雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

「やさしい先生」(その2)

2007年09月24日 | 楽しい学校生活
しかも、この「やさしい」は、決して外見やことばづかいのような
表面的なことではないことが、段々にわかってきました。

ちびくまの障級には「指導記録カード」のシステムがあります。
その日の教科が書いてあって、障級で授業を受けたときには障担が、
交流級へ行ったときにはその時間の担当の先生が、それぞれ
授業中の様子を簡単に書き込んでくれます。
それをコピーしたのを大学ノートの見開き左側に貼り、
右側のページに障担がその日一日の生活で気付いたことを
書き込んでくれたものが、連絡帳になっています。

その指導記録の書き方が、S先生だけ他の先生と違うのです。
他の先生だと「結構上手でした」とか「静かに話を聴けました」とか
「班の仲間に助けてもらって、プリントに記入して提出することが
できました」とか
他のクラスメートに比してどうだったか、何ができて何ができなかったか、
という視点で書いてあります。

ところが、S先生のコメントはいつも、
「教室が騒々しかったので困っている ようでした」
「周囲から口々に話しかけられるのに困惑している様子でした」
「静かな授業だったので穏やかな表情でした」
「女子が助け舟を出してくれたのが嬉しかったようです」
つまり、「ちびくまがどう感じているか」を探る内容になっているのです。

本人が嫌がらずに教室に来て、他の子の邪魔をせずに座っていられれば
それが交流、統合教育だと思っている先生が多いなか
ちびくまが何を辛いと感じ、何に困っていて、何が好きで、
何を嬉しいと思っているのかに、きっちり目を配ってくれる先生。

そういえば、最初の関門になった転地学習のスタンツで、
音読なら得意なちびくまにアナウンスの役を与えることを思いついて
くれたのもこの先生ですし、体育大会のクラス対抗種目に
息子をどんな風に参加させるかをK先生と一緒に考えてくれたのも
この先生でした。

同じ小学校を卒業した子が1人もいないこの中学で、ちびくまが
どんな障碍なのかについてとりたてて説明することもしていないうえ、
1学期の半分以上、教室に入ることもできなくなっていた息子を
それでもクラスの一員と認め、困ったときにはさりげなく
助けてくれる空気がクラスに漂っているのは、
やはりこの先生の息子に対する態度や姿勢が子どもたちにも伝わって
いるからだろうと思います。

そして、ちびくまが初対面のその日に、この先生を「やさしい先生」と
表現したのは、
「この人は自分のことをわかってくれる、自分を1人の生徒として
認めてくれる人だ」ということを直感的に見抜いたからではないかと
思うのです。

だから、一学期、すんでのところで不登校につながりそうだった
ちびくまが、早退して帰ってきたその日に私の顔を見るなり、
「おかあさん、K先生、とってもやさしいよ。ぼくは
 おうちに帰ってきて良かったよ」と言ったとき、私は心底ほっとしました。

これからも、ちびくまの周りに「やさしい先生」がいっぱいいて
くれたらなあ、と思っています。

「やさしい先生」(その1)

2007年09月22日 | 楽しい学校生活
今の中学に入学する直前、赴任したばかりの校長先生と
交流級の担任のS先生との顔合わせのため、息子と中学まで
出向いて行きました。

以前から何度もお会いして惚れこんでいた障担K先生と
一緒に、5人で校長室に集まり、なぜ特別支援学校でもなく
障碍児教育センター校でもなく、この中学を選んだのか、

これからどんどん定型発達のお子さんたちとは差が開いてくる
わが子を、なぜ普通学校に入れ、どういう中学生活を送って欲しいと
思っているのかをお話ししている途中で、

隣の職員室で電話が鳴りました。それは話に集中していれば
気が付かないほどの音でしたが、ちびくまは即座に耳をふさぎました。

それを見たS先生が
「ちびくまくん、今、耳をふさいだのは、何の音がイヤだったの?」
と尋ねると、息子は
「電話です。お耳がいたくなるので苦手です」
とはっきりと答えました。

電話の呼び出し音を息子が嫌いなのは私もよく知っています。
数年前までは電話が鳴るたびに、大泣きし、受話器を床に叩きつけ、
自分の頭も受話器や柱に打ち付けて大変な騒ぎでしたから。
今はそこまでひどい荒れ方はしませんが、電話が鳴るとやはり
悲鳴に近い声を上げて逃げ惑っていますし、
「ああ、こわかった。もうお電話かかってこないといいけど」と
言葉で説明もしてくれます。

でも、息子が、初対面のよその人に、こんなに明確に
自分の聴覚過敏について説明するところを見たのは初めてで、
私はちょっとびっくりしました。

さて、そんなこんなの帰り道。ちびくまが、私のほうを見て、
「おかあさん、S先生、やさしい先生でよかったねえ」と
言ったのです。

もちろん、これまでちびくまの担任や交流担に「怖い先生」
「厳しい先生」はいませんでした。発達障碍や自閉症、もっと
突き詰めるとちびくま個人の特性についての理解の度合いや
指導のセンスには違いがあっても、力づくで彼を押さえつけようと
する人や、しかりつけるような人は決していませんでした。

「○○先生はやさしい?」と尋ねると、大抵は「やさしい」と
いう答えも返ってきていました。
でも、ちびくまが、尋ねられもしないのに、ほんの1時間ほど
会っただけの先生について「やさしい先生だ」とコメントしたのは
初めてで、そのことも私をびっくりさせたのです。


体育大会(その2)

2007年09月16日 | 楽しい学校生活
さて、いよいよ体育大会が始まりました。
入場行進も、開会式の隊形移動も、全校を4つのブロックに分けて
ブロックごとに行われる応援合戦も、ちびくまはややあやしい動きは
あるものの、きちんと周りに合わせて動こうとしていました。
知らない人が見たら、少しテンポのずれている子、という感じでしょうか。
やや緊張気味ではあるものの、ビデオカメラの望遠レンズ越しに見る
ちびくまは、微笑を含んだいい顔をしていました。

じっと立っているだけでも汗が噴き出してくるような猛暑の中、最初から
最後まで中学のグラウンドにいることは、私の病状を考えるとできません。
また、小学校とは違って、お昼ごはんも生徒たちは教室で親とは別に
食べることになっています。
そこで、開会式と最初のラジオ体操が終わったところで一度家に帰って
横になり、昼食後、ちびくまが出るムカデ競走と大縄跳びに間に合うように
再度出かけていくことにしました。

グラウンドに着くと、ちょうど1年生のムカデ競走が始まるところでした。
ちびくまは、先生から聞いていたとおり、足をしばらず、誘導の先生と一緒に
タイミングを取るための笛を吹きながらムカデ隊(?)と
一緒にコースを走っていました。

そして、クラス対抗の大縄とびのほうは、これも先生から聞いていたとおり、
縄から少しだけはずれたところで、跳んでいるみんなと一緒に掛け声を
かけながらジャンプする、という方法をとっていました。
でも、ちびくまの足はほとんど地面から離れていません。縄の中に
入っていたら全然だめだったでしょう。

入退場と整列、応援はクラスメートと一緒。
ちびくまにすれば、「交流級の一員」としての参加はできるけれど、
みんなに気をつかってもらったり、みんなの足を引っ張ったりは
しなくてすむのです。そのせいか、ちびくまは真剣だけれど
柔らかい表情で、ときおり満面の笑顔も見せていました。

人によっては、「障碍のある子にも同じことができるように
種目自体を変えるべき」とか、「障碍のある子にも全く同じように
参加させて、それで不利になることは周りの子が我慢するべき」と
いう意見もあるかもしれません。

でも、私個人としては、息子自身にどうしてもみんなと「同じ」で
なければ、という強い思いがあるなら(そんな風に思わなければ
ならないような育て方はしなかったつもりですが)ともかく、
「みんな一緒」の「外見」だけを整えるために、周りの子にも
障碍のある本人にも「我慢」をさせることは、本当に自分と他人の
「違いを認め合う」ことにはつながらないのではないかと考えています。

しかも、今回のこの工夫は、ちびくまが「障碍児学級在籍の子だから」
という理由で一律そうなったわけではなくて、ちびくま個人が
「特訓してなんとかなるというレベルの運動能力ではなく、本人も
みんなのようにはできないことに気が付いていて、しかもそのことを
気にするタイプの子だから」、という理由で考えてもらったことで、
同じように障碍児学級に在籍していても、他のお子さんについては
各々の能力と性格を考えて、それぞれ違った対応が考えられて
いたことを、とても嬉しいと思いました。

私は発達障碍には個別対応が基本、と考えていますが、必ずしも
「マンツーマンで人がつく」ことが個別対応とは限らない、
「マンツーマンではない個別対応」というものもあるんだなあ、
逆に言えば「マンツーマンである」という外見に安心して
実は個別対応になっていないこともあるのではないか、と
この学校に息子を入学させてから考えるようになりました。

閉会式が終わったとたん、待っていたように通り雨が振り出しました。
傘を持っていないちびくまが帰り方を心配するかもしれない、と
私は障級の教室で彼を待つことにしました。
生徒観覧席を作るためにグラウンドに持ってでていた自分の椅子を
抱えて教室に帰ってきたちびくまは、私の顔を見るなり、
ニヤリと笑って、「体育大会、ぼくはとても頑張りました!」と
宣言しました。

暑さと大声に極端に弱く、運動が大嫌いなちびくまにとっては
本当に「頑張りぬいた」行事であったことでしょう。
そして、先生方や周りのクラスメートたちの様々な理解や支援によって
「自分なりの精一杯」を尊重された経験は、またひとつ、
彼にとっての大きな財産になったのではないかと思います。

体育大会(その1)

2007年09月15日 | 楽しい学校生活
今日はいよいよ体育大会の本番。

昨年まで在籍していたM小は障碍児教育センター校ということで
障碍児学級に在籍しているちびくまには常にマンツーマンで
介助の先生が(べったりではないけれど、いつも見守っていてくれて
何かのときにはすぐに駆けつけられる距離で)ついてくれていましたし、

障碍のある子の運動会への参加の仕方などにも長年積み上げた
伝統やノウハウがあり、親としては全く心配なく安穏と見ていられたのですが

今年は普通の中学校で、しかも小規模校なので先生の絶対数が少なく、
ちびくまが出る競技本番以外の時に彼専属でついてくれる
先生を確保する余裕がありません。入場行進からラジオ体操への隊形移動、
生徒観覧席への着席、交流級に混じっての応援、自分の出番のときの
入場門への移動、退場後の着席、それにどういうタイミングで
水分を補給し、トイレにいくかまで、全てをちびくま自身が判断して
動かなければならないことになります。

しかも、全校生徒の数が比較的少なく(各学年3クラス程度)、
練習期間が短いため、種目はそのほとんどが純粋に記録や
点数を競う、競争種目。運動がもっとも苦手な分野である
ちびくまにとってはとてもハードな行事になりそうです。

それで、既に1学期の転地学習が終わった頃から、障担K先生は
この体育大会を次のターゲットにして、「ちびくまなりの
達成感のある参加」の仕方をあれこれと模索し初めて
くれていました。

2学期になり、1学期の転地学習と同じように、ちびくまは
既成のプログラムから、ワードを使って、自分のいるべき席や
動き方、移動の仕方までを追記した、「自分専用のプログラム」を
K先生と対話しながら「作業学習」として作り上げました。

そして、競技の練習が始まるなかで、K先生が本人を観察してくれて
わかったことは、

1.入場行進や応援合戦、ラジオ体操などは小学校時代の
  経験もあり、単独参加でも無問題。移動等も本人が
  周りをよく見ているし、交流級の生徒も誘導や声かけを
  して助けてくれているので大丈夫。

2.リレーなど、選抜選手だけが出る競技は応援のみで
  周りの子どもの大声が少し辛いかもしれないがそれ以外は無問題。

3.全員参加のクラス対抗競技はムカデ競争と大縄とびだが、
  どちらも「気持ちはあるけど、体はついてこない」(一生懸命
  参加しようとしているが、皆にあわせて  走ったり跳んだり
  することは無理)状態。しかも、失敗すれば落ち込んでしまい、
  彼の性格を考えると交流クラスへの参加に今後悪影響が出るかも。

そこで、クラス対抗競技への参加の仕方だけ、K先生と交流担の
S先生が話しあって、「クラスと一緒には出るが、内容は全く
一緒のことをしなくてもいい」特例を設けてもらうことになりました。




初心忘るるべからず(その3)

2007年09月13日 | 「発達障碍」を見つめる眼
ちびくまのように、文字の読み書きと日常会話ができて、
視覚認知の力と聴覚認知の力に特に大きな差がない場合、
普段の生活では大げさな視覚支援を考えなくても口頭での説明や
文字での提示、あるいはその両方を併用することで済んでしまいます。

息子の場合、とまどっている様子があれば、周りの先生や
クラスメートたちも親切に教えてくれる恵まれた環境なので
彼の困り感が大きな問題として目立つ場面はあまりありません。

でも、自閉っ子に多く見られる、「周りの人が言った言葉を暗記して
場面にあわせてしゃべっている」子どもたちにとって、
「しゃべれる」ということは「自分の言っていることが全てわかっている」と
いうことを意味しないし、もちろん「人の言うことが全て理解できる」
わけでもありません。

それはちょうど、私たちが外国語の会話集の中の文を覚えてすぐに
限られた場面で使うことはできても、相手がその言葉でさらに
詳しい説明を求めてきたり、想定外の話を始めたりすれば、
たちまちちんぷんかんぷんになってしまうのと似ているかもしれません。

特にちびくまは、知的障碍をあわせもっている分、少し複雑な
情報になると、聴覚的にはおろか、視覚的に示されても
理解できなくなってしまいます。

「授業時間が5分ずつ短縮になって、その分がまとめて放課後練習に
 割り当てられる」というのは、彼にとって初めての経験ですし、
小学2年生の算数の文章題でも難しい彼にとっては、具体的に
イメージして理解することもできなかったのでしょう。

でも、情報を整理して「彼にとって一番大切な情報だけを、端的に、
彼にとって理解しやすい方法で示す」ことで、本人のストレスは
ぐっと減ることが改めてわかりました。
大切なのは、本人が自分なりに納得して、自分なりの参加ができること。

必ずしも何もかも周りの子とできるだけ近い形で参加させようとか
何もかも理解させようと頑張ることが本人にとって親切とは限らない、と
いうことですね。

ちびくまは6年間の小学校生活を通じて、集団の中では自分を抑え、
周りに合わせて行動する力を身につけました。
多少あやしいところはあるけれど、学業そのものを除いては
大抵のことは通常学級のお子さんに伍してこなしていけるようにも
なりました。

その中には「きちんと納得や理解はできていないけれども、みんなが
こうしているから、とりあえず真似をして」というものも、
きっと沢山含まれていたのでしょう。

今年、中学校に入学して、「初めての経験」が山ほどある中、
小学校生活から得た経験則が役に立たない場面に出会うことで、
「周囲からは見えにくくなっていた」ちびくまの困難、
困り感に改めて気付くことができました。

ここでもう一度初心に帰ったつもりで、ちびくまとの生活を
見直してみる必要があるのかも、と感じています。

初心忘るるべからず(その2)

2007年09月12日 | 「発達障碍」を見つめる眼
昨日は月曜日で本来5時間授業。ちびくまは5時間目が終わると
荷物を整理して帰る準備をしていたそうです。
K先生はそれまでにも口頭で「45分授業になった分、放課後に練習が
加わること」は数回説明してくれていたので、再度説明すると、
息子は素直に体操服に着替えて、練習にも真面目に参加したのだそうです。

でも、おそらく本人は「もう5時間目が終わったのになぜ家に
帰してもらえないのだろう?」と納得できない思いのまま
練習を頑張り続けたのではないか、ということでした。
「どうもそんな感じの顔をしていたので、『りんごちゃんの
 絵を描こうか』と声をかけて気分を盛り立て直して
 帰したつもりだったんですが、やはりだめでしたか。

 多分、授業を短縮した分が練習に回っている、というのも
 納得できないんだと思うんです。とりあえず、今日は(本来の)
 6時間目が終わったら 練習しないで帰っていいよ、と言うと
 とても嬉しそうでした。でも、これだとクラス練習に参加する
 時間が減ってしまうし、今度文化祭の練習も同じようになるので
 なんとか納得して練習に出られる方法があるといいんですが・・・」

そこで私は思いつきました。本来は5時間授業の日だけど先生の
研修があるので4時間で帰る、とか、本来は休みだけど何かの行事で
登校する、ということは小学校時代にもよくあったことなので
ちびくまは事前に説明されれば本来なら了解できるはずです。
ひょっとしたら「納得」できないのではなく、「理解」できないのでは?

「先生、授業が短縮になっているから云々、というところは飛ばして、
 単純に『本来は5時間授業の日ですが、体育大会の練習のため
 6時間授業になります』と説明して、本人が自分で書く
 明日の予定表に『6時間目 体育大会練習』と加筆させてください」

K先生は2つ返事でそのとおりにしてくれました。
そして今日、帰宅したちびくまはニコニコして
「明日は、水曜日だから5時間目の日だけど、6時間目まで
 あって、練習するんだって」
と私に報告しました。どうやら作戦成功のようです。

初心忘るるべからず(その1)

2007年09月11日 | 「発達障碍」を見つめる眼
いよいよ体育大会が目前に迫り、ちびくまの通うF中では
昨日から練習のための特別時間割が始まりました。
つまり、通常50分の授業が45分に短縮され、規定の時間割が
終わった後に、特別の学年練習、クラス練習の時間が
とられるようになったのです。

いつもの生活リズムが大きく変わった初日の昨日、少し
疲れた表情で帰宅した息子は、それでも私の顔を見るなり
「学校でりんごちゃんの絵をかいたよ」とにっこりしました。
「ああ、良かった、やっぱり小学校で運動会の練習とはどういうものか
 わかっているから混乱はしなかったんだな」
と安心したのもつかの間。

制服をその場に脱ぎ捨てたままでごろんと横になったかと
思うと、みるみるうちに半泣きの顔になって
「ぼくはもう学校に行かないほうがいい」
「やっぱりお家にいたほうがいい」とぐずぐず言い始め、
そのままスイッチが切れたように泣き寝入り(?)してしまいました。

ちびくまがこういう行動をとるのは、たいてい学校で
なにか混乱するようなことがあったときです。
さすがに本人にもプライドがあって、その場では
先生や他のお子さんたちの手前、パニックを起こさずに
耐えているのですが、それが家で一気に噴出する感じ。

もちろん、根がおとなしい性質なので、大きく荒れることは
ないのですが、その分、本人の心身にとっては却って
負担が大きいのかもしれません。ひどいときには嘔吐や
発熱という形になりますが、それほどでもないときには
こうして突然爆睡してしまうこともよくあります。

究極のストレス解消、あるいは外界をシャットダウンする
手段なのかもしれません。

おそらく学校で何かあったのだろうと当たりをつけた私は
今朝の連絡帳に「最初は機嫌が良かったけれど、だんだん
ぐずぐずと機嫌が悪くなり、そのまま眠ってしまったこと」だけを書き、
「練習で疲れたのでしょうか」と書き添えました。

先生によってはこうしたニュートラルな「報告」でさえ
「苦情」と解釈して身構えてしまったり、「自分がどんなに
学校で誠意をもって対処しているか、なぜその点を評価して
もらえないのか」といった自己保身的な弁明に走ってしまう方もいて
大変やっかいなのですが

幸い息子の担任K先生はこうした報告は「情報の共有」と捉えて
くれる人なので、すぐに「昨日の何が原因だったのか」を振り返って
考えてくれたらしく、朝一番で電話がかかってきました。

新学期

2007年09月03日 | 楽しい学校生活
例年よりほんの少し長かった夏休みも終わり、いよいよ
今日から新学期です。

44日間頑張りぬいた百ます計算プリント176枚を綴った
ずっしりと重いファイルを誇らしげにカバンに詰めたちびくま、
「夏休みの間はおうちの服だったけど、今日から学校だから、
制服で行くんだね」と言いながらちょっぴり緊張した面持ちで
制服に身を包み、登校して行きました。
5月の末に初めて履いたときには床に引きずるほどだった
夏服のズボンが、昨日履かせてみたらくるぶしほどの短さになっていて、
慌てて寸直しをしたその跡が、いかにも彼のこの夏の成長を
物語っているようにも思えました。そういえばこの休み中に
細くてやわらかなボーイソプラノだった声もすっかり野太くなり、
ちびくまも、いよいよ思春期なんだなあ、と実感させられます。

息子が意気揚々と提出した百ますプリントを見て、担任K先生は
びっくりしたそうです。
「まさか、全部やってくるとは思っていませんでした」
そりゃそうでしょう。母親の私でさえ、まさか全部できるとも
やらせようとも思っていなかったのですから。

でも、親からやいやい言われてやらされたのではなく
(影でいろいろと策略はしているわけですが(笑))
「自分で課題を管理して、頑張って宿題を全部やり遂げた」と
いう体験は、ちびくまにとってとても大きな自信に
なっただろうと思います。

もちろんK先生は本人の頑張りを思いっきり褒めて
くれたようで、息子はとても満足した表情で帰ってきました。
物だけでなく、先生から認められる、賞賛されることを
ご褒美にでき、次の行動へのモチベーションにできる、というのは
やはり1学期に積み上げた先生との信頼関係あってのことで

一見何の指導もせずにK先生とマンツーマンで過ごした、
あの1ヶ月ほどの時間の意義はやはり大きかったのだなあ、と思います。

「2学期はいっぱい行事があるんだよね。小学校では運動会って
 言ってたけど、中学校だと体育大会、っていうんだ。
 文化祭、っていうのもあるんだって。ぼくはいっぱい頑張るよ」

既に本人はやる気満々。親にできることは、あまり頑張りすぎないように
せいぜい家ではのんびり息抜きをさせてやることくらいかもしれません。

ちびくまの夏休み(その2)

2007年09月01日 | 「発達障碍」を見つめる眼
ただ、夏休みのタイムケア施設は、去年までは小学校
高学年以上しか利用できなかったのが、今年から制度改変で
かなり小さいお子さんから利用できるようになったため、
定員もぐっと増え、いつも施設内が満杯になってしまい、

静かな落ち着いた環境が好きで、自分より小さい子、特に動きの
激しいお子さんや奇声・泣き声を怖がるちびくまにとっては、
あまり居心地の良い場所ではなくなってしまったようなのが
残念でした。

去年はクーラーの効いた室内で静かに玩具で遊んだり、
庭で水遊びをしたり、お散歩やドライブに行ったり、と
のびのびとしていながらも充実した過ごし方だったようですが

今年は、他の子どもが上がってこない2階の小部屋に避難して
1人で宿題をしたり、TVを見たりして過ごすことが
多かったようで、大好きなお庭プールにも、小さい子に圧倒されて
ついに一度も入ろうとしなかったそうです。

もちろん、自分の過去を考えても、一番大変な幼児期~小学校
低・中学年のお子さんのレスパイトサービスは絶対に必要だと
思うのですが、

そのサービスを始めたためににこれまではその施設を
楽しんで利用できていた小学校高学年以上の子どもが
行っても以前のように楽しめなくなってしまったり、
実質利用を諦めなくてはならなくなったりした例が結構あるようで
こんな風に「少ない椅子を障碍児同士で取り合う」ような状態は
なんとかならないのかなあ、と思うことがよくあります。
こういうことはまた行政のほうへもしっかり伝えていかないと
いけないですね。

それはそれとしても、夏休み前には膨大に見えた100マスプリントも
その後も順調に消化できてあと数枚を残すだけになりましたし、
それなりにメリハリのついた、落ち着いた夏休みが過ごせたのでは
ないかと思います。

まるで苦行の終わりを待つように、毎日カレンダーと
にらめっこしながら2学期の始まりを指折り数えて待っていた
ほんの数年前までのことを考えると、
わずかの間に息子もまるで別人のように落ち着いたし、
受けられる支援も随分充実したのだなあ、と感慨ひとしおな
夏休みの終わりです。