雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

バス通学への道

2010年04月18日 | 楽しい学校生活
私がばたばたと家と父の入院先を走り回っている間に、
息子の特別支援学校生活は始まりました。

昨年度まではこの学校にはスクールバスがなく、保護者が
学校まで送迎するか、路線バスなどを使って自力通学するかの
二者択一だったのですが、今年度からスクールバスが
運行されるようになりました。

小学校のときのように、ドアツードアとはいきませんが、
それでも自宅と中学の中間点ぐらいまで来てくれるので、
中学時代3年間、危なげなく自力通学をこなした息子には
全く問題ないはずです。

でも、息子の希望は路線バスを使って自力通学することでした。
それもそのはず、中学時代の担任K先生は、高等部になったら
自力通学できるように、というので、これまで1年間をかけて
息子に路線バスを使っての通学訓練をしてくれていたのです。

もともと路線バスに乗るのが大好きで、小3から一人で乗る
練習をはじめ、小4からは毎週1回、駅前ターミナルから
ひとりでバスに乗って帰ってくる練習を重ねていましたし、
小6の時、私が入院していた期間には、ひとりでバスに乗って
感覚統合訓練に通った経験もありますから、

同級生のYくんと一緒に学校を出て最寄のバス停まで歩き、
そこからバスに乗って駅前ターミナルまで、
さらにそこからバスを乗り換えて特別支援学校最寄のバス停まで
歩いていく、という訓練内容は、最初の回から全く
問題なくこなせることがわかりました。

それでも、週に一度のお楽しみ、ということで、
毎週楽しそうに特別支援学校までの往復を楽しみ、
時には先生の発案で、モスバーガーによってポテトを買って
帰ったり、別の路線を使って、近くの大型ショッピングセンターで
先生と待ち合わせ、一緒にハンバーガーを食べて帰ってくるなど、
アレンジも加えて、路線バスの乗りこなしには自他共に
自信を持っていたのでした。

進学先がうちの市の中学なら、「じゃあ、バスで大丈夫ですね。
最初の2日ほどは念のため、うちの職員が一緒に乗るようにしましょう」と
言ってくれそうなものですが、そこも勝手が違うのが、特別支援学校。
最初の一週間は親が往復付き添って通学し、学校が決めた2日間
観察試験を受けて、その後判定会議で合格と認められるまで
単独登校は禁止。
う゛~、地域の中学より融通のきかない特別支援学校って・・・。

仕方がないので、片道おおよそ1時間の道のりを往復付き合うこと
一週間、無事に自力登校のお許しが出て、晴れて息子の望む
単独登下校と相成りました。
それでなくてもバス大好き少年の息子、毎日バスに乗れるだけでも
登校のモチベーションになりそうです。

父の入院

2010年04月15日 | 時には泣きたいこともある。
そんなに不安に思っていたなら、なぜ自分から学校に
リクエストしてでも事前の準備をしなかったのかというと、

実は私にはもう1つ抱えている問題があったからでした。
4月2日に、実家の父が入院したのです。家にいたときに急に
息苦しさを訴えて救急で受診したらそのまま入院になったとか。

入院した翌々日の日曜日に、息子を連れて慌てて見舞いに行ったら、
父は思ったより元気そうで、自分で歩いてトイレにも行っていました。
「なんだ、緊急入院とかいうからびっくりしたわ。
 思ったより元気そうじゃない。最近ちょっと調子が良いから、って
 無理しすぎたんじゃない?ちょっと自重しなさいっていうことよ」
と私は軽口をたたき、父もてへへと笑いながら、息子に
「もうすぐ高校やな。頑張ってや。おじいちゃんぐらい年寄りになると
 頑張ろうと思っても頑張られへん。今のうちにうーんと
 お勉強して、頑張っとくんやで」
と声をかけてくれたりして、ほっとして帰ってきたのでした。

ところが、その翌々日に、弟が主治医に呼ばれて告げられたのは、
心臓病の末期で、もう手の施しようがない、ということ。
「おそらく、ここ一週間以内の勝負になるでしょう。長ければ
 2,3週間伸びるかもしれませんが、それ以上とは
 ちょっと言えません」

まだベッドの上で起き上がって、母にわがままを言い、さあいつに
なったら家に帰れるかな、と思案している父が、
もう生きて病院を出ることはない、と主治医に断言されても、
まだ私たち家族にはその実感がわきませんでした。

でも、家では3食をペロッと平らげ、まだ足りなくてベッドの上で
スナック菓子を食べては母に叱られていた父の食が
だんだんと進まなくなり、弱気になってきて、
体につながれるモニターやチューブの数が増えていき、

3~4日おきに私が会いに行く度に、目に見えて弱ってくるのが
わかり、なんとも言えない気持ちになりました。

でも、ドクターの言った一週間はなんとか超え、
2週間目も終わろうとする今、
まだまだ子どもだったころの私の知っていた
元気な父に戻ってくれるのではないかという気がして

希望を抱きながら、せっせと病院に通って、
「あんたは昔から気が強いからなあ」などと
憎まれ口をたたかれながら、せめてもの親孝行を
重ねています。

入学式

2010年04月08日 | 楽しい学校生活
息子が小学校に入るときには、秋に入学先が確定すると
小学校の先生たちが通園施設まで息子を見に来て、
担任の先生たちから普段の様子を聞き取りしてくれました。

入学説明会や入学前健康診断のときには、障級の先生たちが
マンツーマンで付き添ってくれたり、息子を預かったりしてくれ、
春休みには家庭訪問があって息子のプロフィールノートを渡して、

入学式の当日には、少し早めに行って、会場の下見をした後、
息子は専用の控え室で静かにゆっくり待たせてもらいました。
式の間は担任の先生がすぐそばに控えていて、息子に小声で
ほめ言葉を含む声かけをしてくれていて、おかげで私のハラハラを
よそに、息子は無事入学式を終えたのでした。

中学では、正式に入学先を決めてからは、何度も既存の障級を
担任の先生と一緒に訪ねて交流を重ね、プロフィールノートも
早めに受け取ってもらいました。
中学の先生も小学校まで授業の様子を見に来てくれて、
春休みには引継ぎの時間もとってもらい、
家庭訪問と、事前に登校して校長先生と個別に面談する時間、
学校を探検する時間、入学式の練習をする時間を
十分にとってもらい、当日はすっかり安心して
担任の先生に息子を預けることができました。

学校や担任の先生によって若干の差はありますが、
これは私たちの住む市で市立小・中学校の特別支援学級に
進学する場合の、ほぼ標準的な手順になってきています。

さて、息子が今度入学するのは特別支援学校の高等部。
「地域の特別支援教育のセンター校」としての機能が
求められるようになって数年、どんな受け入れ準備を
してくれるのかな~、と私はわくわくして待っていました。
ところが。

入学が決まっても、説明会の案内以外は何もないので、
「卒業まで日がないけど、いつ見に来はるのかな~」
「やっぱりプロフィールノートいるのかな~、
 それとも独自の様式とか持ってはるのかな~」
と案じている間に、息子は中学を卒業。
入学説明会のときにも体操服や作業着の販売と
スクールバスの手続きなんかの説明だけで

「あれ?肝心の子どものことは?」
「入学式の説明とか、リハーサルとかは?」
「先生との顔合わせは3学期が終わって
 新担任が決まってから?」と
不思議に思っている間に、

ついに何のコンタクトもないまま入学式の日を
迎えてしまいました。
「おっかしいな~、もしかして高等部だから?
小学部とか中学部だったらあるの?」と思って
知り合いに尋ねてみましたが、どうも小さい子達にも
事前の接触はなかった模様。

腑におちない思いを抱えながら、息子と一緒に学校に着くと
「あ、Mくんですね、始めまして、担任の○○です、
 よろしくお願いします」とにこやかに迎えてくれる先生。

え゛~~っ、本当に入学式の日に「はじめまして」なんですか?
もうビックリ。
控え室に案内されると、来賓や先生たちもずらーっと並んでいるのに
またビックリ。リハなしで、いきなり本番なんですか?

おまけに式次第は前のホワイトボードに漢字で書かれ、生徒用の
式次第はない模様。え゛~っ、つい一ヶ月前の中学の卒業式でも
息子は先生の指導で自分専用のプログラムを作って、納得して
参加したんですけど~。

狭い部屋にぎっしりと詰め込まれた生徒と保護者、途中で泣き喚く子を
先生がただただ叱ったりなだめたり、とこれまでちょっと見たことのない
異様な入学式でした。

入学式後に各教室に分かれて、担任の先生と初顔合わせ、
個別の子どもの当面の対応について打ち合わせ。
息子の担任の先生は、さすがに息子の中学の担任K先生に
春休みに中学まで呼びつけられて招かれて
強制的に施設見学をさせられ完成した施設を見学して
生半可な対応だと確実にあの子はぼろぼろになるよと脅かされ
対応上で特に注意しなければならない点について引き継ぎを受けたとかで

これまでの教育相談などでも何度も指摘されてきた
息子の表面上の扱いやすさの影に隠れたもろさや弱さ、
慎重な対応の必要性を認識しておられるようで
幾分安心しましたが

この施設、この対応、このシステム。
う゛ーん、ここ、特別支援学校なんですよねえ。
息子の場合、ここ以外に選択肢はないとはいえ、
なんか心配になってきたかも…。