雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

初診(5)

2006年10月16日 | 入院生活
「神経の病気で緊急入院」ということを聞いて、実家の母は
一週間ほど泊まれる用意をしてきてくれていました。

もし、点滴が終了する金曜日まで母に家に泊まってもらえれば
外来治療でも入院になっても、とりあえず何とかなりそうです。
それがわかってほっとすると、突然お腹が空いてきました。
というのも、私は病院に来る前に朝ごはんを食べたっきりで、
そのままばたばたと点滴されてしまったため、お昼ごはんも
食べないままだったのでした。

それで、看護師さんに、「何か買ってきてもらって食べても
いいですか?」と訊くのだけれど、返事は「先生にお訊きしましょうね。
ちょっと待ってね」。
でもドクターが覗いてくれると、看護師さんはその他の指示を訊くのに
夢中になってしまって、食事のことを訊くのを忘れてしまうのです。
何度も何度も「看護師さん~、お腹空きました~」と訴え続けて、
やっと5時前に電話でドクターに食事の許可をもらってもらうことが
できました。

左手を点滴につながれたまま、処置室の硬いベッドの上で
母が買ってきてくれたおにぎりをもぐもぐとほおばる私。
最後にドクターが覗いてくれた時も、まだもぐもぐとやっていた
ところでした。
今のところ全く頭痛や吐き気といった副作用が出ていないのを見て取り、
一通り手足の麻痺の様子を見たあと、ドクターは言いました。
「今日は点滴が済んだら帰っていいよ。でも明日は朝一番、9時までに
 もう一度私のところに来てね。後の治療も外来でやっちゃうか、
 入院してもらうかは、その時の話にしましょう」

「やった!」と思った私ですが、母が食い下がり始めました。
「先生、それで今日帰って、夜中に具合が悪くなったりしないんですか。
 もう今日は泊めてやってください。明日になって起き上がれなく
 なっていたらと思うと、連れて帰れません」

しかし、ドクターはニコニコ笑って、
「もう治療が始まっていますからね、命に関わるほどひどいことには
 まずならないはずです。万が一夜中に容態が変わったら、すぐ
 連れてきてください。当直に話は通しておきます。」

かくして、初日はとりあえず家に帰してもらえることになりました。
点滴が終わったのが7時20分。それから家に連絡して
夫と息子に迎えに来てもらいました。病院のベッドに私が寝ている姿を
息子に見せて
「お母さんは病気になりました。明日から病院にお泊りしないと
 いけません。金曜日に帰りますから、それまでの間、おばあちゃんがお家に
 泊まってくれます。ちびくまくん、お留守番していてくれますか」
と話すと、息子はあっさりと
「はい。わかりました。ぼくはおるすばんしていてくれます。」
と答えました。

母も一緒に家に帰り、しばらく入浴できなくなるかもしれないから、と
ゆっくりお風呂に入ったあと、手足の麻痺も忘れるほど慌しく
入院の用意をし終えると、夜中の1時になっていました。
長い長い1日の終わりでした。

初診(4)

2006年10月16日 | 入院生活
夫が私のいる外来処置室に駆け込んできたのは1時半ごろでした。
早速ドクターが呼ばれて、病気と点滴についての説明が始まります。
夫は「ギラン・バレー」の語が理解できず、「は?」と何度も
聞き返していましたが、本人である私が病気の概要を理解していたためか、
「ご主人、インターネットします?お家で調べてみてください」で
切り捨てられていました。(笑)

この病院の外来は午前中だけなので、処置室に残っているのは
私と、検査がずれ込んだ1~2人の患者さんだけになりました。
それで、外来の看護師さんたちが一斉に私の処置にかかりはじめました。
左腕に針を打たれて、2時15分、いよいよ点滴の開始です。
初めは1時間に30mlというゆっくりとした速度、これは点滴開始直後に
起こりやすいアレルギー反応やショック症状を防ぐためだそうです。
30分異常がないことを確認してから1時間に60ml、さらに1時間
経ってから1時間に100mlにまで増えました。

最初の1時間は特に目が離せないらしく、ほとんどの間、隣のベッドに
ドクターが腰掛けてずっと話しかけてきていました。

「ギラン・バレーには、神経の外側の鞘がやられるタイプ(脱髄型)と
 神経線維そのものがやられるタイプ(軸索型)があるんだけど、
 あなたは鞘がやられるタイプみたいだねえ」
(軸索型のほうが重篤になりやすく、後遺症も残りやすい)

「最近増えてるのかなあ、今年は1ヶ月に1,2人見てるよ、
 ギラン・バレーの人。先月だけだね、なかったのは」

「しっかし、ギラン・バレーにもこんなに軽い人がいるんだねえ。
 これまで何十人も見たけど、あなたほど軽い人は見たことない」

「神経内科の病気には、治らない、治せない病気が多いんだけどね。
 ギラン・バレーは治る病気だから。軽いうちに治療が始められたからね、
 きっと治りますよ」

「どうしても入院できなかったら、外来で毎日点滴に通ってもらうかなあ。
 まあ、病院でやることと言ったら、点滴だけなんだけどね。
 でも、ギランバレーで外来なんて、聞いたことないよなあ。
 ギランバレーは即入院が医者の常識だしなあ」

「ねえねえ、この点滴、すっごく高いんだよ。高額医療でだいぶ
 戻ってくるから、一時立替にはなるけど、最終的にはそんな目の飛び出る
 ような額にはならないと思うんだけどね。1本、いくらするか、知りたい?
 ちょっと薬局に訊いてみようか?」
(わざわざ薬局と医事課に電話をかけて値段を訊く)

トイレ以外にベッドからの起き上がりを禁止されて、点滴につながれたまま、
私が思ったのは
「このドクター、お茶目だなあ。おもしろすぎ~」
(重病の自覚がないので、どこまでものんき)

4本うつ点滴の1本目が終わる頃、夫には息子を学校に迎えに行って
一度自宅へ引き上げてもらうことにしました。
ちょうどそれと入れ替わるようにして、実家の両親が駆けつけてきました。