可が出ました。
31日午後に迎えに来てもらって、2日の午後に病院に戻ります。

お留守番を頑張っている息子の、いい息抜きになればいいなあ、と
思っています。


植物性乳酸菌

2006年12月26日 | 入院生活
私は通常は快眠快食快○で、「すっきりしない悩み」とは
無縁な人間なのですが、入院すると環境が変わるせいか、運動不足のせいか、
はたまた薬の影響なんかもあるのか、どうもお腹のぐあいが
いまいちになります。

今回は13日にステロイドの大量投与が始まった直後から
4~5日続いた胃痛とむかつきのため(念のため胃カメラも飲んだのですが
あまりに胃が元気なので、薬の刺激で一時的に胃酸過多になったものと
判明しました。「きれいな健康そのものの胃」だそうです(笑))、
しばらく満足に食事ができずにいたら、それをきっかけに不調に
なってしまいました。

そこで、食欲が戻ってからは朝の食事にヤク○トを添えてみたり、
夜のおやつにヨーグルトを食べてみたり、と工夫してみているのですが
ふと売店で目についたのが、最近吉永小百合さんがCMに出ている
カ○メの「ラ○レ」。あのCMの「すっきり!」が印象強くて
試しに買って夜寝る前に飲んでみました。

結論。かなり良さそうです。私はカ○メの回し者ではありませんが、
お勧めできると思います。
その他に伊○園から出ている「朝から野菜」という野菜ジュースもあります。
これは続けて3日飲むと良いのだとか。
各社からサプリメントなんかも出ているそうですよ。

難病病棟のサンタクロース

2006年12月21日 | 入院生活
病棟にもサンタがやってきました。
各ベッドを回って手書きのカードをくれ、記念写真を撮ります。
小児科でなくても、こういうことやってくれるんですね。
病院でのクリスマスなんて、生涯最初で最後かも。
(いや、最後になってくれないと困るんですけどね)

赤いケープをつけて大テレのダンディーなドクターが
私の主治医です。


ヘルパー2級

2006年12月14日 | 母もいろいろ忙しい
実は、今年7月末から、一念発起してホームヘルパー2級の
取得のため、講座に通い始めました。
これまで私は障碍のある子の親として、人から支援を受けるばかり
だったけれど、自分の経験を生かして、今度は他の人を支援する
側に回れないだろうか、と思い、まず手始めにヘルパー2級を
取ろう、と思いついたのです。

ちびくまをタイムケアに預かってもらっての参加なので
毎日というわけにはいかず、原則週1回、11月末で実習までを終え、
12月に行われる修了試験に合格すると資格がもらえる、という
講座です。

ところが。学科講習がもうすぐ終わる、という9月末に発病、入院。
退院後、入院中休んだ分の補講を受けて、実技講座に参加。
あとは2日間の同行訪問実習と3日間の施設実習を残すのみ、と
いうときになって、再発入院。
2回目の退院をしたその足で改めて実習の日程を組んでもらいに行き、
退院の翌週には2日間ヘルパーさんに付いてよそのお家で実習させて
いただき、1日あけてデイサービス、また1日あけて特別養護老人ホームで
2日間実習というハードスケジュールでした。

特養に行ったときには立ち上がりもあやしく、やかんも持てない、
お膳も運べない、もちろん更衣補助やおむつ交換なんか全然できない、で
担当者の方に「これで特養に実習に来た意味があるのか」と言われつつ
自分のできることを精一杯させてもらう、という姿勢でなんとか
認めていただきました。(このときはまだ、スケジュールがハードなので
疲れているんだとばかり思っていました)

実習終了後1日、休養のために一日寝て過ごしましたが、両手両足の
筋力低下はどんどん進行し、翌7日夕方には膝折れのため歩行困難、と
いうところまで行ってしまいました。8日にまた入院、即点滴開始。
このときにはもう手の指先まで麻痺が進行して、携帯のダイヤルが
できず、お箸が使えない状態でした。

そして、12月12日が修了試験。これに備えて、ベッドにテキストと
ノートを持ち込んで点滴を受けながら勉強。
当日は点滴5日目だったので、無理を言って早朝から点滴を開始してもらい、
主治医に外出許可をもらい、ダンナに会社を休んでもらって病院から
会場まで送迎してもらい、歩けないので会場では車椅子を借り・・・・

という大騒ぎの結果、本日、無事修了試験の合格通知が届きました。
これで、1月にはヘルパー2級の認定証がもらえることになります。
受講を決めたときにはピンピン元気で、まさかこんなことになるとは
思ってもみなかったのだけれど、いろいろな人にご迷惑をかけ、
配慮をいただき、支えられての資格取得とあいなりました。

いつか、この資格を生かし、他の方にご恩返しをできる日が
来るでしょうか。少しでも早いといいなあ、と思っています。

クリスマス会と3度目の入院

2006年12月08日 | 入院生活
今日は、ちびくま小学校生活最後の障級クリスマス会。

自由に喋ることはあまり得意でないけれど、台本があると
感情を込めてとてもうまく読める特技を利用して、
ちびくまは数年前からいつもアナウンサーや解説の役を
やってきました。
今年は最高学年ということもあり、挨拶も含めて
司会を務めることになっています。

この後入院を控えた、慌しい状況ではありますが、幸いにも
同じ6年生のKくんのお母さんがちびくまのお弁当作りを
引き受けてくれた上に家まで迎えに来てくれて、無事
時間通りに会場に着くことができました。

会場の福祉センターの入り口で館内用の車椅子を借りて
会場に向かいます。車椅子姿の私を、周りのお母さんたちが
ぎょっとした顔で迎えてくれます。目立ち過ぎるけれど、
もう仕方ありません。

ちびくまは紺ブレに、大きな蝶ネクタイをつけてもらって、
終始にこやかに、自信たっぷり、感情たっぷりに
司会を務めました。6年前の今頃、今の彼の姿はとても
想像できませんでした。本当に、この6年間の大きな成長を
改めて感じます。

とても嬉しい気分でクリスマス会を見終え、その足で
病院へ向かいます。ここからはタクシーを拾うつもりでしたが
やはりKくんのお母さんが「ついでだから」と病院まで
送ってくれました。ここまで来れば車椅子もあるし、
看護師さんが常にうろうろしているからひと安心。
外来で受付を済ませて待合ロビーで待っていると
もうすっかりなじみになってしまった看護師さんが、
「あ、○○さん、具合どうですか?今日入院希望の件、
 先生から伺っていますから。もう次ぐらいに診察室に入って
 いただけますからね」
とにっこり。

・・・いえ、入院「希望」ではないんですけどね、正確に言うと。

程なく診察室に呼ばれ、一通り筋力のチェック。(徒手筋力テスト、と
いいます)ちょうど1週間前に外来で診察を受けているので、
明らかにその後筋力がまた急激に落ちたことが確認できます。

「うーん。ギラン・バレーは一番難しいのが診断をつけるまでで、
 あとは速度や程度の差はあれ、良くなる一方の病気なんだけど。
 こういう経過をとる以上、ギラン・バレーではなくCIDPだと
 考えざるを得ないね」
実は、前回の入院のときに、「ギラン・バレーの再燃か、CIDPか」と
いう可能性についてはドクターと話し合っていたので、自分でも
「年内に再々発がなければギラン・バレー、もしあればCIDP」と
覚悟してはいたのでした。

「病名が変わるので、点滴の薬の名前は変わるけど、中身は
 また免疫グロブリンで一緒だから。もう手配してあるからね、
 病棟も押さえてあるけど、ベッドが夕方まで空かないそうだから、
 とりあえず今日の分はすぐ処置室で始めよう」
「また免疫グロブリンですか。先生、うちグロブリン破産するかも
 しれません~」

「ははは。あなたはいつでも明るいな~。まあ、心の奥底は
 わからないけどね。こういう治らない病名を言うと、見る見る
 がっくりしおれてしまう患者さんも多いから、あなたみたいな人は
 こっちが救われるな。じゃあ、用意をさせるから。そうだ、お昼
 まだでしょう。病棟の食事は夜からになるから、売店で何か
 食べるものを買ってきたほうがいいよ」

診察室を出て、看護師さんに車椅子で売店に連れて行ってもらって
菓子パンとジュースを買い、処置室のベッドでもぐもぐと食べてから
横になって点滴開始。3時ごろにベッドが空いた連絡が来て、
看護師さんと事務の人と2人がかりで病棟へ移動しました。

今度は前2回とはまた別の、神経内科専門病棟、通称「難病病棟」です。
年単位で入院している、重症患者さんの多いところで、
その分、部屋は広くゆったりしていて、私物を置くスペースも
ふんだんにあります。この病棟の一番奥、比較的軽症の人や
検査入院の人が使う4人部屋の窓際が私のベッドになりました。


講演会とSOS

2006年12月07日 | 入院生活
今日は、地元の親の会の講演会に
まつこさんをお迎えしてお話ししていただきました。

司会進行役は私。私たちを知っている人にとっては
おもしろい取り合わせだったかも。
「これはまつこさんにしか話せない」という切り口いっぱいの
いい講演会になりました。大成功で、企画の中心になった私はほくほく。

ところが。
実は2、3日前からまた手足に力が入らなくなってきたように
感じていたのですが、質疑応答のときにマイクを持って
動こうとすると、もう手も足もほとんど効かないことに気がつきました。

階段の登り降りは腕の力を使って1段1段移動するのがやっと、
帰りの運転もかなり怪しい感じ。これはだめだ、また明日
外来にいかなくちゃ、多分そのまま入院だな、と気持ちを決めて
入院用の荷物をまとめて玄関に置いて、
明日ちびくまはお弁当がいるので、その用意だけ買いに行こう、と
小雨の中、向かいのスーパーに向かってゆっくりゆっくり
歩いていると、道の真ん中で突然膝ががっくり折れて、
その場に倒れてしまいました。

どうにか立ち上がれないかともがいてみるのですが、
つかまるところもなく、とりあえず四つばいになるのがやっと。
あたりはすっかり暗くなり、小雨が降りしきる中、
道端にうずくまったまま、対応を考えます。

幸い、ショルダーバッグには携帯が入っています。
これで、誰にSOSをかけるか。
救急車を呼ぼうか。でも、ここに呼んだら、マンションの
真ん前だから目立つよなあ。
ちびくまの同級生Kくんのお母さん?でも、Kくんは
もう家に帰ってるし、夕方の忙しい時間帯だしなあ。
そこで、思いついたのが、ちびくまの担任M先生。

「先生、ごめんなさい、実は家の前で転んで起き上がれなく
 なってしまって」
先生は2つ返事で学校から車で飛んできてくれました。
とりあえず、支えてもらって車に乗って。

「家に診察券と、入院用の荷物をまとめてありますから」
と鍵を渡して、取りにいってもらいます。
ところが、しばらくして戻ってきたM先生、
「ごめんなさい、お母さん、どうしても開かないの。
 なんか特殊な鍵なのね」
・・・いえ、きわめてフツーの鍵なんですけど・・・

仕方がないので、104で番号を調べて病院に電話します。
時間外窓口に繋がったので事情を話して「今から行っても
いいでしょうか?」と訊くと、
「え?あかんあかん。当直医では対応できへんから、
 救急車呼んでどこか他へ運んでもらって」

今更救急車を呼べと?これまで2回も同じ症状で入院してるのに。
で、「私は神経内科のF先生にずっと見ていただいていて、
こういうことがあったらすぐに連絡するように言われています」と
食い下がると、「うーん、じゃあちょっと待って」
しばらく待つと、主治医Fドクターに繋がりました。助かった!

また今の状態を話すと、
「息が苦しいとかはないね?じゃあ、これから来ても
 検査もできないし薬も手配できないから、
 明日朝一で入院の用意していらっしゃい。病室押さえておくからね」
「はい、じゃあ、明日よろしくお願いします。あ、先生、明日ですが
 昼前になっても構いませんか?」
「うん?何かあるの?」
「実は息子の障害児学級のクリスマス会なんです。息子が司会をします。
 小学校生活最後の発表会になるので、どうしても見に行って
 やりたいんです」
「ああ、そう。それじゃね。うん。気持ちはわかるから。
 じゃあ終わったらいらっしゃい」ドクターの声は苦笑いを含んでいます。
「ありがとうございます。じゃあ、明日うかがいますのでよろしく
 お願いします」

そのままM先生の車でタイムケアに預かってもらっていたちびくまを
迎えに行き、家まで体を支えてもらって送ってもらいます。
そして明日から入院になることを夫と実家の母に連絡しました。
M先生から事情を聞いたKくんのお母さんが、明日は家まで
迎えに来てくれ、ちびくまのお弁当も作ってくれることになりました。

家に帰ってきたちびくまに説明します。
「お母さんは、また病気が悪くなりました。明日、ちびくまくんの
 クリスマス会を見に行った後、入院します。
 またおばあちゃんが来てくれるので、おりこうにおるすばん
 してくれるかな?」
「おかあさん、またにゅういん?なんにちまで?」
「うーん、それはお医者さんに聞いてみないとわからないの」
「わかりました。ちびくまくんはおりこうにおるすばんできます」

かくして明日からの入院が確定したのでした。







「頑張れ」は言わない。

2006年12月05日 | 入院生活
最初の入院と再入院で、通算23日の入院になりました。
(自分でもちょっとびっくり)
決して嬉しい体験ではなかったけれど、他ではできない
いろいろなことも学べたと思っています。
思いがけず病に倒れる不安、急に体がきかなくなることの
恐怖・不安・情けなさ、完治するのだろうかという不安、
無力感・・・。

神経内科の病気は、その多くが原因不明、治療困難です。
いわゆる「不治の病」の1つにかかった患者さんの1人と
入院生活を通して仲良くなりました。

その人といろいろとお話をさせてもらって感じたこと。
溌剌とした美人で、優しく穏やかな性格のその人は、これまで
お友だちも多かったのでしょう、お見舞いの人がしきりに
来ていました。でも、その人たちが帰った後、彼女は
涙ぐんでこう打ち明けたのです。

「元気だった頃の知り合いにはもう会いたくない。
 よく知りもしないくせに『絶対治る』とか
 『知り合いが○○で治った』とか。親切で言ってくれるのは
 わかっているから怒ることもできないけれど、
 今でも一生懸命頑張っているのに、それを否定されるようで
 たまらない。『頑張って』なんて言われると、『あなたが
 今まで頑張っていないからこうなった』と言われてるような
 気がする。病気を治すために何の力を貸してくれるわけでも
 ないくせに、『頑張って』 なんて気軽に言わないで欲しい。
 『頑張ってね』と言われて『うん、ありがとう』と言わないと
 いけない私の気持ちが あの人たちにはわからないに違いない」

一方、私のわずらったギラン・バレーにはルンバール(髄液検査)と呼ばれる
苦痛を伴う検査が伴います。
その検査についての愚痴を打ち明けたときに「頑張れ~」と言われたことが
(好意から出た言葉であることは百も承知だけれど)
実は私にとっても今回の入院で一番へこんだ言葉でした。

それは、息子が自閉症だと知って間もない頃の私の気持ちに
似ていました。他の人にはどう見えるかわからないけれど、
今の私にはこの事実を抱えて生きているだけでも精一杯なのに、
『頑張って』『母親がしっかりしないでどうするの』と
言われることは、まるで傷口に塩をすり込まれるようでした。
『頑張れ』という言葉は、エネルギーの低下した状況の人間には
かえって辛い響きを持つのかもしれません。

『頑張れ』という言葉は、もう使わないようにしよう。今回の
入院で、つくづくそう思いました。
少なくとも、今辛い状況にある人に対しては。
辛い、怖い、嫌だ、不安だ。
弱っている人には、きっとただ「寄り添ってもらう」ことが一番の癒しだから。