雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

事前訪問(その2)

2008年05月21日 | 楽しい学校生活
そんなこんなで時間になり、息子と一緒に家を出ると、
最寄の交差点で自転車を押して信号待ち中の交流担H先生を発見。
息子を見て、「これからどこ行くん?」と話しかけてくれます。

実は、障級在籍の子たちには、障担と2年生の担任の先生が
分担して支援についてくれています。本人には内緒で、息子には
H先生がこっそり付いていってくれることになっていたのでした。
H先生が「お母さん、一緒に行かれます?」と耳打ちします。
「Y君との待ち合わせのところまで、一緒に行って欲しいそうです」
と答えると、H先生は
「了解です」と言って、「じゃあな~」と自転車で
息子を追い越して行きました。(芸が細かい(笑))

息子から少し遅れて付いていくと、待ち合わせの場所で
息子を見つけて立ち上がった男の子がいます。きっと彼がY君でしょう。
その少し向こうの石段に、休憩を装って座っているH先生(笑)。
息子はY君に挨拶するでもなく、すーーっと彼の前を通り過ぎて
目的地に向かいます。あわててY君が追いかけます。

と、息子がちら、とこちらを振り返りました。
私が小さく手を振って見せると、納得したようで、また歩き始めました。
Y君とは言葉を交わす様子もなく、つかず離れずの距離を保ったまま
黙々と2人で並んで歩いていきます。

それを確かめると、H先生、こちらに軽く会釈して自転車にまたがり、
2人を追いかけていってくれました。ここから先はY君とH先生に
おまかせです。

さて、1時間ほどして、息子は無事に帰ってきました。
と、そこへ障担K先生から電話。
「本人の様子はどうですか?」
「うまくいったんでしょうか、ケロッとしてますよ」
「あれ?おかしいなあ、H先生から電話あったんですよ」

実は、マ○ダの店まではスムーズに行ったものの、
どんなに誘ってもがんとして建物の中に入ろうとせず、
Y君、困りはてていたのだとか。
そこへ、「偶然通りかかった」H先生が駆けつけてバトンタッチして
息子に話しかけようとしたのだけれど、本人は既に
パニック状態で、言葉かけにも一切反応せず、ひたすら
マ○ダの車種名を(一応気をつかったのか?)繰り替えすのみ。

仕方がないので、ディーラーの職員さんにお願いして建物の外へ
出てきてもらうと、かねてから練習していたとおり
「トライやるでお世話になるF中の○○です。よろしくお願いします」
と挨拶できたのだそうです。

でも、帰宅した本人の様子は、何か失敗をしてきた、という
感じではありません。
それで、ゆっくり話を聞いてみると、
「マ○ダのお店に入れなかったのはお電話が(かかってくるのが)
 怖かったから」
「でも、ちゃんとご挨拶できました」
(H先生に助けてもらったことはなぜか割愛している)

確かに、息子は電話の呼び出し音が怖くて、家に電話がかかってくると
パニックになるし、よく電話の呼び出し音がなる学校の職員室や
役所の中や、かかりつけの小児科や歯科の待合室に入ることが
できないのですが、ディーラーでそれがあるとは盲点でした。
でも、幸か不幸か、本人は「挨拶に行った」ので、挨拶が出来た以上、
建物に入れなくても失敗だとは思わなかったようです。
H先生について行ってもらっていて良かった!

それに、息子の聴覚過敏については、H先生もよく知っていてくれていますが
こんなにわかりやすいパニックを学校で目にすることも少ないでしょうから、
ある意味、ちょうど良かったかも。

早速K先生に電話をして事情を説明すると、先生も
「うわぁ~、そうきましたか~」とびっくり。
「とにかく、マ○ダには電話をしてそのことを説明しておきますね。
 でも、本番のとき、大丈夫かなあ」

それで、息子に、「マ○ダはお仕事をするところだからお電話は
かかってくること」、電話がないところを今から探してもらうことも
できることを説明し、それでもマ○ダに行きたいのかどうかを
再確認しました。

すると、息子は「ぼくはマ○ダに行きたい。お電話が怖くても
頑張ります」と答えました。
翌日、K先生から再度確認してもらっても、やはり決意は変わらない様子。
さてさて、どうなりますやら。

事前訪問(その1)

2008年05月20日 | 楽しい学校生活
私たちの住む兵庫県では、中2になると、「トライやる・ウィーク」と
呼ばれる5日間の職場体験があります。

実習先は、スーパー、ガソリンスタンド、コンビニ、郵便局、
幼稚園、小学校、個人商店など様々ですが
生徒たちがそれぞれ第3希望まで出した実習先の中から
先生方が調整してくれます。

ちびくまの実習先をどこにするか、は中1の3学期から
障担K先生と相談してきました。
障碍のある子がよく行くのは、静かな図書館、
面倒見のいい地元のスーパー、小規模作業所など。

高校卒業後のことを考えたら、少しでも就労に繋がりそうな
ところを選びたいところではあるのですが、
息子が「働くということ」を味わう初体験でもあるので、
ここは本人が「やりたい」と思えることを最優先にすることで
先生と意見が一致しました。

実習先の一覧を見て、息子が迷わず選んだのは「自動車整備」。
それも「マ○ダのお店に行きたい」と指定つきでした。
幸い、希望が通って、6月の頭に5日間、近くのマ○ダディーラーの
整備部門にお世話になることになりました。

さて、今日はそれに先立っての事前訪問日。
市内の全中学生が一斉に、自分の実習先に挨拶にいく日です。

中間テストの最終日なので、早く帰ってきた息子も、
一度脱いだ制服をまた着て、挨拶の言葉を練習しています。
途中で実習先が同じ同級生Y君と待ち合わせをして行くのですが
本人としてはその道は何度も通ったことがあるとはいえ、
1人で歩いていくのはこれが初めてなので、少し不安な様子。

「どうする?待ち合わせの場所までお母さん一緒に行ってあげようか?」
いつもなら
「いい。一人で行けます」と言いそうな場面なのに
「うーん。えーと、えーと、どうしようかなぁ・・・」と迷っている様子。
どうやらかなり不安があるようです。

「じゃあねえ、ちょっと離れてついて行くよ」と言うと
顔をパッと輝かせて、
「うん!おかあさん、ちょっと離れてついていくのがいいよ!」

不安だからついて来て欲しいけれど、母親つきで同級生に会うのは
恥ずかしい、と葛藤していたのでしょう。
いくら幼いといっても、やっぱり中学生なんですね。


3歩進んで・・・

2008年05月18日 | CIDP
さてさて。6月の頭まで再発がなければ
ステロイドとも縁が切れて、あのダンディで素敵な主治医とも
会えなくなるのかしら~・・・

薬が切れたらそろそろなんか仕事を探さないとな~・・・

などと考えながら
毎日をぼーーーーっと過ごしていた私なのですが
世の中そんなに甘くはなかったようで・・・

ここ数日、布団から起きて立ち上がるときに、
どうも体が重く感じることに
気が付きました。この間まで片膝を立てさえすれば
すっと立ち上がれていたのに、ふすまに手を
かけないと立ち上がれない。

あれっと思って、しゃがみ立ちを試してみると、やっぱり駄目。
慌てて風呂場へ行き、最近使っていなかった普通の風呂椅子に
座ってみると、やっぱり立てない。

がーーーーん。再発?
もし発症したときと同じペースで悪化していくなら、
これから1週間ほどの間で、また日常生活に支障が出るほど
両手両足の力が入らなくなってしまうはず。

それでも、「気のせいかもしれない」という希望的観測(?)で
2日ほど様子を見ていたのですが、
ペットボトルの蓋があけにくい、片手なべがもてなくなる、など
やはり悪化の兆候が見られたので
観念して、16日(金)に主治医の外来へ。

徒手筋力検査と神経伝達速度検査の結果、やはりわずかだけれど
悪化していることが証明されてしまいました。
でも幸いまだ脱力がそれほど進んでいないので、
とりあえずステロイドを現在量の12倍に増やして様子を見ることに。

「とりあえずこれで月曜まで様子見て。(悪化が)止められなかったら
 また方法を考えよう」
主治医はあっさりと言ってくれるのですが、これが効かなかったら
ステロイドパルスになるにしろ、免疫グロブリン静注になるにしろ、
また入院を言い渡されるかも・・・。

祈るような気持ちで薬を飲んで休んでいたのですが、
わずか1日半後の今日の夕方、しゃがみ立ち復活!
風呂椅子もクリア!

とりあえず、これで入院は逃れられそうです。
でも、ステロイドが去年の9月の量まで増えてしまったので
また副作用との闘いは当分続くことになってしまいました。

うつの方も、ステロイドの減量中に突然なったので
副作用の可能性も否定しきれないため、ステロイドが
切れるまで念のため抗うつ薬も続けないと、と言われているし

ああ、いつまで続く、薬づけ・・・。
そう簡単にはいかないから「難病」なんだと言われればそうですが

出口が見えかけていただけに、結構落胆も大きいです。
まあ、3歩進んで2歩下がる、くらいの気持ちで付き合って
いかないとしょうがないですね。

我が家の母の日

2008年05月11日 | ちいさな幸せ
今年も母の日がやってきました。

小学校のときは母の日と父の日を兼ねて、「両親への
プレゼントとお手紙」を学校で作らせてくれたりもあったのですが
忙しい中学校ではそういったこともなく、

息子の代わりに、母の日に何かしてやろう、などという
気のきいた考えは、我が連れ合いの頭に全く浮かぶはずもなく、

だからといって別に何かして欲しいわけでも
何か欲しいわけでもないので

「母の日」は「プレゼントはうちで買ってね」という
デパートやスーパーの広告が目立つだけの
例年通りの我が家の5月第2日曜日。

ところが、朝起きてきた息子が、私に向かって言いました。
「おかあさん、きょうは母の日だね!」
へー、わかってたんだ。
「うん、そうだよ」
「ねえ、おかあさん、母の日ってどういうこと?」
ガクッ

「あのね、ちびくまくん、おかあさんのお仕事ってなあに?」
「ごはんをつくる」
「そうだね、ごはんを作ったり、お洗濯をしたり、お掃除をしたり。
 おかあさんだけじゃなくて、よそのおかあさんも、みんな
 毎日子どものためにお仕事をしているでしょう?
 だから、『おかあさんありがとう』って言ったり、ありがとうの
 気持ちを伝えるためにプレゼントをしたりする日なんだよ」
「へ~。でもぼくは『おかあさんありがとう』って言わないよ」
へっ?

「ぼくはね、おかあさんがもーーーっとすきだよ、っていうの」
うははは。
でもそれは「もっと」ではなくて「とっても」じゃないかい?

そういえば、うちの息子は今でも毎日
「おかあさん、ぼく、おかあさんのことすきだよ」と
言ってくれる子どもなのでした。
今まではそういいながらべたべたとくっついてきていたけれど、

中2になったころから、「抱っこ~」とすりよってくることは自然に減り、
その分、「ぼくおかあさんのことすきだよ」と言ってくれる回数が
増えています。

たった10年前は、「おかあさん」とさえ呼んでくれなかった息子に
身長が並ぶほどになった今も
毎日何度も「おかあさんがすきだよ」とささやいてもらえる幸せ。
定型発達の中2の男の子が、こんなこと毎日言ってくれましょうか。

これ以上望んだら、バチがあたっちゃいそうです。
ある意味、我が家は毎日母の日なのかも。



近況報告

2008年05月01日 | 楽しい学校生活
神経難病にうつまで抱えた奴が、ブログを長い間更新しなかったので
ご心配をおかけしたかもしれません。すみません。

私は今のところ、CIDPの再発もなく、ステロイドも順調に減って、
このまま再発がなければ6月には脱ステロイドして、晴れて
「寛解」(現在の医学では治癒しない病気とされているので
「完治」とは言えないのだそうです)のお墨付きをいただけそうです。

うつのほうもお薬が効いてすっかり落ち着き、副作用(?)の眠気の
せいで、一日10時間以上寝ないともたない他は元気になりました。
神経内科のほうの投薬が終了しても安定したままなら、
心療内科のほうのお薬を減らしていこうね、と言われています。

新学期から4週間目に入り、家庭訪問も無事終わりました。
息子は相変わらずの頑張りモードがそろそろ息切れしてきたのか、
授業中にぼーっとしていて先生に注意されたり、
宿題がその日のうちに終わらなかったり、と
ボロも出はじめていますが、

去年のように大きく体調を崩すこともなく、毎朝張り切って
学校へ出発していきます。

学校で先生に叱られたり、何か失敗をしでかしたときには
家に帰ってから頭を布団に突っ込んでしくしく泣いていることも
ありますが、
以前に比べて随分と泣くことが少なくなり、
一段と落ち着いた雰囲気になってきました。
身長もここのところぐっと伸びて、もう私と殆ど
変わらないくらいになりました。靴のサイズは完全に
抜かれてしまいました。

小さな熊のぬいぐるみのようだった息子が
ちょっぴり逆三角形系のスリムな少年になり、
そろそろ「ちびくま」に代わるWEBネームを
考えなければならないのではないかと思っています。

障級には今年1年生の男の子が1人入って、4人になりました。
息子を含め3人の2年生男子が、まるで競い合うように
可愛がって、世話をしています。

今日は息子ともう1人の2年生と1年生、それに先生の4人で
校区の公園まで散歩に行ったようです。
去年の今頃、息子とK先生が2人で遊びに行ったところです。
すべり台で「エレベーターごっこ」なんかをしながら
息子の心を少しずつほぐすべく、K先生が心を砕いてくれた場所でした。

今年は「2年生はトレーニングやで」と言われて、階段を駆け上っては
できるだけ速く滑り降りてくる、という課題になっていました。
息子は汗のにじむような天候の中、楽しげに参加していたようです。

サツキの花がほころび始め、あわあわしい緑の山に、
うぐいすのさえずりがこだまする春。
息子も私も、穏やかに元気に暮らしています。