雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

入院2日目(1)

2006年10月19日 | 入院生活
病院の朝は6時に始まります。
まず寝覚めのお茶、その後顔拭き用の蒸しタオルとうがいセットが
配られます。助手さんがごみを集めにきてくれて、お掃除の人が
ベッド周りをお掃除してくれたころ、看護師さんが検温に
現れます。今朝の体温は37.4度。
私は入院したばかりの上に急性期なので、体温の他に脈・血圧と
酸素飽和度も毎回計られますが、脈がやや速い他は異常なし。
朝一でトイレまで歩く許可を取ってもらい、ポータブルトイレとは
やっとおさらばです。

7時半すぎに朝食が配られ、その後日勤の看護師さんが出勤してくる
9時前後から病棟は始動します。

今日から私の受け持ちになる看護師・Nさんは10時前にやって来ました。
「遅くなってごめんね~、じゃ、今日は早速点滴からさせてもらうね」
免疫グロブリンのビン4本と点滴台が運ばれてきます。
昨日刺した針に繋がる管(留置カテーテル)に管が繋がれて、
点滴が始まりました。

さて、こうなると他にできることもなくなるので、ベッドに寝て
ぼーっとテレビを眺めていると、廊下の向こうがにわかに
騒がしくなりました。聞き耳を立ててみると、どうやら酸素吸入の
必要な重症の患者さんが入院してくることになり、その人の
ベッドを確保するため、軽症の人を何人かベッドごと別の部屋へ
引越しさせようとしているようです。

これまで空いていた私の向かいにも、高齢の女性が運ばれてきました。
彼女は「いやや、いやや、部屋を替わりたくない、ベッドの向きが
違うから、トイレに行かれへん、もらしてしまう」と半泣きなのですが
看護師さんたちは、「あのね、半身マヒの人やったらそらそうやけど、
Nさんはマヒがないんやから、どっちになっても関係ないんやで。
静かに寝とって治る病気と違うんやから、もっと動かなあかん。
どうしても助けが要ったら呼んでくれたらええから、ちょっと練習
してみて」と言い残して、重症の人の方に行ってしまいました。

残されたNさん、「動かなあかんことくらい
私かてわかってるわ。そんでも痛いから動かれへんねんやんか。
あんなぽんぽんぽんぽん言うて、誰も私のことわかってくれへん」
と泣き出してしまいました。
そのままずーーーっと泣きながら同じ台詞を言い続けているので、
(うちの自閉症児もたいがい同じ台詞を繰り返すけど、ここまで
ひどくない)さすがの私も参ってきて、看護師さんを呼んで、
私がベッドを代わってあげる、と言おうかと思い始めた頃、
ついに看護師さんも根負けしたらしく、彼女のベッドを少しずらして
今までと同じ方向からトイレに立てるようにしてあげました。

すると、ころっと機嫌の直ったNさん、大きな声で
「みなさん、私N○○子いいます。あんばいよろしゅうに」と
挨拶したので、私を含めて同室の3人ともぶっと噴きだしてしまいました。
「こちらこそ、よろしくね。Nさん、トイレのこと配慮して
 もらえてよかったねえ。」一番入院の長いMさんが返事をします。
「へえ、おかげさんで」
「なあ、Nさん、あんた幸せやなあ。看護婦さんはあんな忙しいのに
 あんたの体のことを心配して、逆のほうからもトイレに行けるように、って
 考えてくれはったんやなあ。あんた、みんなから大事に思われてんねんわ。
 今は痛いからしょうないと思うけど、もうちょっとようなったら、
 反対のほうも使う練習したらええなあ」
「へえ、そうでんなあ。ほんまやなあ。大事にしてもうてんねんなあ」

Mさんの説得があんまりうまいので、私は起き上がって
隣のベッドの人と顔を見合わせ、笑いあいました。
それをきっかけに、私は同室の3人のおばさまたちと
少しずつおしゃべりを始め、仲良しになっていったのでした。

入院1日目(2)

2006年10月18日 | 入院生活
さて、何かの修行のように仰向けで動かない姿勢を
2時間とり続けたあと、やっと看護婦さんのOKが出て
起き上がることができました。

すっかり冷めてしまった昼食を食べ、点滴が始まるまえに
トイレに行って部屋へ帰ろうとしたところで、ドクターにばったり。

するとドクター、ちっちっちっと人差し指を横に振って
「起きちゃ駄目だって言ったでしょ~。今日一日は
 ご飯のときしか体起こしちゃだめよ。トイレもベッドサイドでね」
え~っ、看護師さんは歩いてトイレに行っていい、って言ったのにい。

でもまもなく、ドクターの指示でポータブルトイレがベッドの脇に
運ばれてきました。
「こっ、こんなとこじゃ出るもんも出えへん・・・」
と言いたいのをぐっとこらえる私。

まもなく点滴台とグロブリンのビンが4本、それに採血セットを
ワゴンに乗せて看護師さんがやってきました。
で、腕を縛って採血しようとするのですが、いかんせん血管が
浮いてきません。これは友だちのひいろさんも同じだったのですが
私も「細い、出ない、逃げる」の3拍子そろった、看護師さん泣かせの
血管の持ち主なのです。
最初の看護師さん、悪戦苦闘したあげく、どうしても血管が探せず、
援軍を呼んできました。
「あれ~、ほんまに出えへんなあ、若いのにどないなっとんやろ」
と騒がれながら、ついに手首の関節に注射器をずぶり。
これが痛いの痛くないの。その後、今度は点滴の針を刺されたのですが
これがまた痛い。「ごめんね、ここ痛いんだけどね~」と言いながら
刺されたので、これはもう確信犯らしい。

さっき針をさされたばかりの背中はまだ痛いし、採血も点滴も痛い。
「病気自体は痛くもかゆくもないのに、なんで検査や治療が
こんなに痛いねん」と心で泣いているうちに、日が暮れていきました。

夕方の検温で、37.8度の熱が出ていることがわかり、看護師さんが
アイスノンを持ってきてくれましたが、当人はまだ元気満々、
全然病人の自覚がありません。
右腕に点滴を刺されたまま病院の早い夕食を食べ、横になって
テレビを見て過ごし、やっと点滴が終わったのが夜の8時。
同室の人はもう眠ってしまったのか、きっちり閉められた
カーテン越しに感じる部屋の中はしーんとしています。

私は急性期で要注意患者なので、夜はポータブルトイレに座るときも
用を足し終えてベッドに戻ったときもいちいちナースコールを押して
看護師さんを呼ぶように指示されたのですが、こういうときに限って
担当の夜勤の看護師さんは若い男性。
「えーい、こんな環境ではほんまに出るもんも出えへんやろ」と
ぶつくさ言いながら、その夜は更けていったのでした。



入院1日目(1)

2006年10月17日 | 入院生活
一夜明けて、10月3日(火)。
手足の麻痺は昨日の点滴でも良くなってこそいないものの、
幸い、まだ自力で起き上がり、歩くことができる状態でした。
ちびくまを学校に送り出したその足で、バスに乗って病院へ向かいます。
母が荷物を持って付き添ってくれました。

病院に着いて外来受付してもらい、昨日点滴を受けた処置室に顔を出して
Fドクターに連絡を取ってもらいます。
しばらくして外来へやってきたFドクターに、私と母は隣の救急処置室
(ここは救急病院でもある)へ招き入れられました。

「具合はどう?手足以外に動かなくなったところある?」
「いいえ、とっても元気です~」
「まあまあ。(本気にしていない)それで、今日も点滴の続きを
 することになるんだけど、やっぱり入院はどうしても無理なの?」
「あの、先生、5日間の点滴が済んだら帰してもらえるんですよね」
「まあ、今の時点で断言はしかねるけどね、経過が良ければそうなるよ」
「一応、金曜日までは入院できるように準備してきました」
「そう、それは良かった。うん、やっぱり入院してもらったほうが
 僕としても安心だからね。家だと、いくら安静って言っても
 実際無理でしょう。じゃあ、さっそく病棟の準備してもらおう。
 入院の手続きと、それからちょっと心電図とレントゲン撮って、
 そのあと、病室でちょっと検査するから。ルンバール、
 髄液とる検査なんだけど、知ってる?お友達もしたでしょう?」

そこでドクターは病棟へ電話をかけはじめました。
「あ、Fですけど。あのね、1人入院させるから。
 ベッド空いてる?うん、いや、若い女性。
 うん、そう。じゃ、それでお願いするね」

「若い」女性。最初、ドクターが私の年齢を間違えているのかと
思いましたが、なぜ私が「若い」と言われたのかは後になってわかるのでした。

まず、受付に行って入院の手続きと、昨日の外来の支払い。
それから、検査室へ行って心電図と肺活量検査、
その後は胸部レントゲン撮影。
「えっと、この後入院だね。じゃあ、係の者が迎えに来るから、
 廊下の椅子でちょっと待ってて。気分悪くない?おかしかったら
 すぐに呼んでね」
そう言われてもまだ「入院」がピンときていない私。

迎えに来てくれた事務員さんに連れられて病棟に入り、病棟の詰所に
挨拶した後、病室に通されます。
4人部屋の、窓際のベッドでした。この病院は病衣がないので、
ベッドの上で持参したパジャマに着替えます。
病室の入り口とベッドの枕元に名札をつけていいか訊かれてから
(個人情報の関係らしい)、ベッドに名札を入れられ、いよいよ
入院したんだという気になりました。(遅い)
主治医は、初診で診てもらったFドクターになっていました。

さて、11時すぎ、ドクターが病室に現れました。
悪名高い(?)ルンバ-ル(髄液検査)の始まりです。
ベッドで先生に背を向けて側臥位になり、胎児のように
背を丸めて小さくなるように指示されます。
背中を消毒したあと、「絶対動かないでね。もしビリッと来たら、
体を動かさないで声で知らせて」と言われた後、腰に針がブスッ。
ひいろさんの手記では「痛くはないが抜かれる感触が気持ち悪い」と
いうことだったのだけど、もう痛いのなんの。
痛すぎて、抜かれる感触なんてわかんない。声も出せずに
ただ歯を食いしばって耐えるのみ。
「ほーい。もう終わり。針抜くからね~」
のんびりしたドクターの声からは想像できないくらい、
抜くときも痛い!

背中をもう一度消毒して、ガーゼを当てて絆創膏を貼ると、
「はーい、じゃあ、天井向いて寝て。はい、そのまま動かないで
 2時間安静~、絶対起き上がっちゃ駄目だよ、これまで
 経験したことないようなひどい頭痛になるよ」
と言い渡されます。看護師さんが
「先生、もうすぐ昼食が来ますけど」と言うと
「あ、そうか、でも駄目だな。最低2時間はそのまま我慢。
 ごはん、冷めちゃうけど、その後に食べようね。
 そっか、昼ごはんが終わってからにしてあげたらよかったね~」
・・・そ、そういうことはもっと早く気がついてください・・・


「で、どうだった、ルンバール?思ったほどでもなかった?」
と訊かれて、
「もう声も出ないくらいめちゃくちゃ痛かったですぅ~」と答えると
「あ、やっぱり?(笑)」
・・・どこまでもお茶目なドクターなのでありました。




初診(5)

2006年10月16日 | 入院生活
「神経の病気で緊急入院」ということを聞いて、実家の母は
一週間ほど泊まれる用意をしてきてくれていました。

もし、点滴が終了する金曜日まで母に家に泊まってもらえれば
外来治療でも入院になっても、とりあえず何とかなりそうです。
それがわかってほっとすると、突然お腹が空いてきました。
というのも、私は病院に来る前に朝ごはんを食べたっきりで、
そのままばたばたと点滴されてしまったため、お昼ごはんも
食べないままだったのでした。

それで、看護師さんに、「何か買ってきてもらって食べても
いいですか?」と訊くのだけれど、返事は「先生にお訊きしましょうね。
ちょっと待ってね」。
でもドクターが覗いてくれると、看護師さんはその他の指示を訊くのに
夢中になってしまって、食事のことを訊くのを忘れてしまうのです。
何度も何度も「看護師さん~、お腹空きました~」と訴え続けて、
やっと5時前に電話でドクターに食事の許可をもらってもらうことが
できました。

左手を点滴につながれたまま、処置室の硬いベッドの上で
母が買ってきてくれたおにぎりをもぐもぐとほおばる私。
最後にドクターが覗いてくれた時も、まだもぐもぐとやっていた
ところでした。
今のところ全く頭痛や吐き気といった副作用が出ていないのを見て取り、
一通り手足の麻痺の様子を見たあと、ドクターは言いました。
「今日は点滴が済んだら帰っていいよ。でも明日は朝一番、9時までに
 もう一度私のところに来てね。後の治療も外来でやっちゃうか、
 入院してもらうかは、その時の話にしましょう」

「やった!」と思った私ですが、母が食い下がり始めました。
「先生、それで今日帰って、夜中に具合が悪くなったりしないんですか。
 もう今日は泊めてやってください。明日になって起き上がれなく
 なっていたらと思うと、連れて帰れません」

しかし、ドクターはニコニコ笑って、
「もう治療が始まっていますからね、命に関わるほどひどいことには
 まずならないはずです。万が一夜中に容態が変わったら、すぐ
 連れてきてください。当直に話は通しておきます。」

かくして、初日はとりあえず家に帰してもらえることになりました。
点滴が終わったのが7時20分。それから家に連絡して
夫と息子に迎えに来てもらいました。病院のベッドに私が寝ている姿を
息子に見せて
「お母さんは病気になりました。明日から病院にお泊りしないと
 いけません。金曜日に帰りますから、それまでの間、おばあちゃんがお家に
 泊まってくれます。ちびくまくん、お留守番していてくれますか」
と話すと、息子はあっさりと
「はい。わかりました。ぼくはおるすばんしていてくれます。」
と答えました。

母も一緒に家に帰り、しばらく入浴できなくなるかもしれないから、と
ゆっくりお風呂に入ったあと、手足の麻痺も忘れるほど慌しく
入院の用意をし終えると、夜中の1時になっていました。
長い長い1日の終わりでした。

初診(4)

2006年10月16日 | 入院生活
夫が私のいる外来処置室に駆け込んできたのは1時半ごろでした。
早速ドクターが呼ばれて、病気と点滴についての説明が始まります。
夫は「ギラン・バレー」の語が理解できず、「は?」と何度も
聞き返していましたが、本人である私が病気の概要を理解していたためか、
「ご主人、インターネットします?お家で調べてみてください」で
切り捨てられていました。(笑)

この病院の外来は午前中だけなので、処置室に残っているのは
私と、検査がずれ込んだ1~2人の患者さんだけになりました。
それで、外来の看護師さんたちが一斉に私の処置にかかりはじめました。
左腕に針を打たれて、2時15分、いよいよ点滴の開始です。
初めは1時間に30mlというゆっくりとした速度、これは点滴開始直後に
起こりやすいアレルギー反応やショック症状を防ぐためだそうです。
30分異常がないことを確認してから1時間に60ml、さらに1時間
経ってから1時間に100mlにまで増えました。

最初の1時間は特に目が離せないらしく、ほとんどの間、隣のベッドに
ドクターが腰掛けてずっと話しかけてきていました。

「ギラン・バレーには、神経の外側の鞘がやられるタイプ(脱髄型)と
 神経線維そのものがやられるタイプ(軸索型)があるんだけど、
 あなたは鞘がやられるタイプみたいだねえ」
(軸索型のほうが重篤になりやすく、後遺症も残りやすい)

「最近増えてるのかなあ、今年は1ヶ月に1,2人見てるよ、
 ギラン・バレーの人。先月だけだね、なかったのは」

「しっかし、ギラン・バレーにもこんなに軽い人がいるんだねえ。
 これまで何十人も見たけど、あなたほど軽い人は見たことない」

「神経内科の病気には、治らない、治せない病気が多いんだけどね。
 ギラン・バレーは治る病気だから。軽いうちに治療が始められたからね、
 きっと治りますよ」

「どうしても入院できなかったら、外来で毎日点滴に通ってもらうかなあ。
 まあ、病院でやることと言ったら、点滴だけなんだけどね。
 でも、ギランバレーで外来なんて、聞いたことないよなあ。
 ギランバレーは即入院が医者の常識だしなあ」

「ねえねえ、この点滴、すっごく高いんだよ。高額医療でだいぶ
 戻ってくるから、一時立替にはなるけど、最終的にはそんな目の飛び出る
 ような額にはならないと思うんだけどね。1本、いくらするか、知りたい?
 ちょっと薬局に訊いてみようか?」
(わざわざ薬局と医事課に電話をかけて値段を訊く)

トイレ以外にベッドからの起き上がりを禁止されて、点滴につながれたまま、
私が思ったのは
「このドクター、お茶目だなあ。おもしろすぎ~」
(重病の自覚がないので、どこまでものんき)

4本うつ点滴の1本目が終わる頃、夫には息子を学校に迎えに行って
一度自宅へ引き上げてもらうことにしました。
ちょうどそれと入れ替わるようにして、実家の両親が駆けつけてきました。


初診(3)

2006年10月15日 | 入院生活
「ちょっと待ってください、先生。私、このまま入院する、と
 いうわけにはいかないんです。今日は一旦帰らせてもらうわけには
 いきませんか?」

「それは駄目!あのね、あなたは今まだ元気だけど、明日の朝
 布団から起き上がれる保証も、夜中のうちに息が止まらないという
 保証もないんだよ。私は医者として、あなたを今日このまま
 帰すことは絶対にできない。すぐに入院しなさい。あとのことは
 ご家族に頼みなさい」
ドクターは怖い顔をして、きっぱりと言い放ちました。

「先生、実はうちの子どもは障碍があるんです。私が何日か家を
 空けないといけないのなら、それなりのアレンジが要ります。
 夫ではわからないんです、どうかお願いします、準備さえできたら
 おとなしく入院しますから、今日は手配をさせてください」

ドクターの表情が少し和らぎました。
「お子さん、いくつ?何の障碍なの?」
「知的障碍のある自閉症です。6年生ですが、精神年齢はまだ
 4~5歳です。何の前触れもなく母親がいなくなったら、彼の
 生活はぼろぼろになってしまいます。彼まで大変なことに
 ならないよう、私は留守中のアレンジをしないといけないんです。
 お願いします、それなしに、私は療養なんかできません」

「じゃあ、とにかくすぐお家の人と連絡をとって。今日の点滴は
 とりあえず外来でして、お家の人が来られてから、その後のことは
 相談しましょう」

看護師さんが私を携帯電話のかけられる廊下へ連れて行って
くれました。車椅子に乗ったまま、私は夫と、実家と、息子の担任の
先生に連絡をとりました。夫と実家の両親はすぐに病院へかけつける、と
言い、息子の担任は、家族が迎えにいくまで、息子を預かってくれる、と
言ってくれました。

迎えに来た看護師さんに連れられて診察室に戻り、そのことを告げると、
免疫グロブリンは血液製剤なので、使うには私と夫の同意が要るから、
じゃあ、ご主人が着いたら説明して点滴を始めましょう、
その間、さっきしなかった脚の筋電図検査をしてきてください、と言われ、
また検査室へ運ばれました。

今度の検査の先生は、さっきとは別の若い男の先生でした。
さっきの先生は無口で、必要最小限のことしか言わなかったのですが、
今度の先生はよくしゃべる人で、「ねえ、検査する前にちょっとカルテ
読ませてもらっていいかな」と断ると、「ふーむ」「へえ~、そりゃまた」
などと声を出しながら読み始めます。検査の間も、「ほ~、そうきたかい」
「ありゃりゃ~」「う~む、微妙だなあ」と喋りつづけています。
それで、まだ半信半疑だった私、こう訊いてみました。

「先生、F先生は私がギラン・バレーだとおっしゃったんですが
 それ、本当なんでしょうか?検査の結果でもそうなんですか?」

「う~ん、あのね。診断っていうのは、いろいろな情報を総合的に
 判断してつけるものなんだよね。だから、この検査だけでどうこう
 ボクが言うことはできないけれど、これまでの問診とか血液検査とか
 反射や筋力の様子とか、筋電図の結果を合わせると、やはり
 ギラン・バレーが一番疑いが濃いんだよね」
う~む、やっぱりそうなのかあ。

その後、私は外来処置室に運ばれ、ベッドに寝かされました。
その横で、点滴の準備も始まります。
私は手足の力が入らないほかはぴんぴんしているつもりでしたが、
実は既に首の筋肉も麻痺しはじめている、ということで、
そう言われると確かに枕から頭をあげることはできなくなっていました。
進むときには数時間で麻痺が急激に進むギラン・バレーの特徴を考えると
いつ喋れなくなっても、いつ息が止まってもおかしくない、と
いうことだったらしく、ドクターや看護師さんがしょっちゅう様子を見に来ては
「気分どう?しんどくない?ちゃんとしゃべれる?息苦しくない?
 まぶた重くない?」と質問を繰り返していました。

初診(2)

2006年10月14日 | 入院生活
診察室に入った私の顔を見るなり、ドクターは言いました。
「じゃあ、今日はこのまま入院してね」

「は?」私はとっても間抜けな顔をしていただろうと思います。
注射の1本2本もしてもらって、飲み薬をもらって帰るくらいの
つもりで来ていた私にとってあまりに意外な言葉だったから。

「病名はね、ギラン・バレー症候群、というんだけど・・・」
またまた「は?ギラン・バレー?ほんとですか?」
だって、ひいろさんのときとはあまりにも違う。

「あれ?ギラン・バレー知ってるの?」
「はい、実は友だちが何年か前にやりました」
「そりゃ珍しいねえ。じゃあ、どんな病気か、だいたいのことは知ってる?」
「はい、風邪をひいたりした2週間ぐらいあとに、神経がやられる
 病気だと思ってました。だから、私は違うと思ってたんですけど。
 それに、友だちはもっと早く大変なことになってました」
「そう。ある種のウイルスや細菌は、分子構造が人間の神経ととても
 似ているんですよ。それで、ウイルスなんかのためにできた抗体が、
 自分の神経を痛めつける、という病気なんだけどね。お友だちもそうだった
 んだろうと思うんだけど、普通は発症から3日くらいで、自分で動くことは
 全くできなくなっちゃう。息が止まってしまうこともあるしね。
 だから、たいていこの病気の人が私のところに来るときは、もう
 寝返りをうつこともできなくなって、ストレッチャーになってるの。
 あなたの場合は、どうしてかわからないけど、これまでの進行が
 奇跡的にゆっくりだったみたいだね。
 治療は、これも知ってるかもしれないけど、免疫グロブリンを
 大量に点滴することになります。とにかく、今すぐ入院の手続きをして、
 治療にかかりましょう。ちょっと特殊な薬なんでね、発注しないと
 いけないんで。緊急で取り寄せるけれど、2時間ほど時間が要るかも
 しれない。」

そう言ってドクターは私の目の前で電話をかけ始めました。
「あ、もしもし、静注用の免疫グロブリンを発注したいんだけど・・・」
「え?そうなの?じゃあ、それ、全部確保しといて」

本当は発注をかけなければならない薬が、私に必要な分だけ、ちょうど
在庫があるというのです。
「じゃあ、入院の手続きだけ、急いでしてきてくれる?
 その間に点滴の準備をするから」

でも。私にとって、ことはそれほど単純ではありませんでした。

初診(1)

2006年10月14日 | 入院生活
さて、明けて10月2日(月)、私は朝一番でH病院へ向かいました。
手足の力が入らないのは昨日より進んでいましたが、
手首から先、足首から先はほとんど影響がでていなかったので
自分で車を運転して行ったのです。
(後で、ドクターから「考えられない」と叱られました)

受付で初診の申込みをして、待合ロビーで待つこと1時間。
途中で看護師さんが「初診の方は予約の患者さんの
合間に随時お呼びしますので、少し多めに待っていただかないと
いけません、ごめんなさいね。でもできるだけ1時間以内に
お呼びしますからね」と声をかけにきてくれたので、それほど
いらいらせずに待てました。

診察室に呼ばれたのが10:15頃。
柔和な顔のドクターは、私が受付で記入した問診票を見ながら
さらに質問を重ねます。おかしい、と初めに思ったのはいつか、
どんな風に脱力が進んだか、etc.
「2週間ほど前に風邪をひいたとか、お腹を壊したとかは
 ありませんでしたか?」ひいろさんの体験記を読んでいたので
この質問はギラン・バレーかどうかを疑う質問だな、と思いました。
でも、私には思い当たるふしはありませんでした。

ベッドに寝て、筋力や反射を調べます。
筋力を調べるには、ドクターの手をぐっと握ったり、
ドクターが手で押さえるのに逆らって腕を曲げたり伸ばしたり、
脚を挙げたり伸ばしたり、という動作をするのですが、
神経内科のドクターというのは、こうしたときの自分の腕の感覚を
即時に数値化して判断できるのだそうです。職人技ですね。

その後は血液検査のための採血と筋電図検査(筋肉に電気をとおして
神経や筋肉の働きを見る)のため、検査室へ向かうのですが
「自分で歩けます」と立って出ようとすると、ドクターが
「だめ!車椅子持ってきて!」と看護師さんに指示し、私は
有無を言わせず車椅子に乗せられてしまいました。
「歩けるのに~。なんだか重病人みたいですね~」
看護師さんに言うと、「念のためですよ、足元がもつれたりすると
いけないですからね」とにっこり。
「まあ、そんなもんかなあ」と思っておとなしく乗っていました。

外来処置室で2本分採血されたあと、筋電図室へ連れて行かれて、
腕の神経の検査。昔、理科の実験でカエルの解剖をしたときに
脚の筋肉に電気をとおして、筋肉が収縮する様子を観察したことが
ありますが、まさにあれです。腕のあちこちに電極をあてて、
電気を通し、筋肉がびくんと反応する様子がコンピューター画面上に
波形になって現れるのです。いわば強制的に感電させられるような
感じなので、これが結構痛い。

ともあれ、無事(?)検査も終わりました。
「検査が終わったらまた迎えに来ますからね~」と看護師さんは
言っていたのに、検査室の先生が
「じゃあ、診察室へ戻りましょう。ボクも一緒に行くからね」と
プリントアウトされた私の検査結果を持って車椅子を押し始めます。

外来の待合に戻ると、「じゃあ、ちょっとここで待っていて」と
言い残して、神経内科の診察室に入っていってしまいました。
うーむ、なんかよっぽど問題でもあったのだろうか。
・・・と思っているうちに、看護師さんが出てきて、車椅子ごと
診察室の中に呼び入れられたのでした。

発症~それは突然やってきた

2006年10月12日 | 母もいろいろ忙しい
私が自分の体の異変に最初に気が付いたのは、9月28日(木)のことでした。
外出先で和式トイレに入ったところ、立ち上がれなくなってしまったのです。
幸いそのトイレには手すりがついていたため、それを頼りに立ち上がりましたが
ほんの3、4日前に和式トイレを使ったときにはなんともなかったのに、
おかしいなあ、と思いながらも、たまたま脚が疲れていたのだろうか、と
思ってそれほど気にはしていませんでした。このときには階段の昇降、
椅子からの立ち上がりにはまったく問題がありませんでした。

ところがその翌日。スーパーからの帰り、なんだか脚が重いように
感じるのです。そして、夜、お風呂に入ったときに、風呂椅子から
立ち上がれないのに気が付いて愕然としました。前日にはなんともなかったの
ですから。この頃から、腕の力が入りにくくなったことにも気が付きました。
これまで何とも思わず片手でひょいと持っていたお鍋が、やたら重く感じる。
買い物袋をテーブルの上に置くことができない(持ち上げることができない)。
明らかに1日のうちに腕の力も落ちていました。

土曜日になると、手足の脱力はなお深刻になっていました。
畳の上に座ったが最後、立ち上がることができません。
廊下やキッチンまで這って行って、何かにつかまってやっと立つ。
その度に渾身の力を振り絞るので、体は汗だく、息切れもします。
なべやフライパンの類はもう両手でなくては持てなくなりました。
それでも私は車を運転して息子を訓練に連れて行き、一人でスーパーに
夕食の買い物に出かけていました。

日曜日。冷蔵庫のドアも両手で渾身の力を込めないと開かなくなりました。
なべ・フライパンはもう両手でも重く感じるほど、牛乳パックでさえ、
両手で持っても腕がぶるぶる震えます。家の前の階段は手すりを持たないと
上れなくなりました。降りるときにも、膝がかっくんかっくんと崩れるので
とても怖い感じがします。もう家の向かいのスーパーまで、手すりを持って
休み休みでなければ歩けなくなりました。

さすがにここまでくると、病院嫌いの私も受診を考え始めました。
でも、何科に行けばいいのだろう?
痛みもしびれもない、両手両足の急速な筋力低下。
ネットで調べてみると、それはどうやら「神経内科」の管轄らしいと
わかりました。

また、ネット仲間のひいろさんが、2001年に全身の筋肉が急速に
麻痺する「ギラン・バレー症候群」という病気で神経内科に入院しています。
このことからも「手足の麻痺は神経内科」という結論に達しました。

私はこれまで、「精神・神経科」と「心療内科」と「神経内科」の
区別がよくわかっていませんでした。
「精神・神経科」は主にいわゆる「心の病」を扱い、
「心療内科」は主に心の問題が原因で起こる体の問題を扱い、
そして、「神経内科」は「脳・脊髄・神経・筋肉」を扱うということ
のようです。

さて、早速近所に神経内科がないか調べてみると、自宅から車で
20分ほどのところに、かなり充実した検査設備をもつ神経内科の
ある病院があることがわかりました。月曜日の外来予定を見ると、
ALS(筋萎縮性脊索硬化症)、筋ジストロフィー、
ギラン・バレーなどの神経難病を専門とするドクターの診察が
あるようです。とりあえず、この先生にかかってみよう。
私は月曜の朝一でその病院を受診することを決めました。

入院

2006年10月10日 | 母もいろいろ忙しい
しばらくのご無沙汰でした。

実は、3日から緊急入院しておりまして
本日やっと退院してまいりました。

しばらくは自宅静養ということになると思います。
発症の模様や入院生活などについては
体調と相談しながらぼちぼち書いていこうと思っています。
お気が向きましたらまた覗いてください。

とりあえず皆様にごあいさつまで。