雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

背中を押すとき(その3)

2009年11月07日 | 楽しい学校生活
さて、先生を送り出した息子は、あれほど登校をしぶって
いたのが嘘のように、
「おかあさん、12時半に行くんだったら、何時に
 お昼ごはんを食べたらいいかな~」
と言い出しました。
「そうだねえ。12時半に学校に着くようにしようと思ったら
 何時何分におうちを出発したらいいと思う?」
「えーと、12時20分」
「じゃあ、11時45分くらいにお昼にしようか」
「うん」

お昼ごはんを食べて、制服に着替えると、息子は
「さあ、合唱コンクールだ」
と自らに気合を入れるように言いました。
「やっぱりお母さんも行くの?それとも1人で行く?」
「お母さんも一緒に行く」

入学式の翌日から、「ぼくは1人で学校に行ける」と宣言して
普段は決して私と一緒に登校しようとはしない息子が
私に一緒に行ってほしがるというには、それだけ息子の
気持ちが弱っていることの証拠のように思えました。

学校に着くと、K先生は校門のところで待っていてくれました。
「よう頑張って来てくれたな。先生嬉しいわ」
「はい」
「合唱できそう?」
「できます。頑張ります」

障級の教室に入って、もはや吹っ切れた表情になった息子のところに
交流級の女子が3人、「Mくーん、一緒に練習しよ!」と
迎えに来てくれて、息子は教室に向かいました。

私は少し時間をつぶしてから、合唱コンクールの会場である
体育館に向かいました。
息子はもう交流学級の中に入って着席しているようでした。

合唱は1年生から始まります。まず学年合唱、それからクラスごとの
合唱。まだ、小学生くささを残したあどけない1年生、
学年閉鎖の影響もあって、あまりまとまらない印象です。
次は2年生。やはり学年閉鎖のため練習が足りなかったのか、
1年生よりはうまいけれど、合唱としてはもう1つまとまっていない感じ。

いよいよ3年生の学年合唱の出番になりました。
ステージに上がった息子の顔を見ると、なんとマスクをしたまま
(インフル対策のため、着席中はつけることになっていた)。
でも、まっすぐ立って堂々と前を向いた姿からは
もう弱気な態度が消えていました。
次に1クラスごとの合唱、息子のクラスは最後から2つ目。
誰かが指示してくれたのか、今度はちゃんとマスクもはずしています。
もともと35名の小規模クラスに欠席者もいて、なんとも
小ぢんまりとした集団でしたが、合唱が始まると、
会場がしーんと静まりかえりました。
「春に」という曲自体がすごくいいのですが、それを別にしても、
なんともいえず柔らかで温かなものが胸にあふれるような
ハーモニーでした。息子もとてもいい顔をして歌っています。

自信をなくした息子をわざわざ迎えに来てくれた女の子たち、
それを冷やかしたりからかうこともなく、あたりまえのように
ちょっと変わった仲間として扱ってくれる男の子たち、
そしてそれを裏からしっかり支えてくれる交流担の先生、
息子がいつも味わっているのであろう、温かな陽だまりのようなクラスの
雰囲気が伝わってきて

不覚にも目に涙がにじんでしまいました。
3年生のクラス合唱は厳しい練習の成果か、さすが最高学年と思えるほど
それぞれにとても美しく、わが子の成長を感じてか、周りでも目頭を押さえる
親御さんの姿がちらほらありました。

結局、最優秀賞は3年生の別のクラスが勝ち取り、
息子のクラスは全体では2位の成績でした。

交流級のみんなに混じって後片付けまでをこなして
「文化祭、がんばった~。合唱も大きな声で歌えた~」と
言いながら帰宅した息子の顔は、今朝とはまるで別人のように
晴れ晴れとした自信に満ちた笑顔になっていました。
「もう頑張れない」と座り込んだときに、沢山の人に支えられ
助けられて、もう一度勇気を振り絞って壁を乗り越えたことで
息子の得た達成感はとても大きなものだったのでしょう。

心が折れかかったときに、やみくもに背中を押すのではなく、
まるでやわらかく包み込むかのように、私の元から抱き取るかのように
そっと息子の背にあてられる、やさしい温かな手の持ち主が

私以外にも息子の周りには沢山いることをあらためて感じ、
この学校に入学させて本当によかったと思ったのでした。

背中を押すとき(その2)

2009年11月06日 | 楽しい学校生活
玄関でK先生が
「こんにちは~!Mくん、具合どうや~?」と声をかけて
部屋に入ると、息子はパジャマのまま、布団の上に座って
照れたような笑顔を見せました。
「えっと、お熱はないんですけど、まだお咳がでます」
そう答える息子の前に先生は座り、
「でも元気そうやん。良かったわ。
 なあ、Mくん、今日なあ、先生、Mくんに来てほしかってん。
 合唱だけでも出て欲しいなあ、って思ってんねん。
 だって、練習すごい頑張っとったやん。T先生(音楽の先生)も
 ちゃんと歌えてる、って言うとったで。
 H先生(交流担)も楽しみにしとうねん。
 クラスのみんなもMくんに来て欲しいなって待っとうで。

 お咳が出るっていうけど、今まで先生とこうやって
 お話ししてる間も殆ど出てへんし、
 それくらいの咳をしてる子は他にもおるから、
 友達にうつす心配もせんでええで。

 なあ、今から先生と一緒に学校行かへんか?」

穏やかに、でも切々と息子の気持ちをほぐそうとする先生の顔を
ちらちらと見ながら話を聞いていた息子はそれでも首を横に
振りました。

「あかんか。でも、先生、もうずっと給食1人で食べてるんやで。
 1人で食べるの、寂しいわ~。給食食べに来てくれへんか?」
息子はうつむいたまま、また首を横に振りました。
でも、文化祭のスケジュール表を指差して、小さな声で
「ここから行きます」と言いました。

彼が指さしていたのは、午後の「合唱コンクール」の欄でした。
「お昼から行くの?じゃあ、合唱コンクール出る?」
私が訊くと、息子は今度はしっかりとうなずきます。
先生も笑顔になって、
「そうかあ。良かったあ。先生、Mくんが来てくれたら嬉しいわ。
 H先生も、クラスの子も喜ぶと思うで。
 なあ、どうせなら、給食も一緒に食べへんか?」

でも、息子はそれにはやはり首を振り、
「お昼ご飯をお家で食べてから行きます」
「そうか。じゃあ、給食終わったら、1組は最後の練習する、って
 言うとったから、12時半に来れる?」
息子はこくん、と頷きました。
「1人で来れるか?」
「おかあさんといっしょに行きます」
「わかった。じゃあ、約束やで。先生待ってるから」
「はい」
息子は小さな、けれどもきっぱりとした声で
今度は先生の顔を見て返事をしたのでした。

背中を押すとき(その1)

2009年11月05日 | 楽しい学校生活
さて、1夜が明けて。
文化祭当日になって、「やっぱり頑張る」と息子が言い出してくれるのを
ちょっと期待していた私だったのですが、

いつも学校へ行く時間通りに起きてきた息子は、
「さあ、K先生にお電話しようっと」と私の携帯を持って
電話をかけ始めました。ところが、先生には繋がらない様子。

K先生は吹奏楽部の顧問です。この日、午前の部の一番に
ミニ演奏会を開く吹奏楽部の子達の指導で、今はてんてこまいに
忙しいのに違いありません。

息子は2回トライしましたが、やはり先生には繋がらず、
「また後にした方がいいよ。先生にはお母さんの電話から
 かかってきたってわかってるから」
私がそう言うと、息子は「うん」と言ってまた布団に
もぐりこみました。先生に電話が繋がらなくても、気持ちを
変えることはないようです。

そこへ、K先生から折り返し電話が入りました。
私が、息子が今日も欠席したいと言い張っている旨を伝えると、
「そうですか。わかりました。お大事にしてください」と
あっさり電話が切れました。今は本当に忙しいのでしょう。

ところが、数分後に先生からメールが。
「吹奏楽部の出番の後、お宅に伺ってもいいでしょうか」

それを息子に見せて、「お母さんも吹奏楽部は見に行きたいなあ。
行ってきていい?」と訊くと、
「うん。いいよ。ぼくはお留守番しとく」
と言うので、私は1人学校へ向かいました。

お目当ての吹奏楽部の演奏を聴いてから、校門でK先生が
出てくるのを待って、一緒に家に向かいます。
息子のインフルはもう治っているけれど、体というよりまた気持ちの
問題で学校に行けないということはK先生にはもう通じていたようです。

今年の合唱練習は、最高学年になったということもあり、
学年合唱も、クラス合唱も、難易度の高い曲になっていました。
この校内合唱コンクールで上位2位に入ったクラスは、
市の中学合同音楽祭に学校代表として出演し、
市の文化ホールの舞台に立てることになっています。
これが卒業式以外で最後の大きな学校行事になる3年生に
その大舞台に立てる体験をさせてやりたいという親心でしょうか、
音楽の先生をはじめ、先生たちが生徒たちの練習に向ける言葉は
かなり厳しいものがあったようです。

とりわけ、「声が小さい」という指摘は、息子には堪えたに
違いありません。
児童博物館のおもちゃ貸し出しコーナーで、「○○を貸してください」と
言った声がまるで蚊のなくような声だったということを
ボランティアさんに叱られ、「もっと大きな声で言わないと貸せない」と
まで言われて、借りること自体を諦めたこと。
(これは私が責任者に抗議し、正式に謝罪と、再発防止の研修の
 実施を約束してもらいました)
小学6年生のとき、卒業式の「呼びかけ」の練習で
大きな声が出せていないことを理由に、障級の「おわかれかい」に
出席させてもらえずに呼びかけの練習をさせられたこと。
(当の先生からは私に対し、「本人も納得のうえ、練習を選んだ」んだと
 事後承認の形で説明がありましたが、本人の後の言動から推測すると、
 それまでも先生に何度も声の小ささを 「注意」されていたので、
 逆らえなかった、というのが本音のようでした。息子のこうした
 デリケートな心のひだに気づいてもらうことができずに
 息子の心に大きな傷を残してしまったことが
 私の心にもいまだにわだかまりとして残っています)

息子にとっては「声が小さい」という言葉は、今は息子個人に
向けられたものではないけれど、彼にとってのさまざまな
トラウマを刺激される、辛く痛い言葉だったのでしょう。
苦手な集団活動の連続に、心のくじけが重なったところに
インフルで体もやられてしまったために、
「頑張る」心のエネルギーが枯渇してしまったのかもしれません。

そんな息子にただ熱い激励の言葉をかけ、登校させようとするだけの人なら
今の息子にあわせるべきではないと思うのです。
でも、K先生なら、息子が何かに傷つき、心がくじけた状態で
あることをわかっていてくれるのでは、という私の推測があたっていて、
そのうえで息子ともう一度話してみようと思っているのだということが
わかって、私も安心して、先生と一緒に帰宅したのでした。



インフルは治ったけれど

2009年11月04日 | 楽しい学校生活
土曜日のお昼には熱が下がった息子。
登校の目安は解熱後2日以上経っていること、なので
火曜日の祝日をはさんで今日には
余裕をもって登校できると思っていました。

ところが、思いのほか咳がよく出ていたので
大事をとってもう1日休ませることに。
合唱コンクールの前日ですが、仕方ありません。
音楽の先生の評価でも
もう音はしっかり取れている、ということだったので
なんとか頑張ってもらうしかないでしょう。

息子も
「明日は文化祭だね。合唱コンクールを頑張らなきゃ」
と何度も口に出していました。
ところが。
なんだかそのトーンが夕方から下がってきたのです。
「明日は文化祭本番だね。行けるかなあ」

「もう大丈夫だよ。お咳もだいぶよくなったからね。
 せっかく練習したのに、本番に出られないと残念だもんね」
私がそう言っても、
「うん…」と気のない返事をして、おもむろに体温計を取り出して
体温を計ってみたり(もちろんもう平熱)、
わざとゴホンゴホンと咳き込んで、私のほうをちらちら見たり…。

息子は自閉っ子には珍しいくらい、学校行事大好きっ子です。
参観日や運動会・体育大会、音楽会・文化祭、どんなときにも
本番だけはものすごく張り切って、いい笑顔で参加してきました。

昨年の文化祭も当日は熱を出してしまったけれど、
それでも「合唱だけは出たい」と午後から登校したほどでした。

その息子が、明日の文化祭本番を休みたがっている、というのは
私にはかなり驚くべきことでした。
そこで、少し背中を押してみることにしました。
「ねえ、おかあさん、僕、明日行けるかなあ…」
と自信なげに言う息子に、
「うん、もうお咳も出なくなってきたしね、お熱も
 下がって元気も出てるから、大丈夫だよ。
 合唱コンクール、楽しみだねえ。
 これまで一生懸命練習してきたんだもんね。
 2年生のときはお昼からだけ行ったから、
 3年生のときは朝からちゃーんと行きたいよね」

すると、意外にも、息子は心を決めたように、
きっぱりとこう言ったのです。
「お母さん、僕は明日はまだ行けない。お休みしたい。
 まだ元気でない。文化祭、お休みする」
これには私もびっくり。
「え?学校、行かないの?全部お休みしちゃうの?」
「うん。お休みする」
「じゃあ、去年みたいに、お昼から合唱だけ行く?」
「ううん。合唱もお休みする」

ええええええーーーーーっ?行事の当日に行きたがらないって、
キミでもそんなことあるの?
私はただただ言葉を失うばかり。

でも息子は自分の思いを言葉にできてすっきりしたのか
「じゃあ、明日ぼくK先生にお電話するね。
 文化祭、しんどいのでお休みします、って」
にこにこしながら床についたのでした。