雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

春の遠足

2006年05月31日 | Wonder of Autism
今日は障級の春の遠足。
ちびくまはいつもより30分以上も早く起きて、
「おかあさん、おきがえします。おようふくだしてください!」と
大張り切り。「バスのなかでみせてもらう」とビデオテープも
しっかりリュックに入れて、準備万端です。

バスで出かける遠足の朝は、いつもの通学バスには乗らず、私が
車で集合場所(M小の周囲の道は細くてバスが入れないのでバス遠足のときは
別の場所で集合になる)まで送っていく、というのが息子のこだわりでしたが
6年生になったらそろそろ通学バスに乗っていく、と言ってくれないかな、
という私の目論見はあっさりとはずれ、今回もまた車で送るはめに
なりました。どうやら卒業までこのパターンでいくつもりのようです。

1年生のときから遠足のたびにこれなので、集合場所に着いても、
もう母が送ってきた理由さえ訊かれません。
車を降りた息子は、すぐに担当の介助の先生と一緒に
入ってくる通学バスを見たり、トイレに行ったり、で、もう母は用無し
なのですが、せっかく来たのだから子どもが全員揃い、遠足のバスが
発車するのを見送ってから帰る、というのが、これもパターンになって
しまいました。子どもが揃うのを待つあいだ、担任以外の先生たちとも
ちょっと世間話なんかできるのも、すっかり私の楽しみになっています。

ちょうど隣のクラスのH先生と「今日は暑くなりそう~」と話しているところへ
通学バスが1台到着。ぽっちゃり可愛い1年生のSくん、バスの中で
既に大泣きです。いつもは学校へ向かうバスが、今日は別の場所へ
向かいだしたので、納得がいかないんでしょうね。

でも、介助の先生たちはちゃんとこうなることを予想していて、
別の刺激にさらさないうちに、彼をまっすぐバスの中に連れて行く
算段を立ててありました。その対応に感心しながら、まあるい顔を
くしゃくしゃにして泣いているSくんに、思わず「かわいいなあ」と言ったら

H先生が満面の笑顔で「ほんま可愛いやろ?Kのミニ版や。1年生のときは
Kもあれくらいやったのにな~」と、まるで「可愛い孫の自慢話をする
おじいちゃん」。(H先生、ごめんね

Kくんというのはちびくまの同級生で、H先生が通算4年
担任をしている男の子。入学式もはじめてのお泊り経験も自然学校も、
H先生が付き添ってきました。そして修学旅行も卒業式もH先生が
付き添うことになります。

ちびくまの仲間には、半端でなく手のかかる子も沢山います。
時々、「おいおい、勘弁してくれよ~」と
ちょっぴりぼやいたりしつつも、とりわけ手のかかる子どもたちを
「その分可愛い」とまるで我が子のように可愛がってくれる
障担の先生たち、介助の先生たち。

こんな人たちに囲まれて、親では連れていけないようなところにも
連れて行ってもらい、楽しく遊べる遠足が普通学級のお子さんたちの
倍もある、この子達の学校生活はほんとうにおいしいなあ、と改めて
思ったのでした。

ちびくまは、「ぼくは、らいねんの4がつからはちゅうがくせいになるから、
もうえんそくにはいけないんだね」と、これが最後の春の遠足だということを
わかっているようです。この1年はすべての行事に「最後の」がつきます。
1つ1つの行事を、息子とともに胸に刻みながら、大切に過ごしたいと
思っています。

地域校かセンター校か。その2

2006年05月30日 | 楽しい学校生活
実は「地域校かセンター校か」というのは、私と6年生のちびくまが
ここ数年向き合ってきた問題でもあります。
この市には中学部のある知的障碍養護学校はありません。
車で片道1時間以上かかる養護学校へ進学するか、市の中学センター校へ
進学するか、あるいは校区の中学へ進学するかを選ばなくては
ならないのです。

私は息子が3年生のときに保護者会の行事としての中学センター校と
県立養護学校の見学会を企画したのを皮切りに、

これまで3年をかけて3つの養護学校と中学センター校と
地域の中学を何度も見学に行きました。いろいろな方に会って
話を聞きました。いろいろな方に息子に会っていただきました。
そう、「これから」のお母さんたちにアドバイスしたとおり、
自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の考えをまとめていったのです。

そして、ついに心を決めました。
6月にある就学相談会を前に、今日は障担と息子と一緒に
その学校へ正式に息子の入学をお願いに行って来ました。
校長先生も担当の先生も快く迎えてくださいました。

うちの市では就学相談はあくまで「相談」、最終的には
保護者と学校現場の意向が尊重されます。なので、校長先生から
OKが出れば、事実上進学先は内定です。
これからは1年かけて、息子がスムーズに中学生活へ移行できるように
小学校と中学と連携をとりながら準備を進めていくことになります。

どこの学校に決めたのか、は教委の正式決定になるまで
伏せさせて下さい。でもそれは、息子が小学校に入学してから
4年生くらいまで私がずっと思い描いていたのとは
かなり違う結果になった、ということだけ申し上げておきます。

子どもは小学校6年間で大きく変わります。学校も、先生も変わります。
あらゆる選択肢を幅広く見て、オープンな気持ちで評価すること、
その時の子どもの状態を掛け値なしの目で見て、今一番何を
重視しなければならないのか、軸足のぶれない姿勢を持っておくこと、
就学先を決めるのには、やはりそのあたりが大切なような気がしています。


地域校かセンター校か。

2006年05月28日 | 楽しい学校生活
私たちの住む地域には、小学生のいける養護学校がありません。
その代わりに、普通の小学校の障碍児学級を人的物的に充実させたセンター校という制度があって、ちびくまはここに通っています。

市内のほかの小学校のほとんどにも障碍児学級はあるので、障碍のある子が小学校に入学するときは、校区の学校(地域校)かセンター校のどちらかを選ぶことになります。今年もそろそろ来年入学する子のお母さんたちがどちらにするか、頭を痛めているようです。

ちびくまの場合は、まず地域校の見学に行ってから、センター校の見学に行きました。「とことんこのこにこだわって」の中でも触れましたが、私は前者では「なんとなくピンとこない」気持ちを持ち、後者では見学が終わったときには「ここにしよう!」と決心していました。

それは、私の中では優先順位がはっきりしていたからだと思います。アメリカで専門的な就学前療育を受け、帰国後日本の通園施設に通った経験から、私は息子が毎日笑って生活するためには、視覚支援や言葉のかけ方、といった自閉症の基本知識と、子どもの特性に環境を合わせる、という考え方が不可欠だと思っていましたし、子ども3人に先生1人という通園施設の体制は、「手はかからないが黙って困っている」子どもである息子には不十分、マンツーマンで手をかければその方が伸びる子どもだということを密かに確信していました。

「おかあさん、そう構えないで。ゼロから始めたらいいんですよ。問題が起きたら、その時また考えましょう」地域校ではそう言ってくれたけれど、私は「ゼロから始めてもらっては困る」と思ったんですね。

息子は一人っ子でしたから、きょうだいの心配もありませんでした。きちんとした対応がなければ、障碍のない子と一緒にいるだけでは却って傷つくことのほうが多くなることもあることも、経験済みでした。地域の子どもに息子を知ってもらいたい、声をかけてもらいたい、というのは私の思いだけで、息子自身には少なくともその時点では大して意味がないことも明らかでした。

「地域」というのを、必ずしも「校区」「近所」と考えなくてもいいじゃないか、と私は折り合いをつけたのです。今校区に住んでいる人だけが一生息子の関わる相手になるわけではない。センター校に行ったって、この市から出て行くわけではない。センター校に行けば、近所でない人たちにも息子を知ってもらえる、と思えばいいではないか、と。センター校に籍を置いて地域校にも関わっていけば、息子を知ってくれてる人はもっと増えるじゃないか、と。

結局、あの時直感でセンター校を選んだことは「私と息子には」正解だったし、でも地域の理解のほうも諦めないできたことは、中学段階での息子の選択肢を増やしてやれる意味では良かったと思っています。

「これから」のお母さんたちにもしアドバイスできることがあるとすれば、まず、我が子の状態や性質をしっかり見極めること(集団で育つタイプなのか個別対応がベターな子か)、子どもの就学先に求めるものの自分なりの優先順位をはっきりさせておくこと、どちらの選択肢にも自分で足を運んで自分の目で見て自分の耳で聞いて、その上で自分の考えで決めること、子どもに「こうなって欲しい」と望むことも大切だけれども、今のままのその子が生き生き暮らせるのはどちらか、という視点も忘れてはならないこと、そしてどちらを選んだ場合でも、ただ「してもらえるのを待つ」だけでは手に入るものは限られること、でしょうか。

我が子に良かれ、と思って悩むのは親なら当然。
でも「障碍のない子」には(公立の小学校で)就学先を選ぶ権利はありません。せっかく与えられた「特権」だと思って、この機会を利用すると良いと思います。
そして、しっかり悩んで選び取ったことは、その時の自分にとっては正解だったと自信を持っていい。子どもの成長につれてどうしても道が違ってきてしまったら、それはその時に修正すればいいんです。将来の失敗を恐れて、今の生活や望みを犠牲にすることはない、と私は思います。

「将来のために」と考えるのは大人の発想、子どもは「今」が楽しくなければ楽しくないんだ、と佐々木正美先生が本に書いておられましたね。
(きょうだいも含めて)子どもが楽しく学校に通うのには何が必要なのか、自分は何を一番大切にしたいと思っているのか、子どもが小さいときには考える余裕もなかったことをしっかり考え、見つめなおす良い機会だったのだと、小学校選びが遠い昔になった今はそう思えます。

今就学問題に頭を抱える親御さんたち、どうか勇気を持ってください。
その時、いろんな選択肢をきちんと考えてみたうえで一生懸命考えて出した結論は、きっとそんなに間違った結果にはならないから。

「ここ。」

2006年05月23日 | adorably autistic
夜、ダイニングテーブルでノートPCに向かっていると
背後から「おか~さ~ん」と呼ぶ声が。
振り返ってみると、隣の和室の押入れの中の畳んだ布団のうえに
寝そべってにこにこ笑っている息子。

「ちょっと、ちびくまくん、どこに入ってるの」と言った私に
息子は笑顔で答えたのでした。

「ここ~♪」

…はい、おっしゃるとおりです・・・。

いちごがり

2006年05月19日 | 楽しい学校生活
ちびくまの通うM小の校区は、駅前の商店街や代々ずっと続いている集落や
広大な田んぼや畑を持つ農家や新興の住宅団地・マンションなどがある
バラエティに富んだところです。

その中である農家のお宅が、毎年M小の障碍児学級の子どもたちのために
専用のイチゴ畑を作って、無償でいちごがりに招待してくださっています。
今日はその恒例のいちごがりの日でした。

ところが、天気はあいにくの曇り空。今にも泣き出しそうな空を見ながら
ちびくまも「きょうのおてんきどうかなあ、あめふるかなあ」と
心配していたのですが

晴れ男のちびくまの面目躍如、子どもたちがいちごがりを終える
ぎりぎりまでなんとか降らずにもってくれたようです。
お陰で、小学校生活最後のいちごがりを、息子も楽しむことができました。

いちごがりの後は学校まで徒歩で帰る予定だったけれど、
雨が降ったので子どもたちは先生たちの車に分乗して帰校、
ちびくまにとっては思わぬ嬉しいおまけつきでした。


ニュータウンからM小に通う子どもたちの中には
普段野菜や果物が畑に育っているのを間近に見たことがない子も
たくさんいます。初めてのいちごばたけに大喜びする子、
絵本を思い出して「はらぺこあおむし」の歌を歌う子、など
それぞれに子どもたちは楽しんだようです。

地域に、こんな風に子どもたちを支えてくださる人がいるって
とてもありがたいですね。

こくっぱ家の秘密

2006年05月16日 | Wonder of Autism
自分のことのようにドキドキわくわくしながら待った、NHK教育
「福祉ネットワーク」「こくっぱ家の人々」の放送。

予め息子に「今日は夜8時から、お母さんにテレビ見せてねっ」と頼み、
ビデオもセットして、テレビの前に陣取って見ました。

こくっぱの母さんとは、1999年に「ことばと発達の学習室」の掲示板で
知り合い、その後やりとりを重ねて昨年一緒に「とことんこのこにこだわって」を
出版した仲間です。お互いの子どもの行動についても、ずっと一緒に考えたり、
笑ったりしてきました。

母さん本人とは昨年学会で会えたのですが、小さい時から
その育ちを知っている4人の子どもたちとはこれが初対面(?)。
「うっわ~、大きくなってるなあ」
「うわ~、かあちゃんそっくり」
まるで久しぶりに見る親戚の子どものように、その成長ぶりに惚れ惚れしながら
あっという間の30分でした。

番組のナレーションでは、母さんは子どもの発達に長い間悩み、
辛いことも辛抱して今の境地にたどり着き、今も子どもの発達に
あわせる為に我慢や努力をしているような印象だったけど

ほんまもんのこくっぱ母さんは、きっと我慢もしてなければ
努力してもいない、と言うだろうな、とも思いました。
障碍があるから療育をしなくちゃ、って言うけど、親ができる
一番の療育は、「その子のものさし」を探って、それにあわせて
丁寧に子どもを育てることなんじゃないか。
「療育は丁寧な子育て」そんな名言を、彼女は既に6年も前に
自分のものにしていたのだから。

将来のために子どもの今を犠牲にするのではなく、
その子が「今日も楽しかった」と思いながら眠りにつけるような、
そんな生活を用意すること、「おかあさんはいつでもぼくを
受け止めてくれる、わかってくれる」そんな安心基地になることこそが
どんな専門家にも真似ができない、親の役割であり、特権でもあると
私は思います。

それは障碍があってもなくても、おそらく根本の部分では
変わらないだろうと思うのです。

障碍のある子とない子、それぞれの個性を尊重しながら、
ごく自然体で「生活」しているこくっぱ家、
「子どもとの日々は毎日おもしろいことがいっぱい」と言う
こくっぱの母さんのほがらかな笑顔、子どもたちの明るい笑顔から
きっとみんなが元気をもらったことでしょう。

本当は取材スタッフが撮りためた、お宝映像がまだまだ他にも
あるらしいのですが・・・
どうせなら、「にんげんドキュメント」にでもしていただきましょうか。
みんなでNHKにメール送れば実現するかも。

見逃した方、再放送は23日(火)13:20~です。
今度はお見逃しのないように。

第2のトイレ記念日

2006年05月14日 | Wonder of Autism
タイトルからわかるように、今日はビロウな話ですので、
お食事時に読まないように気をつけてくださいね。

ちびくまと私は、月に1回、動作法の学習会に出ています。
学習会では年に一度、ボランティアの先生方の協力で
1泊2日集中学習のキャンプをしています。

今年も昨日今日とがキャンプ。ちびくまの参加も4回目になりました。
毎年同じ時期に同じ施設に泊まり、来てくださる先生方の
顔ぶれも概ね同じ、子どもたちのほとんどが自閉っ子、ということで
息子にもリラックスできる環境です。

担当のトレーナーの先生についてもらって、ちびくまの体に
ちびくまと共に向き合う体験をします。
自分の体を認識し、思い通りに動かすことに大きな困難を抱えた
ちびくまですが、一生懸命頑張っています。セッションを重ねるごとに
進歩が見えてくるようでした。

さて、キャンプ後半になった今日のお昼のこと。
昼食を食べた後、ちびくまがあわてて私の手をひっぱって、
「おかあさん、おかあさん、たいへん、たいへん、でちゃう」
どうやら、トイレを我慢していたようです。

2人で障害者用トイレに駆け込んで、ふと見ると、
息子、なんだかいきんでいるようなのです。
え?これは?と思って静かに見守っていたら、「ポッチャン」と水音。

や・っ・た・~

慌てて自分の足の間を覗いて、顔を上げて私を見た息子に、
「すご~い!トイレでうんちできたね~!やった~!」と声をかけると、
息子もにっこり。もう少し頑張って、きちんと最後まで排便できたようです。
紙で拭くのはまだ自分では難しいようで、私が手伝いました。

初めて自宅以外の場所で排尿できたのが、去年の5月のこと。
(→トイレ記念日
おかげで5泊6日の自然学校の間、「小」の問題はクリアできたのだけど
とうとう「大」は一度もしないで我慢して帰ってきました。
家でもどうしても「大」だけはトイレでなくオムツをはいてでしか
できないままでした。

そこからもう一歩、「トイレで大も」へ進ませたいという障担と
自分の気持ちを抑え、ただひたすら息子が自分からその気になるのを
辛抱強く待ち続けたこの1年が報われました。

誰に言われたからでもなく、自分からハードルを越えた息子は
自分でもすっかり誇らしい気持ちになったようで、ニコニコ笑顔。
「ちびくまくん、しあわせ~

(ちなみにこれは、N○K教育の「パンツぱん○ろう」に
「きょ~うもあ~さからりっぱなうんち~
 で~たからい~ちにちしあわせよ~、はい、しあわせよ」
という歌があるので、
「うんちがでた」ときにすっきりした気分は「しあわせ」と
いうのだと学習したようです。)

せっかくなので、キャンプ最後の集会のときに皆さんの前で
報告して、拍手していただきました。
そこでも息子は「ちびくまくん、しあわせだから~」


養護学校に転勤した前障担にもメールで報告。息子宛には
「おめでとう!先生はきっとちびくまくんにならできると
 思っていたよ!」との返事をもらいました。
それを見て、また息子はにっこり。
私宛には、「あの時焦ってせかさなくて正解でしたね」

息子の成長には、どんなに手を尽くして教えようとするよりも、
ただ信じて時期を待つことが大きな力を発揮することがあります。
どんなに肥料を多くやっても水をやっても、植物そのものの
根や葉を引っ張って伸ばしたり、無理やり花を咲かせることは
できないように、手をかけ、心をかけながらも、あとは子どもの
育ちを尊重し見守るゆとりを持つことも大切なのだということを、
また私は息子に再確認させられました。

「たとえば 花を 育てるように
      いとしい わが子を 育てよう」

ちびくまのゴールデンウィーク

2006年05月08日 | adorably autistic
やれやれ。やっと大型連休終わりですね。
今年の息子、「ちびくまくん、どこへ行きたい?」の問いに
「おでかけしない。ちびくまくんは、おうちでゆっくりするのがいい」

いつもはこの質問でやりたいことが引き出せるのだけど、
なんか伝えにくいことでもあるのかと思って、
それらしい選択肢を示してみたり、筆談にしてみたり
工夫はしてみたのですが、やはり答えは
「おうちであそびます」

去年まで結構頑張って外出していたんですが、
学校生活を通して年中行事を理解してきた息子、
「この時期にどこかに行くと、人も車もいっぱいで
 行列を我慢しなければならない」ことが
わかってきて、あえてそれを避けたのかもしれません。

そこまで言うならばそれを尊重しましょう、と
5連休の間、とうとう家から外へ出たのは、向かいのスーパーへ
買い物に行ったのと、最寄の駅前のスーパーまで
往復歩いて行ったのとだけになりました。

本人はそれでも特に退屈した様子もなく、いつもと同じように
インターネットをしたり、教育ソフトで遊んだり、
テレビを見たり、ビデオを見たり、絵本を読んだり、と
楽しそうに遊んでいました。

まあ、こういう時間を自分で選んだ活動で楽しく過ごせる、というのも
将来に向けては大切なスキルかもしれないですね。

後から考えてみれば、担任をはじめ、周りの環境が大きく変わったこの春、
パニックやこだわりでストレスを発散しなかった分、
本当に「おうちでゆっくり」したかったのかもしれません。
十分に英気を養ったのか、今朝はまた、元気いっぱい
学校へ飛び出していきました。