雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

知ることと信じること(その2)

2007年02月28日 | 入院生活
これに似たことは、自閉っ子を取り巻く人々の間でもよく起こります。

自閉っ子に「事実」を教えたつもりなのに、とんでもない
誤解が生じていた、とか、保健師さん、お医者さん、OTさん、
STさん、保育士さん、幼稚園・学校の先生といった専門家の
人たちと親の間や自閉っ子のお父さんとお母さんの間、
ご両親とおじいちゃんおばあちゃん・その他の親族との間でも、
言葉を尽くして説明したつもりなのに通じない、わかって
貰えない、という経験は、きっとどなたにもあるのでは
ないでしょうか。

「事実」を伝えたのだから通じないはずがない、という考え方は、
実は人間にとっての感情、心の働きを軽視するところから来る
過ちなのではないか、と私は考えています。
例えばコンピューターでデータを処理する時は0か1か、
つまり白か黒かがはっきりしています。けれども、人間が
あるデータを処理しようとする時、そこには英語でいうbiasが
作用します。biasとは、日本語に訳せば傾向とか先入観という
言葉になるようですが、要は人間というものは自分にとって
好ましいものは見えやすく聞こえやすく、逆に信じたくない
ものは見えにくく聞こえにくいものだ、ということです。

私たちの回りの出来事に「完全な白」や「完全な黒」は実は
殆ど存在しません。そして、あるグレーを「白に近い」と
感じるか、「黒に近い」と感じるかは、その人の立場、
これまでの生活でつちかわれた価値観、その時の感情によっても
違ってきます。

「そんなことはないよ」とおっしゃる方もおられるでしょう。
微妙なグレーならともかく、ある程度極端なグレーであれば、
誰の目から見ても白に近いか黒に近いかは一目瞭然だと。

でも、どちらに近いかは意見の分かれにくい場合でも、
「黒が主であるところに白が混じっている」と感じる人と、
「白に大量の黒が混じった」と感じる人はいるのです。
もっとわかりやすい例で言えば、「チビという名の犬が5回
吠えた」という同じ「事実」を目撃したとしても、犬好きな
人なら「可愛らしい犬が、愛嬌たっぷりにじゃれついた」と
見えるかもしれないし、大の犬嫌いの人には「大きな犬が
恐ろしい声で吠えたてた」と見えるかもしれません。

知ることと信じること(その1)

2007年02月23日 | 入院生活
病気で入院しても、診療報酬の関係で3ヵ月経つと退院か転院を
迫られる、というのはよく聞く話ですが、私が入院している
難病病棟は例外らしく、もう何年も入院している、という人が
沢山います。私ももうすぐ入院3カ月になりますが、師長さんから
言われるのは、ここが我慢のしどころ、とにかく焦らずに
ゆっくり養生すること、そればかりです。

ここにいるのはALS、パーキンソン病、認知症といった
「長期にわたる闘病が必要な、治らない病気」の患者ばかりで、
その殆どが日常生活の殆ど全ての場面で全介助が必要な状態です。
自分で箸を持って食事をし、椅子に座ってであればシャワーが
浴びられ、長距離は無理とはいえ自分で歩いてトイレに行ける
私は、ここでは「最も元気な患者」の1人です。

そんな病棟に入院してきて5週間になるAさん。
まだ軽症で私と同じ「元気な患者」である彼女は、入院前に
告知を受けたとのことで、ご本人も最初から病名をオープンに
されていましたが、言葉の端々に「早く治して退院しないと」
「リハビリを頑張れば治る」という言葉が出てくるのは、
「進行性の病気で、すぐに命がどうこうということではない
けれども、これから生涯にわたって治療とリハビリの必要な
病気」だと何度も繰り返している主治医の言葉を気持ちのうえで
受け入れきれないのだろう、と思っていました。

ところが、 先週の副院長回診(ここは大学病院ではない
のですが、週に1度「白い*塔」よろしく回診があります)
の後、妙にど~んよりしているAさん。
「私の病気ってさぁ、100%元通りになるっていうのは無理
なんだって。そんなの、今日初めて聞いたからさぁ…」

…な、なんですって~?私が知ってるだけでも、アナタの
主治医はこの病室に来る度にそういう話をしていましたよ?
ちゃんと聞いてなかったの?
あの先生は早口でまくし立てるから何を言ってるかよく分から
ない、やっぱり女の先生(彼女の主治医は女性)の言うことは
重みがない、何週間か入院さえすれば元通りになって帰れると
信じていたのに、彼女はそう言うのでした。

仕方がないので、前回入院していた病棟の談話室に彼女の病気を
特集した健康雑誌があったのを思い出して、その雑誌を借りて
きて見せてあげると、しばらくじっと読んでいて、ようやく
納得した様子でした。
結局この時まで、彼女は自分の病気がどういうものであるのか、
今何のために入院しているのか、自分が飲んでいる薬が
どういうもので、どのように処方を調整していくのか、
「説明を受けているはずなのに」全く解っていなかった
らしいのです。

だから、もうひと月以上も入院しているのにちっとも治らない、
検査ばかりして薬も量が増えていってる、と不信感だらけに
なり、更に主治医とのコミュニケーションが悪くなる、という
悪循環に陥っていたようでした。


ムーンフェイス

2007年02月19日 | 入院生活
経口ステロイドの投与が始まって9週間目、ここに来て急に
ムーンフェイスが目立ってきました。
ムーンフェイスというのは、ステロイド剤の副作用としては
ごく一般的に見られるもので、文字通り顔がお月様のように
まん丸になるそうなのですが、私の場合、顔の下半分に
特に分厚く脂肪がついて、“ムーン"というより“ムーミン"に
なってしまっています。

今日も診察に来た主治医がしげしげと私の顔を見て「うーん、
結構しっかりきてるねえ。知ってる人が見たらびっくり
するんじゃない?」と妙な感心の仕方をしてくれます。

去年のクリスマスに病院で撮って貰った写真を出してきて、
「人相が全然違いますよねぇ」と言うと、
「いや、でも、なんとなく面影はあるよ」って、全然フォローに
なってませんから!(泣)

経口ステロイドを大量服用していると感染症にかかりやすく
なるので、私は常時顔半分がすっぽり隠れる大きなマスクを
かけていますが、今やこれが「顔隠し」ツールになってきて
しまっています(笑)。もっとも、今の季節、でっかいマスクを
かけた人は決して少なくないので、まだラッキーだったかも。
これが真夏だったりしたら、暑いうえに怪しさ全開ですから。

それにしても今のステロイドの副作用としては他に
・中心性肥満(首の後ろや腹部など体の中心に脂肪が付く)
・産毛が濃くなる
・脱毛
・吹き出物が出る
・骨粗鬆症になりやすくなる
・糖尿病になりやすくなる
などがありますが、私の場合は今のところ最初の3つくらいで
済んでいるので、なんとか深刻なことにならずにいければ
いいなあ、と思っています。

病気の性質から、今後も急に劇的に良くなるとか、元通りの
体になるとかはなかなか難しいそうなのですが、今より悪化さえ
しなければ、3~4週間後にはなんとか退院できそうです。

こればかりは自分の努力でどうこう出来るものではないので
運を天に任せるしかありませんが、晴れて小学校を卒業し、
中学という新しい環境に入るちびくまのためにも、卒業式に
間に合うようにちゃんと退院して、せめて1年、出来れば3年
再発しないで過ごしたいなぁ、と祈るような気持ちでいます。

モチベーションがすべて

2007年02月18日 | 入院生活
昨日、ちびくまが祖母(私の実母)と一緒に病院に見舞いに
来てくれました。

私が家に居なくてもちびくまは祖母のいう事をよく聞いて
良い子にしており、祖母の作った食事はすべて「おいしいね!」と
言って食べるので面倒の見甲斐があるとのこと。

息子が「おかあさん、病院の人に会ったときはなんて言ったら
いいのかな?」と訊くので、「『お母さんがお世話に
なってます』って言ったらいいんじゃない?」と教えると、
しばらくして早速病室の入口でで看護士さんに「おかあさんが
おせわになってます!」と挨拶する彼の声が…(笑)。
ある意味彼は結構社会性が高いのかも、と思うのはこんな時です。

でも私は、彼に挨拶を強いたり、人を喜ばせる言葉を
教え込もうとしたりはしてきませんでした。
息子自身にそうしたい気持ちが育つ前に「スキル」として
そういう行動だけを教え込んでも意味がないような気がした、
ただそれだけの理由なのですが。

「彼の場合はモチベーションがすべてです」
私はちびくまに関わる人々に何度もそう言って来ました。

「伝えたい気持ち」のない子にコミュニケーションの力は
育たない、周りの人たちとうまくやっていきたい気持ちのない
子にソーシャルスキルは定着しない、だからまず、私が
彼にとって「伝えたい相手」になること、毎日の生活の中に
「伝えたい」ネタを沢山作ること、彼自身が「自分は
周りの人から好かれている、大切にされている」と実感できる
ことこそが何よりの「療育」なのだと私は信じてきました。

彼は今も感覚統合訓練や大学での認知学習訓練を受けては
いるけれど、最初はともかく、今は彼自身が楽しみにして
通っています。また、そうでなくては、少なくとも息子自身に
とっては、本当に意味のある訓練とは言えないでしょう。

私の生活に今やPCと携帯はなくてはならないツールだけれど、
それは「世間の人が使っているから」ではなくて、自分が使って
便利だから、生活に役立つから、何より自分が使いたいからで
だからこそ新機種も使いこなそうと努力出来るのです。

同じように、自閉っ子に絵カードコミュニケーションを
教えるにしても、スケジュールなどの視覚支援でも、その子が
使って便利だ、使えて嬉しいと感じていなければその子にとって
それを使う意味は見いだしにくいのではないかと思うのです。

自閉っ子は、感じ方・表現の仕方は独特かもしれないけれど、
「心を持ったひとりの人」であることを忘れてはいけない、と
いつも肝に銘じています。

タバコが嫌い。

2007年02月14日 | 入院生活
実は私、タバコの匂いが大嫌いなのです。
あの匂いをかぐと吐き気がするので、喫煙可の飲食店なんか
絶対入りたくないし、スモーカーの人は体臭もタバコ臭なので、
エレベーターには一緒に乗りたくないし、出来れば同じ空間、
同じ部屋にいることさえご遠慮申し上げたい程です。

とは言え、私が独身だった頃は今のように嫌煙・分煙を
声高に言える雰囲気もなく、泣く泣く紫煙もうもうと舞う
事務所でじっと堪えながら仕事をしてたものでした。

そんな私が結婚相手に求めた「絶対にこれだけは譲れない
条件」は「タバコを吸わないこと」。

幸いうちの夫は(他の条件はともかく)そこだけはクリアして
いるばかりかその嫌煙度も私以上で、アメリカという国には
好きになれないところが沢山あるが、「タバコを吸う人」は
「昼間から酒を飲まずにはいられない人」同様に見られる
スモーカーへの目の冷たさは見習うべきだと豪語するくらい
ですから、(他のことはともかく)我が家でタバコのことが
ケンカの種になったことは一度もありません。

加えて最近は健康増進法(でしたっけ)のおかげで日本でも
公共の場は殆ど全面禁煙になり、すごぶる快適に毎日を
過ごしておりました。

ところが、入院生活を送るようになって、思いもよらず
タバコに苦しめられる日々となったのです。

2週間前に個室から私の向かいのベッドに移ってきたおばさま。
2週間の検査入院のはずが思わぬ合併症が見つかったりで
入院が1か月を越えました。
既に定年を迎えたご主人は、毎日かいがいしく洗濯物や
おやつを持って病室に現れ、ひとしきり話し込んでいかれます。

が。このご主人、むちゃくちゃタバコ臭いのです。
病室の入口に彼が来たことがニオイで判るほどですから、
向かいの奥さんの所にいる間、病室にはなんとも強烈な
タバコ臭が漂います。
私個人としてはとても許容出来るような臭さではないの
ですが、勿論病室内でタバコを吸っているわけではないので、
苦情を言うわけにもいかず、仕方なしに彼が来るとそそくさと
病室を出て避難し、彼が帰ってくれるのを待つしかないのです。
当のおばさまは、夫婦の会話が筒抜けになることに私が
気を遣っているのだと解釈している
様子で「居てくれて全然構わないのよ~」と鷹揚に笑って
くれるのですが、「そうじゃなくて、あんたの旦那が臭くて
我慢出来ないの!」と言えたらどんなにいいだろう、と
ひたすら彼女の早い退院を待ち望む私がいます。

自閉っ子にはニオイに敏感な子も多いですが、彼らはもっと
色々な場面で理不尽な我慢を強いられているのかもしれない
なあ、と、ちょっぴり彼らの苦労がわかったような気がする
今日この頃なのです。


域値が低い?

2007年02月09日 | 入院生活
朝、リハビリに向かう途中で、私の病室に来てくれる途中の
主治医に会いました。
「これからリハビリ?じゃあ、ここで診察しちゃおう」と、
いきなり病棟の廊下で歩行姿勢としゃがみ立ちのチェック。
今日で入院丸2か月だというのに、相変わらず年末年始より
少し悪いくらいの低位安定で、しゃがみ立ちはできないままです。

まだまだ入院が長引く可能性も考えて福祉事務所に相談し、
息子の自立支援サービスの支給量を増やしてもらえそうなので、
申請に必要な診断書を書いてもらえるよう、主治医に依頼します。

「そう、それで、どういう書き方にすればいいの?」
「私が入院してることを理由にするので、あとこれ位
入院加療が必要、みたいな感じですかね。期間は長めに
見積もっていただいて」
と言うと、主治医が笑って
「普通、いくら書類上のことだから、って言っても、期間を
長めに書かれるのを嫌がる人の方が多いんだよ。
あなたって、ホントに域値の低い人だなぁ」

この場合の「域値」というのは「(病気や障碍に対する)
心理的抵抗」「心の壁」のことだそうです。

現在の医学では完治する事の無い、いわゆる難病を告知する時は、
患者本人とその家族のショックや混乱・悲しみを目の当たりに
して、やはりドクターも辛いのだそうです。泣いたり、
ひたすら事実を否定したり、抑うつ状態になったりする患者が
ほとんどなのだとか。そんな中で私はずっと「あなたは
明るくてこっちが救われちゃうなあ」と言われ続けて
きました。

ステロイドパルス後も低位安定の状態が続いた今月初めの
時点で、最悪この状態で固定した場合を考えて、退院後の
在宅生活をシュミレー
ションして、車椅子やシャワーチェアといった福祉用具の
あたりをつけたり、身障手帳の申請や難病在宅支援制度などの
制度を調べて申請書様式類を揃えたりしているのを見て、
「なんでそこまで前向きになれるんだ~」と半ば呆れたように
感心していた主治医。

でも、私は別に無理に明るく振る舞っている訳でも、
前向きになろうと必死で努力している訳でもありません。
それは、私が8年前に既に「地獄」を経験しているからかも
しれない、と思います。

愛する我が子が「自閉症」だと告げられたあの日からしばらく
の間、やはり私は泣き、事実を否定し、抑うつ状態に陥りました。

もう息子にも自分にも未来は無いのだと思って、随分長い間
息子と一緒に死ぬことばかり考えていました。
あれは今思い返しても、私がこれまで生きてきた中で最も辛い
時期だったけれど、あの苦しみの日々があったからこそ、今、
こういう状況になっていても「泣いても1日、笑っても1日」と
前を向いて暮らしていく力がついたのかもしれないなあ、と
思うのです。

それは、未来が無いと思っていた息子がこんなにも心豊かに
優しく育ってくれて、私の生きる喜びになってくれている、
そのことに支えられた自信なのかもしれません。

「あなたが思うほど人生は、そして自閉であることは悪くない、
だからどうか、ギリギリの所でいいから踏みとどまっていて。
きっと早まらなくて良かったと思える日が来るから」と、
今苦しみのどん底にいるお母さんがいたら、改めて伝えたい、
そう思うのです。

進学先決定(その2)

2007年02月06日 | 楽しい学校生活
さて、「地域住民」として受付を済ませ、障碍児級の教室を
探します。
職員室からも生徒昇降口からも一番近い南向きのその教室を
覗くと、一目で知的障碍を伴う自閉症とわかる少年が一人でいて、
廊下から覗いている私の姿を認めると「こんにちは!」と
挨拶してくれました。

そこへ始業のチャイムが鳴り、やってきた男の先生は軽く
私に目礼して教室に入ると、さっきの彼と1対1で
向かい合って100ます計算を始めました。
それは新鮮な驚きでした。手短かで明確な、低い声での指示。
教室のあちこちに貼られた、手順書やルールの一覧。
教科担任制の中学校にあって「どこで、誰と、何を勉強する
のか」が一目でわかる時間割表。
「これは捨てたもんではないかもしれない」この日から
私の進学先候補に「地元中学校」が加わりました。

6年生の7月には原則進学希望先を決めなければならない
我が市では、5年生から本格的に就学活動が始まります。
それで、5年生の1学期に障担にアポを取って貰って、
この学校を進学先候補に含めたい旨挨拶に行きました。

勿論、校区の学校ですからこんな事をしなくても進学する
ことは出来ます。でも、小学校センター校から地域校への
進学、という、この市ではまだ1回しか前例のない事
(他の地域で言えば「養護学校小学部から一般中学校への
進学にあたります)を言い出した時に学校がどう反応するかを
まず見たいと思ったのです。
結果は予想以上に好感触。校長も障担の先生もいとも
あっさりと「うちの学校としては何の異存もありません。
どうぞ息子さんに一番ふさわしいと思われる学校をご自由に
選んで下さい。その上でうちに来られるということであれば、
こちらも出来る限りの努力はさせてもらいます。」

もうこの言葉だけで合格最低点はクリアした感じでしたが、
ここから更に見学と考察を重ね、でも5年生が終わる頃には、
私の気持ちはすっかり地元校進学で固まっていました。

自分でも思いがけない大きな方向転換です。ただ、ひとつだけ
変わっていないのは、私は「地域」と「教育の質」なら
迷わず後者を優先させる方針であることです。
そして最初からそれを前面にドーンと出してぶつかってきた
親に対し、「受けてたちましょう」と構えてくれた中学校に
頼もしさを感じています。

2日金曜日には入学説明会があり、私もドクターから
外出許可を貰って車椅子で出席してきました。時々ごそごそ
するけど、他の小学校の子どもたちと一緒に最後まで着席して
話を聞けるようになった息子の姿にじ~ん。採寸のため、
制服のブレザーを羽織った姿を見てまたまたじ~ん。
今からこの調子では、この春はハンカチが何枚あっても足りないかもしれません。


進学先決定(その1)

2007年02月05日 | 楽しい学校生活
これまで、アメリカの養護幼稚園、日本の障碍児通園施設、
障碍児教育センター校、と、いわば「障碍児教育の王道」を
歩んできたちびくまですが、この春から地域の中学校の
障級に通うことになりました。

これまで、小学校センター校を卒業した先輩たちは
中学校センター校か県立養護学校に進学しています。
私もずっとそのつもりで、低学年の頃から何度も見学会や
オープンスクールに足を運んできました。ところが困ったことに、
小学校入学を決めた時のように「よし、ここだ!」と思えない。
なんだか決め手がないのです。

そんなところへ回って来たのが、地元中学校の「オープン
スクールのお知らせ」の回覧板。でも実は、私はこの中学校を
進学先の候補にする気は全くありませんでした。
ここは伝統的に進学熱が高く、クラブ活動も熱心で高い
成績をおさめていますが、それだけにその波に乗れない子には
居づらい所だったのか、数年前まで酷く荒れたグループが
いることでも有名でした。また、丁度その頃、地元の小学校
障碍児学級を卒業予定のお子さんが進学のために見学を
申し込んだら、「うちには障碍児は要らないから」と
けんもほろろに断られた、という話も耳に入っていました。

「こんな子ですが、ここにおいて下さい」と頭を下げる事は
絶対にしない、それは私が息子のためにどうしても譲ることの
できないプライドです。だから、息子を喜んで迎えてくれない
学校と縁ができることはないはず、でも一度くらい実際に
足を運んで見ておこうか、そう思って出かけて行ったのが、
ちびくま4年生3学期のことでした。

お見舞いって…。

2007年02月02日 | 入院生活
せっかく頂いたお見舞いに、こんな風に難癖ばかり
つけていると、私の人格の方が疑われそうだな~、
なんて心配になったりもするのですが、お見舞いを下さった
方のお気持ちには本当に感謝していますし、
実はこれは私の話だけではなく、(数は限られていますが)
これまでの入院で出会った人々にある程度共通した
体験のようなんです。

私たちが障碍を持つ子の親になったことで得てきた
体験と同じように、やはり何事もその立場に立って
みないとわからない、っていうのはあるのかも知れません。

で、つくづく思ったのは、結局お見舞いっていうのは、
「お見舞いだから」何を言うか、何を渡すか、ではなくて、
「その人」に対して今自分が出来る支援を探すこと、
その人の視点に立って、必要な援助のあり方を探すことに
他ならないのではないかという事です。

遠くからわざわざ足を運んでもらうのでなくても、
私を友人として大切に思っている、と気持ちの込められた
1枚のカード、年休も取れない位仕事の忙しい友人が
したためてくれた1通の手紙、病状を気遣って返信不要と
送ってくれる携帯メールには元気の素が詰まっている
ような気がしましたし、忙しい中わざわざ時間を作って
会いに来てくれた懐かしい先生たちの顔は、どんな
豪華な花束より嬉しかったのです。

行事に参加した息子の元気な様子を知らせる1本のメール。
立てなくなった私の代わりに息子のために作ってくれたお弁当。
放課後を毎日祖母と2人で過ごす息子を
遊びに招き、家まで送ってくれるお友達。
地理に疎い実家の母の学校まで車で送ってくれる人。

私をかけがえのない一人の人として扱って貰うこと、
私が安心して自らの療養に専念出来るように力を
貸して貰うこと、私の代わりに息子や留守家族を
暖かく支え、見守って貰うこと、今の私にこれ以上の
お見舞いはないような気がします。

お見舞いって難しい。(物品編・その2)

2007年02月01日 | 入院生活
《役に立った・気遣いを感じたお見舞い》

○日持ちのする個包装のお菓子
それまで殆ど無視だったのに、お見舞いに頂いたケーキを
「お裾分け」として配った途端に親しく口をきいて
くれるようになったオバサマ多数(笑)。
やはりこれまで何の縁もゆかりもなかった他人同士が
1つの部屋で共同生活をするには、こういった潤滑油も
大事なのかな、と思ったりします。
ただ、私が入院したのは神経内科や呼吸器科(2度目の
入院の時は、神経内科に空きベッドがなかったため)
病棟で、基本的に食事制限のない人ばかりでしたが、
病院や病気によっては食物の持ち込みが厳しく制限されて
いることもありますし、1人暮らしなのに退院時
持ち帰りに困るほどお菓子が重なって困っていた人も。
「同室の人にあげちゃえばすぐなくなる」位の量で、
余れば家族が食べると確実にわかっているものが
良いかもしれません。

◎簡単に食べられる食べ物
これはお見舞いとは少し違うのですが、前回退院した
直後に、フリーズドライのお味噌汁やお雑炊、日持ちの
するフルーツケーキなどを箱いっぱい送って下さった
方がいました。
家事の出来ない時期に何度かお世話になった他、
3度目の入院では病室に持ち込んで、汁物の少ない
ここの病院食の彩りにさせてもらっています。

◎千円札
何かと物要りな折、やはり一番ありがたいのは現金ですが、
これをわざわざ千円札に崩した上で下さった方がいました。
病室のテレビのプリペイドカード、自販機や売店での
ちょっとした買物、入退院や外泊時のタクシー代など、
5千円札や万札に比べ、千円札の方が格段に使用頻度が
高く便利なのです。
今まで深く考えたことがなかったけれど、今後は
私自身が差し上げるお見舞いはこれで行こうと思っています。