雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

とりあえず退院

2007年03月16日 | 入院生活
長らくご心配をおかけしましたが、とりあえず小康状態が続いており、
在宅療養が可能になったとの主治医の判断で、14週間・99日ぶりに
退院となりました。

まだ立ちっぱなしは5分程度、歩行は100m程度が限度というところで
元通りの体に戻ったとはとても言えませんし、病気が治ったわけでも
なく、今後も再発の危険や薬の副作用がついてまわりますので、あまり
手放しに喜んでばかりもいられませんが、
「おかあさんがかえってきてくれてうれしい」と喜んでくれる息子を
見ているととりあえず入院せずに済むのが一番で、それさえ確保できれば
のんびり病気と付き合っていくしかないかな、と思っています。

直接間接を問わず声援を送り続けてくださった皆様には
心から感謝しております。ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

In someone else's shoe

2007年03月09日 | 入院生活
この病気になってから、車いすに乗る機会が多くなりました。
今は病棟の中など短距離は歩いていますが、退院した後も
長い距離を移動する場合には退院後も車いすを使うことを
考えた方が良い、とのアドバイスがリハビリの先生からあり、
買うのかレンタルするのか、買うとしたら自費で買うのか
何らかの公的制度を使うのか、思案しているところです。

車いすには自走式(自分の手で車輪を回して動かす)と
介助用(乗っている人には動かせない・一般に自走式より
小型軽量)、それに電動式がありますが、私は断然自走式派、
介助してもらうのは出来るだけ避けるようにしています。
それは気兼ねしているというより、車いすを押すのが下手な
人が多すぎてイライラさせられることが多いからです。
ちなみに、一番独りよがりで最悪だったのは夫でした(笑)。

車いすを押すくらい、誰にでも出来そうに思えるかも
しれませんが、介助する側のデリカシーや思いやりがこれほど
ダイレクトにわかる機会も少ないかも。

ちゃんと研修を受けた人ならどうかわかりませんが、大抵の人は
「自分が動きたい」速度で「自分が連れて行きたい場所に」
連れて行こうとします。
段差や悪路による衝撃や坂になっているところの傾斜角も、
乗っている人ほどには感じませんから、押している人は優しく
丁寧に扱っているつもりが、「手荒く扱われて怖い」印象を
与えていることもあるかも。

ちびくまは小さい頃、ベビーカーやスーパーのカートには
ちっともおとなしく乗ってくれない子でした。アメリカの
スーパーの、カラフルで可愛らしい子ども用カートに子どもを
乗せて、楽々と買い物を済ませるよそのお母さんが心底
羨ましかったものです。

でも今になって振り返ると、あの頃の私は息子を
「自分が行きたい場所に連れて行って」「自分のしたいことに
付き合わせる」ことだけに躍起になっていたのではないかと
思うのです。
そして、コミュニケーションに先天的な弱さを持った息子が、
それに混乱しイライラしたのはむしろ当然だったと思うように
なりました。

「誰かの立場に立って考える」ということを、英語で
"in someone(else)'s shoe"と言いますが、子どもがいうことを
聞いてくれないと嘆く前に、「どうしてそうなのか」を
子どもの立場に立って考えてみることの大切さを、改めて
思い知らされたような気がしています。

知ることと信じること(その4)

2007年03月02日 | 入院生活
相手の持つbiasと自分の持つbiasに気づくことは、例えば
自閉っ子の「問題行動」について考える時や、ある療育法に
ついて評価しようとする時にも、必要なことなのでは
ないかと思います。

自閉っ子の場合、biasとなるものは偏見や先入観というより
「感じ方の違い」という方がより正確な気がしますが、
私たちが自閉っ子のする事を「問題行動」と呼ぶとき、
よく考えてみるとそれは「その子にとって不利益(危険)な行為」
というより「私たちが(自分の価値観ゆえに)やめて貰いたいと
思う行為」であることの方が圧倒的に多くはないでしょうか。

いつも家の中をすっきり片付けていられる綺麗好きなお母さんが
玩具を散らかしまくる子どもに対して感じるストレスは、
ずぼらで自らが「片付けられない女」である私よりずっと
深刻でしょうし、他人に気を遣い、人の和を乱さないこと・
人から変に思われないことを大切にしている人には、
自閉っ子のいかにも自閉っ子らしい行動がとても受け入れ
難いものに感じられるかもしれません。

同じように、自閉っ子の自閉っ子らしさを受け入れ難く
感じる人は、「自閉に見えない」ことを目標にする療育法に
強く惹かれるかもしれないし、「一人で出来ることが多い方が
いい」と考える人は、自閉っ子が単独で出来ることを目標とする
療育法に惹かれがちになるでしょう。

私たちは、ともすれば自分は「事実」を知っていると
思いがちだけれど、本当はそこに「それが絶対不変の真実だと
信じたい気持ち」の方が大きく働いているかもしれない、という
疑いを時々差し挟んで振り返ってみることは、生まれながらに
定型発達の子どもたちとは違う感じ方を持った自閉っ子と
毎日そして末永く付き合っていく私たちだからこそ
大切にしたいことなのではないかと思います。

また、我が子が自閉っ子でなければ、ひょっとしてそんなことは
あまり意識しなかったかもしれない、と考えると、この身に
起こる出来事に無意味なことは何もない、そうも思えるのです。

知ることと信じること(その3)

2007年03月01日 | 入院生活
ひとたび人間が介在すれば、全ての「事実」は絶対のものでは
なくなる、ということを私が徹底的に教えられたのは大学時代です。

法律を学んだ人間というのは、条文を沢山暗記していて、
白黒をはっきりつけたがる融通のきかないタイプであるに
違いない、とよく思われがちなのですが、実はそういう
イメージは「法的な考え方」をよく知らない人の先入観である、
と私は思っています。

実際の法学部の授業では「法と道徳の違い」や、立場が違えば
主張が変わること、当事者の主観的要素はどのように判断
すべきか、という議論、ある「事実」の「蓋然性(確からしさ)」
という問題、法的判断の社会的妥当性、といったことが
繰り返し取り上げられます。

人の見た「事実」は「その人にとっての真実」に過ぎないこと、
人が下す判断の「正当性」には常に限界があること、それが
その後私が生きてきた日々の基調になってきた考え方です。

極端に言えば、私が大学法学部で学んだことの全ては
その考え方に集約出来ると言うことが出来るかもしれません。

そして、そのように考えてみると、人が人に何かを伝えようと
する時、自分自身がどのようなbiasを持っていて、相手が
どのようなbiasを有しているかまで考えに入れない限り、
「事実」を伝えたつもりでも伝わらない、これは当然の事と
言えるかもしれません。

でも、人間というものは往々にして他人の持つbiasには
敏感でも、自分自身の持つbiasには気がつきにくいのですね。
だから余計に話がややこしくなりがちなのでしょう。

知ることと信じること(その2)

2007年02月28日 | 入院生活
これに似たことは、自閉っ子を取り巻く人々の間でもよく起こります。

自閉っ子に「事実」を教えたつもりなのに、とんでもない
誤解が生じていた、とか、保健師さん、お医者さん、OTさん、
STさん、保育士さん、幼稚園・学校の先生といった専門家の
人たちと親の間や自閉っ子のお父さんとお母さんの間、
ご両親とおじいちゃんおばあちゃん・その他の親族との間でも、
言葉を尽くして説明したつもりなのに通じない、わかって
貰えない、という経験は、きっとどなたにもあるのでは
ないでしょうか。

「事実」を伝えたのだから通じないはずがない、という考え方は、
実は人間にとっての感情、心の働きを軽視するところから来る
過ちなのではないか、と私は考えています。
例えばコンピューターでデータを処理する時は0か1か、
つまり白か黒かがはっきりしています。けれども、人間が
あるデータを処理しようとする時、そこには英語でいうbiasが
作用します。biasとは、日本語に訳せば傾向とか先入観という
言葉になるようですが、要は人間というものは自分にとって
好ましいものは見えやすく聞こえやすく、逆に信じたくない
ものは見えにくく聞こえにくいものだ、ということです。

私たちの回りの出来事に「完全な白」や「完全な黒」は実は
殆ど存在しません。そして、あるグレーを「白に近い」と
感じるか、「黒に近い」と感じるかは、その人の立場、
これまでの生活でつちかわれた価値観、その時の感情によっても
違ってきます。

「そんなことはないよ」とおっしゃる方もおられるでしょう。
微妙なグレーならともかく、ある程度極端なグレーであれば、
誰の目から見ても白に近いか黒に近いかは一目瞭然だと。

でも、どちらに近いかは意見の分かれにくい場合でも、
「黒が主であるところに白が混じっている」と感じる人と、
「白に大量の黒が混じった」と感じる人はいるのです。
もっとわかりやすい例で言えば、「チビという名の犬が5回
吠えた」という同じ「事実」を目撃したとしても、犬好きな
人なら「可愛らしい犬が、愛嬌たっぷりにじゃれついた」と
見えるかもしれないし、大の犬嫌いの人には「大きな犬が
恐ろしい声で吠えたてた」と見えるかもしれません。

知ることと信じること(その1)

2007年02月23日 | 入院生活
病気で入院しても、診療報酬の関係で3ヵ月経つと退院か転院を
迫られる、というのはよく聞く話ですが、私が入院している
難病病棟は例外らしく、もう何年も入院している、という人が
沢山います。私ももうすぐ入院3カ月になりますが、師長さんから
言われるのは、ここが我慢のしどころ、とにかく焦らずに
ゆっくり養生すること、そればかりです。

ここにいるのはALS、パーキンソン病、認知症といった
「長期にわたる闘病が必要な、治らない病気」の患者ばかりで、
その殆どが日常生活の殆ど全ての場面で全介助が必要な状態です。
自分で箸を持って食事をし、椅子に座ってであればシャワーが
浴びられ、長距離は無理とはいえ自分で歩いてトイレに行ける
私は、ここでは「最も元気な患者」の1人です。

そんな病棟に入院してきて5週間になるAさん。
まだ軽症で私と同じ「元気な患者」である彼女は、入院前に
告知を受けたとのことで、ご本人も最初から病名をオープンに
されていましたが、言葉の端々に「早く治して退院しないと」
「リハビリを頑張れば治る」という言葉が出てくるのは、
「進行性の病気で、すぐに命がどうこうということではない
けれども、これから生涯にわたって治療とリハビリの必要な
病気」だと何度も繰り返している主治医の言葉を気持ちのうえで
受け入れきれないのだろう、と思っていました。

ところが、 先週の副院長回診(ここは大学病院ではない
のですが、週に1度「白い*塔」よろしく回診があります)
の後、妙にど~んよりしているAさん。
「私の病気ってさぁ、100%元通りになるっていうのは無理
なんだって。そんなの、今日初めて聞いたからさぁ…」

…な、なんですって~?私が知ってるだけでも、アナタの
主治医はこの病室に来る度にそういう話をしていましたよ?
ちゃんと聞いてなかったの?
あの先生は早口でまくし立てるから何を言ってるかよく分から
ない、やっぱり女の先生(彼女の主治医は女性)の言うことは
重みがない、何週間か入院さえすれば元通りになって帰れると
信じていたのに、彼女はそう言うのでした。

仕方がないので、前回入院していた病棟の談話室に彼女の病気を
特集した健康雑誌があったのを思い出して、その雑誌を借りて
きて見せてあげると、しばらくじっと読んでいて、ようやく
納得した様子でした。
結局この時まで、彼女は自分の病気がどういうものであるのか、
今何のために入院しているのか、自分が飲んでいる薬が
どういうもので、どのように処方を調整していくのか、
「説明を受けているはずなのに」全く解っていなかった
らしいのです。

だから、もうひと月以上も入院しているのにちっとも治らない、
検査ばかりして薬も量が増えていってる、と不信感だらけに
なり、更に主治医とのコミュニケーションが悪くなる、という
悪循環に陥っていたようでした。


ムーンフェイス

2007年02月19日 | 入院生活
経口ステロイドの投与が始まって9週間目、ここに来て急に
ムーンフェイスが目立ってきました。
ムーンフェイスというのは、ステロイド剤の副作用としては
ごく一般的に見られるもので、文字通り顔がお月様のように
まん丸になるそうなのですが、私の場合、顔の下半分に
特に分厚く脂肪がついて、“ムーン"というより“ムーミン"に
なってしまっています。

今日も診察に来た主治医がしげしげと私の顔を見て「うーん、
結構しっかりきてるねえ。知ってる人が見たらびっくり
するんじゃない?」と妙な感心の仕方をしてくれます。

去年のクリスマスに病院で撮って貰った写真を出してきて、
「人相が全然違いますよねぇ」と言うと、
「いや、でも、なんとなく面影はあるよ」って、全然フォローに
なってませんから!(泣)

経口ステロイドを大量服用していると感染症にかかりやすく
なるので、私は常時顔半分がすっぽり隠れる大きなマスクを
かけていますが、今やこれが「顔隠し」ツールになってきて
しまっています(笑)。もっとも、今の季節、でっかいマスクを
かけた人は決して少なくないので、まだラッキーだったかも。
これが真夏だったりしたら、暑いうえに怪しさ全開ですから。

それにしても今のステロイドの副作用としては他に
・中心性肥満(首の後ろや腹部など体の中心に脂肪が付く)
・産毛が濃くなる
・脱毛
・吹き出物が出る
・骨粗鬆症になりやすくなる
・糖尿病になりやすくなる
などがありますが、私の場合は今のところ最初の3つくらいで
済んでいるので、なんとか深刻なことにならずにいければ
いいなあ、と思っています。

病気の性質から、今後も急に劇的に良くなるとか、元通りの
体になるとかはなかなか難しいそうなのですが、今より悪化さえ
しなければ、3~4週間後にはなんとか退院できそうです。

こればかりは自分の努力でどうこう出来るものではないので
運を天に任せるしかありませんが、晴れて小学校を卒業し、
中学という新しい環境に入るちびくまのためにも、卒業式に
間に合うようにちゃんと退院して、せめて1年、出来れば3年
再発しないで過ごしたいなぁ、と祈るような気持ちでいます。

モチベーションがすべて

2007年02月18日 | 入院生活
昨日、ちびくまが祖母(私の実母)と一緒に病院に見舞いに
来てくれました。

私が家に居なくてもちびくまは祖母のいう事をよく聞いて
良い子にしており、祖母の作った食事はすべて「おいしいね!」と
言って食べるので面倒の見甲斐があるとのこと。

息子が「おかあさん、病院の人に会ったときはなんて言ったら
いいのかな?」と訊くので、「『お母さんがお世話に
なってます』って言ったらいいんじゃない?」と教えると、
しばらくして早速病室の入口でで看護士さんに「おかあさんが
おせわになってます!」と挨拶する彼の声が…(笑)。
ある意味彼は結構社会性が高いのかも、と思うのはこんな時です。

でも私は、彼に挨拶を強いたり、人を喜ばせる言葉を
教え込もうとしたりはしてきませんでした。
息子自身にそうしたい気持ちが育つ前に「スキル」として
そういう行動だけを教え込んでも意味がないような気がした、
ただそれだけの理由なのですが。

「彼の場合はモチベーションがすべてです」
私はちびくまに関わる人々に何度もそう言って来ました。

「伝えたい気持ち」のない子にコミュニケーションの力は
育たない、周りの人たちとうまくやっていきたい気持ちのない
子にソーシャルスキルは定着しない、だからまず、私が
彼にとって「伝えたい相手」になること、毎日の生活の中に
「伝えたい」ネタを沢山作ること、彼自身が「自分は
周りの人から好かれている、大切にされている」と実感できる
ことこそが何よりの「療育」なのだと私は信じてきました。

彼は今も感覚統合訓練や大学での認知学習訓練を受けては
いるけれど、最初はともかく、今は彼自身が楽しみにして
通っています。また、そうでなくては、少なくとも息子自身に
とっては、本当に意味のある訓練とは言えないでしょう。

私の生活に今やPCと携帯はなくてはならないツールだけれど、
それは「世間の人が使っているから」ではなくて、自分が使って
便利だから、生活に役立つから、何より自分が使いたいからで
だからこそ新機種も使いこなそうと努力出来るのです。

同じように、自閉っ子に絵カードコミュニケーションを
教えるにしても、スケジュールなどの視覚支援でも、その子が
使って便利だ、使えて嬉しいと感じていなければその子にとって
それを使う意味は見いだしにくいのではないかと思うのです。

自閉っ子は、感じ方・表現の仕方は独特かもしれないけれど、
「心を持ったひとりの人」であることを忘れてはいけない、と
いつも肝に銘じています。

タバコが嫌い。

2007年02月14日 | 入院生活
実は私、タバコの匂いが大嫌いなのです。
あの匂いをかぐと吐き気がするので、喫煙可の飲食店なんか
絶対入りたくないし、スモーカーの人は体臭もタバコ臭なので、
エレベーターには一緒に乗りたくないし、出来れば同じ空間、
同じ部屋にいることさえご遠慮申し上げたい程です。

とは言え、私が独身だった頃は今のように嫌煙・分煙を
声高に言える雰囲気もなく、泣く泣く紫煙もうもうと舞う
事務所でじっと堪えながら仕事をしてたものでした。

そんな私が結婚相手に求めた「絶対にこれだけは譲れない
条件」は「タバコを吸わないこと」。

幸いうちの夫は(他の条件はともかく)そこだけはクリアして
いるばかりかその嫌煙度も私以上で、アメリカという国には
好きになれないところが沢山あるが、「タバコを吸う人」は
「昼間から酒を飲まずにはいられない人」同様に見られる
スモーカーへの目の冷たさは見習うべきだと豪語するくらい
ですから、(他のことはともかく)我が家でタバコのことが
ケンカの種になったことは一度もありません。

加えて最近は健康増進法(でしたっけ)のおかげで日本でも
公共の場は殆ど全面禁煙になり、すごぶる快適に毎日を
過ごしておりました。

ところが、入院生活を送るようになって、思いもよらず
タバコに苦しめられる日々となったのです。

2週間前に個室から私の向かいのベッドに移ってきたおばさま。
2週間の検査入院のはずが思わぬ合併症が見つかったりで
入院が1か月を越えました。
既に定年を迎えたご主人は、毎日かいがいしく洗濯物や
おやつを持って病室に現れ、ひとしきり話し込んでいかれます。

が。このご主人、むちゃくちゃタバコ臭いのです。
病室の入口に彼が来たことがニオイで判るほどですから、
向かいの奥さんの所にいる間、病室にはなんとも強烈な
タバコ臭が漂います。
私個人としてはとても許容出来るような臭さではないの
ですが、勿論病室内でタバコを吸っているわけではないので、
苦情を言うわけにもいかず、仕方なしに彼が来るとそそくさと
病室を出て避難し、彼が帰ってくれるのを待つしかないのです。
当のおばさまは、夫婦の会話が筒抜けになることに私が
気を遣っているのだと解釈している
様子で「居てくれて全然構わないのよ~」と鷹揚に笑って
くれるのですが、「そうじゃなくて、あんたの旦那が臭くて
我慢出来ないの!」と言えたらどんなにいいだろう、と
ひたすら彼女の早い退院を待ち望む私がいます。

自閉っ子にはニオイに敏感な子も多いですが、彼らはもっと
色々な場面で理不尽な我慢を強いられているのかもしれない
なあ、と、ちょっぴり彼らの苦労がわかったような気がする
今日この頃なのです。


域値が低い?

2007年02月09日 | 入院生活
朝、リハビリに向かう途中で、私の病室に来てくれる途中の
主治医に会いました。
「これからリハビリ?じゃあ、ここで診察しちゃおう」と、
いきなり病棟の廊下で歩行姿勢としゃがみ立ちのチェック。
今日で入院丸2か月だというのに、相変わらず年末年始より
少し悪いくらいの低位安定で、しゃがみ立ちはできないままです。

まだまだ入院が長引く可能性も考えて福祉事務所に相談し、
息子の自立支援サービスの支給量を増やしてもらえそうなので、
申請に必要な診断書を書いてもらえるよう、主治医に依頼します。

「そう、それで、どういう書き方にすればいいの?」
「私が入院してることを理由にするので、あとこれ位
入院加療が必要、みたいな感じですかね。期間は長めに
見積もっていただいて」
と言うと、主治医が笑って
「普通、いくら書類上のことだから、って言っても、期間を
長めに書かれるのを嫌がる人の方が多いんだよ。
あなたって、ホントに域値の低い人だなぁ」

この場合の「域値」というのは「(病気や障碍に対する)
心理的抵抗」「心の壁」のことだそうです。

現在の医学では完治する事の無い、いわゆる難病を告知する時は、
患者本人とその家族のショックや混乱・悲しみを目の当たりに
して、やはりドクターも辛いのだそうです。泣いたり、
ひたすら事実を否定したり、抑うつ状態になったりする患者が
ほとんどなのだとか。そんな中で私はずっと「あなたは
明るくてこっちが救われちゃうなあ」と言われ続けて
きました。

ステロイドパルス後も低位安定の状態が続いた今月初めの
時点で、最悪この状態で固定した場合を考えて、退院後の
在宅生活をシュミレー
ションして、車椅子やシャワーチェアといった福祉用具の
あたりをつけたり、身障手帳の申請や難病在宅支援制度などの
制度を調べて申請書様式類を揃えたりしているのを見て、
「なんでそこまで前向きになれるんだ~」と半ば呆れたように
感心していた主治医。

でも、私は別に無理に明るく振る舞っている訳でも、
前向きになろうと必死で努力している訳でもありません。
それは、私が8年前に既に「地獄」を経験しているからかも
しれない、と思います。

愛する我が子が「自閉症」だと告げられたあの日からしばらく
の間、やはり私は泣き、事実を否定し、抑うつ状態に陥りました。

もう息子にも自分にも未来は無いのだと思って、随分長い間
息子と一緒に死ぬことばかり考えていました。
あれは今思い返しても、私がこれまで生きてきた中で最も辛い
時期だったけれど、あの苦しみの日々があったからこそ、今、
こういう状況になっていても「泣いても1日、笑っても1日」と
前を向いて暮らしていく力がついたのかもしれないなあ、と
思うのです。

それは、未来が無いと思っていた息子がこんなにも心豊かに
優しく育ってくれて、私の生きる喜びになってくれている、
そのことに支えられた自信なのかもしれません。

「あなたが思うほど人生は、そして自閉であることは悪くない、
だからどうか、ギリギリの所でいいから踏みとどまっていて。
きっと早まらなくて良かったと思える日が来るから」と、
今苦しみのどん底にいるお母さんがいたら、改めて伝えたい、
そう思うのです。