雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

重度知的障害者判定

2015年06月10日 | 「発達障碍」を見つめる眼
先日、初めて県の障害者職業センターに行ってきました。
目的は、「重度知的障害者判定」を受けるため。

会社から、「ぜひ受けてみてほしいのですが」と言われて、「なにそれ、おいしいの?」
状態だった私なのですが…

元々、特支高等部卒業後は継続B型の事業所に入り、「30歳までに就労できるようなチャンスがあれば」
などという、ゆるーーい就労希望だった我々親子。

施設から勧められて、同じ事業所の就労移行に移ってからも、本人の希望もあり、そのまま
継続B型の仲間と一緒に作業を続けるうちに、「これ、ちびくまくんにぴったりだと思うんですけれど!」と
言われる求人が出て、あわててハローワークに登録したら、あれよあれよという間に採用が決まり・・・
という怒涛の展開だったので、就労の仕組みや利用できる制度についてはホントに不勉強で来てしまったのです。

障がいのある人の雇用については、現在「障害者雇用促進法」という法律に基づいて行われています。

この法律上、「知的障害者」とは、障害者更生相談所などの判定によって交付される「療育手帳」(自治体によって
名称は色々ですが)を持っている人のほか、障害者職業センターで「知的障害者」と判定された人も含まれます。
つまり、療育手帳がなくても「障害者枠」で就職することは可能なのですね。

そして、知的障害者のうち、特に障害の重い人が「重度知的障害者」と定義されます。
この重度知的障害者には、療育手帳で障害程度がA・重度と判定されている人のほか、障害者職業センターで
「重度知的障害者」と判定された人も含まれます。

というわけで、療育手帳の有無や判定内容、障害者年金の判定とは全く別の基準で、「障害者雇用促進法上の
知的障害者」「障害者雇用促進法上の重度知的障害者」と認定されることがあるのです。

障害者の雇用促進のため、各企業には法定雇用率と言って、従業員のうち一定割合の人数の障害者を雇用する
義務が課されていて、これを満たしていない場合には「納付金」(罰金のようなもの?)を納めなくてはなりません。

逆に、障害者を雇用している企業には、その数や障害種別・障害程度、対応の内容などによって、各種の助成金が
交付されることになっています。

で、「障害者雇用促進法上の重度障害者」は、ダブルカウント、つまり1人雇えば2人雇っているのと同じ
扱いになるので、企業にとっては経済的メリットがいろいろあるらしいです。
障害が重ければ重いほど、採用される機会が限られる、という現実に鑑み、重度の人が少しでも雇われやすいしくみに
なっている、ということなのでしょう。(息子の場合はすでに雇用されているので大きなメリットはないように
思われますが)

重度障害者にあたるかどうかの判定は、最寄りのハローワークを通じて申し込み、障害者更生相談所などで
IQ判定を受けている場合はその結果、それに社会的生活能力についての調査票(本人または保護者記入)、
カウンセラーとの面接、作業検査の結果を総合的に判断して行われるようです。

息子は、判定時には「Mさんはとてもきもちのいいお返事ができますね」と褒めてもらったので、嬉しそう。
久しぶりに、平日仕事を休んで、大好きなバス(そこか!)を乗り継いでの外出、ということで、それなりに楽しめたようです。
担当カウンセラーさんは、息子の試用期間後、本契約移行の際にも立ち合い、企業側と話をした方だということで、
「頼んだ仕事を真面目に丁寧にやってもらって助かっている、とおっしゃっていましたよ」とほっとする言葉もいただきました。

結果は約1週間後に郵送、ということでしたが、息子は無事(?)「重度知的障害者」の判定をいただきました。(わはは)
記憶力だけがむやみに良いために、生活実感よりはずっと上の数値が出てしまう知能検査には
「本人の困り感や配慮の必要性が評価されてない~」と不満を持っているので、むしろ「職業上の重度」の文言には
「そうよそうよそうなのよ~」と喜んでしまったのですが

療育手帳の取得に抵抗があったり、療育手帳の判定が「中度」「軽度」と出ていた場合には、この「重度知的障害」と
いう表現に引っかかる方もあるかもしれません。でも、「就職および職業生活においてより配慮が必要な人である」と
いうことの証明、と思えば、納得もいくのではないでしょうか。


「頑張ります」と言うけれど

2010年01月15日 | 「発達障碍」を見つめる眼
今年は新型インフルエンザで休校や学級・学年閉鎖が相次いだ余波で
3学期が通常より2日も早く始まりました。

学期始めはいつものことながら「3学期も頑張ります!」と
大張り切りの息子。
初日から障担K先生や交流担H先生にも自分から
「あけましておめでとうございます」と挨拶に行き、
「ぼくはちゃんとごあいさつできた!卒業まで頑張る!」と
元気一杯に宣言。

…でも学校が始まって一週間、だんだん元気がなくなってきました。
表情も硬いし、なんだか私へのべったり度が上昇し、
どこか不安そうな様子で、こだわりも若干きつめ。
アトピーもみるみる悪化して、肘の内側や首筋に血がにじむように
なってきました。

学校では3年生は既に「高校受験」一色の生活。願書用の写真撮影から
願書の書き方指導、面接練習、出願のガイダンスまで
それはそれは懇切丁寧なサポートぶりですが、
受験を控えたクラスメートも、それを応援する先生も
どうしてもピリピリした空気が漂っているようです。

さらに障級の方でも、あと丸2ヶ月ほどしかない間に、これまで
やってきたことをさらにレベルアップしたり、
確実に身につけさせたりしておきたい、とK先生の方も
かなり力が入っている様子。

先生方の「這えば立て、立てば歩めの親心」はとっても
ありがたくはあるのですが、
それをされると期待に応えなければ、と実力以上に
頑張ってしまうのがうちの息子。言葉をしゃべらなければ、
それでもイライラと余裕のない様子や
普段と違う表情などから、ストレスを溜めていることが
わかるでしょうが

なまじ言葉がしゃべれて、「大丈夫です」「頑張れます」
「ぼくも頑張りたいです」と言ってしまうところがクセモノ。
「頑張れる?」「やってみる?」と言われて「頑張れません」
「やりたくありません」と言えないのが彼の弱点であるわけで…。

でも、フルマラソンで最初から飛ばしすぎるのと同様、
最初は快調に見えても、息子の場合いずれポッキリ
折れてしまうのが常。そしてやっかいなことに、一度折れると
そこから「無理をする前」のペースに戻すのにすら、
ものすごい時間と労力を要するのです。

そのことを如実に思い知ったのが、小6の3学期から
中1の1学期にかけての時期。
どんなに世話になっている先生であっても
どんなに善意から出たものであっても、
我が子に有害だと判断したものは
たとえモンスターペアレンツと呼ばれても
恩知らずとそしられても、体を張って
とめなければならなかったと今でも後悔している私は

今度はためらわず先生にブレーキをかけました。
「学校が好き、K先生が好き、クラスのみんなが好き、
 彼がその気持ちを持ったまま卒業の日を迎えることが
 中学時代の何よりの財産」
そんな私の言葉に耳を傾けてくれたK先生が
「今のままのキミでええよ」という思いを息子に伝えて
くれた途端、息子は重い荷物を降ろしたかのように

あっという間にもとの息子に戻りました。(わかりやすい!)
なんとアトピーも2日間でほとんど治まりました。
そんな息子を目の当たりにした先生は
「この状態を保ってあげ、卒業式に向けての充電を
 してもらいたいと思います」
と言ってくれました。

K先生は親の言葉に耳を傾けられる柔軟さと
「僕が焦っていました。すみません」と
自分の姿勢を見直す客観性と謙虚さを持っていてくれて
助かったけれど

一般には「熱心」な親や先生であればあるほど
「いやだ」と言わない子の
「頑張ります」「頑張れます」と言う子の
本当の怖さに気づくのは難しいのかもしれません。

「頑張ります」という言葉の表面に惑わされて
「支援者のための支援」「指導者のための指導」に
なってはならないということを
しゃべれる、しゃべれないにかかわらず、自分の感じ方と
「ことば」をうまくリンクできない自閉っ子たちの
「本当の思い」を探ろうとする努力を怠ってはならないと
いうことを

自閉っ子を取り巻く私達は常に忘れずにおきたいと思います。

「馴染みのない先生」だから・・・

2009年05月15日 | 「発達障碍」を見つめる眼
何日続くのかと思われた息子の自主休校でしたが、
翌日の水曜日には学校へ行き、木曜日には再度休み、
今日金曜日はまた学校へ行きました。

学校へ行ったのは障担のK先生が出張で1日学校にいない日のみ。
代わって息子の連絡帳を書いてくれたお隣の障級の先生のコメントは
「今日は日ごろ馴染みのない先生にも見ていただくことが
 多かったのですが、落ち着いて学習できたようです。」

まあ、普通はそう考えますよねえ。
障碍のない子でも普段と環境が変われば落ち着かないだろうと
思えるし、まして少しでも自閉症のことを勉強した人ならば
「自閉症の人は慣れない環境では混乱する」と
一般には言われているわけで。

でも、うちの息子の場合、
馴染みのない先生だからこそ「いい子」だと思ってもらおうと
一生懸命頑張ってしまうわけで。
息子を知らない人から見れば、「障担と一緒だとだらだらしているのに
他の先生が指導に入るとぴしっとしている」と
見えてしまうのです。

でも、息子が障担K先生の前ではだらだらしていられるのは
彼が先生を信頼しているからだと私は思っています。
「いい子になろうと精一杯頑張らなくても」
この人は自分を見捨てないとわかっているからこそ
頑張り過ぎない自分でいられるのでしょう。

息子がK先生のいない日に限って登校したのも
「病気でもないのに学校を休むことを認めてくれるのは
 K先生だけ」だとわかっているからだろうと
私は思っています。
この辺のアンテナは、息子に限らず、障害のある子は
非常に鋭いものがあるようです。

私は昔から
「私と一緒のときはできるのだから、家でできないはずがない。
 お母さんは甘やかしすぎです」
と叱られることが多かったですが、学校でも
「他の先生とだとできるのに、K先生は甘やかしすぎなのではないか」
との声はないわけではなさそうです。

でも、
「彼は、こうしてゆったりできる環境にしてやらないと
 学べないんです」
ときっぱり言い張ってくれる担任を持った息子は
本当にラッキーなのでしょう。

昨日の放課後は修学旅行の打ち合わせのために
K先生が家庭訪問をしてくれて
私と息子と3人でしおりを元に行程を確認しました。
月曜からはいよいよ修学旅行。
新型インフルの騒ぎが起こる中、無事いってこれるでしょうか。

5月病

2009年05月11日 | 「発達障碍」を見つめる眼
3年生になって1ヶ月。交流級の新しいクラスメートにも馴染み
(「クラスどう?」と訊くと「みんなやさしいよ」との返事)
障級の新入生たちの前では「お手本になるお兄さん」であろうとし、
荒れることもなく基本「いい子モード」で過ごしてきた息子ですが

今朝、目を覚ますなり、体温計で熱を計っています。
「どうしたの?お熱あるみたい?」
「うーん、わかんない」
マジですか~。まさか今はやりの新型インフルではないでしょうが…。
「36.4度だよ。おかあさん、これってお熱ある?」
「ないよ。大丈夫だね」

息子はまた熱を計りなおしますが、これまた平熱。
念のために額を触ってみても異常ありません。
でも、息子は今度は額に手をあてて「ちょっとしんどいみたい」
「頭痛いの?」
「いたくないけど…」

今度は起きてきて、ダイニングの椅子に座っていた私の膝に
もたれかかって、上目遣いに私の顔を覗き込んできます。
誰ですか、自閉症児は目でものを言うことはない、と言った人。
息子の目は明らかに「きょうはお休みしなさい、と言ってください」と
訴えています。

ここで私もようやく「ははーん」と思い当たりました。
新学期になって環境が変わると、とにかく無理をして
自分の思い描く、『自分に期待されているであろう理想像』を
実現しよう、と頑張ってしまう息子。
自分の許容範囲を大きく超えたそんな火事場の馬鹿力的な
頑張りが長続きするはずもなく、2~3週間後には
体がSOSを出して、嘔吐や発熱で学校に行けなくなってしまうのです。

今年はゴールデンウィークが終わってもその気配がなかったので
つい安心していたのですが、どうやら成長により精神的体力が
ついた分、今年は遅れて出てきたらしいのです。
それも、発熱・嘔吐のない「精神的なしんどさ」のみで。

「そっかあ。そんなにしんどいんだったら、今日は学校お休みする?」
そう言ってやると、息子は我が意を得たり、とばかりににっこり。
「うん!しんどいからお休みする!」
(…そんなに元気な『しんどい子』はいません…←心の声)

そこで、息子には
●K先生に電話して、自分でどうしてお休みするのかを説明すること
●しんどいからお休みするのだから、学校が終わる時間まで
 ビデオを見たり、PCで遊んではいけないこと
を条件にしました。

息子は大張り切りで(ちがうやろ)、早速K先生に電話。
「あ、K先生、おはようございます~。あの~、今日はしんどいので~、
 ちょっとお休みします~」
私はそばで噴出しそうになっていました。
その後、息子に代わって電話に出た私に、
「お母さん、熱はあるんですか?」
「いえいえ、いたって元気ですよ。熱も嘔吐もありません」
「じゃあ、今年は体には出なかったんですね」

毎度話の早いK先生、私が息子に電話させたことから
ちゃんと欠席の理由を汲み取ってくれたようです。
先生とも相談して、とりあえず息子が自分で学校へ行く、と言うまで
休ませてみることにしました。

いや、こうなると立派な(?)5月病っぽいですね。
でも、体や心が壊れてしまうまえに自分から「休みたい」と
意思表示できたのはなかなかな成長だなあ、と
感心した母なのでした。

はてさて、息子の自主休暇は何日続くでしょうか?

疑似体験

2008年12月04日 | 「発達障碍」を見つめる眼
今日は、私の所属している親の会で、初めて
「自閉症の人たちの世界の疑似体験講座」を開きました。

神奈川県座間市に始まった「みんな違ってみんないいキャラバン隊」の
活躍を何年か前に新聞で読んで感動し、
全国あちこちでのご当地キャラバン隊の活動をネットで目にし
耳にする中で

うちの会でもやってみたいなあ、と思っていたのですが、
毎年1回開催する講演会のときに、今回は他所から講師を招くのではなくて
自分たちが講師になって、来てくださる皆さんに自閉症への理解を
求めていこうということになったのです。

ものの感じ方の違いを紹介する感覚班と
コミュニケーションの難しさを紹介するコミュニケーション班に分かれ、

自分たちのこれまでの子育てや日常生活の工夫を交えて
自閉症の人たちの出会いがちな困難や
支援のための工夫や対処法など
会員全員が知恵を出し合って、自分たちのナマの体験を
自分たちの言葉で伝えられるように話し合いと練習を重ねていきました。

この間、交流担のH先生に「発達障碍の理解のための
疑似体験の案を」と求められて、すぐにネタが提供できたのは
実はこういう素地もあったからです。

今日会場に集まってくださったのは、支援者・保護者を中心に
35人ほどの方々でしたが、
「自閉症児を育ててきた人間だからわかることを」伝えようとした
私たちの気持ちはしっかり受け止めてもらえたようで、

会員と会場が1つになって手作りっぽい、
和やかな講演会になりました。

アンケートの回収率もものすごく良くて、関心の高さを感じましたし、
初めての試みであるにかかわらず、評判もすごぶる良く、
会員たちもすっかり気をよくしてしまいました。

講師を迎える講演会に比べると準備はずっと大変ですが、
うまく行った時の達成感もその分抜群です。
ぜひ、皆様にもお勧めいたします。

丁寧な放し飼い

2008年10月09日 | 「発達障碍」を見つめる眼
息子が今使っている連絡帳は普通の大学ノートです。
見開き2ページが一日分。
左側にその日の時間割と各時間の学習内容が
簡潔に書かれていて、
右側には障担K先生の所感と私から先生への連絡を
書くようになっています。

この連絡帳を息子が帰ってくるなりすぐチェックするのが
私の楽しみです。

中学の授業は1限50分(体育大会や文化祭など大きな行事の
準備期間は放課後にクラスごとの練習時間を確保するため45分)
なのですが、

息子の様子を見ていると交流級でこそ最初から最後まで
授業を受けているものの、
障級の授業では「あと10分というところでギブアップ」
「残り5分休憩」「本人から疲れたと申告あり残り20分休憩」
とやたら「休憩」の文字が出てきます。

人によっては目くじらを立てそうな内容ですが
私はいつも「実に丁寧な『放し飼い』をしてもらっているなあ」と
感心しています。

『放し飼い』というのは『放置』と外見こそ似ているけれど
全く違います。
まず、安全で快適な環境でなければできないということ。
放し飼いされる側と放し飼いする側の信頼関係がなければ
なりたたないということ。

そして、動物の場合であれば無理矢理エサを口に押し込んだり
水を飲ませたりすることは無理で
動物が自ら食べたくなるような良質のエサを育てたり
動物がストレスなく過ごせる環境を整えたり

動物のニーズを汲み取って、間接的に動物に働きかけるのと同じように

息子の頭に無理矢理知識を詰め込んだり
ソーシャルスキルを叩き込もうとするのではなくて
息子が自ら学びたくなり頑張りたくなるような雰囲気を作り
ストレスが少なく安心してくつろげる環境を整えたり

息子のニーズや気持ちを汲み取り、間接的に学ぶ意欲を育てて
気持ちが十分温まったところで「ここぞ」と必要な情報を入れ込む。

ぱっと見は熱心に指導しているようには見えないけれども
子ども自身の特性と、その時その時の心の動きまで
注意して観察する意識とセンスがなければ
こういう『丁寧な放し飼い』はできないと思うのです。

息子の性格や特性を知ったうえで、その日その時の息子の
状態に合わせて、「学習=我慢・苦痛」にならない
ぎりぎりの線を探っているからこそこういう対応になるのだと
私は考えています。
これを見ていれば、今の息子は無理に頑張らせれば
50分は静かに座っていられるけれど、自ら集中して
何かに取り組めるのはだいたい40分くらいであることも
わかります。ある意味、息子の本当の姿を知る
貴重な統計資料ともいえるでしょう。

障碍のある子への指導は、どうしても指導のテクニックとか
働きかけの密接さなど「直接的な」アプローチ、
「眼に見える」熱心さにのみ光があたりがちですが

本来とても臆病で繊細な神経を持つ自閉っ子に接する私たちは
この「丁寧な放し飼い」の精神、「機が熟するのを待つ」心の大切さを
折々に見直すべきではないのかと思っています。

思春期

2008年08月22日 | 「発達障碍」を見つめる眼
この春から夏にかけて、思春期の少年少女の犯罪が相次いでいます。

これまでも少年少女による驚くような犯罪には
心痛む思いはもちろんあったのですが
息子が思春期と呼ばれる時期になってみると、
わが子と同じ年代の子どもがそういった事件を起こしたことに
受けるショックは、これまでとは程度が違っていました。
わが身に繋がる要素があるだけで、物事の感じ方はこんなにも
変わるものなのだなあ、と改めて感じます。

どこかの新聞の調査で、思春期の子どもを持つ親に
アンケートをとったら、約3割の人が「自分の子どもも
いつ同じようなことをやるかわからない」と答えた、という話や
バスジャックの事件のあとは、「次は自分の子どもが事件を起こすのでは
ないかという不安」で心身の不調を訴える親が相次いだ、という
新聞記事を読んでいると、
「うちの子に限って」というのは過去の話になってしまったのかなあ、と
いう感じがします。

この間、「光とともに」の最近の数刊を図書館で借りて読んだのですが
中学生になった光くんの周囲には相変わらずトラブル連続で
「これを読んだら『やっぱり思春期は問題続発なんだ、大変だ』と
 不安になるお母さん、多いだろうなあ」
と思いました。

私も、息子が小さい頃は、「思春期」という言葉が
なんだかとても恐ろしいもののように思えていました。
「自閉症児の思春期に対する対応」なんていうテーマの
講演会があったら飛んで行こうという感じでしたし、
息子が6年生になる春には、「思春期になって荒れたときに備えて
落ち着いている状態を見ておいてもらいたい」と
自閉症の診断がついて以来始めて児童精神科の専門医を受診したほどです。

それで、いざ自分の子が思春期を迎えてどうだったかというと、
「大変」とか「もう小さな私の○○ちゃんではない」というより
佐々木正美先生があちこちでよくおっしゃっている
「自閉だから特別(にハード)な思春期が来るわけではない」
「思春期は人生の通過点」
「思春期だからというより自閉症の特性にどこまで丁寧に対応してきたか、
 対応しているか、の問題」
という言葉が、改めてとてもしっくりくる感じがしています。

もちろん、従順なうちの息子にも多少の反抗期はあるし、
体が大きくなった分、もはや「可愛い」ではすまされないこともあれば
性的な問題もないわけではありません。
「心身ともにかなり幼いお子さんなので、思春期はやや遅めかもしれない。
 中3くらいになってやっとそういう感じになるかもしれませんよ」と
児童精神科医の先生からも言われていますから、まだこれから
どうなるのかはわかりません。

ただ、思春期になって「突然」子どもが荒れた、という話をたくさん聞くうちに
それは「思春期」が悪いのではなく、
例えば親が良かれと思ってしてきたことが子ども本人にとっては
負担であったり、とても辛いことであったりしたことに
子ども自身が気が付いて「NO」のサインを出し始めた、と
いうことも少なくないのではないか、という気がしてきました。

自分自身の思春期を振り返っても、確かに精神的にも不安定だったり
思考が極端だったりしたことは否めませんし
本人としてはそれなりに真剣に悩んだり、揺れ動いたりして、
自分で思うほど大人でもなく、周りが思うほど子どもでもない
微妙な時期だったなとは思うのですが

その時期はやはり多少なりともその前の子ども時代と
その後の人生とも繋がっています。決して思春期だけが
独立して別物だったわけではないですし、その時期抜きで
今の私があったかと言えば、やはり答えは否でしょう。

そう考えるとやはり思春期もそれ以外のときも、私にできるのは
目の前の息子をできるだけ掛け値のない目で見つめて
彼がどう感じているのか
彼が何を伝えようとしているのか
彼がどういう「俺ルール」で世の中を理解していて
そのどこに、どういう形での修正を加えることが
彼が世の中で円満にやっていくために必要なのか

常に探りながら、ひとつひとつ丁寧に関わっていくことしか
ないのだろうと思っています。



海津敦子さんの本

2008年08月12日 | 「発達障碍」を見つめる眼
息子が診断を受けたばかりの頃、アメリカの図書館で探しても
自閉症の本なんてほとんど置いてなくて、
バーンズ・アンド・ノーブルという有名な大型書店へ行ったら
1つの本棚に20冊ぐらい自閉症の本が並んでいて感動したことがありました。

日本の本屋さんでも、最近では1つの書棚全部が自閉症関連、なんて
すごいことになっていたりして、ほんの10年ほどの間に
時代はずいぶん変わったのだなあ、なんてしみじみしてしまうのですが

読んでみたい本が次から次へ出版されるのに
財布の中身が追いつかないので、最近は図書館を利用することが
多くなりました。幸い、うちの市の図書館は自閉症関連が
とっても充実していて、ニキ・リンコさんの著書もあるし、
「光とともに・・・」なんかも全巻揃っています。

そんな中で、私が一目置いているのが、海津敦子さんの本です。
海津さんはご自身も障碍を持つ子どものお母さんなのですが
いわゆる「母物」ではなくて、ジャーナリストとして
一歩も二歩も引いた視点から、冷静に「発達に遅れを持つ子ども」を
持った親の心の在り方や彼らを取り巻く状況を分析し、

その中から「その子にとって本当に幸せな人生とはなんなのか」を
見つめようとする真摯な姿勢が読み取れます。

自分も「とことん・・・」で手記を書いておいてなんですが、
「私はこんなに頑張った」
「私はこんなに子どものことをわかっている」
というニオイのする「親もの」には
どうも「うーむ」と思ってしまう私には

当事者としての気持ちや生活を持ちながらも、自らの「思い」に
振り回されることなく、しかもどんな姿勢の親についても
「非難」の色なく淡々と書き進めてある彼女の本は

そのクールさがとても心地よく、息子が小さい頃にこういう本が
あったら良かったなあ、とよく思います。

我が子に障碍があるのでは、と疑い始めた頃から、診断を受け、
それを「現にそこにあるもの」と見つめることができるようになる
過程について書かれた「発達に遅れのある子の親になる」、

障碍のある子の就学先選びについて書かれた
「発達に遅れのある子の就学相談」、

どちらも日本評論社から出ています。
特に、「障碍、それとも個性?」と揺れることの多い方、
これから幼稚園・保育園・小学校・中学校を選ばれる方に
お勧めしたいと思っています。



夏風邪?

2008年06月09日 | 「発達障碍」を見つめる眼
さて、一夜明けて起き抜けの息子の体温を測ると、38.6度。
今日明日は間違いなく学校は欠席です。
障担K先生に連絡を入れた後、かかりつけの小児科の予約をとって受診。
月曜日なのですごく込んでいて、やっと予約の時間になる頃には
息子の熱も37度台まで下がっていました。

医院の待合室には普段から絶対入ろうとしないちびくま
(電話がかかってくるのが怖いらしい)
順番が来るまで玄関の外で待って、名前を呼ばれてから
診察室へ直行ですが、この小児科は先生以下、全てのスタッフが
自閉症に理解があるので、嫌な顔をされません。

診察室に入っても、息子は両手で耳をふさいで
「無理~!無理~!」と言い続けています。
「このお部屋はお電話かかってこないよ」と言っても変わらず。
先生が「ちょっとそのベッドに寝られる?」と訊いても
「無理~!」

それでも口をあけて診て貰ったり聴診器を当てるのは
大丈夫だったので、なんとか診察はできました。
でも、先生の話を聞く前に
「ぼく、もう出て行っていいですか?」と質問。

「いいよ、よく頑張ったね~」と気持ちよく送り出してくれた先生、
「のどもちょっと赤くなってるけど、今、腸風邪が流行ってるから。
 これから下痢になると思うよ。とりあえず3日分薬を出すので
 飲ませて様子をみて」

お薬かあ・・・。
とりあえず、少量の水で粉薬を溶かして、
「これを飲み終わったらジュースをあげるよ」と言ったのですが
1回分を飲み終わるころには次の回が来るという有様。
また親子で苦労することになりそうです。


オーバーヒート?

2008年06月08日 | 「発達障碍」を見つめる眼
懸案だったトライやるも無事終了し、ほっと一息。
今日はガイドヘルパーさんとJR駅前のバスターミナル見物に
行った息子。

ご機嫌で帰ってきたのですが、帰宅してからは
「ねむい~、ねむい~」とごろごろ。
おやつを出しても起きてこないし、
「晩御飯、買いに行こうか?」と声をかけると
いつもなら
「じゃあ、○時○分に出発しようね」と
返事が返ってくるのに

「う~ん。ぼく、ねむい。おるすばんしとく~」
と珍しい返事。
「眠いの?しんどいの?」と訊くと
「しんどくないよ~。ねむいの」
と答えるので、1人で買い物に行きました。

すぐ食べられるものを見繕って飛んで帰って、
「さあ、お腹すいたでしょ。食べようか」と
声をかけても、まだ
「う~ん、ねむい~」と言って起きてこない息子。

「そんなにねむたいの?珍しいねえ」と
近寄っていって、体に触ると、ものすごく熱い!
慌てて熱を計ると、なんと39.6度もありました。

それって、十分しんどいはずじゃないか・・・

うーん、昼間は元気だったし、咳も鼻水も出てないし、
急な高熱って、また溶連菌?それとも季節はずれのインフル?

とりあえず、熱は高いけれど、受け答えははっきりしているし、
特に他に症状もないようなので、とりあえず冷やしながら
明日の朝まで様子を見ることにしました。

トライやるで頑張りすぎてヒューズが飛んでオーバーヒート
したのでしょうか・・・。
頑張ったあとにはすぐに体を壊す息子。
心身症の傾向があるのかも。