雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

息子の立ち位置

2009年07月17日 | 楽しい学校生活
息子の交流担H先生が、学期末に必ず生徒たちに書かせるのが
「今学期頑張ったこと、反省したいこと」
「クラスのこの人にこんな賞をあげたい!」

終業式の今日、息子が通知票と一緒にもって帰った学級通信に
その結果が発表されていました。

息子の「今学期頑張ったこと」は
「ステップ(支援級)の5人と仲良くした」。
そして、同じ班の女の子Uさんに「がんばった賞」を
あげたい、と書いてありました。

Uさんは修学旅行に向けてみんなで千羽鶴を折るときも
苦戦する息子に折り方を丁寧に教えてくれ、
修学旅行本番でも常にサポートしてくれた班長さん。

何かにつけて「頑張ったねえ」「頑張っているねえ」と
褒められて育ってきた息子にとっては
「がんばった」は自分を助けてくれる人への
賛辞なのでしょう。自分を誰がサポートしてくれているか、を
きちんとわかっているんだなあ、と思いました。

さて、息子にクラスメートから与えられたのは
「和むで賞」…Mくん(息子)の笑顔でみんなが和んだ。
「かわいいで賞」…体育のときの泳ぎ方がかわいい。

和んで、かわいいんですか(笑)
両親に似て、ルックスには決して恵まれていない息子ですが、
あれほど無愛想で怪しくても
ちゃんと「そういう人」としてクラスには彼の居場所があり、
それを微笑ましく見守ってくれるクラスメートが
いるんだなあ、と

とても嬉しい気持ちになりました。

障担K先生が通知票に書いてくれたのは
「本人の行動や発言からは前向きなことは感じられにくいのですが、
 常に『諦めずチャレンジしていこう!』『頑張って克服しよう!』と
 いう向上心は持ち続けていることを実感できました。
 本人がやる気を持続できるような環境があれば、何でも自主的に
 できるようになっていくことも確認できました。」

それがわかっていてくだされば、それで十分です。

息子にとっては中学生活最後の夏休み。
先生と相談して山のような宿題を持って帰ってきましたが、
楽しみにしているヘルパーさんとのプール行きとともに、
楽しい日々を過ごして欲しいと思っています。

シャンプーの悲劇

2009年07月14日 | adorably autistic
我が家では息子も私も同じシャンプーを使っています。
息子のアトピーを機に洗濯にも食器洗いにもお風呂にも
石鹸を使い始めてはや10余年、なんやかやと浮気しながらも
結局はこれに戻ってきてしまう、パックスナチュロンシャンプー。

最近は生協やドラッグストアにも置いてあるのですが
ネット通販のほうが若干安いので、いつもはネットショップで
まとめ買いしています。

さて、今日お風呂に入って髪を洗おうとすると、
泡で出てくるはずのシャンプーボトルから水しか出てきません。
不思議に思って息子を呼び、

「ねえ、シャンプーの入れ物にお水入れた?」と訊くと
「うん」
「どうしてお水入れたの?」
「せっけんなかったから」
「シャンプー、もうなくなってたの?
「うん」
「空っぽになったから、お水いれてみたんだ?」
「うん。新しいせっけんある?」
「あと1つあるよ。じゃあ、新しいの入れとくね。
 これからは空になってたらお水を入れないでお母さんに言ってね」
「うん」

洗面所から最後のストックを取り出し、泡ボトルに詰め替えて、
一件落着。・・・のはずだったのです。

その後しばらくしてお風呂に入っていった息子。
「おかーさーん、新しいせっけん、どこ~?」
「え?シャンプーの入れ物にちゃんと入れてあるよ」と
言いながら風呂場へ行って見ると、
そこには空のシャンプーボトルを持って困った顔の息子。

「あれ?お母さん、その中に新しいシャンプー一杯
入れてなかった?」と訊くと、
ますます困った顔になって排水口をじっと見つめます。
「えっ、ひょっとしたら、入ってたの、全部捨てちゃった?」
「・・・ごめんよ~」


「…せっけん、なくなっちゃった。新しいのある?」
「あれが最後だったから、もうないよ」
「…えーと、なくなったから、また買ってくれる?」

明らかに焦りうろたえまくる息子相手に怒るわけにもいかず、
「うん、じゃあ、また買ってこようね。今度は捨てないでね」

ちょっとほっとした表情になった息子、
お風呂から出てくると
「おかあさん、せっけん、新しいの買ってね」
「せっけん、どこのお店で買う?」
とフォロー(のつもり)しまくります。

揚句の果てに
「おかあさん、ぼく、お母さんのこと好きだよ~!」

息子よ、それで全てが許されると思わないで欲しいんです。
・・・許してるけど・・・

参観授業

2009年07月07日 | 楽しい学校生活
私たちの住む町には、これまで肢体不自由や知的障碍のある子のための
特別支援学校がありませんでした。(「これまで」というのは、
市内にある特別支援学校が昨年度から高等部に知的障碍の
ある生徒の受け入れを始め、来年度からは小中学部でも受け入れを始める
ことになったからです。ただし、肢体不自由(のみ)のお子さんを受け入れる
特別支援学校はまだ通学圏内にはありません)
昔は地域の学校では障碍のある子を受け入れる体制がなく、
障碍のある子は「就学猶予」の名の元に学校生活を諦めるか、
家族と離れて遠くの施設に入所してそこから特別支援学校に通ったのだそうです。

1970年代後半から養護学校義務化の流れの中で、また、
住んでいる町で教育を受けたいという子どもたちと親の強い願いから
生まれたのが「障碍児教育センター校」という制度で、市内の小学校、
中学校それぞれ1校を選んで、そこに施設と人員をそろえることで
重度の障碍があっても市内で教育を受ける体制が整いました。
息子が卒業したのはそんな歴史を持つセンター小学校です。

時代は変わり、今では障碍を持つ子もほとんどが校区の学校へ
通えるようになりましたが、特別支援学級在籍に対する意識の変化や、
施設面や障碍のある子を支える教育的ノウハウの蓄積などの理由から
センター校を選択する子も年々増え続け、
施設の老朽化と狭小化もあって、小中ともにセンター校は
ニュータウン内の学校へ移転することになりました。

息子が小学校を卒業した春から、我が家の校区の小学校が
新センター校小学校として多くの子どもたちを迎えました。
そして息子が中学校を卒業する来春から、息子の通うF中が
中学校の新センター校として発動することになっています。

3日には新センター校への進学を考えている保護者のための
学校見学会があり、息子のクラスでも参観授業が行われることに
なりました。「良かったらお母さんもどうぞ」と誘ってもらって
私も出かけていきました。

「ぼくは参観でもいつもと同じ授業しかできません。
 それで良ければ、いつでも誰でも見に来てもらって構いません」
障担K先生がそう言い切るのは普段から誰にも恥じない授業が
できているからだと思いますが
参観となると「いつもと同じ授業」には決してならないのが
うちの息子。

人が見に来ると落ち着きがなくなる、というのなら
理解しやすいのですが、息子の場合、「ギャラリーがいると
いいところを見てもらおうと張り切るので、普段よりずっと
パフォーマンスが良くなる」のが特徴です。

今日は息子にとってはかなりハードルの高い、
小6レベルの算数で立体の性質についての勉強をやっていましたが
見学のお母さんや先生たちがぞろぞろと入ってくると
息子は背筋をピンと伸ばして座って真剣な表情で問題に取り組み
つぎつぎに答を出していきます。

見学者の方たちが「ほう」と感心しておられるのをよそに
私とK先生は顔を見合わせて苦笑い。

ところが、一団が他の教室などを見るために教室を出て行くなり
姿勢は崩れ、問題への集中力は穴の開いた風船状態になる息子。
思わずK先生、「くっそ~、あと5分いてくれたらこの問題まで
解けたのに~」

まあ、「火事場の馬鹿力」的な頑張りなので、そんなに長続きは
しないし、もし無理に続けさせたら息子がつぶれてしまうんですが。

でもあの集中力と努力がどうして普段は出てこないのかと
K先生の頭には時折よぎるらしく、連絡帳にはここ数日、
「でももちろん参観授業でないのでやる気は低かったです」
「誰も見ていないので頑張れませんでした」
の文字が・・・(笑)

息子の成長のためには週に一度ぐらい誰かに見学に来てもらうと
いいのかもしれません。