雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

ボウリング

2005年07月31日 | adorably autistic
少し前に、新聞の折込広告の中に、ボウリング場のちらしを見つけた息子。
「おかあさん、***ボウルのちらしがあったね!」と
「連れて行け」の猛アピールが始まりました。

その場は「今日はもう遅いし、今度にしようね」で収まったものの、
それで忘れてくれるような記憶力の持ち主ではありません。
「おかあさん、おかあさん、***ボウルはこんどにするんだよね。
 『こんど』はなんがつなんにち?」と連日質問攻め。

「うーーーん、何月何日かなあ」など、もじょもじょごちゃごちゃと
言葉を濁しても、それで納得してくれるはずもなく。
ついに、今朝起きるなり、「おとうさん、おかあさん、きょうは、
ちびくまくんは***ボウルへつれていってもらいます!」の
宣言とあいなりました。

ちびくまが1年生の時は、まだ障級の子どもたちの数も
今よりずっと少なかったので、小中の障碍児教育センター校の
交流行事として、「春のボウリング大会」がありました。
入学間もない頃、これで***ボウルに行ったことのある
息子は、もちろん、その場所をしっかり覚えています。

親子3人で1ゲームしました。
ちびくまは、両手でそーっと転がすので、途中でボールが
止まってしまったりして。
3人のスコアの方は、あまりにレベルが低すぎるのでともかくとして、
まあ、なんとか平和な家族団欒の風景とあいなりました。

息子は「7月31日、3人で***ボウル行ったね」と
大満足の様子。
自閉っ子は余暇の過ごし方が難しい、とはよく言われることですが
こと遊びのアイディアに関しては、息子の能力はかなり高いと言えそうです。


たかがトイレ、されどトイレ。

2005年07月28日 | 「発達障碍」を見つめる眼
自然学校を機に自宅以外の場所でも排尿ができるようになった
息子は、その後、いろいろな人といろいろな場所のトイレで
「おしっこ」に挑戦しています。

まだ立って必要なところだけを出して、というのは
難しいので、ズボンもパンツも下ろしてしまって
構わない、障碍者用トイレをメインに使っているのですが、
これまであまり使う事のなかった障碍者用トイレを
使うようになって、気が付いたことがあります。

確かにいまや、ほとんどの公共の施設には
障碍者用トイレがあるのですが、
「ある」ということと「気持ちよく使える」こととは
別なんですよね。

例えば。
男女別になったトイレの1番奥に
障碍者用の個室がある場合。
(異性の介助者が入っていくことができません。)

電気が薄暗い。
ペーパーが無くなっているのに、そのまま。
(洗面台に積み上げてあったって、交換できないひとは
たくさんいるでしょうに)

広いスペースだからか、お掃除用のゴム長だの
ビニールホースだの、デッキブラシなどが
積み上げられているところ。(倉庫じゃないんだからさ)

1番ぶっ飛んだのが、ある学校(もちろんM小ではありません)の
職員室の真ん前にある障碍者用トイレが、壊れて水が流れないように
なっていて、しかも便器の中にたまった水にボウフラがわいていたこと。

・屋外の公衆トイレならまだいざしらず、校舎の中のトイレを
どれだけの間掃除もせずに放置していたらボウフラがわくんでしょうか。


その学校の先生にそのことを告げたら、ニッコリ笑って
「うちの学校、使う人がいませんからね~」と流されたので、また愕然。

でもね。普段使っているかどうかは別として、こういう場所は
いつでも使えるようにしておくのが本来じゃないんですか。
つまり、この学校にとって、「障碍者用トイレを使うこと」自体が
「普通にはないこと(あるいは、あってはならないこと)」に
なってしまっているんだと思うんです。

実際にはうちの息子をはじめ、この校区にも、小さいお子さんがいる人、
車椅子を使っておられる人、車椅子というほどではないが、
立ち上がったり座ったりに少し手助けがいるシニアの方、など
普段はあまり目立たない、でも「学校の障碍者用トイレを使うかもしれない人」は
実にたくさんいるんですが。

「障碍のある人」というのを、自分達とは全く別世界に住む人、
自分達とはなんのかかわりも無い人、と考える風潮が
まだまだ一般的なのかもしれません。

施設が「ある」というところで満足するのではなくて、
「それを使う人」の存在まで想像する力が、私たちの社会には
まだまだ足りないのではないでしょうか。
「障碍のある子」の母である私ですら、今の今までそんなことにも
あまり意識が向かっていなかった、というのも恥ずかしい限りです。


たかがトイレ、されどトイレ。
障碍のある人が、「特別な存在」なのではなく、
「そこにいて当然な存在」だと認められる社会に
変わっていくために、私たちが気づき、考えていくヒントは、
こんなところにもあるのかもしれません。


療育キャンプ

2005年07月26日 | Wonder of Autism
昨日、今日、と息子は療育キャンプに参加しました。

これは市教委主催の毎年夏の恒例行事。
市内の障碍児学級・養護学校在籍の小・中学生が対象で
親は行けないのですが、かわりに学校の先生が
マンツーマンで一緒に行ってくれます。

小1~小3は日帰りで海水浴。
小4~中3は一泊で飯盒すいさんとコンサート。

ちびくまは小1の時から毎年参加して、今年で5回目の参加になりました。
宿泊先は先日自然学校で泊まったのと同じところですし、
障担が一緒に行ってくれるし、
同じM小からは他に子どもが8人、先生が10人も参加するし、
他の学校にも顔見知りの先生が何人もいるし、
今年はトイレが使えるようになったので排泄や水分補給の心配もないし、
自然学校の時とは違い、前日になっても、すっかり余裕の表情です。

しかし、心配だったのは接近中の台風です。
幸い、1日目は抜けるような晴天。(やっぱり晴れ男?)
2日目も、最後の予定を1時間切り上げただけで
大きな影響を受けずに帰ってくることができました。

先生によれば、もう余裕しゃくしゃくで、食事も排泄も
睡眠も全く問題なく、自由時間には、他の参加者の
部屋を片っ端から訪問しては名前を聞く、という行動に
出たそうです。
(「愛想を振り撒いてきました」と先生は
言ってくれたけど、それは「積極奇異風」と言うんでは・・・)

観光バスから降り立ったちびくまは
いつもどおりニコニコ笑って、
「りょういくキャンプ、とってもたのしかったよ。
 ぼくは、がんばってきました」

お約束の「こだわり」で、観光バスや他のお友達・先生の
乗った車を全部見送ってからやっと帰ってきたのでした。

「頑張ったご褒美」のスイカを平らげたちびくまは
「○にちは、おてんきになるかなあ。☆くんと、△ちゃんは
ちゃんとかいすいよくにいけるかなあ」
と、今度は下級生達の行く日のお天気の心配までしています。

お兄ちゃんになったこと。

汗をかく。

2005年07月17日 | Wonder of Autism
一気に暑くなってきました。
息子は汗っかきなうえに、触覚が敏感なので、
汗をかいてしめったシャツを気持ち悪がって
すぐに脱いでしまいます。

でも、裸でいると、今度は汗ばんだ体にほこりなんかが
ついて、またまた気持ち悪いらしいです。

ところで。
息子がこんなに汗をかくようになったのは、ほんの2,3年前でした。
それで初めて、「今までは汗をかいてなかったんだ」と
いうことに気が付いたのです。
人間って、暑いときには汗をかくものだと思い込んでいましたから。

この間買った「自閉っ子、こういう風にできてます!」(花風社)で
ニキ・リンコさんと藤家寛子さんも汗をかかない、というのを読んで、
「おお、これも自閉ゆえの特徴だったのね」と妙に納得。

ただ、そんな私も、以前から息子が暑さに弱い事には気が付いていて、
それがどうも、体温調節が上手くないせいだろう、と
いうこともわかっていました。

赤ちゃんのころから、暑いと熱が出るタイプだったのです。
家では平熱だったのに、ベビーカーに乗せて小児科へ
予防接種を受けに行くと、ついたときには熱が出ていて
接種が受けられないということがよくありました。
でも、家に戻ってしばらくすると、また平熱に戻っています。

それで、小学校に入った時には、
「暑いと熱がでることがあるので、涼しい場所で休ませて
様子をみてください」と伝えてありました。
幸い、ちびくまの通う小学校の障級の教室は
体温調節のできない子どものために、冷暖房完備になって
いますので、学校での生活に大きな支障が出る事はありません。
ぜいたくなようですが、とても大きな物理的支援です。

ちびくまが夏、プール遊びがすきなのは、
激しく遊んでも体温があがらない、という理由も
あるのかもしれません。



「晴れ男」パワー。

2005年07月14日 | 楽しい学校生活
近畿地方は昨日までぐずぐずとした梅雨空が続いていました。
雨がやんで蒸し暑くても、水温が低いために学校のプールも
中止続き。
「雨が降っていなくても、プールには入れないことがある」と
いうルールを理解したちびくまは、プールが中止だからと言って
騒いだりすることはありません。
でも、大好きなプールが中止で残念なことには変わりないのです。

そのちびくまが、自然学校から帰って以来ずっと楽しみにしていたのが
今日の遠足。毎年恒例の臨海学習(海水浴)です。
しかし、昨日も生憎の曇り空。おまけに、夕方からは雨も降り出して
しまいました。
連絡帳には、「天候が微妙なので両方(雨の場合は水族館へ行く)の
用意をお願いします」とのメッセージ。

ちびくまも、インターネットのお天気サイトをチェックしては、
「あした、あめふる?」と心配しつづけていました。


そして、今朝。私は、6時半に息子に叩き起こされました。
「おかあさん、おてんきだよ。おきて、おべんとうつくらなきゃ!」
昨日のどんよりした雨雲が嘘のような、いい天気。
まだうす曇ですが、日中はかんかん照りになりそうな感じ。
念のためにTVをつけると、天気予報でも今日の降水確率は0%、
気温も高くなりそう。


お弁当を作って水筒と一緒にリュックに詰め、息子を連れて
集合場所の福祉センターへと向かいます。
もちろん普段の送迎バスに乗ることもできるのですが、
遠足の朝は、私の車で集合場所へ行き、他の子ども達や
先生たちが三々五々集まってくる様子や、大型の観光バスが
迎えに来てくれるのを見る、というのが息子のこだわりです。

習慣というのはこわいもので、もう遠足の朝に、私が
集合場所にいても、不思議そうな顔をする先生すらいません。
当然のことのように、私はセンターの駐車場で
バスを見送ってから帰ることになっています。

集合場所で介助の先生に「晴れてよかったですね~」と挨拶すると、
「さすが、ちびくまくんですね!」

そう、うちの息子は「晴れ男」なんです。
6月末、本来なら梅雨真っ只中の自然学校に雨が降らなかったのも
息子のせいではないかと思うくらいに。
そして、障担も見事なくらいの晴れ男。

どうやら、ダブル「晴れ男」のパワーが、またしても
好天をもたらしたようです。

え?海水浴ですか?
満喫したようです。どの子も、そして先生たちも
真っ赤に日焼けして帰ってきたようですよ。





超能力?

2005年07月13日 | Wonder of Autism
今日は自宅でちょっとした工事があり、ずっと在宅していないと
いけなかったので、パートを休ませてもらいました。

久々のお休み…だけど外出はできない。
それで、このゴミ溜のような散らかった家をちょっとでも
なんとかしようと、片付けをはじめたのでした。


2時間かかって、洗面所のキャピネットを一掃。
それにしても、14年前にドイツで買ったシャネルの口紅とか
アメリカにいた頃買ったオーガニック化粧水とか
なんで今ごろごろごろ出てくるのか…

まあ、それはそれとして。
その後、いつもは手をつけない、息子の持ち物を
なんとかしようと考えました。

なにしろ、新パソを買ってからというもの、息子は
家中のCDとCD-ROMを片っ端から出してきては
再生してみる。そして、そのケースとディスクを
うず高くデスク周りに積み上げているのです。

それから、おもちゃを収納したワゴン。
もう何年も手も触れていない玩具がごまんとあって
中でほこりにうずもれているのです。

息子が探し出すまで、その存在すら忘れていたようなCDや
ほこりをかぶったお砂場道具など、思い切ってばさばさ
袋に突っ込んでいくと、大きなゴミ袋半分ほどになりました。

明日はゴミの日。でも、息子に見つかったら
「もとの場所」に戻されるに違いありません。
とりあえず、バルコニーの隅に、その袋を隠して、
何食わぬ顔で、学校から帰宅した息子を迎えました。

し・か・し。
息子は少し怪訝な顔をして部屋を見回したかと思うと、
まっすぐバルコニーへ。
「あーーーっ!このCD,すてないの!!このおもちゃも
まだいる!!すてちゃだめ!!」
しまった。

「ごめん、ごめん。もう使ってないみたいだから
 捨てようと思ったのよ。
 どれがまだ要るの?要るものは袋から出して
 おかたづけしていいからね」


…30分後。
バルコニーには空になったゴミ袋が残されていました。



まだまだ続く、我が家のゴミ屋敷状態。
それにしても、なんでばれたんだろう…。


「何をしてもいい時間」の過ごし方

2005年07月11日 | Wonder of Autism
今朝、ランドセルに連絡帳を入れようとして見ると、
連絡袋にビデオが1本入っています。
どうやら、息子が私の見ていない隙に入れたもののようです。

連絡袋の中身は朝、必ず担任が確認してくれます。
そこに入っているものなので、もし何か確認の必要があれば
担任から連絡があるはず。
私は何も見なかったふりをして、息子を送り出しました。


さて、実は今日は個人懇談の日でもありました。
交流学級の先生と15分、その後障担との懇談が約1時間。

交流担の先生から、交流学級にいる時の様子などお聞きしてから、
障級の教室に移動。

「きょう、ビデオ持って来てましたね」
「朝、気が付いたんですけど、そのまま送り出しました」
「本人に聞いたらね、『懇談の間見ようと思って』って言うんですよ。
 すごいですよね」

校区外の学校まで出かけてきて、1時間の個人懇談をする間
1人で子どもを家で留守番させることができたり、
子どもを預かってくれる人がいたりする人は、障級にはまずいません。
それで、懇談の間は、担任や介助の先生が他の教室で子どもを預かってくれるのです。

その間は、自由遊びの時間ですから、原則子どもが選んだ遊びに
先生が付き合ってくれます。
(そのほうが苦手な子どもには、もちろん先生が活動を用意してくれます)

ちびくまは、「今日は個人懇談がある」というスケジュールから
「懇談の間はぼくは先生と別の部屋で遊びながら待っている」
   ↓
「じゃあ、その間に家から持っていったビデオを見よう」
と考えたのです。

なんでもないことのようだけど、それだけの時間の見通し、さらに、
普段の「家のおもちゃは学校へ持ってきません」というルールに
例外が認められる場合があることと、今日がそれにあてはまるかどうか、という
その見極め。

それができたことを、障担は「すごいな」と賞してくれたのでした。

「何かをしなければいけない時間」を適切にすごす力をつけることと並行して
「何をしてもいい時間」の過ごし方を自分で選ぶ力をつけることを
私は息子が小さい頃からかなり意識して育ててきました。

もちろん、そうした力の強弱には、持って生まれたものもあって、
親が努力したから力がつく、努力しなかったから力がつかない、と
いうものではありません。

でも、息子が着実に成長していることと、先生がその成長をしっかり
受け止めてくれていることがわかって、
どんより曇った梅雨空の下、なんだか晴れ晴れとして帰ってきたのでした。





自然学校の写真

2005年07月06日 | 楽しい学校生活
今日、息子が、自然学校の写真の申込のための
小さなアルバムを持ち帰りました。

同行した写真屋さんが撮った写真は、個人懇談のときに
学校で見本を見て申し込むことになっているのですが、
これは、障担が撮ってくれた、障級在籍者2人の写真です。

2人で約40枚。そんなに写真のない、普通学級の子ども達の
親御さんには申し訳ないような数ですが、子ども自らの口から
詳細なお土産話を聞くことのできない私たちにとっては、
子どもがどのように過ごしたかを知る、貴重な資料です。

息子も、もう1人の友だちも、とても伸びやかないい顔をして
写っていました。
こうした写真を見ていて嬉しいのは、息子の笑顔が写っていることも
そうですが(ちびくま、カメラを向けられると眉間に
シワを寄せるくせがありますので、あまり写真写りがよくないのです)
息子達を取り巻く人々が笑顔で写っている事。

心身ともに大変な負担のはずなのに、子どもを見て笑っている障担。
息子にべったりつくでもなく、でも完全に離れているわけでもなく、
絶妙な距離感で、一緒に班行動をしてくれている交流級の子どもたち。
学生ボラさんも息子も混じって、みんなではしゃいで大騒ぎしている
様子のスナップ。

面白かったのは、後半から、ちびくまがすべての写真に
Vサインをしながら収まっていること。
きっと学生ボラさんや、まわりの子ども達から、学んだのでしょう。

最後の写真は、泣き笑いの学生ボラさんと息子のツーショット。
言葉だけでなく、彼は本当にちびくまにハマってくれた5泊6日
だったのでしょう。

みなと「同じ」ではなくても、「全く同じ事」はできなくても、
「一緒に」いることはできる、平和に同じ空間を共有できる、
自分は自分のままで、皆から認められている、という
確かな実感。
息子の子ども時代のために、私がなにより用意してやりたかったもの。
それがこの薄いアルバムに詰まっているような気がして、
なんだか嬉しくなったのでした。




「ぼくが言ったら」

2005年07月05日 | Wonder of Autism
ただいま、息子がはまっているのは、大昔のN*Kでやっていた
「にこにこ*ん」のビデオ。

例によって、テープが擦り切れそうなくらい、気に入ったところばかり
何度も巻き戻してみています。

あるキャラクターが「…するんじゃないぜ!」と言ったところで停めて、
「おかあさん、これ、ちびくまくんがいったら、どうなる?」

は?どういう答えを期待しているんだね、キミは。
「うーん、なんて言うのかなあ」

「えっとね、ぼくは、『…しないでね』っていうの」

優しい介助の先生たちの言葉を主に聞き覚えた息子の言葉遣いは
「やさしい」「やわらかい」とよく言ってもらうのですが

自分でも「自分のしゃべりかたはこういうスタイル」だということが
ちゃんとわかっていたんだな、ということにちょっとビックリした母なのでした。