雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

コミュニケーションと多言語

2005年10月31日 | Wonder of Autism
アメリカから帰国して5年半、
既に「帰国子女」の肩書きには「元」の字がつくほどに
しっかり「普通の日本の自閉症児」に育ったちびくまですが、
ひとつだけ、彼がアメリカで過ごした時間を色濃く残す
特徴があります。

それは、外国語への壁の低さ。
特に英語は彼にとっては聞くのも読むのも楽しい言語で
あるらしく、今でも英語のビデオや絵本、インターネットサイト
(例えばこんなの)を
自ら選んで楽しんでいます。

それだけではなく、英語以外の言語にも興味があり、
幼児向けアニメのイタリア語のサイト、ドイツ語サイトなどを
どんどん探し出しては、何度も聞いて楽しんでいるのにはびっくり。

最近はスペイン語やフランス語で数の数え方を覚えたいと
思っているようです。

彼を見ていると、「話し言葉」というのは、コミュニケーションの
「道具の1つ」に過ぎないんだなあ、ということが
しみじみ感じられます。
「何語を話すか」ではなく、「子どものこころのことば」に
しっかり耳を傾け理解しようとする真摯さと、
何を伝えようとしているのかを感じ取る鋭いアンテナを
常に持ち続けていなければ、「彼にとって」役に立つ支援者ではありえません。

最近、すっかり「おしゃべり」がうまくなった息子の
状態に安心して、あぐらをかいてはいなかったかな、と
少し反省しています。

リーダーに会いたい。

2005年10月29日 | adorably autistic
金曜日、学校から帰ってきた息子が言いました。
「おかあさん、あしたはKだいがくのおまつりに
つれていってください」

K大学、というのは、我が家から車で20分弱のところにある
私立大学。そこの学祭に行きたい、と言うのです。
人ごみが嫌いで、通っているM小学校のこども祭りにも
参加しようとしない息子が、どうして大学祭になんか
行きたいと言うんだろう、と不思議に思って尋ねると、
「Oリーダーに会いたいから」

今年6月に、息子たちは5泊6日の自然学校に行きました。
そのときに、各クラスに1人ずつ、さらに障碍児学級在籍児には
マンツーマンで、学生ボラさんが付いてくれたのでした。

私は、彼らは野外活動とか、児童福祉かなんかのサークルだろうと
思っていたのですが、後で聞いてみるとそうではなく、
発展途上国の住宅問題に貢献する国際ボランティアのサークル
だったのだそうです。

息子の学校では総合の時間に「国際理解教育」として
さまざまな取り組みをしています。よくある「英語体験」も
その1つですが、JICAでアフリカへ行かれていた先生が
いることもあり、アフリカ某国の政府高官が訪問されたり、
発展途上国からJICAを通じて日本で研修中の人たちを
お招きして、それぞれの国の話を聞かせてもらう、という
授業もありました。

先日もあったそんなイベントに、通訳として呼ばれていたのが
自然学校でもお世話になったリーダーたちのサークル。
ちびくまは、5泊6日、ずっと自分に寄り添ってくれた
Oリーダーにまた会えて、とても嬉しかったようです。

そして、先週また彼らが学校にやってきました。
今度は自分たちの国際ボランティア活動の紹介だったようですが、
そのときに初めて、息子はOリーダーがK大学に通っている
学生さんなのだということがよくわかったようで
今度は自分がOリーダーの学校へ行けば、
また彼に会えると思ったようなのです。

そこまで言うのなら、と今日、家族3人でK大学へ出かけてみました。
パンフで彼らのサークルの企画展示室を確かめて、まっすぐ
そこへ向かいます。
息子は「Oリーダーにあえるかなあ」と既にウキウキ。

でも、私は少し心配していました。学祭の企画展示なんて、
サークル員全員が張付いているものではないはずです。
友達を呼んで案内していたり、ひょっとしたら彼女と
歩き回っているかもしれない。
学祭に行ったからといって、彼に会えるとは限らないし、
会えたところでそれが彼に迷惑でないという保障はないのです。

目指す展示室を見つけて、早速にこにこ顔で飛び込んだ息子。
でも、案の定、Oリーダーの姿はそこにはありません。
「どうしようかなあ」と考えながら、とりあえず展示してある
写真を息子に示して、一緒に見ます。

と、そこへ。天の助け!
Oリーダーが、一人で、展示室に入ってきたのです。
息子に「Oリーダーがいたよ」と囁くと、大ニコニコで
駆け寄っていきました。
Oリーダーは息子の顔を見ると、「ちびくまくん!どうしたん?」
とびっくり。

「どうしてもOリーダーに会いたいから連れて行け、って
 うるさくて」
と説明すると、Oリーダーはにっこり。
「そうか~、会いに来てくれたん」

それからしばらく、息子はOリーダーに付き合ってもらって
校舎の中を探検したり、障碍者用トイレに1人で入って用を足して
見せたり、楽しい時間を過ごすことができました。

別れ際に「ちびくまくん、また音楽会も見に行くよ。
頑張ってな」と言ってもらって、すっかり満足した息子は
笑顔で手を振りました。

人とうまく付き合えない、コミュニケーションに障碍があると
言われる自閉っ子ですが、私は時々、息子が自分を愛してくれる人、
自分を支え、導いてくれる力を持った人を
周りに呼び寄せる力の強さに、驚くことがあります。
ひょっとしたら、彼の最大の支援者は彼自身なのかもしれません。

Oリーダーと一緒に歩く息子を見ていて、
ちびくまにとって、「大切な人」がまた一人増えてたんだなあ、と
嬉しくなりました。

それにしても、Oくんって、いい青年ですわ

別人?

2005年10月24日 | Wonder of Autism
「とことんこのこにこだわって」を読んで下さった知人から
ぽろぽろと感想を聞かせてもらえることが出てきました。
殆どの人からまず出る感想は、
「ちびくまくんにこんな時代があったなんて、信じられない」

まあね。
自閉の症状(?)が急激に出揃いだしたのは、渡米してからでしたし、
帰国したのは、アメリカの養護幼稚園でも
「別人のように落ち着いた」と言われるようになってからですからね。


そういえば、英語での指導を引き受けてくださった大学教授のもとを
初めて訪ねたとき、先生が
「かんたんな会話くらいはできるあたりを、まずは目指しましょうか」と
おっしゃったのを聞いて
「学者さんというのは、ずいぶんぶっ飛んだことを言うもんだなあ」と
思ったくらいですから。
ちびくまと「会話」ができるなんて、当時の私には想像できなかったんです。

この本を書いて、改めて自分たちの過去を振り返ってみて、
ちょっと自分をほめてやりたくなっちゃいました。
よく、息子と自分を信じて、くじけないで、頑張ったね、と。
そして、一見、孤軍奮闘に思えた時期にも、実はさまざまな人との
出会いや、そこで体験したこと、その人たちにもらった言葉で
ずいぶん助けられ、勇気づけられてきたんだな、と
改めて感謝の気持ちを感じました。
きっとあの頃の私は必死すぎて、そんなことを思う余裕もなかったのでしょうが。

「とことん~」は学校の先生方に読んでもらいたい、と思って
作った本ですが、
今いっぱいいっぱいで、大変な思いをしているお母さんたちにも、
今は先が見えなくて、物理的にも心理的にも大変だけど、
助けてくれる人はきっといるよ、明るい未来はきっと来るよ、という
希望のメッセージになったらいいなあ、とも思っています。

「できない自分」と付き合う。

2005年10月18日 | Wonder of Autism
夕方、気がつくとまた部屋の隅で静かに泣いていたちびくま。
声をかけずにいたのですが、ふと顔を上げたときに目が合うと、
あわてて顔をごしごし拭いていたので、にっこり笑いかけただけで
その場を離れ、私は夕食作りにかかりました。

しばらくして、キッチンに立つ私の横へ来たちびくま。
「これなに?」と切った野菜を取り上げてしげしげと見たり、
「おてつだいしてあげる」と必要な調味料を出してくれたり
していたかと思うと、ぽつりとこうつぶやきました。
「きょうね、ちびくまくん、ずこうががんばれなかったの」

今日の連絡帳には
「図工は空想の絵の第2弾、『宇宙に行った○組』という題で
 描きました。前回の絵がもう仕上がっているのでもう1枚
 描いてもらったのですが、なかなかいい感じなので教室に
 貼りました。いつもクラスの輪(和)を大切にするちびくまくん
 らしい作品です。」
とありました。つまり、客観的にはむしろなかなか頑張った
時間だったようなのです。

「そっか~。頑張れなかったの。どうして頑張れなかったんだろね」
「えっとね。ちびくまくんは、ちょっとひっくりかえっちゃったから」
・・・なんかわかったような、わからないような。
「こんどがんばったらいい?おかあさん」
「そうだね、今度頑張ったらいいよ」
「じゃあ、『ちびくまくん、今度は頑張ってね』って言わないと」
「ちびくまくん、今度は頑張ってね」
「はい。がんばります」


先日も給食当番のとき、ご飯の入れ物をひっくり返してしまった、と
(でも幸い、ご飯は無事でした)とても気にしていたちびくま。
今日の「ひっくりかえっちゃった」も
本当に物理的に転んだとか物を落としたことを気にしているのか、
それとも先生がわざわざ私に伝えるほどではない、と判断するような、
ちょっとした不適切行動をしてしまったのか、
はたまた『絵を描くのが苦手』な自分のことをそう表現したのか、
そのへんはよくわかりません。

高学年になって、ますます周りの定型発達の子どもたちとの差が
はっきりしてきた息子。交流級の子どもたちは、そんな彼を
「そういう仲間」として、べたべたちやほやするわけではないけれど
さりげなくカバーし、励まし、褒めてくれる絶妙のサポーターたちです。
そんな恵まれた環境の中でも、やはり「みんなのようにできない自分」を
悲しく思う気持ちはあるのだなあ、となんだか切なくなってしまいました。

「みんなと同じようにしたい」「そのために頑張る」
彼が誰に強制されたわけでもなく抱き始めたこの気持ちは、
彼の成長、特に集団適応力の顕著な伸びの大きな原動力に
なっていることは間違いありません。
でも、私としては、彼に「今のままの自分も好き」で
いてほしいのです。
これからは「できる喜び」を育てるだけでなく、
「できない自分」とうまく付き合う方法も合わせて考えて
いかないといけないなあ、と気持ちを新たにしたのでした。



なにを今更ハイパーレクシア。

2005年10月14日 | Wonder of Autism
もう何年ぶりかで、ふと思いついて、「ハイパーレクシア」を
キーワードにして検索してみました。

結果を見て、もうびっくり。

私が初めてhyperlexiaという語に出会った頃は、
「ハイパーレクシア」でひっかかるサイトは皆無。
「ハイパーレキシア」でやっと専門家の先生の論文の翻訳が
ひっかかる程度だったんです。

英語のhyprelexiaでひっかかるサイトもかなり増えました。

ちなみに、私がこのサイトを開設した年に書いた
ハイパーレクシアの紹介はこちら。

専門の先生が読まれたら突っ込みどころ満載なのかもしれませんが
私自身は今読んでも、「よく考えたよなあ」と我ながら感心したりして(笑)

ちょうど「息子はどういう障碍なのか知りたい!」と躍起になって
知識を仕入れようとしていた時期だったのと、息子自身にまだほとんど
言葉がなくて、文字を通じて以外に意思疎通の手段があまりなかったので
よけいに息子の認知の特徴を必死で観察していたのかもしれません。

でも、偶然、「高機能自閉症のことを、ハイパーレクシアと
いうそうですね!」という書き込みを見つけて、
「それは激しく違うでしょうよ!」とモニターに突っ込んでみたりして。

最近やっと発達検査ができるようになって、少しずつ息子の認知スタイルが
明らかになってきています。

私があの頃漠然と感じていた、「単に文字が読めるというだけではない」
「単に内容が理解できないというだけではない」
特殊な認知パターンとしてのハイパーレクシアの謎を
突き止める仮説をまた考えてみたくなってきてしまいました。

就労支援が欲しい。

2005年10月13日 | 時には泣きたいこともある。
パート勤務を始めて13ヶ月、結構我慢強いタイプではある(はずの)私も
今の会社で働き続けるのはもう限界かな、と
思うようになりました。
普通なら、新しい勤め先を探して、転職、という場面。

でも、ここに大きく立ちふさがるのが、ちびくまをどうするのか、と
いう問題。私たちの街に、障碍のある子に特別な支援を用意して
預かってくれる学童はありません。(つまり、障碍のない子と
まったく同じ扱いでいいのなら来てもいいよ、という程度)
しかも、3年生までに在籍していて、手帳があれば、特例として
4年生まで在籍して良いことにはなっているけれど、5年生以降の
受け入れについては全く考えていない、と今年6月の市会で
はっきり答弁があったばかり。

つまり、今5年生で、しかも障碍のない子と全く同じ扱いでは
生活できないちびくまには、放課後や長期休暇中、
行けるところがないのです。

この1年はそれでも、勤務時間を短くしてもらったり、支援費を
使ったりしてなんとかしのいできました。
逆に言えば、勤務時間に融通をつけてもらうという弱みがあるからこそ、
できない我慢もならぬ勘弁もしてきたわけで。

仕事をする気持ちも、その能力も(たぶん)あるのに、
障碍のある子にしわ寄せのいかないようにしようと思えば、
どんな無理をしてでもそういう働き方ができる仕事に甘んじるか、
働くこと自体をあきらめるか、の二者択一しかないんでしょうか。

子どもの将来の就職先探し、そのことへの支援も
私の抱える大きな問題のひとつではあるわけですが、

障碍のある子がいても、その気さえあれば、ハンディを負わずに
仕事ができる支援が欲しい。
今、切実にそのことを思っています。

家庭科なんかだいきらい

2005年10月12日 | 楽しい学校生活
下校バスから降り立ったちびくま、マンションの廊下を歩きながら、
「おかあさん、きょうはちびくまくんはせっかくあたらしい
 シャツをきていったのに・・・」

着ていったのに?

「かていかだったんだよ!」

実は、今日は来年入学予定のお子さんとその親御さんのための
学校見学会。
ちびくまは、「らいねんの1ねんせいにおべんきょうをみてもらうんだって」と
昨日から大張り切りでした。
朝も、「あたらしいシャツをきていきます」と
おしゃれにもこだわりを見せたのでした。(笑)


ところが、肝心の見学会の時には、ちびくまは交流級の家庭科の
授業に出ていたため、お客さんたちに「いいところ」を見てもらうことが
できなかったのだそうです。

しかも、その原因が、自分の嫌いな「家庭科」だったので
悔しさが倍増した模様。
(ちびくまがなぜ家庭科を嫌うのか、の理由はよくわかりません。
自分の手先の不器用さを思い知らされることが多いからなのか、
家庭科担当の専科の先生が、ちびくまのとても苦手なタイプの先生だからか・・・。)

ちびくまのお気に入りのビデオに
「ハ○ー○ティのパパなんかだいきらい」というのが
あるのですが、それをもじったのでしょう、

「ちびくまくんの、かていなんかだいきらい!」と
連呼して憂さばらし(?)をしておりました。

とことん「とことんこのこにこだわって」にこだわって

2005年10月11日 | Wonder of Autism
「とことんこのこにこだわって」(明治図書)が
そろそろ店頭に並び始めました。

私の住む町でも、JR駅前のビルに新しくオープンした
本屋さんの「障碍児教育」の棚に並んでいるのを発見。
いや~、もう、店長さんを呼んできて握手したいくらい
嬉しかったです(笑)。

落合みどりさんが「十人十色なカエルの子」(東京書籍)を
出されたときや、
ニキ・リンコさんが「俺ルール!」(花風社)を出されたときに
「売れているかどうか」をとても気にしておられるのを見て

「すっごく内容のある本なんだから、(売れたほうがいいのは
確かだけど、どれだけ売れるかなんて)気にしなくていいのに~」
なんて思っていたんですが、

自分(たち)の本となると、もう、
思いっきり気になります!

私たち仲間の間では、ずっと前から作りたかった本でした。
今まで読んだ、どんな本にもなかったような、親の本音や、
生活者としての保護者の「ていねいな子育て」の視点を存分に生かし、
しかも読んでくれた人に「明日また頑張ろう!」という気持ちに
なってもらえるような本。

私たちの手の届かないところで、いろんな人を
元気にしてくれていたら、嬉しいな~、と思うのですが。

もう読んでくださった方は、よろしければ
こちらの掲示板やアンケートなどで感想を聞かせてくださいね。


夢のつづき。

2005年10月04日 | 楽しい学校生活
「とことんこのこにこだわって」感想投稿用の
掲示板を作ったり、HDDが壊れたPCの修理を
したり、忙しくすごしていたら、あっという間に
10月になっていました。

来年の今頃には、息子の進路を決断しなければなりません。
入学してから4年半、息子はほとんど理想的と言ってもいいような
小学校生活を送ってきました。

毎日安定した気持ちで、落ち着いてすごせる環境を
用意してもらったお陰で、生活面でも学習面でも
できることも随分増えました。
交流級の仲間たちに暖かく見守ってもらい、さりげなく
フォローしてもらって、「同じであること」を強いられなかった分、
「みんなに合わせよう」という気持ちが自発的に育ちました。
いつもマンツーマンで、決して強くない気持ちの表現を
しっかり受け止め続けてもらって、人への信頼感も
しっかり育ってきました。

先日の受けた教育相談では、児童精神科医の先生から
「とてもいい感じに育ってますね。きっと家でも学校でも
 対応がよかったことの賜物でしょうね。」
と言っていただきました。

でもなあ。もうあと1年半で卒業なんです。
夢のような小学校生活、この夢の続きを見られるような
学校を選ばないといけないんですが。

まだまだ具体的にはなにも動いていない特別支援教育の
看板を前に、さてさて、またこれからが思案のしどころのようです。