雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

Windows 7がやってきた。

2010年03月21日 | ちいさな幸せ
高等部入学を控えた息子。

制服がないので、通学用に新しい紺のブレザーを買いました。
すっかり底が磨り減った靴も、進学を機に新調。
通学かばんも、壊れたペンケースも新しく買いなおしました。
学校指定の体育館シューズに、体操服に、作業実習用の作業着…

私立高校ほどではないでしょうが、結構費用がかさみます。

でも、息子が本当に楽しみにしてきたのは、こうした
進学準備ではなくて、新しいパソコンを手に入れること。

これまで使ってきたのは、小5のときに、5泊6日の自然学校に挑む
ご褒美として買ってほしい、と珍しく本人が要求して買った
中古のWindows XP。元々は2001年発売の機種ですから、パソコンとしては
かなり古いマシンの部類に入ります。

私が入院した小6の冬、私のノートPCを初めて使ってから、
息子には「ぼくもノートパソコンが欲しい」いう思いが
ずっとあったようです。中学の教室ではずっとデスクトップを
使っていましたが、先生が仕事に使うノートを見て、
「ノートは大人のPC」という憧れをますます強くしたようです。

小6のとき、「ぼくがノートパソコンを買って
もらえるのはいつ?」という質問に
「そうだねえ。高校生になったら、かなあ」と答えた
私の言葉をしっかり覚えている彼は、高等部の合格通知を受け取ると
まず、「やった~。これでノートパソコンがもらえるね~」と
喜んだのでした。

世間の例にもれず、緊縮財政下の我が家ではありますが、
中古のPCを何度もクリーンインストールしながら
それでも不平を言わずに使い続けてきたこと、
息子にとってはPCは学習道具であり、おもちゃであり、
生活時間の大部分を付き合うパートナーであること、
「高校生になったら新しいパソコン」を呪文のように
唱えながら、中3のさまざまな行事を頑張りぬいてきたこと
などを考えたら、
息子にここでノートパソコンを1台買い与えることは
贅沢ではないと私には思えました。
かと言って、最新鋭の高価なマシンを買う余裕はありません。

彼の希望を丹念に聞き取っていくと、
・メーカーは特にこだわりがないこと。
・一番やりたいのはネットで動画を見ること。
・一体型デスクトップとかではなく、絶対にノート。
・OSはWindows 7。
という条件を満たせばいいことがわかり、

さまざまなソフトがプレインストールされていない分
価格の安い、直販メーカーのモデルを買うことにして、
息子には内緒でネット注文しておきました。
そして今日、その新しいパソコンが届いたのです。

届いた箱を見て、
「えーっ、これがぼくの新しいパソコン?」と
細い目を真ん丸くして、うれしそうな声を上げる息子。
私が初期設定を終えるのを辛抱強く待ったあと、
早速ネットで動画を見て、

「やったー。これで、ぼくのパソコンは4代目になったね。
 これで高校生になる準備ができたね~」と
顔がほころびっぱなしの息子なのでした。

長い間欲しかったものをやっと手に入れた喜びが、
来月から全く新しい環境に入る彼の、気持ちの支えに
なってくれればいいな、と思っています。

卒業式

2010年03月10日 | 楽しい学校生活
今日はいよいよ息子がF中学を卒業する日。
それぞれの道に羽ばたこうとする子どもたちを祝福するかのように
朝からいいお天気・・・・・・になって欲しかったのですが、
どんより曇った空からは、ミゾレが降ったりやんだり。

なにより、信じられないくらい寒いんですけどーーーっ!!

卒業式用に用意していたスーツ1枚ではとても無理そうなので
ヒートテックの下着に厚手のタイツ、冬物のコートに
フリースのひざかけ、使い捨てカイロという重装備で
出かける羽目になりました。

会場の体育館に着くと、もう1・2年生は着席していました。
保護者席の最前列に特支級のクラスメートYくんのお母さんの
姿を見つけて挨拶していると、お隣に座っていたお母さんが、
「あら、Mさん、お隣にどうぞ。ちょうど正面ですよ」と
席を1つずれて譲ってくださったので、お言葉に甘えて
座らせていただきました。確かに、ちょうど息子の席の
正面あたりです。

担任のK先生は、他の先生方と一緒に職員席に座っていました。
息子を一番育ててくださったのはこの先生だけれど、
今日の式では、息子は交流級の一員として参加すると
いうことのようです。

やがて、会場に音楽が流れだし、担任の先生に先導されて、
卒業生が1クラスずつ入場してきます。
息子の交流担H先生は、その恰幅の良さがしっくりくる
紋付袴の正装です。
その後に続く、息子のスナップ写真で見慣れたクラスメートたち。
緊張で強張った顔あり、笑顔あり、真顔あり、照れくさそうな
はにかんだ顔あり。息子もやや緊張した面持ちで歩いています。
クラス全員が定位置につくと、先生と共に一礼して着席。

続いて2組、3組、4組と入場がすみ、さっそく1組から
134人の子どもたちが1人1人卒業証書を受け取ります。
息子はいつもどおりの、なんとなく怪しさの漂う歩き方ながら、
席を立つタイミングも、待機位置も間違うことなく、
校長先生の前に進みました。
証書を受け取って礼をするタイミングを間違いましたが、
先生が彼に合わせて礼を返してくださったので
あんまり目立たなかったかも。

卒業証書授与の後は、校長先生の祝辞、来賓祝辞、
送辞、答辞、祝電披露、卒業生の合唱、全校生での合唱のあと、
卒業生が一列で退場、というごくシンプルな式でしたが、

予めの練習の手順を無視して、校長先生に握手を求めた卒業生や
突然「俺はぜったい、猟師になるどーーー!」と絶叫した子にも
校長先生はにこやかに対応し、周りからも笑いや拍手が起こるなど、

こじんまりとした、でも穏やかで温かな、この中学らしい
卒業式でした。
卒業生たちは一度それぞれのクラスに戻って、最後のホームルームへ。
その後、在校生の拍手に送られて、校門までの道を歩きます。
息子とYくんはその後で再度 支援級の教室に戻ってきました。

ここで、改めて息子とYくんから、支援級の担任の先生たちに
花束贈呈。下級生のみんなと一緒に記念写真を撮って、
先生方と何度も何度も別れを惜しみながら、F中学を後にしました。

この日私が連絡帳に書いた言葉。
「先生にも周りのお子さんたちにも恵まれて、まるで
 夢のような3年間でした。この学校で過ごした日々は
 息子の人生にとってかけがえのない宝になるでしょう」

ありがとう、K先生。ありがとう、F中の先生方、生徒のみんな。
本当にこの中学に息子を入れてよかったです。

その夜、息子は何度も、「まだ卒業したくないな~。もっと
F中に行きたいな~」と繰り返していました。


交流級の仲間たち

2010年03月09日 | 楽しい学校生活
いよいよ、明日は中学の卒業式。
先週の金曜日で最終の給食も終わり、今日は全体の
リハーサルと最後の学級活動があるだけで、
息子は午前中で帰ってくる予定です。

卒業式の練習は、先週から始まりました。
私立高校の合格発表から、公立高校の入試までの
短い間、限られた時間の卒業式の練習だけに、
先生の怒声が飛ぶこともあったようで、

息子はやや疲れた様子を見せていましたが、
昨日の朝、とうとう、「今日は学校へ行けない」と
言い出しました。K先生に電話すると
「やっぱり来ましたか~」

秋の文化祭のときもそうでしたが、「練習を頑張らないと」と
思うあまり、頑張りきれなくて学校へ行けなくなる、
息子にはよくあるパターンです。
ただ、今日休むのは構わないが、本番のとき、大丈夫だろうか、と
いうのが、先生と私の懸念でした。

本人に聞くと「リハーサルは行ける。本番も行けるよ」と
言うので、とりあえず昨日1日休ませることにしました。
そして、K先生が午後から家に来て、本番だけは休まないよう、
本人と話をします、ということになりました。

さて、お昼ご飯の用意をしていると、「ピンポーン」と
インターホンの音。
「あれ?先生、来る前に電話してくれる、って言ってたのに」と
思って出てみると、
「○○です」と、交流級の女の子です。
何か連絡でも持ってきてくれたのかと、玄関を開けると、
そこには、ずら~っと、男女混合で廊下一杯にあふれている
中学生の子ども十数人。どうやら、交流級の子達の
約半分ほどで、息子の様子を見に来てくれたようです。

「Mくん、大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと練習を頑張りすぎて、しんどくなっちゃった
 みたいなの。でも、本番は行くって言ってるから」
「よかった~。Mくん、練習のとき、がっちがちに緊張して、
 しんどそうやったもん」

「クラスのみんながお見舞いに来てくれたよ~」と
息子を呼ぶと、息子は照れ笑いをし、頭をかきながら
玄関まで出てきました。
「もう~、休むから心配したやん~」
「Mくん、大丈夫~?」
「あしたとあさっては来れる?」
「Mくん、一緒に卒業式に出よな~」
「みんなと一緒に卒業しよな~」
「Mくん来んかったら、さびしいで~」
とみんなに口々に声をかけられて、
「リハーサルは行きます。本番も行きます」と答える息子。
「約束やで~」
「じゃあ、Mくん、明日学校でな~」

息子とニコニコ手を振り合って、みんなは帰って行きました。
「みんな、心配してくれたんやねえ。
 みんなが会いにきてくれて、どう思った?」と
息子に聞くと、
「うれしかった」

午後、家に来てくれたK先生にそのことを話すと、
「うわ~、そんなら僕の出番なかったですね~」
交流担の先生にも確かめてくれたのですが、
「Mくんのところに電話したい、と言ってきた子はいたんですが
 Mくんは電話の音が嫌いやから、電話はちょっと、と言って
 とめたんです。ほんなら直接行こう、と思ったんですかね~」

誰に言われたわけでもないのに、交流級の半分もの子が
わざわざ息子を励ますために家まで来てくれた、
そのことだけで、息子をこの3年取り巻いていた空気が
どんなものだったか、私にも本当にわかった気がして
胸と目頭が熱くなってしまいました。

中学生という難しい時期にもかかわらず、
先生からもクラスの仲間たちからも暖かく見守られて、
「ぼくはF中が好き、クラスが好き、先生が好き」と
言いながら卒業まで来られた幸せ。
この学校を選んで、本当に良かった。
明日はとうとう、お別れの日です。


 

うつの再発

2010年03月08日 | 「うつ」とつきあう。
急に原因不明のうつ状態に陥り、1ヶ月ほど死ぬや生きるやの
感情のジェットコースターの末、もう限界というところで
心療内科に飛び込んだのは、もう2年も前のことです。

今でも1ヶ月に1度の通院と服薬は続けていますが、
ここ1年はすっかり調子が良くなり、抗うつ薬を飲んでいることを
自分でも忘れるほど、安定した生活を送っていました。
息子が高等部に進学して、新しい環境に慣れて落ち着いたら、
そろそろ薬を減らしていこうか、とドクターと相談していた
矢先のことでした。

息子の受験を終えた、2月19日の夜のこと。
電話で、かなりショックな知らせを受けました。

落ち込んだ気持ちで、それでもその夜は眠り、翌朝。
目が覚めたのに、全く起き上がることができません。
CIDPの脱力ではありません。体中に鉛が入ったようで
動くことができないのです。音も、光も辛い。
辛さと絶望感、底なしの沼へ沈んでいくような
不安とも恐怖ともつかない感情を感じるだけ。
「うつ」のかなりひどい状態でした。

幸い、土曜で学校が休みだったので、そのまま昼まで
布団の中でじっとしています。(息子は朝は自分で
好きなパンを選んで食べることになっています)
昼と夜は、冷凍してあったものをチンして息子にだけ
食べてもらい、私は這うようにしてトイレに行く他は
食べることも動くこともできずに心身の苦しみに耐えました。

翌日の日曜日も、午前中は全く起きられず、
でも、午後からは月1回の動作法の学習会に、息子がどうしても
行きたいというので、頓服の安定剤を飲んで、なんとか
会場まで連れて行きました。
でも、私は全く使い物にならず、部屋の隅でずっと丸くなっていました。

月曜日、朝、気分はとっても重いものの、なんとか目覚ましで
いつもどおりの時間に起き上がることができました。
でも、息子を学校へ送り出すと、もう限界で、あとは息子が
帰ってくるまで、布団の中で過ごしてしまいました。

毎日毎日、安定剤のお世話になって最低限の家事をこなす他は
布団にもぐって過ごす日々が10日ほど続いた後、
やっと安定剤がなくてもなんとか1日が過ごせ、
医療費控除の申告もやっとすることができました。

今日は診察日、ドクターにここ2週間ほどの報告をすると
ドクターも首をひねる様子。
確かに引き金になる出来事があったのは事実だけど、症状の
悪化と治まり方が、あまりに極端なので、これはやはり
体の方に原因があるんだろうねえ、ということになりました。

CIDPが原因なのか、甲状腺機能異常が原因なのか、
はたまた飲んでいる薬の影響なのか、
その全部が相関しているのかはわからないけれど、
私の、脳を含めた体全体の、ストレス耐性が極端に
弱くなっていると考えられるのだそうです。

CIDPはやっかいだけど、一生付き合うしかないとわりと
あっさり受け入れられたのですが、これに「うつ」まで
おまけがつくんですか…。

でも、間近まで降りてきて「おいでおいで」をする
死神さんに抗えたのは
「今、私がいなくなったら、息子がこまってしまう」
という気持ちと、
「元気がなくてもね、ぼくはおかあさんが好きだよ」と
毎日布団に寝ている私に囁いてくれた息子の言葉と
手のひらの温かさがあったからでした。

長らくブログを書く気力もなかったので
ご心配をおかけしたかもしれません。
またどんな波が来ないとも限らないので油断はできませんが
病気と付き合いながら、私は、生きています。





合格発表

2010年03月01日 | ちいさな幸せ
さて、今日は息子の合格発表。
この1年、高等部への自力通学目指して、週1回、
1人でバスを乗り継ぎ、学校まで行く練習をしてきたので
その最終回ということで、息子は今日も1人でバスに
乗って、特別支援学校へ向かいました。
担任のK先生は車で先回りして、特支学校で息子に
合流してくれます。

合格発表は、一般の学校と同じように、受験番号の
貼り出し、という形で行われたようです。
自分の受験番号を確認した息子は、中の事務室へ
受験票を出して入学関係書類を受け取り、
「おめでとう」と言われて「ありがとうございました」と
答えたそうです。

でも、K先生の「合格おめでとう」の言葉には
「これで、4代目のパソコンがもらえる~」と
答えたとか。

3年前、私がCIDPで入院していた時、自分のPCが
起動しなくなってしまい、「おかあさんのノートパソコン、
使っていい?」と聞いてきた息子、すっかり「大人のパソコン」
であるノートが気に入ったようで、病院に来るたび
「おかあさん、ぼくがノートパソコンをもらえるのは何才?」と
質問してきたのです。
その時、「そうだね、高校生になったら、ぐらいかなあ」と
答えた私の言葉をしっかり覚えていた息子。

中3になると、「来年、高校生になったらノートパソコンが
もらえるね」と言い出し、入試を前に緊張しながらも
「合格したらノートパソコンがもらえるから~」と
それを励みに頑張ってきたのでした。

私は丁度、CIDPの検査の日で、病院に行っていたのですが
特支学校は病院の隣にあるので、検査の結果待ちの間に
病院前のバス停で息子に合流。
「どうだった?」と聞く私に、「合格だった。これでパソコンが
もらえるね~」とニコニコ。

息子はそこから1人でバスに乗って中学に戻りましたが、
もう高校に行くことより、新しいパソコンのほうが楽しみで
仕方ない様子。

「OSはやっぱりWindows 7が第一希望かな。第二希望がVista。
 メーカーはどこがいいかなあ」

自閉っ子相手に、無責任な発言はできないもの。
いよいよ、息子用のノートパソコンを選ばなくてはならないようです。