雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

あまえんぼ

2006年11月27日 | 母もいろいろ忙しい
私が退院してきてから、ちびくま、以前にも増して
私にべったりです。

「よかったねえ」
「おかあさんがかえってきてよかったねえ」
「ちびくまくんはおかあさんがすきやねえ」
と言いながら、膝に座りに来たり(体重がほぼ同じなんですけど)
背中や肩や腕や顔をべたべたべたべた触りに来たりしています。

留守中は祖母の言うことを何でも聞き、学校でも大きな乱れはなく、
とても頑張ってくれたようですから、その反動もあるのでしょう。
ここは実年齢のことを言わずにしっかり甘えさせてやらないと
あとでくすぶったものが残ってもいけないと、今まで寂しい
思いをさせた分、しっかり受け止めてやろうとは思うのですが。

14日間、1人のベッドで誰にも邪魔されずに眠る時間を味わってしまった
身には、べたべたべたべた顔を触られながら眠るのは
とってもうっとおしかったりします。

再入院

2006年11月24日 | 入院生活
長らく更新が途絶え、申し訳ありませんでした。
実は11月初旬にギラン・バレーが再発し、10日に
再び緊急入院となりました。

今回は少し長め、15日間の入院となり、本日
無事退院してまいりました。
留守中のちびくまの様子も含め、おいおい
ご報告してまいりたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。

退院(2)

2006年11月08日 | 入院生活
食事を終えて、車椅子で助手さんに検査室まで連れて
行ってもらいます。
「やあやあ、ごめんよ~。朝退院するはずやったんやろ?
 なんか今日連休明けやから検査が込んでてなあ~。
 今まで休みなしやってん」
今日の担当は初診の日に出会った、よくしゃべる若い先生です。
「いえ、F先生に、今日の回診が終わってから帰るように
 言われましたから」
「あ、そうやな。偉いさんに診てもうといたらいいや。
 って、F先生かて偉いさんやけどな~。
 そしたら、さっそく検査させてもらうわ。やり方は
 こないだといっしょな。あ、でもその前に
 これまでの経過のカルテ、読ませてもらってもええ?」

また「ふ~ん」「ほええ」「なるほど~」とカルテを読む先生。
それから、仰向けに寝たベッドの上で、両腕のあちこち、
両足のあちこちに電気を通されます。

検査機器を操りながら、先生、
「幸いやったとゆうてええんかな~」とぽつり。
「軽く済んで、っていうことですか?」
「そう。ぼくもな、これまで何十人もギラン・バレーの人を
 検査したけど、こんなに軽い人は初めて見るねん」
「F先生もそう言うてはりました」
「そうやろと思うわ。こんなギラン・バレーもあるんやな、って
 勉強になったわ。だから、病気になったんは不幸やけど・・・」
「不幸中の幸い、ということですよね」
「そうや、あんたは運がええわ」

そんなおしゃべりをしながら、20分ほどかかって検査終了。
先生、出た数値をじっとながめて
「あのなあ、この検査で出る数値って、自覚的な筋力の
 回復より少し回復が遅れるねん。だから、別にこの数字やから
 って気にすることないからね」
と、私にむかってにっこり。
(そ、それって、検査結果はあまり良くない、ということですかい)

「もう少し結果を吟味したいから、カルテは後で返す、って
 病棟に言うといて」
という先生にお礼を言って、ふたたび車椅子で病室まで
帰ります。

しばらくすると看護師さんが
「退院許可が出たので、今から会計が清算します。請求書を
 作っているので少し待って下さいね」
と言いに来ました。


退院(1)

2006年11月07日 | 入院生活
入院8日目の10月10日の朝になりました。
朝、蒸しタオルを持ってきた看護師さんが、
「さあ、今日退院ね。午前中に検査して終わりだそうだから」
もう検温用の体温計も渡されません。

脚の回復が悪いので、入院を延長されるのではないかと
心配していましたが、どうやら大丈夫そうです。

朝ごはんが終わると、自分でお湯を汲みに行って、
検査と診察に備えて体を拭き、パジャマも着替えて
準備万端。
母も朝一番で病院に来てくれました。
2人で退院用に荷物をまとめます。あとは、今着ている
パジャマとスリッパを入れれば良いだけになりました。

ところが。
待てど暮らせど、検査室へのお呼びがかかりません。
「遅いなあ。まさか忘れられてるわけじゃないよねえ」
あれよあれよと言う間に時間が経ち、ついに
昼ごはんが運ばれて来ました。

「なんだ、朝一から準備して待ってたのに~、午後になったんなら
 そう言ってくれればいいじゃん」
と言いながら、お昼ごはんに箸をつけた途端、
「検査室に来てくださいだって~」
と呼びに来る助手さん。

「え゛」と固まる私の顔を見て、
「あ、今お昼食べかけなのね、じゃあ少し待ってもらおうか?」
「いいんですか?」
「うん。あとどれぐらい待ってもらったらいい?」
「じゃあ、15分で食べますう」

大急ぎで昼食をかき込もうとしているところへ、
今度は主治医F先生がやって来ます。
「検査の準備できたらしいよ。あれ、ごはん食べてるの?」
「すみません、もう食べ始めてたので、終わるまで
 待ってくださるそうです」
「あ、そう?でも、遅くなったね。時間、大丈夫?」
「いざとなったら母に先に帰ってもらいますので大丈夫です」
「そりゃいい。じゃあ、今日は午後に副院長の回診もあるから
 それが終わってから帰ったらいいよ」
「はい、わかりました」


入院7日目

2006年11月05日 | 入院生活
ついに入院7日目になりました。
入院するときには、まだ長袖では暑いような気候だったのに
わずか1週間の間に、病室の窓の外は一気に秋めいてきています。
 
朝検温にきた看護師さんが
「さあ、とうとう明日退院ね。上げ膳据え膳もあと1日だから
 ゆっくりしていってね」
と声をかけてくれました。
体温は37.1度、やはり微熱はあります。
「脚のほうはどう?もうしゃがんで立てるようになった?」
と訊かれ、
「いえ、もう全然駄目になってたから、怖くて一人では
 まだ試してみてないんですよ、今やってみましょうか」

ベッドの脇に立って、ゆっくりとしゃがみ、えいやっと
立ち上がると、かなりゆっくりではあるけれども、
脚の力だけで立ち上がれるようになっていました。
「わあ、できたできた。だいぶ戻ってきたね」
と2人で喜びます。昨日から大きな不安を抱えていただけに
これだけのことが随分嬉しく感じました。

今日は朝ごはんにもお楽しみがあります。毎朝パンと野菜サラダと
牛乳、というメニューに飽きて、母に頼んでインスタントコーヒーを
差し入れてもらったのです。
担当の看護師さんに前もって確かめましたが、
私は全く食事制限がないので、おやつでもコーヒーでも、
好きなものを差し入れてもらって良いと言ってもらいました。
私はもともと朝はどうしてもコーヒーがないと駄目な奴なので
1週間ぶりの朝のコーヒーはとてもおいしく、やっと
元の生活に戻れるんだ、という気持ちになってきました。

でも、今日もできるだけベッドに寝たまま過ごし、食堂へ
お湯を取りにいったりするのは車椅子を使います。
おかげで、今日はもう脚のだるさはだいぶ楽になりました。

この日からは昼前と夕方の検温もなくなり、血圧も酸素も
測りに来なくなったので、なんだか嬉しいような
寂しいような不思議な気持ちです。

夕方には、息子の1,2年のときの担任だったM先生が
覗きに来てくれました。

病院で食べる最後(になるはず)の夕食も終わり、やがて
7時ごろには休む同室のおばさまたちに合わせて病室の
明かりを消し、1人でテレビを見ます。
本当に明日家に帰れるというのが、だんだん実感として
沸いてきて、なんだかしばらく眠れませんでした。




入院6日目

2006年11月03日 | 入院生活
一夜明けると、首と肩の痛みは治まりましたが、脚の筋肉の
けいれんと痛みは一向に治まりません。
これまで手足に力が入らないだけで、どこにもしびれや
痛みを感じていなかった私が、初めて苦しんだ痛みでした。

それで、看護師さんに頼んで車椅子を貸してもらい、
トイレ以外の場所へはそれに乗っていくことにしました。
これまで乗ったことがないので最初はなかなかうまく
前へ進めませんでしたが、幸い腕の力がかなり戻っていたため
少し練習すると、思うように方向転換できるようになりました。

この病棟には、立ったり、ほんの少しだけ歩くことはできるけれど
食堂など少し離れた場所に行くには車椅子を使っている人が
沢山いるので、自分で歩ける私が車椅子に乗っていても
まったく目立ちません。

でも、もしこのままの状態が続いたらどうしよう?
私はこの病気になって初めて恐怖感を持ちました。
立ち上がることはできる、少しなら歩ける、でも、たった
100メートルの距離が満足に歩けなくて
元通りの生活をすることができるだろうか?

5日間の点滴が終わってからは飲み薬さえ処方されていないことが
私の不安に輪をかけました。
長時間の点滴は苦しかったけれど、「今治療している、これで
良くなるはず」という希望もあったのですが、
点滴が終わってからはただベッドで寝ているしかない、と
いうことで、まるで「これから元に戻るかどうかは運次第」と
さじを投げられたような気分になってしまいました。

でも、まだ点滴が終わって2日目。
明日、明後日になればもっと良くなっているはず、と自分を
励まします。
とにかく、昨日副師長さんに言われたとおり、一日の間
できるだけ安静にしているように心がけました。
それが良かったのか、ありがたいことに、この日の夜には
やっとけいれんと激しい筋肉痛がおさまり、普通の筋肉痛並の
だるさと重さを感じるだけになってきました。
でも、こんなことを繰り返していては却って
神経や筋肉に負担がかかって治りが遅くなるかもしれない。
ここにいる間は、トイレや洗面所のほかへは車椅子を使って
あまり脚に負担をかけないようにしよう、と決めました。

今日は母と夫、そして息子の担任の先生も覗きに来てくれましたが
熱が下がった分随分すっきりした顔になったと言われました。
でも、「良かったねえ」と言われると、まだ本当に元に戻るかどうか
わからないのに、本当にめでたいのだろうかという気持ちが
頭をもたげます。

退院を控えたこのころの方が、実は急性期より
精神的にきついものがありました。
でも、誰にもそんな気持ちを察してもらえるはずもなく、
自分から話すこともできず、電気の消えた夜の病室で
不安に押しつぶされそうになって、涙が止まらなくなり
夜中にこっそり携帯からネット仲間に打ち明けました。
その時、ギラン・バレーの先輩(?)のひいろさんが
「ゆっくりだけど、確実に良くなるから」と言ってくれた
言葉に、どれだけ励まされたか。
やはりネットの友人に自分がどれだけエネルギーをもらって
いるのかをあたらめて感じた夜なのでした。

入院5日目(2)

2006年11月02日 | 入院生活
今日の担当は病棟の副師長さん(昔は『婦長さん』と言ってましたが
今は『師長さん』と言うんですね。)でした。

私の様子を見て、すぐにおかしいと感じたのか、
「どうしたの?具合悪くなった?どこか痛みでも出てきた?」
と尋ねます。
「実は・・・」と白状すると、
「あのね。○○さんは一度入院が伸びてるから、一日も早く
 退院したいという気持ちはわかるよ。お家のことも気になるでしょう。
 でもね、まだ安静が必要なのに、そんなに一気に無理して、
 また悪くなるようなことがあったらどうするの。
 気持ちは焦るだろうけど、少~しずつ慣らしていかないと。
 お家に帰ったらどうせ動かないではいられないんだから、
 せめてここでは安静にしていてちょうだい。
 上げ膳据え膳もあと2日ちょっとよ」
と叱られてしまいました。
朝には下がっていた熱もまた37.2度まで上がってしまい、
面目なしです。

それを聞いていた向かいのNさん、
「ほんまやなあ。病気でここへ来てるんやから、
 動かんようにせんとあかん」
と言って、すかさず副師長さんから
「Nさんはもっと動かんとあかん!じっとしとって良くなる
 病気やないと何回も言うとるでしょうが!
 もっとリハビリ頑張らんと、いつまでたっても
 お家へ帰られへんで!」
と突っ込まれていました。

思わずそれにみんなで笑ったけれど、脚の痛みはいっこうに
治まる気配がなく、私はその日夜どおし筋肉のけいれんと
激しい筋肉痛に苦しむ羽目になったのでした。