雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

転地学習(その2)

2007年05月31日 | 楽しい学校生活
学校に着くと、既に1年生たちは屋根のある昇降口のところに
集合して整列していました。
ちびくまと私の姿を見つけて、障担K先生が出てきてくれます。
「ちびくまくん、おはよう。じゃ、整列しよか。1組は
 あの奥のほうやで」
ちびくま、素直に指示に従って、自分の交流級の方へ向かいます。
そこで、ちびくまにばれないように小型のカバンに入れた
DVDプレーヤーを「これ、例のものです」と先生に渡すと、
先生は「あっ、そうや、この天気やし、彼の好きな絵本も持って行きますわ」と
言って教室へ駆け込み、重そうな絵本を何冊も抱えて出てきました。

さて、ちびくまは、と思って様子を見に行くと、クラス集団の最後尾に
1人でぽつんとしゃがんでいます。でも、彼が自分では畳めないはずの
折りたたみ傘がきれいに畳んでカバンの上に置いてあるところを見ると、
誰かが手を貸して畳んでくれたようです。
そのうち、学年の先生が「出発式を始めるから、ちゃんと整列して」と
全体に声をかけると、ちびくまのところへ男の子が2人やってきて、
「ちびくまくん、荷物はここへ置いといていいから、班のところへ行って
並ぼか」と声をかけました。どうやら彼らが同じ班のメンバーのようです。
ちびくまは返事をするわけでもありませんが、すぐに立ち上がって
素直に彼らと一緒に整列しました。

学年の先生の挨拶(お説教?)が終わると、すぐに出発です。
「3号車から、そして席が奥の班から移動を始めること」という
抽象的な指示(自分で考えさせるため?)ですが、ちびくまには
今度は女の子が「ちびくまくん、行くよ~」と声をかけてくれました。
ちびくま、慌てて自分のカバンをとりに行き、彼女と並んで
バスに向かいます。

基本は全て班行動、ということで心配していたけれど、いつも
何かしら班の子どもたちが声をかけ目をかけしてくれているのを見て、
ちょっとほっとしました。

大型バスのトランクに大きなカバンを積み込み、通学カバンを
背中に背負って、バスに乗り込みます。ちびくまの席は
生徒最前列の窓側、その前の列には先生たちが座っています。
ちびくまの斜め前に座っていた女の先生が窓を開けて、
「ちびくまくん、お母さんに行ってきますをしたら?」と
言ってくれると、ちびくま、今朝初めてにっこりわらって
「おかあさん、いってきま~す」と手を振りました。

雨の中動き始めた3台のバスを、私は先生方と一緒に
手を振りながら見送りました。


転地学習(その1)

2007年05月30日 | 楽しい学校生活
ちびくまの通うF中では、1年生は5月に2泊3日で
県北の山間部へ「転地学習」にでかけます。

入学して2ヶ月弱、少し学校生活に慣れ、たるみが出始める頃の
生徒たちに、集団生活の決まりや行動のあり方を考えさせる、とか
班行動、クラス対抗活動などを通して、仲間作りや連帯感を
高めることを目標としているようです。

逆に言えば、それでなくても同年代の子ども集団が苦手な
ちびくまにとっては、とてもストレスが多く、ハードルの高い行事です。
まして、彼は4月に過適応が原因で体調を崩してからというもの、
交流級のメンバーとは殆ど接触を持っていません。
ここで再度つまづかせてしまったら、ちびくまはすっかり
学校での集団生活に自信を失ってしまうかもしれません。

それで、障担と私はいろいろと作戦を練りました。
目標は「嫌な思いをさせないこと。『自分なりの』達成感が
味わえるようにすること。今すぐでなくてもいいので、将来
交流級と再び接触を持つための心理的な入り口にすること」。

日中の活動は個別支援つきでできるだけみんなと一緒にこなし、
入浴や就寝など夜の活動はリフレッシュの意味もあって
通常学級の子どもたちとは時間や場所を別枠にしてもらうことに
なりました。
パニックになってしまったり、どうにもこうにも疲れ切ってしまったとき、
みんなと同じことができないことで落ち込むようなことがあったりしたとき
のために、気分建て直しの秘密兵器として、この日のために
新規購入したポータブルDVDプレーヤーと
大好きなアニメのDVDを2枚、ちびくまには内緒で先生の荷物に
忍ばせてもらいます。

さて、第1日目となる今日は、朝から雨。
雨が大嫌いで、普段ならこの天気だけで登校準備のスピードが鈍り、
目に見えてテンションが低いちびくまですが、さすがに大きな行事で
気合が入っているのか、背中に弁当の入った通学カバンを背負い、
キャリーカートを引いて、時間どおり登校します。
でも、やはり不安なのか、「おかあさんも、いっしょにくる」との
リクエストがあり、私も学校まで見送りに行きました。

英語の授業

2007年05月24日 | 楽しい学校生活
アメリカから帰国して既に7年が経ちましたが、ちびくまは今でも
英語が大好きです。
絵本もビデオもインターネットも、全て日英両語で楽しんでいます。

面白いことに、その興味は英語のみにとどまらず、
スペイン語だとか、ハングルだとか、中国語だとかにも広がっていて、
我が家では毎日「ち○まる子ちゃんの北京語バージョン」だとか
「セ○ミストリートのスペイン語レッスン」だとかが
ネット経由で流れています。

いつも驚かされるのは、彼がそういう外国語の歌だとか台詞だとかを
あっという間に覚えてしまっていることで、これは彼の「録音・再生」 
能力の高さを反映したもののようです。

そして逆に、これほど抵抗なくいろいろな外国語がぽんぽん入るのは
彼の「言語能力」(言語依存度?)が低く、一応日本語は
しゃべっているけれども、おそらく定型発達の子にとっての
「母語としての日本語」には遠く及ばないレベルであるからだろうとも
思っています。
いわゆる「セミリンガル」(母語も外国語も不十分な状態)に
似た状態ですね。

それはさておき。
入学前には得意な英語の授業は交流級で受ける予定で話を進めて
いたのですが、蓋を開けてみると、これがうまくないことがわかりました。
つまり、学校で「習う」英語と、ちびくまにとっての「英語」は
全くその性質が違いますし、簡単な日常会話は理解でき、
聞き覚えたフレーズで正しく話すことはできても、
その文法や発音のやり方を言葉で説明されると、
ちびくまは却って混乱してしまうのです。

また、試しに英語の教科書を読ませてみると、単語レベルでは
中2~中3前半くらいまで殆どマスターしていることもわかりました。
しかも、発音に厳しいちびくま、クラスメートの正確でない
発音を聞くことは苦痛のようです。
(音感の良い子が音程のはずれた曲を聴かされるようなものでしょうか)

ここまでニーズが違うと、一緒に授業を受けることは難しいと
K先生も私も意見が一致しました。
でも、せっかく英語の好きなちびくまに学校でも英語の授業を
「楽しませる」方法はないものか、と考えたK先生は
学校にくるALT(Assistant Language Teacher:主に
発音や英会話の分野を担当するネイティブ講師)に
個人レッスンを受けることを思いつき、それが実現できるように
手配してくれました。

ALTが学校に来るのは、各学期数えるほどなので、そう再々
できることではないのですが、それでも日ごろ英語を
話せる「人」と接することのない息子には貴重な機会です。

今日はその授業の1回目がありました。
ちびくまはアメリカで買った幼児向けのPCソフトを
いくつか学校に持ち込ませてもらっていますが、
それを使って、ALTの先生に一緒に遊んでもらい、
英語で話しかけてもらって、とても楽しく過ごしたようです。

K先生に「どんな授業の形式がいいでしょうね」と相談されて
「私としては『英語がうまくなること』や『英語を習うこと』を
狙いにしているわけではないので、(K)先生がこれまでやってきて
下さったことを、そのまま英語でやってもらえれば、と思うんですが」と
答えたら、先生はちゃんと私の意図をわかってくれたようで

今日の連絡帳には
「S先生(ALT)がよく理解してくれて、ちびくまくんに
 "寄り添う"ことを重点にしてくれたので、本人大満足の様子でした」
とありました。

ちびくまの英語好きに、これでますます拍車がかかるかも?

給食その後。

2007年05月18日 | 「発達障碍」を見つめる眼
障担K先生と2人で給食室へ行って、好きなものを食べたいだけ
取るやり方を始めてから、ちびくまの給食に対するプレッシャーの
ようなものはかなり和らいだようですが、まだ交流級へは行かず、
障碍児学級の教室でK先生と2人だけで食べる生活は続いています。

そんな中、「好きなものだけでいいよ。嫌いなものは残していいよ」と
K先生が毎日念押ししてくれるにもかかわらず、少しくらい嫌いなものが
入っていても、取ったものはきれいに食べようとしたり、
嫌いなおかずでも少しくらいはとってみようか、という
自発的な努力が見えてきました。

そして、食べた後の食器は交流級である1年1組の教室まで
返しに行っているようです。
これは、ずっと障級の教室で過ごしていても、交流級との縁が
全く切れてしまわないように、との配慮だと思います。
食べる前に交流級に行くのではなく、食べた後で交流級に行く、という
選択がナイスです。

さて、今日のメニューはちびくまの大好きなカレーライスでした。
でも、嫌いな人参と、大嫌いなグリンピースが入っています。
最初はグリンピースと人参をよけて入れようと頑張ったちびくまですが
ついに諦めて、がばっとお皿に入れました。

そして、食べおわったあとK先生に
「グリンピースだけは残したよ」と伝えたのだそうです。
人参は、頑張って食べました。

つまり、ちびくまは「嫌いなものが入っているときにどうするか」を
自分で考え、「人参は頑張って食べるけれども、グリンピースは
残す」という行動を自分で決め、それをきちんと自分を支援して
くれる人に伝えたわけです。
先生から言われて、2つや3つ食べられるおかずが増えることと、
こうした自己決定・自己責任と実用的なコミュニケーション能力を
育てること、これからちびくまが生きていくうえで
本当に大切なのはどちらでしょうか。

K先生は「自分の思いを伝えてくれたことが嬉しかった」と
連絡帳に書いてくれました。私は先生がそう書いてくれたことを
嬉しく思いました。

最近「食育」ということがよく言われます。
ちびくまが「完食」にこだわって却って給食が食べられなくなるという
経験をしてから改めて気が付いたのですが、子どもの周りには
「食べ物を残すな」「何でも食べろ」というメッセージが
なんと多いことでしょう。

・・・でも、大人は本当に何でも食べていますか?
好き嫌いの全くない人、食べ物を決して残したことのない人は
どれだけいますか?

食べ物の由来を知り、食べ物があることや食べ物を作ってくれる人に
感謝の念をもつこと、食べ物を大切にし、無駄にしないことと
「偏食をなくすこと」「給食を完食すること」とは
必ずしもイコールではないと私は思うのです。

「偏食をなくさなければ、社会で通用しないから」と
これまで当たり前のように言われてきたことを、もう一度
「この子にとって本当に利益になり、大切なことはなにか」を
「その子の視点に立って」見直してみる謙虚さが支援者の側にない限り

偏食がほんの少しましになる代わりに大切なものを奪われてしまう子どもは
実はちびくまの他にも沢山いるのではないか、と思っています。








暴れないパニック

2007年05月17日 | 「発達障碍」を見つめる眼
お母さん仲間からお聞きしたお話です。

特別支援学校のスクールバスに乗って通学していたお子さんが
公共の路線バスを使っての通学を始めました。
そのお子さんに、そのことについての感想を尋ねたら
「ラクになった」のだそうです。

何がどう楽になったのか、お母さんが巧みにお子さんの話を
引き出してみたところ、
「スクールバスはよく道を間違えるのでびっくりしたけれど
 路線バスではそういうことはないので、ラクになった」
ということでした。

特別支援学校の通学バスが本当に「道を間違えた」のか、
あるいは欠席だとか道路状況の関係とかで
臨機応変にルートを変更しただけなのか、その辺はわかりません。

でも、そのことについてきちんと予告も納得のいく説明も
受けていないそのお子さんが、突然のルート違いに「びっくり」し、
一般の人も沢山乗っている通勤通学時間帯の路線バスの方が
「ラクだ」と感じるほど、その心身を疲弊させていたことは
間違いのない事実のようです。

これとは別に、学齢期の自閉っ子の支援にあたっておられる方から
こんな話もお聞きしました。

このお子さんは、これまで3年間担任の先生が変わらなかったのですが
この春、転校することになり、当然担任の先生もその他の先生も
周囲の子どもたちもがらっと総変わりすることになりました。

それで、その子にとってはとても負担が多いだろうと心配して
「この学校に来てしんどくない?」と訪ねてみたところ、
「この学校は変更が少ないから楽だよ」という意外な答えが
帰ってきたのだそうです。

実は、彼の以前の担任の先生は、ちょっと(かなり?)そそっかしい
方で、例えばその1週間のスケジュール表を作ってはくれるのだけど
ほとんど毎週と言っていいほど、その中に間違いがあったのだそうです。

こうした先生の書き間違いや思い違い、ちょっとした連絡ミス、
果ては先生には直接非のない学校ならではの「臨機応変な」
予定変更までひっくるめて、
その子は全部を「この学校の突然のスケジュール変更」だととらえて、
それに頑張って対応していたのでしょう。

学校という場である以上、転校後に予定変更の数がそれほど変わったとは
思えないけれど、彼にとっては学校を変わるという変化より
「楽になった」と感じられるほど、今まで「突然の予定変更」を
負担に思っていたとは、なんとも気の毒な話だと思いました。

私たちだって、「毎日運転手の気分でルートの変わる路線バス」や
「時刻表は一応あるけど、そのとおりには動いていない電車」や
「10回に1度は道を間違って教えるカーナビ」なんて
使ってたら、落ち着いて生活はできないですよね。
それが、こと多数派が「まあ仕方ない」と考えられる範囲の変更で
相手が自閉っ子となると、それで混乱するほうが悪いように
考えられてしまうのはどうしてなのでしょう。

それでも、そこで泣き叫んだり大暴れをしたりすれば、
「ああ、突然予測しないことが起きてパニックになったのね」と
気づけるくらい自閉症についての知識がある人は増えてきましたが、
上で紹介したどちらのお子さんも、突然の予定変更で大騒ぎを
するようなことはない物静かで落ち着いたお子さんなので、
ひょっとしたら周りの人は
彼らがどれほどしんどい思いをしていたのかには気づいて
いなかったかもしれません。

うちの息子と同じように、騒がなくても暴れなくても、
多数派とは違うものの感じ方を持って生まれ育ってきて、
非自閉の人には何でもないような変化にも一生懸命適応している
自閉っ子にとって、突然の予定変更が辛いことには
なんの変わりもないのです。
それなのに、周りの人にわかりやすいように暴れないで
耐えていることはたいてい
「突然の予定変更に耐えられた、柔軟になった」と
プラスの要素として考えられてしまがちです。

「暴れないパニック」「騒がないパニック」は周りの人にとっては楽でも
ひょっとしたらその子自身にとっては「暴れるパニック」
「騒ぐパニック」よりずっと負担の大きいものになっているかもしれない。
自閉っ子に関わる人間は、そのことを忘れてはいけないのでは
ないかと思います。




授業参観

2007年05月12日 | 楽しい学校生活
今日は、今年度初の授業参観です。
4月に体調を崩して以来、学校では先生とバランスボールで遊ぶ、
バギーに乗って遊ぶ、一緒にパソコンゲームをして遊ぶ、
一緒に公園まで歩いて行って遊ぶ、と
ひたすら「先生と1対1で遊ぶ」ことに集中し、
毎朝、障碍児学級の同級生3人で15分ほど「朝の学習」として
百ます計算のプリントと音読プリントに取り組むほかは
教科学習は全くというほどしてこなかったちびくまですが

「参観のとき、何を見てもらおうか」という先生の問いかけに
「百ますをやります」と自ら申し出たそうです。
やはり「参観だから学習をしないとまずい」と思ったのでしょうか(笑)。

さて、参観授業のある4時間目に教室を覗くと、ちびくまは既に
同級生のS君と共に百ます計算のプリントに取り組んでいる最中でした。

もちろん、プリントは各自のレベルに合わせてあるし、何枚
取り組むかは自己申告です。
ちびくまは足し算を1枚、S君は足し算2枚、引き算2枚、掛け算2枚、と
それぞれその時間に取り組むと自分で決めた課題が黒板に
書いてありました。

タイム更新を目指して、集中して取り組むS君の横で
ゆっくりのんびり答えを書き込んでいるちびくま。
それでも、タイムはこれまでの最高記録でした。

さて、プリントを先生に提出して採点してもらうと、
まだ必死で課題に取り組んでいるS君を尻目に、
「じゃあ、遊んでくるよ~」と宣言してPCの電源を
入れるちびくま。
でも、音が出ると慌ててボリュームを少ししぼります。

「あれ、ぼくは何も言ってないんですけどね。やっぱり
 『これはまずいんちゃうか』と思うみたいですね」と
さもおかしそうに耳打ちしてくれるK先生。

そのうち、ちびくまはバギーに乗って先生とS君の周りを
ゆっくり走り始めました。そして、先生の真後ろまで行って
「ここにとめるよ」
S君の指導をしながら「いいよ」とK先生。
「やっぱり先生の後ろにとめるのはいいことじゃないね」
「かまへんで」
好き勝手をして遊んでいるようで、ちゃんと先生とコミュニケーションを
取ろうとしているちびくま。

しばらくしてS君が全てのプリントを終えると、
「さあ、じゃあ、一緒に遊ぼか」と立ち上がるK先生。
すかさずちびくまがその前にバギーを進めて
「こそばす!」と要求。
それに応えてK先生がわき腹をこそばしてくれると
キャッキャキャッキャと大笑い。

私もちびくまが小さいとき、くすぐり遊びはよくしましたが
私は一貫して「こちょこちょする」と表現してきましたから
この「こそばす」という表現はK先生とのやり取りの中で
学んだ語彙でしょう。

こんなに構えのない、やんちゃな顔のちびくまを学校で見るのは
本当に随分久しぶりのことです。
彼がK先生を本当に信頼し、甘えていることがよくわかりました。

部活の指導に、部活関係の上部団体の役員も務め、
「年中無休24時間営業」と豪語するこの先生、プライベートな時間など
殆どないほど忙しいはずなのに、ちっとも慌しい雰囲気がありません。
いつもゆったりとしたたたずまいでありながら、
生徒1人1人の個性と動きを細かく観察し、すばやくそれに対応して
いるのがわかります。
そして何よりも、子ども1人1人の違いを見つけ、それにいちいち
合わせて対応することを先生自身が面白がっているのが伝わってきて
なんだかとても嬉しくなってしまいました。

静かにゆったりと時間が流れるこの先生と教室の環境が、
ちびくまをのびのびとさせてくれているのだなあ、としみじみ思います。
今の段階でここまで先生との関係がしっかりできていれば、あとのことは
たいてい何とかなりそうな気がしています。



マイ車椅子

2007年05月10日 | CIDP
久々にCIDPネタです。

3月16日に退院して以来、私の運動機能は悪化することはなく
安定してはいるものの、しゃがんだ姿勢や正座、それに長距離の歩行が
できない状態にはあまり変わりがありません。
入浴用の椅子や座ったまま家事をするための椅子などの自助具、
歩行補助杖などはダ○ソーやホームセンターで安く手にいれることが
できたのですが、外出用に車椅子が欲しいな~、と常々
思い続けていました。

退院後、社会福祉協議会から安くレンタルしてもらったのですが、
これがとても重いもので、腕の力もあまり強くない私では
車への乗せ降しにも介助がいる状態で使い勝手が悪く、
結局ほとんど使わないまま1ヶ月で返却してしまいました。

調べてみると、10キロ前後の「超軽量」と呼ばれるタイプも
あるのですが(ちなみに、私が病院で使っていた「標準的な
スチール製の車椅子」は重さ17.9キロでした)、安いネット
ショップを探しても3万ちょっとから10万円近くします。

身体障害者手帳の取得はまだ難しいので、日常生活用具として
支給してもらうことはできないし、難病患者在宅療養支援制度
利用しても、車椅子では5万円以上の自己負担額があり、
ほとんど制度を使うメリットがありません。

そこで、いろいろ探して、この度やっと重さ10.6キロの
マイ車椅子をゲットしました。中古なのでボディーには
やや当て傷などが目立ちますが、シートはきれいだし、
なにしろ定価10万超、新品売価7万超のものを1万円ちょっとで
手に入れられたので、これはお買い得だったかも~。ほくほく。

これで、ウインドーショッピングに行ったりもできるなあ。
ちょっと行動範囲が広がりそうです。

ほぐれる。

2007年05月08日 | 楽しい学校生活
さて、ゴールデンウイークの後半4連休を望みどおり
「おうちでゆっくりして」過ごしたちびくま。
「中学に入ってから随分頑張っているから」とこどもの日に
大手家電量販店の日替わり奉仕品のICレコーダーを
買ってやったので、それで好きなTVCMやビデオの台詞などを
録音して、大喜びで遊んでいました。

連休明け初の登校となった昨日は、少しテンション的には
低かったものの、交流へは行かず、マンツーマンでじっくり
ゆったり付き合ってくれ、給食は好きなものを好きなだけ、という
K先生のスタンスが変わっていないことを確認できて
安心したようです。

給食は白ごはんをたっぷりと大おかず、それに野菜スープを
選びました。野菜が入っているので、心配したK先生が
「野菜は残していいよ」と声をかけてくれても
「うん」と返事をしたものの、全部食べたようです。

ちびくまはそういうところがあって、「この人はぼくが
嫌いなものを残しても必ず認めてくれる人だ」とわかると、
「じゃあ、これは少し頑張ってみよう」という気になるのです。
もちろん、それはごくわずかな歩みではあります。でも、
小学校入学以来、彼が食べられるものはそうやって確実に
数が増えてきていました。
それは誰かに強制されたわけではなく、信頼できる人との
関係を基礎にして、「この人となら頑張ってみよう」という
自発的な頑張りです。

人から「○○も一口でもいいから食べようね」と言われて食べるのと
自分で「○○も一口だけでも食べてみようかな」と考えて食べるのとでは
外見的にはほとんど差がありませんが
本人の気持ちにかかるプレッシャーの重さと、成功したときの
本人の達成感が全然違うのです。
私が「ちびくまには偏食指導は百害あって一利なし」と考えるのは
そのためです。

「こちらがなにか提案しても、『それはやらないね』と却下されたり、
 だいぶ我儘が出てきました。本音の笑顔やな~、と思える顔も
 だいぶ見られるようになりました。ええ傾向やと思います」
ただただありのままのちびくまを認め、受け止め、楽しんでくれる
先生に支えられて、ちびくま、だいぶほぐれてきたようです。



進歩

2007年05月02日 | 楽しい学校生活
さて、昨日給食を食べられたことに自信をつけたちびくま、
「今日も給食を頑張るよ」と宣言してから登校しました。

「彼は歩くのがとても好きみたいだし、学校の外に出る
 時間を取ると、リフレッシュできるみたいなんですよね」と
K先生は今日も2人でのウォーキングの時間を取ってくれました。

学校から少し離れた公園まで歩いて行って、公園の遊具を全制覇。
ちびくまは「迷路が楽しかった」と先生に伝えたようです。

学校に帰ってからはパソコンで遊んだり、Wordで自分用の
来週の予定表を作ったり、「インターネットできるカード」
(学校で給食を食べるとシール1枚、終業まで学校にいられると
 シール1枚、シール16枚で「学校でインターネットができる」
 ごほうび付き)を作ったり・・・

一見遊んでばかりですが、ちゃんと私が入学前にお願いした
「先生との信頼関係づくり」
「運動が苦手なので体を積極的に 動かす体験を」
「得意のパソコンを生かして」
「週間予定表があると先の見通しが立ちやすいので安心する」
といった要望が盛り込まれています。

知らない人から見ると「指導もしないで遊んでいる」
「生徒を甘やかして言いなりになっている」ようにしか
見えないだろうに、周りの目よりもちびくま本人の気持ちに添って
過ごすことを大切にしてくれるこの先生を
ちびくまが信頼して頑張ろうとしているのはごく当然のことのように
思えます。

今日はこれまで脱ぎっぱなしだった体操服を畳むための
新アイテム(家庭での洗濯物たたみを重度のお子さんの日課として
指導したお母さんから教えてもらった「畳むための型紙」を
家庭訪問のときに先生に見せてみたら、早速作ってみてくれました)
まで導入されて、さりげな~く生活スキルの指導も入っているのでした。


今日、ちびくまが選んだ給食はパンとオニオンスープ。
そして取った分は完食した上で、「今日は5時間目(本来の
終業時間)まで頑張る」と自分で決めて、終業時間まで
学校で過ごしてきました。
やはり、「給食は嫌いなものでも全部食べないといけない」という
プレッシャーが全ての壁になっていたようです。

帰ってきたちびくまは
「今日は5時間目まで頑張ったから疲れちゃった。
 明日からお休みだから、おうちでゆっくりしようか」


ええ、ええ、どうぞ思う存分ゆっくりしてください。
キミもK先生も、びっくりするくらいよく頑張ってくれたもん。

回復途上

2007年05月01日 | 楽しい学校生活
先週金曜日、家庭訪問に来たK先生に、
「ちびくまくん、給食は、全部頑張って食べなくて
 いいんやで。先生と2人だけで、好きなものだけ
 食べよう。先生はずっと1人っきりで給食を食べてるから
 寂しいんや。火曜日は先生と一緒に食べてくれへんかな」
と言われて、

「じゃあ、火曜日は給食を食べてから帰ります」
(本来は5限まで)と約束したちびくま。
でも、給食の時間が近づくと、みるみるうちに顔色が悪くなり、
元気がなくなってきたらしく、先生から相談の電話がかかってきました。
「おかあさん、どうしましょう。本人は『大丈夫。頑張れる』と
言ってるんですが、明らかに無理してます。このまま帰しましょうか」

でも、先生と「給食は食べる」と約束したのに、それを守れなくて
家に帰ってきたのでは、本人の中に「失敗した」という意識が
残ってしまって、それでなくてもこじれた状況がもっと悪くなるかも
しれません。そこで、先生に、白ごはんなど、絶対食べられるものを
1口だけ食べさせて、「よく頑張って食べたね」と褒めてから
帰らせて欲しいとお願いしました。
それなら、ちびくまは先生との約束を守れるので、「成功」になるからです。

先生は機転をきかせて、メニューを全部お膳に載せるのではなく、
ちびくまを職員室に連れていって、バイキングのように、
「食べられるものを食べられる量だけ」取るようにすすめてくれました。

ちびくまが選んだのは白ごはんと焼肉。
それを食べると、約束どおり早退して帰ってきました。

でも、帰宅したちびくまの表情は晴れやかです。
私の顔を見るなり「がんばってきた。給食食べたよ」との報告。
「そう、よく頑張って偉かったね。じゃあ、今日の晩御飯は
 頑張ったご褒美に、ちびくま君の好きなものにしようね」と言うと、
ちびくまはハンバーグを選びました。
(ごく普通の夕食のメニューですが、「ご褒美だから好物を出す」と
 いうことにすると喜ぶので、よくこの手を使います)

夕方、買い物に行ったとき、私がほうれん草を買おうとすると、
「ほうれん草は誰が食べるの?」と訊くちびくま。
「おかあさんが食べたいのよ」と言っても、
「ぼくはほうれん草が苦手だから、買わないほうがいい」と
主張します。

ハンバーグのお皿に人参のグラッセを1切れ載せておくと、
これまでなら何も言わないで食べていたのに、
「ぼくはにんじん苦手。食べたくないです」と言います。

やっと昨年の秋、私が入院する前の状態に戻ってきたなあ、と
嬉しくなりました。
偏食指導というのはこれまで障碍児教育の基本みたいに
言われてきましたから、一度劇的に改善していた
我が子の偏食がまたひどくなるのを喜ぶ母親なんて、
世間的に見ればめちゃめちゃ変だと思うのですが、
食という、生きることの根源に関わる事項に関して
「NOが言えない」状況、
「説明され、説得されて食べている」状況を
ちびくまのように「他人に逆らう力」が極端に弱い自閉っ子に
押し付けることが
本当にその子を大切にすることなんだろうか、と私はどうしても
疑問に思わずにはいられないのです。

「私は押し付けてなどいません」と言う人もいるかもしれない。
でも、そのことを話題にされるだけでも、嫌いなものを
口の中に押し込まれるのと同じように感じる子だったら?

ちびくまは学校でも「これを食べたら完食?」とあくまで
「完食」にこだわっていたそうで、帰宅後も
「おかあさん、完食ってどういうこと?」と何度も訊いてきて
いましたが、私が
「完食、っていうのは、『食べられるものをしっかりおいしく
 食べる』っていうことだよ。だから、今日はちびくまくんは
 給食を完食したね」
と答えると、ちょっとほっとしたような表情になりました。

やっと一段ステップを登ったちびくま。
このまま、彼の心がほぐれていきますように。