雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

ありがとう

2005年09月23日 | 楽しい学校生活
今日はいよいよ運動会本番。
ちびくまたち5年生の出番は、半周リレーと騎馬戦、それに
恒例の組体操。

今年から体育委員会に所属するようになったちびくまには、
その他にも準備体操の時前に出て模範演技をしたり、
各競技の準備や後片付けなどといった「お仕事」もあります。

すっかり行事大好きっ子になったちびくまは、今朝から
大張り切りで出かけていきました。

まずは準備体操。障担の特訓の成果もあり、これはまずまずの出来。

次はリレー。ちびくまは大体交流学級の子供たちの平均の約2倍の
タイムがかかる、という測定結果から、距離を他の子供たちの
半分にしてもらいました。残りの半分はチームのメンバーが代走
してくれます。
走るのがあまり速くない子が多い障級在籍の子どもたちは
たいてい第1走者で、後の走者がその分をカバーしてくれることが
多いのですが、聴覚過敏のきついちびくまは第1走者は難しいので
第2走者です。その分、後で取り返すのが難しくなるので、見ている
私としては、ちょっとはらはら・・・。

ちびくまの代走もかねて4分の3周を走ってくれた第1走者は
2位でちびくまにバトンタッチ。でも、バトンタッチの時に
片手と肩で耳ふさぎをしているちびくま、たちまち出遅れて
最下位になります。
でも、ちびくまからバトンを受け取った第3走者はがんがん追い上げて、
1人抜かして3位に。そして、続く子どもたちもどんどん追い上げ、
ついにアンカーは接戦ながらも1位でゴールしました。

かけっこの遅いのは気になりませんが、チーム競技だとほかの
子どもたちの気持ちもあるので、こんな風にちびくまがいることが
不利にならずにすむと、正直ほっとします。

騎馬戦も無事すみ、昼食をはさんで午後の競技、
高学年の組体操と全校生参加の大玉転がしで最後になります。
懸案の組体操でしたが、ちびくまは明らかに見てとれるほど
真剣に一生懸命取り組んでいました。
障担の絶妙な補助もあって、確かに通常級の子のようには
いかないけれども、ちびくまにもここまでできるのか、と
母の私が感心してしまうほどよい出来でした。

さて、その後に介助の先生から聞いた話なのですが。
リレーの後、騎馬戦のために集合したときに、ちびくまと
同じチームだった子どもの1人が、
「ちびくまくん、リレー速かったで。頑張ってくれてありがとうな」
すると周りの子も次々と
「ほんまや。ありがとう」
「がんばってくれてありがとう」
と声をかけてくれたのだそうです。

みんなと一緒のことはできなくても、自分なりに一生懸命
頑張っている仲間のことは馬鹿にしない、というのは
この学校にしっかり根付いている校風で
子どもたちも先生たちの行動に倣って
「頑張ったなあ」「頑張ってるなあ」と声をかけて
くれることは普段からよくあります。

でも、「(みんなのために)頑張ってくれてありがとう」と
言ってもらったのは初めてかも。
みんなと同じ教室にいることすら難しかった1年生の時代から
ちびくまを知っていて、これまでいくつもの学校行事を
一緒に経験してきた子どもたち。
その彼らだからこそ、「頑張ってえらかったなあ」ではなく
「ありがとう」という言葉を思いついてくれたのか、と思うと、

ほんとにこの学校に息子を入学させて良かった、と
改めてしみじみ思ったのでした。

バスマニアの母はバスおたく?

2005年09月19日 | Wonder of Autism
地元のバス会社の最寄の営業所で一般公開がありました。

自他共に認めるバスマニアの息子が、これに行かないわけは
ありません。当然のように母が付き添う事になりました。

広い敷地にずら~っと並んだバス。その前に、新型ノンステップバス、
特大型観光バス、長距離高速バス、東京直行便の豪華夜行バスが
展示されています。

息子はもう、目がハートマーク
運転手さんの制服や制帽も借りられるようになって
いるんですが、それを借りて、運転席に座って
記念写真に収まっている他の子ども達を尻目に
息子は座席に座ったり、車両の周りを歩き回ったり、
バスの車体そのものを眺めて楽しんでいます。

バスに乗ってドライブスルーでの洗車体験は
母もなかなか楽しめたのですが、
ただただ何時間もバスを見ているだけでシアワセ、という
息子ののりにはなかなかついていけません。

そのうち、バスについての○×クイズが始まりました。
参加賞はバスの写真つき下敷き、上位入賞には
図書券やバスのチョロQもあるというので、バスをひたすら
堪能しつづける息子を置いて参加してみます。

夜行バスの座席数は28である。○か×か。
ノンステップバスのミラーは8枚である。○か×か。
大型観光バスにはTVモニターが2つある。○か×か。

おいおい、というようなオタクなクイズ、あてずっぽうで
答えているうちに、どんどん勝ち進んで、なんと最後の
2人に残ってしまいました。

最後の問題は
「S駅発の○○バス路線は15系統以上ある。○か×か」

息子に付き合って、ひたすらバス停でバスを眺めて
すごした事のある母には簡単な問題でした。
これだけは実力で答えます。

・・・で。
あろうことか、母はバスおたくクイズ大会で
優勝してしまったのでした。

現在、息子は、賞品のバスチケットで、東京行きをもくろんでおります。


「とことんこのこにこだわって」

2005年09月15日 | 「発達障碍」を見つめる眼
ネットでの療育仲間と作った本がいよいよ近日発売になります。

とことんこのこにこだわって
(『ことばと発達の学習室』出版企画委員会編著・明治図書)

私・ちびくまママは第9章「NEVER GIVE UP ―あきらめないで―」を
執筆したほか、誌上座談会にも参加、リンク集の選定に携わりました。

「NEVER GIVE UP」は「『ちびくまママ』ができるまで」の物語。

仲間達の書き下ろし子育て体験記や、豪華あとがき陣にもご注目。
明治図書さんのサイトでは既に注文できるようですが、
発売後は全国書店・ネット書店でも取り扱い予定です。

皆さん、どうぞお手にとってみてくださいね。

「支援者のプロ」を育てるもの

2005年09月14日 | 「発達障碍」を見つめる眼
9月10日の「聞き取りのスキル」について、「そのように思っていながら
そこでそう言ってあげないのは、一生懸命取り組んでいる院生に対して
意地悪なのではないか」(思いやりが足りない、という意味でしょうか)という
コメントをいただきました。

せっかくなので、
今日はそのことについて私が考えたことを書いてみたいと思います。

確かに、その場でそう伝えたほうが、簡単なのかもしれません。
「院生は一生懸命なのに優しくない」と言われても、仕方ありません。
私は確かに、そういう意味での「優しさ」は持ち合わせていませんから。
中には実際に私のことを「やりにくい親だ」「意地悪な親だ」と
感じている先生もいらっしゃるかもしれません。
その評価・批判は甘んじて受けるつもりです。

ただ、私には、自分のことを「優しい親だ」「いい人だ」と思ってもらうよりも
大切にしたいことがあります。

大学院で学ぶ先生方は、本当に、皆さん一生懸命です。
一生懸命だからこそ、私たちが「うまく」とぼけて見せると、
「ああ、これではわかってくれない、じゃあどうすれば」
「どうしてうまくいかなかったんだろう」
と、考えてくださる方が殆どです。
考えてわからない場合には、「どうすればいいですか?」と
質問してくださる時もあります。

私は、その「自分で考えて解決策を見つける」プロセスが、
「本当のプロ」になるには大事なんじゃないかと
思うんですね。
(聞き出せないのは「クライアントがダメだから」と
 決めつけているような人にはこちらから言っちゃいますが)

たいがいのクライアントは、相手に自分の不安や希望を
わかってもらいたいと必死ですから、
聞き取りをする側のスキルがあまり良くなくても
一生懸命努力して伝えるでしょう。
それが「真摯なクライアント」の姿勢かもしれないです。

でも、真摯にプロを目指す人々、一生懸命な人々だからこそ、
自分の一生懸命さに満足して1人よがりになって欲しくない、
クライアントの一生懸命さに依存して初めてスムーズにいくような
「肩書きだけのプロ」にはなって欲しくないんです。

修行中の時間だからこそ、
自分の思うようにならないクライアントに悩み、
通じ合うための解決法を見つけようと努力したり
教えを乞うたりすることは大切なんじゃないか、と私は思っています。
クライアント側も守り、かつ「支援者の玉子」の指導をするために
スーパーバイザーの先生もいらっしゃるわけですから。

私は、そしてたぶんこうままさんも、
「お客さん」だからふんぞり返っているのでも、
相手のスキルの未熟さを裏で揶揄するために
黙っているのでもありません。

「本当に子どもと親のためを考えられるプロ」は
「プロになろうとする人の一生懸命さ」だけでは
育たないのではないのでしょうか。
「自分の子どもを冷静に評価し、支援できる親」が
「親の一生懸命さ」だけでは育たないのと同じように。

支援者の方々からの援助をただ受身に待つのではなく、

我が子とその仲間を本当の意味で支援してくれる「プロ」を育てるためには
保護者もまた、その一角を担うべきではないのかというのが、私の考えです。
そのために、この夏の学会にも参加しました。

また「敢えて相手のモノサシに合わせることで、自分に必要な
援助を引き出すスキル」が必要なのは、当然、保護者も同じだと思います。

文字どおり。

2005年09月11日 | 「発達障碍」を見つめる眼
ところで。
昨日は同じセンターの中で、別のゼミ主宰の
「発達が気になる子どもの家庭療育講座」っていうのが
開かれておりまして、いつものセラピールームの周囲が
全部託児スペースになっていたものだから、
あちこちのドアに「はいっちゃだめ」の文字とと大きなX印が
書かれた紙が貼ってありました。

自分のセラピールームのドアにもその紙が
貼ってあるのを見たちびくま、困った顔で、
「おかあさん、きょうはおへやにはいっちゃだめなんだって。
 じゃあ、どこのおへやでおべんきょうするのかな?」

院生さんたちも、託児で預かる子が別のゼミのケースを
邪魔しちゃいけない、っていうことには気が回っても、
その張り紙自体で、別のゼミのケースの子どもが混乱するかも、って
ことまでは気が回らなかったんでしょうね(笑)

息子は、迎えに出てきてくれた先生に
「あ、あれはね、『ちびくまくんがお勉強するお部屋だから
他のお友達ははいっちゃだめ』ってことよ」と説明してもらって
納得したようです。
こういうところ、ちびくまは割と柔軟なんですけど、
納得できない子だったらどうするんでしょうね。
・・・ああ、ますます可愛くないクライアントだわ


「聞き取り」のスキル

2005年09月10日 | 「発達障碍」を見つめる眼
ちびくまは、5歳の秋から某大学の臨床心理センターで
週1回の個別指導を受けています。指導にあたるのは、大学院生ですが、
この大学院、ちょっと変わっていて、院生は殆どが現役の
学校の先生なんです。

1時間のセッションの間、私は隣の観察室でモニターを見ながら、
スーパーバイザーである教授や、院生である先生と
家庭や学校での様子やセッションを見て感じたことなどを
お話しさせてもらっています。

ここで必ず体験するのが、親への「聞き取り」です。
春はこれまでの生育歴が中心、秋は次年度への課題設定のために
親の希望を聞き出すことが中心です。

毎年2回、これを5年繰り返してくると、この「聞き取り」にも
微妙なテクニックがあって、上手い人とそうではない人の
違いがはっきりしていることがわかってきて、面白いんですね。

過去には、「生まれてからこれまでのことを話してください」の
一言だけで、生育歴を聞こうとした人もいたし、
(ちゃんと親が話しやすいように「お子さんがちょっと(定型発達とは)
 違うと思ったのはいつごろ、どんなことですか?」とか、 
要所要所でプロンプト出してくださいね)

「言葉のほうをもう少しなんとかしたいですね」と言ったら、
「保護者が言葉をなんとかしてくれと言ったから」といって
いきなり図書館で本を山盛り借りてきて、でも、息子には見向きもされないで
轟沈した先生とか
(保護者の要求をそのまま受けるのではなく、まず子どもの状態をアセスメントなどで
 しっかり把握してから指導案を立ててください。反対に、子どもが食いつく
 教材選びには、親の意見は有効に使えます)

「キーボードの指導を続けて欲しい」と言ったら、
「何の曲を指導しましょうか」と訊いて来た先生
(課題を保護者に丸投げにするのはやめたほうが無難だと思います。
「●●とXXではどちらがいいでしょうか。
 それとも他に特にご希望があれば・・・」と指導の主導権はあくまで
 先生が持ち、保護者の意見を取り入れて柔軟に対処する、という姿勢が
 保護者の信頼を得やすいと思います)

教科書的にはすっごく自閉症のことを勉強している事はよくわかるんだけど、
いまいち今目の前にいる子どもやその親の個性を加味する余裕がないな
と感じられる先生。(マニュアルどおり、っていう感じですかね)

今日の先生は、熱心でよく勉強されているのはすごく伝わってくるんだけど、
まだ「親から自分の必要な情報を引き出す」テクがもうひとつかな、と
いう感じがしました。

例えば。
「1年後のお子さんの目標はなんですか?」

まあ、そういう視点は大切ですし、年単位のIEPの勉強もしておられるからこそ
そういう発想になったのだとは思うんですが、親、特に母親は「生活者」ですから
なかなか「指導者」と同じ時間感覚でものを考えることができません。

これを例えば

「お子さんが今、もうちょっと上手く教えたらできそうなんだけどな、と
 思っていらっしゃることはありますか?」
とか
「小学校を卒業する(うちの場合はあと1年半)くらいまでに
 できるようになって欲しいな、っていうことはありますか?」

と訊いてもらえば、「生活者」の視点からの「芽生え反応の存在」や
(1年後くらいの)「短期目標」をもっと容易に引き出せると思うんですけどね。

・・・こんなことをつらつら考えながら「聞き取り」に答えてる
私もかなり嫌な奴かも(笑)
しかも年々、先生の訊き方がもうひとつだな、と思うと、わざと
「さあ、どうでしょう?」
「さっぱりわかりません」
ととぼけてしまう、イジワルなお母さんになってきているので
先生たちは大変かもしれない。


でもね、これから、特別支援教育、という現場に立たれる先生は
以前よりずっと「立場の違う人と連携する能力」が要求されるように
なると思うんです。そのためには、「自分のモノサシ」や
「学校のモノサシ」だけでなく、「相手のモノサシ」に敢えてあわせることで
自分の必要な情報や援助を引き出す力もとても大切だと思うのです。

そのあたりに気がついて下さるといいな~、なんて願いながら、
今日もナマイキ母は、「教育相談」を「受けて」いたのでした。



「もうやらない」

2005年09月08日 | Wonder of Autism
通学バスから降りたちびくま。
「あー、きょうは、いそがしかったよ、おかあさん」

「そう、忙しかったんだ。何が忙しかったの?」
「うんどうかいのれんしゅう」
「そうかあ。運動会の練習、大変だったんだね。今日は何をしたの?」
「くみたいそう。あのね、おかあさん、ちびくまくんは
 くみたいそうがだいきらい。もうやりたくない」

「大嫌い」「やりたくない」と言われると、ぎょっとして、
以前は「どうしよう」とおろおろしていたんですが、
どうもこれは、「何も言わずに泣いている」よりは、本人にとって
余裕が出てきた状態らしい、ということがわかってきました。

私たちが、本当に追い詰められているときには却って愚痴をこぼす
元気もなかったり、自分の中のマイナス感情をただ吐き出すことで
また元気になれたりすることがあるのと同じように、

この間のように声も出さずに泣いている状態よりも、
ストレスを言葉にして吐き出すことで、彼自身も少し楽に
なれるのかもしれません。

それが証拠に、
「そうかあ。じゃあ、もう組体操やめちゃおうか?
 お母さんがK先生に言ってあげるよ」
と言ってみると、あわてて、
「やめない!やめない!おかあさん、Kせんせいにいわない!」

つまり、「明日も頑張る」ための、ちょっとした愚痴、といった
ところのようです。

学校では相変わらず「いつも前向き、努力家モード」らしいちびくま、
バランスをとるには、こうしたスキルも必要なのかもしれません。

2005年09月05日 | adorably autistic
夕食を作っている時に、いやに息子が静かだなあ、と思って
様子を見に行ったら、布団に突っ伏して泣いていました。静かに。

そっと近寄っていって、背中をさすってやると、一度顔を上げて、
私の膝に顔をうずめて、またさめざめと泣き始めます。
「悲しくなっちゃったんだ?どうして悲しくなっちゃったのかな?」

本当は、私には想像がついていました。
今日から、運動会の練習が本格的に始まったのです。
メインは、高学年の目玉である組体操。

息子は、10歳になった今も、自分の体を思うように動かすことが
できません。筋力も弱くて、鉄棒に飛びついたり、ぶらさがったり、
ということもできません。
体幹の軸が出来ていないために例えば片膝立ちといった姿勢をとるには
相当な努力を要します。

こんな息子にとって、組体操は非常に難しい課題なのです。
もちろん、学校の先生たちはそのことをよくわかってくれていて、
1人技はアレンジして彼でもできるように考えてくれるし、
複数技は、先生も補助に入って助けてくれることになっています。
これまで、何年も、どんなに障碍の重い子にも、その子なりの
参加を考えてきたノウハウが、この学校にはあります。
ちびくまが1年生の時から先生たちの姿勢を見てきた私には
その姿勢への信頼があります。

そして、息子への信頼も。
彼は頑張り屋です。そして、自分の得意な事、苦手な事、
自分にはみんなが簡単にできることでもできないことがあることも、
周りが見えるようになってきた彼にはわかっています。
自分が組体操をするのが苦手なことは
彼自身にもしっかりわかっているはずです。
それでも彼は「ぼくは頑張るから」と宣言したのです。
今日も、「みんなのようにできない」自分を痛いほど自覚しながら
泣きべそをかかずに頑張ってきたのでしょう。

しばらく答えずに泣いていた息子は、
「くみたいそう、むずかしい」とぽつりとつぶやきました。

「そうだね、難しいね。でも、ちびくまくんは
頑張って練習したんだね。しんどかった?」
「しんどかった。でも、がんばった」
「そう、頑張ったんだね。偉かったね」
「ちびくまくん、くみたいそう、じょうずにできる。
 がんばる」
ごしごしと顔をこすって、彼は照れたように笑いました。
「おかあさんに、23にちにみてもらう」
「そうだね。楽しみにしてるよ」

・・・ホントは、「そんなに頑張らなくてもいいのよ」
って言ってしまいたいけど、そう言われても本人も
困るだけでしょう。
「ほどほどにする」というスキルはまだないから。

私には、必死で頑張っている息子の背中を静かに見守ることしかできない。
嬉しくて、淋しくて、複雑な気持ちです。

始業式

2005年09月01日 | 楽しい学校生活
いよいよ今日から2学期。
ちびくまは朝、自分から起き出し、いつもはあまり食べない朝ご飯も
もりもり食べて、大張り切りで出かけました。

学校に着いて先生に会って、第一声が
「2がっきもよろしくおねがいします」
だったそうです。(笑)
先生も「こちらこそよろしく」と返してくださったようで。
うふふ。

毎年同じ時期に同じ行事がある学校生活は、支援のつぼさえ
間違えなければ、実は見通しの立ちやすい環境です。

ちびくまも、もうすっかり秋の行事は頭に入っているようで
やる気満々、「ちびくまくんは、もうこうがくねんだから」を
連発していますが、
障担はむしろ「2学期に飛ばしすぎて、3学期に燃え尽きる
ことのないように」と心配してくれています。

もう明日から運動会の練習も始まります。今年は組体操。
筋力のないちびくまには難しい競技ですが、先生方や仲間達に
支えられて、自分なりにしっかり達成感を感じられる
体験となって欲しいと願っています。