雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

MRIを勧められたわけ。

2008年01月28日 | 「うつ」とつきあう。
さて、連チャンですが、今日は心療内科へ。

診察室に入って、まずここ2週間の生活や気分について
報告します。まだ小さな不安や憂鬱の波はあって、時折頓服の
安定剤にお世話になっているものの、初診の頃に比べると
格段に楽になったこと。
テレビを見たり、読書もできるようになってきたこと。
薬の飲み始めはひどく悪くなっていた寝つきも段々良くなってきたこと。
ただ、特に午前中は動くのが結構おっくうで、眠気も強いこと。
外出はまだどうしても必要なもの以外はあまりする気がしないこと。

それから、昨日のMRIで異常がなかったことも付け加えました。
「ああ、それはよかった。
 実は、あなたの症状の出方や変化のしかたは、典型的なうつ病とは
 かなり違っていてね。
 脳腫瘍が原因なんじゃないか、という感じがしていたものだから」

の、脳腫瘍・・・・
・・・それであんなに強くMRIを勧められたのね・・・・

「心の風邪」と呼ばれる「うつ」ですが、
実はストレスなどの他に、様々な原因があるのだそうです。

パーキンソン病の薬やステロイドなどの副作用。
糖尿病や甲状腺機能障害などの内分泌異常。
脳梗塞や脳卒中などの脳障害。
出産、生理周期、更年期など性ホルモンのバランスの乱れによるもの。

主治医も私も、MRIを勧められたのは、CIDPに似た
神経脱髄が中枢神経に起こる、多発性硬化症という難病が
疑われたからではないかと思っていました。
CIDPと多発性硬化は別々の疾患ですが、稀に両方を
併発する場合があるのです。
そして、多発性硬化の患者さんではかなりの高率で「うつ」を
併発することも報告されています。

けれども、あまり知られていないことですが、
突然発症する「うつ」は脳腫瘍の初期症状であることが
あるのだそうで、心療内科のドクターはこちらを
第1の疑いと考えておられたのでした。

「うつ」を単なる「気分のもの」と考えないで
早めに専門医を受診することの大切さがわかりますね~。
(なんとか受診しないですまそうとしていた人間が言っても
 説得力がないかも)

ともあれ、これで中枢神経疾患の疑いは無事に晴れ、
薬もそこそこ効果がでているようなので、もう少し
このままの量を続けて様子を見ることになりました。
次の受診はまた2週間後です。

初めてのMRI

2008年01月27日 | CIDP
今日はCIDPを診てもらっている神経内科の診療日。
今は症状が落ち着いているため、8週間に一度の受診でいいのですが
正月休み明けに「うつ」で駆け込み受診をしたため、
主治医とは3週間ぶりの対面です。

あの日、「もう明日まで生きていられる自信がない」と
最後の気力を振り絞って何軒か心療内科に電話したけれども、どこもまだ休診。
途方に暮れかけたとき、ちょうどその日、主治医が外来担当であることを
思い出して、バスに飛び乗り、病院へ駆け込んだのでした。

ここは原則予約が必要ですが、初診や予約外でも、予約の患者さんの
合間に診て貰うことができます。
四肢の脱力が再発した時に、私がここへ駆け込んだ時は
いつも予約外受診でした。そのためか、待合ロビーで俯いていた
私のところへ看護師さんがやってきて、
「○○さん、また力が入らなくなりましたか?」と
尋ねました。その途端にボロボロと涙がこぼれだし、
私は今までの辛さと、もう限界に来ていることを訴えました。

「わかりました。また脱力がきちゃったんだったら先に
採血をさせてもらおうということだったんですけど、
それだったら、すぐ先生に診てもらいましょうね。
もう少しだけ待ってね」
そして程なく診察室に呼ばれた私は、もう一度主治医に
同じ話をして、お薬と最寄の心療内科への紹介状をいただいたのでした。

「表情は随分明るくなったように思うけど、その後どう?」
「はい、あの後、○○先生のところへ行って、抗うつ薬と頓服を
 いただいたんですけど、よく効いてるみたいで、随分楽になりました。
 でも、この前来たときは、あの日もし先生が外来でなかったら
 飛び込んだのは病院じゃなくて電車だったかもしれない、というくらい
 追い詰められていたんですけど、なんであそこまで追い詰められていたのか
 自分でも不思議なくらいです」
「そこが怖いところなんだよね~。自分ではなんともできないからねえ。
 いや、ロビーで待ってる横顔がものすごく落ち込んでるみたいだったから
 また再発しちゃったのかと思ったんだけどねえ。
 まあ、筋力も戻ってきてるし、気持ちも落ち着いてきたんならよかった
 よかった」

実は、初診のときから、心療内科の先生には一度脳のMRIを
撮ってもらうように、と強く勧められていました。
その話を主治医にすると、心療内科から主治医にその件で
直接電話もあったということで、

私のほうでは別にこれといった自覚症状があったわけでは
ないのですが、念のためにMRIも撮ってもらうことになりました。

TVなどで見た事のあるでっかいカプセルのような寝台に横たわり、
頭を固定されて、暗いトンネルのようなところに入って
15分ほどの間、じっとしていなければなりません。
ガンガンガンガンと大きな金属音がしますが、うわさに聞くほど
耐えられないうるささだとは感じませんでした。
もっとも、聴覚過敏のあるうちの息子なら耐えられないでしょうが。

結果は、異常なし。
主治医には、「ぴちぴちした、きれいな脳みそだよ」と
変な褒められ方をしました。
ステロイドも少し減り、異常が出なければ次の受診は
3月上旬、CIDPのほうは順調な経過と言えるようです。

音楽鑑賞

2008年01月25日 | 楽しい学校生活
小学校のときは障担の先生が記入してくれるだけだった通知票。
中学に上がってからは交流級の授業に参加している教科については
その教科担当の先生が記入してくれるようになったので
息子の評価についてもその表現についてもバラエティに富むようになり
より読んで楽しいものになりました。

2学期の通知票の音楽の先生のコメントには
「〔合唱〕声は小さいですがきちんと歌えています。
 〔アルトリコーダー〕指使いは難しいようですが、見本を見せると
           頑張って練習しています。
 〔鑑賞〕静かに落ち着いて鑑賞し、感想も必ず一言は書くよう
     努力しています。」
とありました。

合唱やリコーダーは小学校時代もある程度通常級の子どもたちと
肩を並べてできるところがあったのでまああわかるのですが

楽曲を聴いてその感想を文章化する、という課題は
私が中・高生の頃も音楽で課されたことがありましたが
芸術オンチの私にとっては最も苦手とする種類の課題でした。

ちびくまがいくら努力をするタイプだと言っても、
そんな課題にどんなふうに取り組んだのかなあ、と
不思議に思ってはいたのでした。

すると今日、音楽の時間に返してもらったらしいプリントを
ちびくまのカバンの中に発見。
さっそく見てみると、それはアジアの様々な音楽を聴いて
それぞれの曲についてコメントする、というものでした。
ただ聴くだけではなくて、DVDかビデオを見て記入するものの
ようでした。時代は変わったのですね。
(以下、黒字はプリントの文字、青字はちびくまのコメントです)

1.伽羅琴併唱(韓国)
   すごかった。

2.京劇「三国志」から(中国)
   いろんな楽器が聞こえた。

3.二胡(アルフー)と楊琴(ヤンチン)の演奏「競馬」(中国)
   速い曲。

4.オルティンドー(モンゴル)
   きれいな歌。

5.サウン・ガウ(竪琴)の演奏(ミャンマー)
   きれいな音。

6.ケチャ(インドネシア・バリ島)
   音があった。

7.ガムランと踊り(インドネシア・バリ島)
   全部たたいた。

8.シタールとタブラの演奏(インド)
   引けた。

9.ウードの演奏(アラブ諸国)
   引けるようになった。

10.メヘテルハーネ(軍楽)「ジェッティン・デデン」(トルコ)
   列になってた。
 
確かに、本人的にはものすご~く努力して、「なにか一言」
書こうとしたことはよ~くわかるのですが・・・

自分が欝なのも忘れ、大笑いしてしまった母だったのでした。

授業参観

2008年01月23日 | 楽しい学校生活
今日は息子の学校の授業参観。
これまでは特別支援学級での個別指導や少人数指導の様子を
見せていただくだけだったのですが、
今回は中学に入学して初めて、交流級で授業を受けているところを
見られるというので、楽しみにしていました。

前回の説明会のときよりも精神的には落ち着いてきていますが
一応教訓を生かして、最少量の安定剤を飲み、準備もばっちり。

校舎の3階にある交流級の教室を覗くと、まだ休み時間で
保護者としては私が一番乗りでした。息子はまだ障級の教室に
いるのか、姿が見えません。

まもなく、チャイムが鳴って授業が始まりました。
教科は英語。日本人の先生2人とネイティブの先生1人との
3人が指導にあたります。
挨拶をしているところへ、やっと息子が到着。
ところが、教室に入るなり、持っていたノートやプリントを
バラバラと落としてしまいました。
それを周りの女の子たちが拾って手渡してくれます。
やっとのことで自席について、いよいよ本番。

まずはネイティブの先生の質問にどんどん答えていく、
インタビューテストから始まります。
息子は自席におとなしく座っていますが、大あくびをしたり、
教科書の全然関係ないページを見ていたり(^^ゞ
でも、ネイティブの先生の言うことはほとんど理解しているようで
ニコニコして聞いていました。

次は英語のクイズとビンゴを組み合わせたゲーム。
息子はいまいちルールがわかっていない様子で、
きょとんとしていましたが、日本人の先生や近くの席の
女の子が、しょっちゅう息子の手元を覗き込んでは
やり方を教えてくれていました。

最後は新出単語の発音練習と意味の確認、
これは息子にとっては一番自信のある分野なのでしょう、
(単語力だけなら中学レベルはカバーしていますから)
表情が一段と明るくなり、しっかり口を動かして
発音練習をしています。
"cold"の意味もあてられて「冷たい、または、寒い」と
答えていました。

30人ほどのクラスに先生3人の充実した体制で、
テンポもよく、生徒たちも盛り上がった楽しい授業でした。

小学校時代は交流級で授業を受けるときは必ずマンツーマンで
介助の先生が付いていたのに、中学では介助なしになっているので
どう過ごしているのかな~、なんて心配したこともあったのですが

教科担任の先生やまわりの生徒さんたちに助けてもらいながら
彼なりに授業に溶け込んでいる様子にほっとするやら嬉しいやら。

「僕は授業参観がんばりました!」と胸を張って宣言する
息子と一緒に、一段と軽い気持ちで家路についたのでした。

説明会(その2)

2008年01月19日 | 楽しい学校生活
ところで、その説明会には中1の生徒たちも全員参加していました。
説明に立った先生の言によれば、
「教師と生徒、保護者の皆さんとで同じ情報を共有し、
 特に親子での会話の種にしていただくため」
とのことでしたが。

うちの息子は、というと、交流級の列の一番後ろに、
ぽつねんと離れて座っていました。

知らない人が見たら「なんで?」と思われるかもしれませんが、
息子は目立たなくなったとはいえ触覚過敏と聴覚過敏があるので、
狭いところにクラスメートとぎゅうぎゅうづめでいるのは
あまり得意ではありません。
また、みんなの動きを見渡せる位置であるほうが、
落ち着いて行動できるようです。

小学校の卒業式や中学の入学式など、公式の大きな行事のときは
本人も納得し、頑張って決まった席にいたようですが、
全校集会や学年集会など内輪の集会のときには、どうやら
本人が座りたい席で参加してよい、と認めていただいているようでした。

よく「普段から我慢させなければ、我慢できない子に育つのではないか」と
いう話を聞くこともありますが、少なくともうちの息子の場合は、
「ゆるめられるところをゆるめてもらう」ことが
「いざというときに頑張れる」力に繋がるようです。

さて、なんとか説明会も終わり、障碍児学級の教室で息子と
合流しての帰り道。
息子は、私よりかなり先に立って1人で歩いていました。

小学生のときは、授業参観に行った私の膝に乗ってきたり、
私の腕を自分の肩に回させて、べったりくっついて歩いたり
手をつないできたりしていたのですが
中学生になってからというもの、家の外では私から離れて
歩くようになりました。でも、小さいころのように、私を
無視していくのではなくて、要所要所で振り返ったり
立ち止まったりして、離れすぎないように調整しているあたりも
「成長してきたんだなあ」と思われます。

ちょうど、息子と私の間には女の子が3人、楽しそうに
おしゃべりしながら歩いていました。
すると、そのうちの1人が、「あ、あれ、ちびくまくんちゃう?」と
声をあげました。
「あ、ほんまや。呼んでみよ。ちびくまく~ん!」

と、ぎょっとしたように振り向いたちびくま、なぜか
耳をふさいで一目散に駆け出します。
そして、かなり距離をとったところでまた立ち止まり、
こちらを振り返って見ています。

(あ~あ、せっかく友好的に声かけてくれてるのに)
と思いながら後ろから近づいていくと、

「あっ、後ろから呼んだらあかんかったんちゃう?」
「びっくりさせたんかなあ」
「でも、ちびくまくん、こっち見てる見てる♪」
と話し合っている3人。

息子の障碍が自閉症であることや、障碍特性について
特に周りの生徒さんに説明はされていないはずなのですが、
息子のことをよく観察し、よく考えてくれているのだなあ、と
なんだか嬉しくなったのでした。






説明会(その1)

2008年01月18日 | 「発達障碍」を見つめる眼
私たちの住む兵庫県では中2になると「とらいやるウイーク」という
職業体験があります。

いよいよ半年後になったそのとらいやるウィークと
今月末に予定されている「わくわくオーケストラ」(これも
県教委の事業で、中1のときに生のオーケストラ鑑賞をするというもの)と
「人と防災未来センター」(阪神淡路大震災記念館)見学の
説明会があるというので、中学校へ出かけていきました。
通院と食料品の買出し以外の外出は本当に久しぶりです。

幸い抗うつ剤がよく効いて、大きな不安を感じることはほとんどなくなり
落ち着いているので、まあ大丈夫かなあという感じでした。
途中で、息子が赤ちゃんだった頃よく一緒に遊ばせた同級生の
お母さんと一緒になり、おしゃべりをしながら会場の体育館へ
向かいます。

でも、おりしも今日はこの冬一番の寒さということで、
暖房設備のない体育館の中は、まるで冷蔵庫のような状態。
一応それを予想して、フリースのひざ掛けと使い捨てカイロを
持参してはいたのですが、冷たいパイプイすから冷えが
しみとおってくるような感じです。

そのうち、なんとも不思議な感覚に教われました。
なんだか「体が」がイライラ、そわそわするのです。
これまでのうつ状態で感じていた、憂鬱とか不安とか恐怖とか絶望とか
そういう感情とは違います。
むしろ、気持ち自体は不安でもイライラしてもいなくてフラットなのに
体だけが不安で、イライラしているような感じ。
逆に言うと、体が感じている不安やイライラを脳が「感情」として
正しく処理していない、という感じで、
まるで体と脳が無理矢理切り離されているような感覚なのです。

昔、成人の自閉当事者の方におしえてもらった、
「自分の感情が感情としてではなく、身体的な不快感として
 感じられる」という現象は、こういう感じなのかも、と
変に納得してしまいました。

気持ちは相変わらずフラットですが、寒いはずなのに、だんだん
冷や汗をかき始め、じっと座っているのがとても辛い感じがしてきます。
抗うつ薬のほかに、即効性のある安定剤を頓服としていただいているので
それを飲んでくればよかったなあ、と後悔するも後の祭り。
手をこすり合わせたり、小さく貧乏ゆすりをしたり、
かる~く左右にロッキングしてみたりして(アヤシイ)
なんとか1時間強の時間をやりすごすことができました。



心療内科2回目。

2008年01月15日 | 「うつ」とつきあう。
今日は1週間ぶりに心療内科を受診してきました。
ドクターに「気分はどうですか?」と訊かれて、
「かなり楽になりました」と答えることができました。

何が一番楽になったかというと、朝目が覚めて起き上がるのが
辛くなくなった、ということです。
「朝起きられない」というのは、「うつ」の症状としてはよく
挙げられる症状ですが、いざ自分が経験してみると、言葉で言うほど
簡単なものではないことがよくわかりました。

CIDPの再発時に、末梢神経の障害によって両手両足の
力がほとんど入らなくなってしまったときに、
「ああ、自分の体っていうのは、本当はこんなに重いものなんだ」と
初めて感じたのですが、その時は、なんというか、
起き上がろうという意志や気力はあるのに、それがどこかで
遮断されてからだの他の部分に伝わらない、
水を一生懸命注いでいるのに、だだもれでちっともたまらない
というような感じでした。

でも今度は、起き上がらなくては、とわかっているのに、
体を起こそうという気力自体が全くわかない、
「辛い」「苦しい」という感覚や、絶望感と焦燥感と恐怖・不安以外の
全ての精神活動が止まってしまったような感じ、
水自体が水源から枯れてしまった、という感じでした。

12月にはそんな朝が何度もあり、それでも学校がある間は
自分のことで息子に学校を休ませるわけにはいかないという
義務感に支えられていたのか
体にも心にも鉛が詰まったような苦痛に耐えながら
何とか息子を学校に送り出し、
その後はもう精も根も尽き果てて、息子が帰ってくる時間まで
こんこんと眠り続けていたのです。

でも、年末年始にはもうそれも出来なくなって、ほぼ一日中
起きてトイレに行くのが精一杯、という状態にまでなっていました。

それが、この10日間薬を飲んでいるうちに、どんどん改善していき、
目覚まし時計と共にぱっと目覚めて、さっと起き上がれるように
なったのです。まだ憂鬱な気持ちはとれないし、時折大きな不安の波も
襲ってきますし、一日の殆どを横になって過ごしていますが、
とりあえず朝だけでも辛くなくなったことで、生活上の支障はかなり
減ったように思えます。

次の受診は2週間後。このまま上向きに回復していけるといいのですが。


ことばの成長と班がえ

2008年01月10日 | 楽しい学校生活
息子の使う表現の幅は、なぜかいつも長期休暇明けに
ぐっと伸びるような気がします。

家での生活でのびのびとする分、そうなるのか、
しばらくぶりに触れる学校での刺激が新鮮でそうなるのか、
その辺はわからないのですが、

長期の休みの後には、必ずと言っていいほど、連絡帳に
「また一段と言葉が増えましたね」と書かれてきます。

今は普段の生活での意志伝達は音声言語だけですから、
小学校に入学するときには自発言語はほとんど1語文だけで
その日に学校でしゃべった言葉を連絡帳に書ききれるほど
限られていた、という話をすると

今の担任のK先生には
「なんか想像つかないですよね~」と言われてしまいます。
あの当時は母親の私ですら、いつか息子と会話が出来る日が来るなんて
思っていなかったのですから、まあ当然と言えば当然なのですが。

さて、3学期になり、息子のクラスでも班変えがありました。
息子の通うF中学では、クラスを班分けしていて、普段の生活でも、
行事のときも、校外に出るときも、全て班行動が基本になっています。

1学期には2泊3日の転地学習で、
2学期には様々な行事を通じて、息子は班の仲間に随分いろいろと
助けてもらい、2学期末の個人懇談では
「班のメンバー、特に女子は『自分を助けてくれる人』と感じて
 いるみたいで、随分頼りにしているようです。
 女子のほうでも、『ちびくまくんってかわいい』『ちびくまくんは
 やさしい。また同じ班になりたい』って言ってるんですよ」
と交流級の先生から聞かされて、ほっこりしていたのですが

また新しくなったメンバーとはうまくやっていけてるのか、
ちょっと心配ではありました。
それで、今日、帰宅後PCで遊んでいる息子に、なんとなく
「ねえ、ちびくまくん、新しい班はどう?」と訊いてみました。
こんな抽象的な質問をしても、たぶん「わからない」
「しらない」という答が返ってくるのもわかってはいたのですが。

ところが、息子はPCのモニターを見つめたまま、何でもないように
「うん、みんなやさしくしてくれるよ」と答えたので
私の方がびっくり。

「やさしくしてくれる」の意味を彼が本当にわかって使っているのか
どうかは定かではありませんが
少なくとも新しい班も彼にとっては居心地の悪いところでは
ないらしいことが感じられてほっとしたのでした。


新学期

2008年01月08日 | 楽しい学校生活
さて、母親の私がよれよれでも、元気いっぱいな息子。

朝、やっとこさで起きた私とは裏腹に、ぱっと起きて、
「おかあさん、今日から3学期だね! ぼくは3学期もがんばるよ!
 今日は学校に行ったら、新年のごあいさつをしなくっちゃ」
と大張り切り。

これまで学校に行くときは、私がカッターシャツと靴下とハンカチを
籠にセットしておくことになっていたのですが、
ぼーっとしていた私がそれを忘れていると、なんと自分で
箪笥からカッターシャツと靴下とハンカチを取り出して、
「おかあさん、ぼく、自分でお支度できたよ」
とにっこり。
今まで何回か促しても、「いや。ぼくしない。おかあさんが出す」と
言ってきかなかったのに・・・。
いい機会なので、これを利用して、朝の支度ももう少し
自立してもらおうかしら。

・・・なんだか「怪我の功名」ばっかりですね、うちって・・・。

いつもよりずっと早く家を出て、大ニコニコで学校へ出かけた息子は、
「おかあさん、ぼく、新年のごあいさつがちゃんとできた。
 教頭先生にもごあいさつしたよ」
と満面の笑顔で帰ってきたのでした。


遅ればせながら

2008年01月07日 | 驕らず焦らず諦めず
明けましておめでとうございます。

しばらく更新が途絶えたので、ご心配をおかけしたかもしれません。
暖かいコメントの数々、ありがとうございました。
実は、年末年始にかけて、状態がかなり悪化してしまい、
文字通り「寝正月」に終わってしまいました。

正月休み明けと同時に主治医のところへ駆け込み、
とりあえずのお薬と紹介状をゲットして

本日心療内科デビューしてきました。
じっくり話を聞いてもらい、お薬をいただいただけでも
かなり心が楽になったような気がします。
「うつ状態」ということで、しばらく定期的に通って
経過をみていただくことになりました。

「辛いときにはお薬の力を借りることは恥ずかしいことではない」
「自力でなんとかしようと頑張りすぎないで、他人の
 力を借りることも考えましょう」
と自分では再々言っておきながら、いざ自分がその立場になると
なんとか自力で切り抜けようとしてしまっていたのですが

勇気を出して一歩を踏み出したことで、またひとつ何かを
乗り越えることができたような気がします。

また1つ新たな痛みを知り、新たな経験を積みながら
今年も息子と一緒にぼちぼち歩いていくさまを
皆様にお届けできればいいなと思っています。

どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
皆様にとって幸せで健康な一年となりますように。