雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

2005年、ちびくまママの5大ニュース

2005年12月31日 | 驕らず焦らず諦めず
年末、ということで。

第1位 「とことんこのこにこだわって」出版
まあ、なんと言ってもこれが一番嬉しかったかも。
以前からあのメンバーで本を出したいね、って言ってたのですが
思っていたよりずっと早く実現しました。明治図書さん、ありがとう~
来年は第2弾? そしていつかは、単独出版も…(夢見すぎ?)

第2位 センター校移設騒動
ある日突然、息子が来年春から別の学校に転校させられることを
新聞記事で知った驚き…。保護者・学校一団となって教委と交渉した結果
どの子も卒業まで今の小学校への在籍が認められました。
校長先生や障担の先生たちとも膝を突き合わせて話し合って、
お互いへの信頼感や「連携して子どもを守る」という意識は強まったかも。
雨降って地固まる、の結果になって、とりあえずは良かった、良かった。

第3位 自閉症スペクトラム学会初参加
仲間たちと自主シンポを開催し、話題提供者として
プレゼンを行いました。「ことばと発達の学習室」のMさんや
常連仲間とも初めて顔を合わせ、以前からお世話になっている先生や
編集さんともお目にかかれて、とても楽しいひと時でした。
来年もぜひ参加したいです。

第4位 ちびくまと東京旅行
ちびくまが生まれてから初めての2人旅。どうなることかと思いましたが
息子と久しぶりにじっくり向かい合うことができ、改めて息子の
成長を実感した旅でした。

第5位 ちびくま、自然学校へ行く。
小学校生活の最大のイベントとも言える、5泊6日の自然学校。
障担や交流担、学生リーダーさん、周りの子どもたち、多くの人に
支えられて、ちびくまは全ての活動に参加することができました。
自信と、周りの人たちへの信頼感を強める、良い経験になったようです。
初めて、学校と家以外のトイレが使えるようになるなど、
身辺自立の面でも、大きな成長が見られました。

さてさて、皆様にはどんな1年だったでしょうか。
今年も、日本中、そして海の向こうからも、息子と私を
温かく見守っていただき、ありがとうございました。
皆様、どうぞ良いお年を。

プレゼント

2005年12月29日 | adorably autistic
世間では昨日が仕事納めというところが多かったようですが
うちの夫は今日まで仕事。

今日はちびくまがいるので掃除もできないし、というわけで
午後から息子のリクエストで2人で近くの大型スーパーへ行きました。
年越しの買い物なのか、結構な混雑ですが、息子に付き合って
玩具売り場とゲームセンターをはしご。

そろそろ帰ろうか、と言うときになって、ふと催事場を
通りかかると、新古品と中古のビデオの安売りコーナーが。
新古品のワゴンを覗いたちびくまの顔がぱっと輝きます。
大好きな「おかあさんといっしょ」のビデオ。それも、先代の
うたのおにいさんとおねえさんの引退記念のもの。

値段をチェックすると¥780、これは買いでしょう。
「欲しかったら、買ってもいいよ」と言うと、「かう~」

ちびくまは、こういうときでも、たいていは
「いい。かわない」と言うことが多いので、こんな風に即
「買って~!」という反応が返ってくることは
珍しいのです。よっぽど気に入ったのかも。

もちろん、こういうチャンスは逃さず、お金を持って
レジの長い列に並び、お金を払っておつりと品物を受け取る、という
一連の作業は自分でやってもらいます。

品物を受け取った息子は、駐車場まで向かうエレベーターの中でも
ニコニコ笑顔。車の中でも「きょうは、*ティでビデオかってもらったね。
ちびくまくんが2がっきがんばったからだね~。やった~」
(そういう理由付けを考えたか~(笑))

マンションのエレベータを降りたところで顔見知りのおばさんに会い、
「こんにちは!」と声をかけられたのにも
「ビデオかってきました~」と返事。

家に帰るなり早速ビデオを開封してテレビにかじりついて見ています。
時々私のほうを見て、
「おかあさん、ビデオ、かってよかったね~」と
ニッコリ。

最近、自分ところの掲示板でもよそ様の掲示板でも立て続けに
クリスマスプレゼントの話題になって、
息子にサンタを信じさせる努力もしていなければ、
クリスマスプレゼントを用意もしない私って、ひょっとして
冷たい親なんだろうか…
とちょっと落ち込んだのだけど
大喜びでビデオを巻き戻してまた見ている息子の笑顔を
見ていたら、元気復活。

定型発達の子どもと自分の子どもとか、
定型発達の子ののお母さんと自分とを比べることは
とうの昔に辞めている私が、自閉っ子のお母さん相手だと、
「あの人はやってあげているのに私は…」って比べてた。
多数派がどうあろうとも、私にとって一番大切なのは
息子自身が「自分は認められている」「大切にされている」と
感じながら日々を暮らしていけること、
それを貫いてきたはずなのに、ささいなきっかけで揺らいでた。
大切なことを思い出させてくれるのは、いつも目の前の息子です。
別にクリスマスでなくても、ちびくまが、自分がいい子だから
親にプレゼントをもらった、と喜んでんねんから、それでええやん。
おしっ

ごあいさつ。

2005年12月28日 | adorably autistic
母が「掃除をする」のを見るのが大嫌いな息子
(掃除機は見るのも怖いし、分解掃除は恐怖感をあおるし、
部屋の中の物が動いたりするのは許せないらしい)
をガイヘルさんに託して、数日振りに掃除機をかけ、
ずっと気になっていた冷蔵庫の分解掃除をしました。
あ~、さっぱり。

息子はその間、ガイヘルさんと一緒に大好きな路線バスに乗って
JR駅前まで行き、新しく出来た駅前ビルや駅前バスターミナルを
堪能することができる、というわけで、いや支援費様様。

予定の時間に息子を迎えに行って、ヘルパーさんにお礼を言い、
「たのしかったよ~」という息子に、
「じゃあ、ご挨拶をして、お家に帰りましょう」と言うと、

ヘルパーさんに改めて向かい合ったちびくま、

「よいおとしを おむかえください。
 らいねんもよろしくおねがいします」


「ありがとうございました。さようなら」という
挨拶を期待していた私はびっくり。

これも目を丸くしたヘルパーさん、
「これはこれはご丁寧に。こちらこそよろしく」と
真剣に頭を下げてくださいました。(笑)

視覚記憶と聴覚記憶の抜群なちびくまは、
「場面」と「言葉」をセットにして覚えていて、
かなりうまく場面に合わせて使うことが多く
WISCでは数字すら出ない、という言語力の低さは、
ぱっと見にはほとんどわかりません。

(でも、私はちびくまの最も高いハードルは
 感覚の問題と言語能力だと思っているので、
 この「見かけの言語力」に惑わされず、「この子は
 喋っているけど言語力が低いですね」と見抜く専門家は
 「プロだ~」と尊敬してしまうんですが)

「おねがいします」「ありがとうございました」など、
決まった状況で決まった表現を使う「挨拶」は
学校でも家でも特に指導したわけでもないのに、
最近得意になってきたなあ、とは感じていたのですが
「今年最後のガイヘル」という状況を理解して
自分で「ふさわしい挨拶」を考えたんだなあ、と、
我が子ながらちょっと感心してしまったのでした。


冬の嵐

2005年12月22日 | 時には泣きたいこともある。
今日は、終業式でした。なのに、昨夜の天気予報では
大雪が降るかも、と。
で、今朝、起きて一番に窓の外を確かめると、
寒いけど、雪は積もっても降ってもいない。
「な~んだ、天気予報、はずれたのね」と思った私。

程なくちびくまが起きてきて、話しかけたりしながら
一緒にパンを食べて、「そろそろ着替えさせなきゃ」と思って、
ふと窓の外を見ると、真っ白…

「ええっ!」と思ってバルコニーに出てみると、既に
表の道路は歩道と車道の区別がつかないほど雪が積もり、
おまけに突風にあおられて吹き付ける雪がブリザード状態。
「こんな天気で、送迎バス、来てくれるんやろか?」と
思ったけれど、遅れたりするときには必ず事前に連絡を
くれるのに、電話がかかってこない、というのは、大丈夫なのかな~と
とりあえず時間通りに息子と家を出ました。

外は吹雪、その上地面に積もったさらさらの粉雪が突風に
あおられて舞い上がり、もはや周辺は「ここはどこ?」状態。
路線バスも来ないのか、バス停には人があふれています。

ちびくまの送迎バスも、予定時刻を10分過ぎてもやってきません。
最初のうちは「すごいゆき~」と喜んでいたちびくまも、
さすがに「さむい。バスこない~」と半泣きになってきました。
そこへバスの運転手さんから電話。雪のため、大渋滞になっていて、
まだ最初の子どもさんを乗せたばかりだということ。
(ちびくまは3人目)
家の近くまで行ったら再度電話するので、一度家の中に戻って
いてください、と。

息子に「運転手さんがお家で待っていてください、って」と
言うと、さすがに限界に来ていたのか、あっさりと家に
戻りました。とりあえず、学校へ報告の電話をします。

ストーブの前に座って人心地付いた頃、学校から電話。
「送迎バスをこれ以上運行させると危険だと判断したので
 今日はお休みということにします。通知表は後日届けます」とのこと。
息子に、「今日は大雪で学校はお休みになりました」と
説明すると、混乱するかと思いきや、
「きょうはたくさんゆきがふったからおやすみで~す」と
あっさり納得して、しかも嬉しそう。
吹雪の中で来ないバスを待ったのが相当こたえたんでしょうか。

今日は学校が午前だけなので午後はヘルパーさんをお願いして
あったのですが、これもキャンセルすることに。
親子でぬくぬくと、1日家にこもって過ごしてしまいました。

それにしても。このまちでも年に数回は雪が積もることもありますが、
雪のために通学バスが運休したなんて、入学してから初めてです。
他でも大きな被害が出ていないといいんですが。



雪景色

2005年12月18日 | adorably autistic
全国的な大寒波がやってきた今日、目を覚ますと
窓の外は一面の銀世界でした。

「ちびくまくん、雪が積もってるよ~」と呼ぶと
あわてて布団を抜け出してきた息子、外の雪景色を
確認するなり、にっこり(いや、この場合、にやり?)。

「おかあさん、きょうはなんにのっていくの?」

実は、今日は、毎月1回通っている動作法月例会の
クリスマス会なのです。
会場は市の福祉センター。
自宅からは自家用車で行くのが最短ルート。
でも、この雪でうちの夫婦の運転技術では車に乗れないので、
JRの最寄駅まで一度バスで出て、そこからタクシーに乗っていくしか
ありません。

何年か前、やはり雪の積もった日に福祉センターに行くのに
このルートで行ったのを、息子はしっかり覚えているのです。
そして、大好きなバスとタクシーに乗れるぞ、という喜びが
この笑顔になったのでした。

でも、この雪では、息子の思惑どおりに動くしかありますまい。
で、クリスマスパーティ用のおにぎりとお茶を入れたかばんを持ち、
ちびくまと一緒に駅行きのバスに乗ります。
日ごろはマイカー族(死語?)が多く、この路線のバスに乗る人は
あまり多くないのですが、今日はさすがにご同類が多かったのか
バスも結構な混雑でした。こんな中でも、普通の小学生にしか
見えないような落ち着いた行動をとれるようになったことに
しみじみ成長を感じます。

さて、駅前でバスを降りたちびくま、
「おかあさん、つぎはなんにのるの?」
バスマニアの彼は、駅からは福祉センター行きのバス、という
選択肢もあることも承知の上で聞いているに違いありません。
「今日は急いでるし、バスの時間もわからないから、
 タクシーで行こうか」
と答えると、「やったあ」という顔。(わかりやすい…)
迷うことなく、タクシー乗り場へ一目散に歩きます。

道すがら「今日はごっつい積もったねえ」と運転手さん。
「最近は珍しいですよね。昔はよく積もったけど」
「ボク、雪合戦しいや~」
「はい」
目的地に着いて、お金を払って降りると、後から降りるちびくまも
運転手さんに「ありがとうございました~」

何人かの欠席もありましたが、楽しいクリスマス会も無事終わった後で、
「今日一番楽しかったこと」を尋ねると、息子は当然のように
「タクシー!」と答えましたとさ。


泣いちゃった。

2005年12月16日 | adorably autistic
療育センターでの訓練を終えて帰ってきて、ちびくまの
リクエストでハヤシライスを作っている間、ちびくまは
リビングでテレビを見ていました。
金曜日の晩は、「ハ**郎」、そのあと「ドラ**ん」がお約束。

しばらくして、晩御飯できたよ~、とキッチンから声をかけたのですが、
あれ、息子がいない。
見に行くと、隣の部屋で布団をかぶってしくしく泣いていました。

さっきまでご機嫌だったのにな~。
「また悲しくなっちゃった?」と訊くと、
「もうテレビみない。もうごはんもたべない。もうおべんきょうも
 いかない」
と、いつものように、思いつく限りの「否定的なコメント」を
ならべる息子。

そのうち、「もう6チャンネルみない。もう9チャンネル
(CATVの宣伝チャンネル・毎日同じ番組をやっている)
しかみない」と繰り返し始めたので、
どうやら、6チャンネルが原因らしいと判明。

新聞のTV欄をチェックしてみると、いつもなら「ドラ**ん」を
やっている時間に、「クレ*ンしん**ん」の特別編をやっていました。
これか~。

いつも見る番組は決まっているので、チャンネルを変えた途端に
予想していたのと違った番組が始まったのが混乱を招いたんですね。
チャンネル編成期の特番の嵐の時期でも、大して混乱しないちびくま、
前もってわかっていれば大丈夫だったはずなんですが、
先週の予告を見逃していたのかも。

こういうとき暴れたり泣き喚いたりはしないけど、こんな予想外の
「ちょっとした変更」が混乱を引き起こし、心身への負担になることには
息子の場合も変わりないのだろうと思います。

「いつもの番組」が見られない年末年始、自閉っ子とその家族には
受難の季節です。

お通夜に出る。

2005年12月08日 | Wonder of Autism
今朝、私の祖母が亡くなりました。
99歳、いつもどおり朝ごはんを食べている間に
突然こと切れました。大往生です。

私のところに連絡が来たのが今日のお昼過ぎ。
普通なら明日がお通夜であさってが葬儀だと思うんですが、
なんだかんだの都合で、急遽、今晩がお通夜になり、
息子を連れて出席することになりました。

「ひいばあちゃん」に息子は会ったことがありません。
たぶん「死んだ」ということもあまり理解できないでしょう。

でも、学校から帰った息子に、
「明日おばあちゃんのお母さんが天国へ行ってしまうので
今日の夜さよならの会があるから、一緒に行ってください」と言うと、
突然のことに混乱した様子の息子でしたが、しばらくつじつまの
合わない独り言を言いながらうろうろしていた後、
私のところへ来て、「おかあさんといっしょにおでかけします」と
言ってくれました。

実家まで車で行き、そこから私の父(おじいちゃん)と一緒に
電車で会場へ向かいます。亡くなった祖母の実娘である
おばあちゃん(私の母)と私の実弟は一足先に会場に着いて待っていました。
その他に来ているのは私の伯父夫婦、叔父夫婦、それに2人の伯母、
いとこ2人、それに片方のいとこの連れ合いと3人の子どもたち、と
親族ばかりでしたが、ちびくまにとっては私の両親と
弟以外は初対面。

突然のことですし、初めての場所、初めての人たちに囲まれて
初めての経験、息子には負担が大きいかもしれません。
まず親族控え室に顔を出して、軽くあいさつだけしてから
通夜式の会場へ息子を連れて行きました。
既に祭壇がしつらえられ、祖母の棺がありました。葬儀専用の
会場なので、映画館のようなすわり心地のいい椅子席です。

「ここで、大きいおばあちゃんさようならの会をします」と
息子に言うと、
「ちびくまくんはどこにすわる?」
「ちびくまくんはどこに座りたい?」
「うーんとね、ここがいい」
「じゃあ、そこにしましょう」

その後、式が始まるまでは息子は私の両親と一緒に
控え室で過ごしていました。
先日の東京行きの話を「えっとね、さいしょはバスにのって
こうべにいったの。それから、プリンセスロードにのって
とうきょうのしぶやへいきました。そこから…」と
きちんと説明できていたので、ちょっとびっくり。

さて、時間になり、通夜式が始まりました。
私の母方は神道の家なので、お葬式は神式です。
お焼香ではなく、結婚式と同様、玉串奉典をします。
ちびくまに「おかあさんといっしょに、はっぱどうぞ、する?」と
訊くと「しない」との答え。
通夜のさまざまな儀式を神主さんが行っている間、
ちびくまは疲れたのか、椅子に座ったまま眠ってしまいました。
その間に、私も玉串をささげて、祖母とお別れをしました。

ちびくまが、目を覚ましたのは式が終わるころ。
「もうおうちかえる?」と訊く彼に
「お腹空いたから、晩御飯を食べてから帰りましょう」

通夜ぶるまいの席では、料理を少し取り分けてもらって
みんなと少し離れたテーブルで食べることにしました。
「おいしいねえ、おいしいねえ」とニコニコしながら食べる彼に、
親戚たちも「そう、良かったねえ、たくさん食べてね」
…得なキャラだ…。

明日は障級のクリスマス会、せっかく劇の練習を頑張ってきた
息子を欠席させるのも、1人だけ家族が来ないのもかわいそうです。
それで、私は葬儀への出席はしないで許してもらうことにしました。
そのことを親戚たちに言って挨拶していると、
わかっているのかいないのか、息子も別の親戚に
「ちびくまくんは、あしたはMしょうがっこうのクリスマス会で
げきをしますので~」と言って、
「そうか、頑張ってな」と言われていました。

いよいよ帰宅するときにも、誰に言われたわけでもないのに
「じゃあ、ちびくまくんはかえります。さようなら。
 みんな、からだにきをつけて」
ビデオか本のせりふをそのまま使ったのだと思うのですが、
なんとも場面に合っています(笑)

電車で私の父と弟と一緒に実家へ帰り、そこから車で
家に帰り着いたのは夜10時をまわっていました。
息子よ、お疲れ様。

5歳のとき、夫の父が亡くなったときには、通夜や葬儀への
出席など、とてもできない状態だった息子ですが、
6年でこんなに成長してくれたんだなあ、と感慨もひとしおでした。

私にできることは何だろう。

2005年12月07日 | 驕らず焦らず諦めず
今年いっぱいで、今のパートをやめることになりました。

で、これからどうしようか、と考えています。
息子が診断を受けてから7年、なんだか慌しくがむしゃらに
生きてきたけど、このへんでそろそろ、「わが子」から
「我が子も含めた」自閉症スペクトラム全体へ、行動の対象をシフトして
いきたい、と思っているのです。

将来、保護者兼支援者として生きていくには、これから何を学び、
どう行動していけばいいのだろう。
私には何ができるだろう?私は何がしたいのだろう?

改めて考えてみると、40ン年もの間、
あまりにも何にも考えずに生きてきてしまったような
気がします。


資格もなし、体力もなし、特技も英語くらいしかない…
まずは自分自身のたな卸しから始めないとなあ。
まあ、焦らず諦めず、が私のモットー。ぼちぼちいきましょか。

ショック。

2005年12月06日 | 時には泣きたいこともある。
NHKの福祉ネットワークで、今週
障碍のある人の体験手記の紹介をしています。

今日はADHDのあるお母さんが、自分と子どもの障碍に向き合う、という
テーマだというので、見ていました。

ニキ・リンコさん訳「かたづけられない女たち」を読んで、
自分の持つ困難に気がついた、というそのお母さんの家が
映っていましたが、
「ちらかっている」「足の踏み場もない」と形容されるその家は、


我が家よりずっと片付いていました。


トランプ

2005年12月04日 | Wonder of Autism
今日はいつもお世話になっている、教育大でのセッション。
簡単なゲームで遊ぶスキルをつけられないか、という私の提案を
取り入れてもらって、最近は「古今東西ゲーム」や「神経衰弱」などで
先生たちと遊ぶ、という課題も含まれています。

さて、今日は、先生の提示した「七ならべ」と「ばばぬき」のうち、
息子は「ばばぬき」を選びました。

そこで先生、おもむろに息子に全てのカードを手渡して、
「ちびくまくん、みんなにカードを配ってね」
おーっと。先生、いきなりそういきますか。

すると、「はーい」とそれを受け取ったちびくま。
ひとつの山にしたカードを、適当にわけて、それぞれの先生に
手渡しました。
私はモニター室で大うけ。

困った先生、「ちびくまくん、先生たちは同じ数がいいなあ」
ちびくまも困った様子。
さらに助け舟を出そうとした先生、
「ちびくまくん、先生たちに1枚ずつカードを配ってね」

すると、ちびくま、全ての先生たちに「1枚ずつ」カードを渡して
残りのカードを中央に積み上げました。
先生はほとほと困った様子。
私はもう、モニター室で椅子から転げ落ちそうになりながら
大笑いしていました。

だって、ちびくまは、「トランプをみんなに配る」には
どうすればいいかがわからなかっただけで、
先生の言うことを文字通り、一生懸命実行しようとしていたからです。

「トランプをみんなに配る」、単純なようですが、
実は、(1)全てのカードを片手に持ち、
(2)みんなから見えないように数字の面を下にしたままで
(3)1人1回1枚ずつ
(4)全てのカードがなくなるまで
(5)同じ順序で配る
という複数の要素が含まれています。

ちびくまのような子どもにそのスキルを教えるには
その要素を1つ1つ丁寧に教えなければならないのです。
もっとも、ちびくまならば、大人の真似をすることで
そこにある規則性をある程度察することができるので、
2周ほど、先生が配って見せてくれて、「続きをお願い」と
言ってくだされば、できたかもしれませんが。

ただ、ちびくまだから、そして、こういう場所だから
「どうしてできないんだろう」と考えてもらえるけど、
もっと知的に高くて、言葉も達者な自閉っ子が同じ事をしたら
「ふざけている」「どうしてこれくらいのことがわからなのか」
となってしまい、場合によっては叱られたりしているのかも
しれないなあ、とも思いました。

セッションのあと、ちびくまがどうしてできなかったのかを
解説すると、先生たち、すごく納得がいったようでしたが
発達障碍児を専門にしている大学院生の先生たちでも
こういうことを見落とすことがあるんだから、
やはり長年自閉っ子に付き合っている保護者の勘、とか
インプットとかは、療育に欠かせない要素なのかもしれません。