雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

歯医者さん

2006年01月31日 | 驕らず焦らず諦めず
今日はちびくまを連れて歯医者へ行きました。
以前は歯磨きを断固拒否し、私が毎晩歯ブラシを持って追いかけて
押さえつけて磨いていたのですが
最近、息子は毎晩寝る前に自ら「歯を磨いてこようっと」と
洗面所へ行くようになりました。
それと同時に、私の仕上げ磨きは絶対に拒否。
体が大きくなって力も強くなり、もう力づくは通用しなくなりました。
心配なので洗面所にいる時、そうっと覗いてみると、
「口内過敏の自分が痛くないように」そーっとなでているだけ。
もともと口の中にものが入るのが許せなくて
スプーンも使えなかったような子ですから、
奥歯なんてほとんど磨いてないのが外から見てもわかるのです

あまりに心配なので、私が通っている歯医者さんに相談して、
検診と奥歯のシーラントをお願いすることにしました。

一度は納得したものの、ものすごーくプレッシャーが
かかっている息子。
ガチガチになって診察椅子に座ります。
最初は頑張って口を開けるものの、物や先生の指が口に
入ってくると、ほとんど反射的に口を閉じてしまいます。
先生は何度もちびくまに指を噛まれながらも
穏やかに説明し励ましながら処置をしてくれて、
とりあえず2本の歯だけシーラントが出来ました。

先生も大変ですが、息子も涙を流しながら頑張りました。

今後も継続して何度か通って、できる限りの処置を
してもらう予定です。
でも見せてもらったら、ほとんどの歯が乳白色に濁って
「虫歯になる1歩手前」と言われてしまいました。


歯磨き指導もしてもらおうかしら~


仲良し

2006年01月27日 | adorably autistic
ちびくまは、小学校に入ってから、毎年「いちばん好きなお友達」が
クラスにいました。

1年生のときは、同じ障級の4年生のおねえちゃん。
2年生のときは、交流級の女の子、Mちゃん。
3年生のときは、やはり交流級の女の子、Sちゃん。

4年生になったおととしの春、同じ障級に入ってきた
1年生の可愛い男の子、Tくんが大好きになりました。

教室から外へ出るときは、どこへいくにも、
「ちびくまくんがつれていってあげる」と言って
Tくんにさっと手を差し出し、手をつないでいこうとします。
帰りのバスに乗るときも、Tくんと手をつないで
Tくんのバスまで連れて行き、Tくんが乗り込んだのを
確かめてから自分のバスに乗ります。
運動の好きなTくんに誘われると、苦手なボール遊びにだって
ちゃんとつきあいます。
もちろん、障級の遠足の時には、バスの中では
Tくんと並んですわり、カメラを持った先生には
ツーショットの写真をとってもらっています。
人懐っこいTくんは、ちびくまがそうやって
自分にかまうのを喜んでくれるので、2人はとても
仲良しになりました。
それまで毎年代わっていた「仲良し」でしたが、
「Tくんが一番好き」は、5年生の今も続いています。

さて。今日、感覚統合訓練のために療育センターに行くと
駐車場に入るなり、ちびくまが嬉しそうに
「おかあさん、だれがきてる?」

大好きなTくんのお母さんの車がとまっていたのです。
ちびくまはあわててセンターに入っていくと、
「どこかな~、どこかな~」と言いながら
教室を順番に隙間からそーっと覗いていきます。
やがて消去法で一番奥の部屋らしいと気が付いたようで、
その部屋の前で、ニコニコして待っていました。

しばらくして、Tくんがお母さんと一緒に出てくると、
ちびくまは嬉しくてたまりません。
Tくんはちびくまより気になっているものが他に
あったらしくて、ちびくまの前を素通りして
他の教室に入ってしまったのですが、
おとなしい性分のちびくまはそれを止めたり
追いかけたり、ということがあまりできません。
Tくんの後をニコニコしながら付いていき、
その教室の外からやはりニコニコ笑ってじっとTくんを見つめています。
Tくんが遊んでいるのを見ているだけでも嬉しい、という様子。

息子のその姿を見て、ちびくま担当のOTの先生は
「まるで片思いの相手を隠れてこっそり見ているみたい~」と
大うけしていました。

Tくんも学校以外の場所でちびくまに会ったので
ちょっとびっくりしていたみたいですが
帰るときには自分から手を出してちびくまと手を
つないでくれたので、ちびくまは溶けそうな笑顔になっていました。

その日の帰り、ちびくまは車のなかで何度も
「おかあさん、きょうは、Tちゃんにあえてよかったね~
本当に嬉しかったようです。


「ひとつ間違うとストーカーみたいだな~」とは思いつつ、
Tくんに会えただけでウキウキ嬉しそうな息子に
なんだかほっこりしてしまったのでした。

クッキングスクール

2006年01月26日 | 楽しい学校生活
ちびくまの在籍する学校では、週に一度、障級5クラス合同での
調理実習の時間があります。
交流級(通常学級)に入っての一斉授業(介助つき)、
障級での個別指導に加えて、様々なニーズを持つ子どもたちが
集まって小集団で行うプログラム(リトミック・作業学習・歩行訓練・
動作法、etc.)の1つです。

ちびくまは、この時間を、指導してくれる隣のクラスの先生の名前をつけて
「Mクッキングスクール」と呼び、楽しみにしているようです。
手順が具体的に示すことができ、「できた」という達成感もあり、
おいしく食べられる「調理」は、子どものやる気を引き出しやすい
生活スキル課題です。

自閉ちゃんのご多分にもれず、偏食大魔王のちびくまなのですが、
なぜか自分たちで作ったものだと、普段は食べないようなものでも
頑張って食べることが多いのです。
普段の給食や、こうした体験を積むうちに、本当に少しずつですが
食べられるものが増えてきました。

今日のメニューは春雨スープ。
ちびくまは、野菜を切る担当でした。
手先のとても不器用な彼も、先生に手伝ってもらって
頑張ります。
できたスープはお代わりしてもりもり食べたようです。

ホリエモン騒動

2006年01月24日 | adorably autistic
昨夜のテレビはホリエモン逮捕のニュースでもちきり。

隣の部屋で我関せずで遊んでいた息子ですが、
東京拘置所にホリエモンが着いた、という中継画像を見て
「あ!」と叫んでTVに駆け寄り、こちらを振り向いて一言。

「アルファードだね~」

さすがに君は目のつけどころが違う。

雪の朝

2006年01月23日 | 時には泣きたいこともある。
今朝目が覚めて窓の外を見ると、真っ白。
夜中に雪が積もったんですね。
でも、今回は約1センチ。2学期の終業式の日のような
大事にはならないだろうと思いました。

とりあえず時間どおりに家をでます。
いくらスタッドレスを履いていても、途中でチェーンをつけなきゃ
いけない状態になっていたら(市内でも奥のほうはもっと
積雪がすごいかもしれないので)5分10分の遅れは
当然あるだろうと思い、ちびくまには
「今日は雪が積もっているから、バスは少し遅くくるかも
 しれないね」と予め話しておきました。
ちびくまも、前回の経験があるので、今度は「バスまだこないね」
とは言うけれど、泣きが入ったり(パニック)はありません。
こうして、1つ1つの経験が彼の頭にはこの世の中と
付き合っていくための「データとして」蓄積されていっているのでしょう。

でも、5分が10分、15分が過ぎてもバスはやってきません。
そこへ障担からメール。
「雪でバスがかなり遅れているようです。○くんの家を出たら
 ワン切りでそちらに連絡入れてもらうように頼んであります」

ちょうどそのメールの直後に携帯のコール1回。
ちびくまの前に乗るお子さんの家を今出たようです。
ここまで来たら、もうすぐです。
かなり時間的には遅れているので、道の方まで出て待ってたほうが
いいかな、と思い、ちびくまに声をかけて歩き始めたところへ
添乗員さんが走ってきました。
うちのマンションはエントランスの前につけるには
スロープを上がってこないといけないので、スリップしそうで
怖いと運転手さんが言って、下の公道で待っています、と。

やっとバスに乗れたちびくまの手は、私がずっとさすっては
いたけれど、冷え切って真っ赤になっていました。
ちびくまを乗せてバスが出たところで、学校に連絡を入れ、
とりあえずやれやれ。

後で聞いたところでは、雪自体はそれほどでもなかったのだけど、
途中の道で、立ち往生している車や、スリップ事故を起こして
道をふさいでいる車のせいで、大渋滞になっていたのが原因だとか。

だ~か~ら~。
この「関西のシベリア」と呼ばれるところで、
雪道をノーマルタイヤで走ったりするの、やめましょうよ。

受動型であることについて

2006年01月18日 | 「発達障碍」を見つめる眼
今また「ことばと発達の学習室」の掲示板の過去ログを
読み直しています。他の訪問者さんたちの書き込みや
自分の過去の書き込みから、また新たな発見があったりします。
何度読み返しても学ぶものがある過去ログです。

そんな中に、2003年8月に自分がこんなことを書いてたのを
見つけました。(原投稿中の固有名詞は伏せさせていただいています)

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ご本人の口から語っていただくと、「なるほど~」と思いますね。
特に○○さんのおっしゃった「マイルドになった積極型」という感じ、
とてもわかるような気がしました。

私は個人的には、社会性がどの「型」と診断される子どもであっても、
その子の感じ方やあり方、つまり「自閉者としての文化」を尊重しながら育てられれば、
非自閉の社会とガンガンぶつかって傷だらけになることなしに、
それぞれ「マイルドになる」のではないかと思うのです。

マイルドになる、というのは、「自閉者でありつつ、
非自閉者仕様になっているこの社会との、自分なりの接点、
折り合いのつけかたを身につける」ということです。

ただ、元々が「孤立型」であった場合や、
元々が「受動型」であった場合には、むしろ「積極的に
人や環境と関わるようになった」という形になるでしょうから、

元々が「積極奇異型」であった子が、周りの環境や
人とうまく折り合いがつけられるようになってきたことだけが
クローズアップされて「受動型になる」というような
言い方をされるのではないかと。

●●さんの実感とはだいぶ違うのでちょっと自信がなくなってきたんですが
私は息子をずっと「受動型」だと思ってきました。
自分からは関わっていけないが人から関わってくれると大丈夫、という点では
「受身」とも言えるんですが、私自身は「受動的」というより
「受容的」と言ってくれないかなあ、そのほうがぴったりくるんだけどなあ、と
思うことがよくありました。

まわりの、典型的孤立型や典型的積極奇異型のお子さんと比べると、
対人関係が「ニュートラル」というか、社会性に問題があることが
「目立ちにくい」タイプ、
集団の中でもあまり大きな問題がなくて、「手のかからない子」として
ややもすればほったらかし、後回しにされてしまうようなタイプ。

他のタイプと比べると、非自閉者にとっては「とっつきの良い」タイプでは
ないかと思います。
それが、他のタイプの方から見ると「同じ自閉者なのに社会で受け入れられやすい」
という評価になるのではないでしょうか。

でも、(私が思っている)受動型の息子も、人に関わろうとすればやはり
一方的だったり奇妙なやり方だったりしますし、環境によっては
周囲を遮断して「自分の世界」を守ろうとしたりします。

そういう意味では、非自閉者にも内向的な人や社交的な人、
他罰的な人や自罰的な人、賑やかな環境を好む人や静かな環境を好む人が
いるのと同じように、

自閉者にも「人との関わり方」にそれぞれ個性があって、それを
非自閉の側から一方的に種類わけしたのが「孤立型」「受動型」
「積極奇異型」なのではないかと思ったりするのです。

ですから、私達親が、「子どもが何型と呼ばれるか」に振り回されるのは
本末転倒ですし、例えば「受動型にすること」を目標に療育をしよう、と
したりするのはナンセンスではないかと思います。

むしろ、●●さんがおっしゃるとおり、もともとの「**型」なりに
非自閉社会との折り合いのつけ方を学ぶ援助をしていく、というのが、
親にできる「療育」ではないかと考えるのです。

「受動型」の子どもだからこそ「受動的」にならないように、
自分で選んで、自分のものと言える生活を送って欲しい、と
願いながら、私は息子を育ててきたつもりです。

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「問題をおこさない子」だからこそ、より丁寧に、より
本人の気持ちに寄り添って育てることの大切さ、
改めて自分に言い聞かせておきたいと思います。

学級閉鎖

2006年01月17日 | 楽しい学校生活
昨日のお昼過ぎ、障担から携帯に電話。
そろそろインフルがはやり始めてるとは聞いていたので
「すわ、学校で発熱?」と思ったら、
「障級の肢体クラス以外の16人のうち、7人までインフルで
お休みになったので、17・18日の2日間、学級閉鎖に
なります」

へ?学級閉鎖?
以前、交流級は学級閉鎖でお休みだけどちびくまは障級在籍なので
学校へ行った、っていうことはあったんですが
逆もあるのね~。

で、今日はちびくまは家におります。
風邪もひかず、ぴんぴんしてます。
学校で先生にはちゃんと説明してもらって「学校が休み」ということには
納得がいったようで混乱はないようです。
…元気をもてあまして退屈してるので、相手が大変。

でも、「なぜ学校がお休みなのか」が理解できないお仲間は多そうなので
その子達のお母さんはもっと大変かも。

講演会に行ってきました。

2006年01月15日 | 「発達障碍」を見つめる眼
神戸で開かれた、吉田友子先生の講演会に行ってきました。
吉田先生は、私の大好きな本、「その子らしさを生かす子育て」(中央法規)を
書かれた方です。

さすがに事前申込みで既に定員に達したとかで、会場は満員でした。
吉田先生は、テレビにもお出にならないし、著書にも写真が
ないのですが(先生のポリシーだそうです)書かれる文章から
受ける印象以上に、とてもたおやかで優しそうできれいな方でした。
凛とした強さ、とでもいうのでしょうか、何事にもポリシーを
はっきりさせて、誠心誠意向き合う方のようにお見受けしました。

およそ6時間の講演、聞くほうもお尻が痛くなりましたが
お話されるほうはそれ以上に大変なことだと思います。

私が先生のお話で一番印象に残ったのが「受動型のリスク」に
ついてのお話です。

受動型の子どもは、指示には従えるし、我慢もするし、
従順で「問題のない子」と考えられがちだけれど、それゆえに
限界まで行ってしまって、爆発することがあるのだということ。

最近の「発達障碍ブーム」(とあえて言ってしまおう)の中で、
「教室で問題行動を起こす子ども」にばかりスポットが当たりがちな
風潮があるなかで、教育・福祉の分野の人も沢山集まったその席で
「問題を起こさない子」の抱える辛さ、リスクについて
先生が言及してくださったことを、とても嬉しいと思いました。

ちびくまは、たぶん受動型です。もともと穏やかでおとなしい
性格でもあると思います。
でも、それゆえに、「手のかからない子」として放置され、
注意が向けられるのは「不適切な行為をしてしまったとき」しか
ない、というのが、通園施設時代、私の一番の不満でした。

おかげで息子は達成感も自己有能感ももてないまま、1年を
過ごさなければなりませんでした。
小学校に入って、息子を「ガラス細工」と表現してくれる先生に
出会って、とにかく丁寧に、本人の気持ちに沿って
支援してもらえるようになると、息子の表情は見る見るうちに
別人のように明るくなりました。
今の学校が息子にとって最も良いところは、「手のかからない子にも
きちんと手をかけてくれる」ということです。

ちびくまはいつも強い感覚過敏と不十分な言語理解の中で
周りを一生懸命見ながら周りに合わせて動こうとしています。
一見、「多少ついてこれないところもあるが特に大きな問題を
起こすわけでもない」子どもが、見えないところでどれだけ
頑張っているのか、そのことをわかってくれる人にでなければ
息子を安心して託すことはできません。

これから息子の進路を考えていくうえで、そのことに
気が付いてくれる人、環境に出会えればいいなあ、と思います。

私が大切に思っていたことを、第1線の先生に再確認させてもらった、
そんな感じがしました。
久々に「行ってよかった」講演会でした。

吉田先生の講演をお聞きになれる機会がありましたら、皆様もぜひ。
あくまで「当事者の気持ち」に寄り添った明快な論理と
ユーモアを交えた聞きやすいお話しぶりで、大変お勧めです。


「ことば」をはぐくむ環境

2006年01月13日 | 楽しい学校生活
ここにもいろいろ書きとめておりますが、ちびくま、最近
富にことばが達者になってきました。
小学校入学の時点では、基本的に1語文、しかも要求を表す
発語がほとんどだった、と言っても、今では信じてもらえない
こともしばしばです。

ただ、それは「聞き覚えたことば」を少しアレンジして
場面に合わせて使っているわけで、機能的遅延エコラリアの
延長と言えるだろうと思いますし、
いわば絵カードの代わりに「頭の中に録音」した言葉を
使っているわけで、決して「言語能力」が高いわけではないんですが

ただ「コミュニケーションの意欲」という点では、ちびくまは
結構高いものがありそうです。

アメリカにいた頃も先生の指導を盗んだり教えてもらったりで
「ことば」を育てるための工夫はいろいろしていましたが

何より小学校に上がってからぐんとことばが伸びたのは
とりもなおさず、息子にとって「伝えたい(楽しい)こと」が山盛りあり、
「伝えたい(大好きな)相手」がいつも傍にいて、
「伝えればいいことがある」というご褒美がいつも手に入る環境だったから、
という気がしています。

挨拶ができるようになったのも、彼にとって人間は信頼できるもので
だからこそ「きちんとした挨拶をして、感心されたい、褒められたい、
認められたい」という気持ちが芽生えたからのような気がするのです。

昨年からガイヘル制度を利用するようになって、
母は送迎だけして、どこに行ってなにをするか、は
本人とガイヘルさんで話し合ってもらうようにしたことも、
息子の「言葉で伝えること」への意欲を増大させました。
だってガイヘルさんは「伝えれば願いを叶えてくれる」人。
親よりもずっと辛抱強く根気強く、子どもにつきあってくれます。
おかげで息子は、最近は母とのお出かけとガイヘルさんとのお出かけを
うま~く使い分けるようになりました(笑)。

昔、息子がまだ言葉を持たなかった頃、でも「言葉を教える」よりも
「伝えたい気持ち」を育てるほうが先なのではないか、と言って
「雲をつかむような話でごまかして、子どもの可能性をつぶしている」と
言われたことがあったけれども、あの時そう感じたことは、
少なくとも息子に対しては決して間違いではなかったのでしょう。

最近発達障碍に注目が集まって、いろいろな情報が本当に簡単に
手に入るようになったけれども、それはひとつ間違えば、
「指導のテクニック」だけを学んで、当事者である発達障碍児・者の視点を
見過ごすことになってしまわないか、と危惧を抱くこともあります。

「ことば」を「教える」ことも大切だけれど、「ことば」を
「はぐくむ」環境、ということは、もっといろいろな場面で
考えられてもいいことなのではないかと思っています。
もちろん、この場合、「ことば」とは「音声言語」に限りません。

始業式

2006年01月10日 | 楽しい学校生活
今日から3学期。
昨日からハッスルモードに入っていたちびくま、
朝、送迎バスに乗るなり
「しんねんあけましておめでとうございます。2006ねん、
 へいせい18ねんもよろしくおねがいします」
と挨拶。

添乗員のおばちゃんに
「ちびくまくんは、ほんまにおりこうやな~」と
頭をぐりぐりされておりました。

午前中だけで帰宅した息子に、
「学校どうだった?」と質問すると
「たのしかったよ~。ばばぬきしたの」

なんで始業式にババ抜き?…と思ったら、始業式と
交流級での係決めが終わった後、まだ時間があったので
障級へ戻って介助の先生のヘルプを受けながら
ババ抜きをして遊んだらしいです。

ちびくまも今年は中学進学先を決めないといけないし、
来年の春にはいよいよ小学校卒業です。
なんだか過ぎていく時間を呼び止めたいような感じ。

私も気を引き締めていかねば、と思っています。