雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

ちびくま、ハワイに行く(その2)

2013年03月18日 | ちいさな幸せ
空港に着いたら、まず、旅行会社のカウンターでチェックイン。
空港税の支払いをし、説明を聞いて、次は航空会社のカウンターで
チェックイン。
これも、今ではセルフチェックインの機械がありますが、
グラウンドホステスのお姉ちゃんがテキパキと操作してくれるので、
ただ横でぼーっと待っているだけ。

チェックインが済んだら、セキュリティチェックと、
出国審査のカウンターを抜けて、拍子抜けするほどあっさりと
出国手続き完了。

ちょうど夕食時なので、何か食べようかと、ロビーを見回してびっくり。
出発ロビーの店が、ほとんど閉店している!
「関空の国際線ロビーは閉まるのがはやい」ってこういうことだったんですね。

それにしても。
アメリカに行くときにも、このロビーを使ったはずなのに、
私の記憶には、風景の一片すら、まったく残っていませんでした。
そろそろ多動の始まっていた息子を連れて、外国に
引越しする、という不安だらけで、とてもそんな余裕なかったんだろうなあ、と
昔の私がちょっとかわいそうに思えました。

やっと、ロビーの反対側に、イタリアンのスタンドを見つけて、
息子はピザ、私はパスタを頼んで一息つきます。
「お味どう?」「おいしいよ」
そんな会話をしながら、ニコニコとピザをほおばる息子を
見ながら、「大きくなったよなあ」と改めて思ったのでした。

ちびくま、ハワイに行く(その1)

2013年03月18日 | ちいさな幸せ
さて、いよいよハワイに旅立つ日がやってきました。
飛行機は夜出発なので、家は夕方に出れば間に合います。

ところが、この日に限って、春の大嵐。
台風かと思うような、雨と風で、あちこちで警報発令。
朝からずっと飛行機の航行状況と、鉄道の運行状況、
バスの運行状況をネットで調べながら、
一番影響の少なそうなルートを探しました。

関空は人工島にあるので、橋が封鎖されたらアウトですが。

で、いろいろ調べた結果、一番天候の影響を受けにくいのは
バスルートらしいということがわかり、
神戸までバスで出て、そこからエアポートリムジンに
乗り継ぐことにしました。
家を一歩出ると、傘ごと吹き飛ばされそうな、すごい
風と雨で、息子の持っていた折り畳み傘はたちまち
くしゃっと骨が折れてしまいました。

めげずに直近のバス停にたどり着き、神戸行のバスを待ちます。
幸い、バスは時刻通りにやってきました。
窓に雨粒が叩きつけられ、ワイパーはフル稼働状態ですが、
これで、道路さえ封鎖されなければ、座っていれば神戸につきます。

定刻通りに神戸につくと、幸い、こちらは、幸い雨が降っていませんでした。
めいめい、スーツケースを引っ張って、リムジン乗り場に移動します。
まず、切符売り場でチケットを買い、乗り場に待機しているポーターさんに
スーツケースを預けて、定刻通りにやってきたバスに乗り込みます。

リムジンが出発して間もなく、背後から雨雲が追い付いてきたかのように
激しい風雨が始まりました。そらは真っ黒、ワイパーはフル稼働。
空港に着くまで、ずっとその天候が続きましたが、わずか5分遅れで
リムジンも無事関空に到着しました。

ふと見ると、同時に到着したバスの行先表示には「代行運送」の文字。
どうやら鉄道は風のせいで運休してしまっていたようです。
バスルートを選択して正解でした。
それにしても、出発から大嵐、って、この先大丈夫なのか、と
ちょっと心配にはなったのでした。

卒業旅行(3)

2013年03月18日 | ちいさな幸せ
13年ぶりの米国行きでは、その他にも初めての
体験がいっぱい。

以前はビザ免除プログラムでは、機内で所定のフォームに
記入して、入国審査時に提示すればよかったのですが、
今、米国領に旅行するには、ESTAの事前申請が
必要になります。

ESTAの申請はインターネットで行いますが、申請手数料を
クレジットカードで支払う必要があります。
日本語サイトもあるので、ネット(ショッピング)に慣れていれば、
どうということもありませんが、これ、旅行社に代行してもらうと、
ビックリするような手数料をとられます。

TSAロック付きのお手軽サイズスーツケースも購入。
費用を浮かせるため、○天のスーパーセールを利用して、
日替わりセールの半額商品を買いました。
スーツケースも安く、軽くなったんだなあ、とびっくり。

医療費の高い海外行きでは、旅行保険も必須ですが、
これもネット申し込みならすごく安い商品が出ているものの、
一般の生命保険や医療保険と同様、既往症があると入れないものが
ほとんどです。今、元気だと言っても、私は一応今も
投薬を受けて、医療管理下にある身。
既往症があっても入れるものも数社ありますが、これらは
既往症を原因とするものについてはカバーしてくれません。
いろいろ調べて、やっと、AIUだけが、既往症があっても
加入OK、既往症の悪化にかかる医療費も上限があるけれど
負担してくれることがわかって加入しました。
その分、保険料が割高だけど、背に腹は換えられません。

食品の持込にも制限が出来ていました。
肉、肉加工品は、持ち込み不可。これには「肉エキス」も
含まれます。よって、レトルトカレー、カップラーメンの類は
全滅。その他の食品も、全て税関への申告が必要です。

最初は、インスタント味噌汁や緑茶のティーバッグを
持っていこうと思っていたのですが、通関の手間を考えて
今回は断念しました。

有名になった液体持込の制限にも注意が必要です。
液体と聞いてすぐに思い着くようなものだけでなく、
ジェル状の日焼け止め、保湿クリーム、リップバーム、
リキッド状の口紅やリップグロス、マスカラ、梅干、蜂蜜、味噌
なんかも「液体」になるらしいです。
知らずに持ち込もうとすると没収されます。

卒業旅行(2)

2013年03月17日 | ちいさな幸せ
年末に我が家に突然届いた封筒。表には「○○賞当選のお知らせ」。

明けてみると、なんと、昨年秋になんとなく応募していた懸賞があたり、
ソウル4泊5日旅行への無料招待か、ハワイ4泊6日旅行から
10万円引きの優待が選べるというのです。

指定されているツアーは、2月中旬から4月中旬までの出発で、
ちょうど春休みにぴったり。
優待は1人分だけですが、それでも、総額から10万円引となれば、
グアム旅行の予算に少し足せば、2人でハワイに行けそうです。

こういう時だけ、信心深くなる都合のいい私、
「これは、神様からの『今、ハワイに行って来い』という
思し召しなんだわ」
と解釈して、急遽行き先をハワイに変更することにしました。

13年ぶりの海外、やらなければならないことは山積です。

まず、パスポートの手配。申請書は最寄の市民センターでもらえるし、
戸籍謄本や住民票は簡単に取り寄せられますが、意外に苦労したのが
パスポート用の写真。

息子は、自然な姿では口が開いていることが多いのですが、
証明写真などで、口を閉じて、と指示をすると、むやみに口元に
力が入って、変な顔になってしまいます。
ところが、パスポート用の写真では、口をあいているのは不可、
笑顔も不可、変な表情も不可、あくまで、正面向きの真顔、という
指定があるのです。

デジタル時代ならでは、写真屋さんで、休憩を挟みつつ、
何度も撮りなおしてもらって、ようやくパスポート申請に
使えそうな写真が出来上がりました。

パスポートは申請のみ代理人でも出来るので(特に未成年の場合は
親は法定代理人なので簡単)、2学期中に申請に行っておいて、
冬休みに入ってすぐ、息子と一緒に受取りに行きました。
受け取りのときには、名前の自書と、口頭で氏名と生年月日の
確認がありましたが、これは難なくクリア。

パスポート番号がとれた時点で、卒業式の次の週に
出発するハワイツアーに申し込みました。

卒業旅行

2013年03月16日 | ちいさな幸せ
息子が高校を卒業したら、卒業旅行に連れて行きたいと
ずっと思っていました。

小学校6年の秋には、私がCIDPを発病して、およそ半年間
入退院を繰り返し、

中学の3年間は、車椅子生活から始まり、良くなったり悪くなったりを
繰り返して、最低限の家事と外出を除けば、起きている時間も
ほとんど横になったままの生活。

高等部に入学した時も、まだ左足をひきずって、杖をついてあるいて
いました。
それが、高2になってPTA役員として走りまわるようになると、
その忙しさに比例するように、体力も筋力もどんどん回復してきて、
とうとうこの春には、一度CIDP関係の投薬を中止してみようか、と
ドクターから提案されるまでになりました。

6年半もの間、私の不安定な体調を、夫以上に気遣い、
私に負担をかけないように、いつもいい子でいようと努力して
くれていた息子。

高等部の誕生会での特技披露や、学習発表会での出し物を通して、
自分が英語を話したり理解したりできるのは、自分が幼児期を
アメリカで過ごしたためであること、そして英語ができるのは
自分の特技として、他人から評価されるものであることを
意識しはじめた息子を、

高等部卒業を記念して英語圏への旅行に連れて行こう、と
思い着いたのです。最初に目的地にしたのは、グアム。
飛行機で日本から3時間、日本との時差が1時間。
立地の面でも、費用の面でも、ほとんど国内旅行の感覚で
行けそうです。

そのために、自分の働いたお金の中から、毎月少しずつ
積み立てて、旅行資金を作りました。
で、いよいよ昨年末、ツアーを選んで申し込もうとしていたら、
思わぬ知らせが届いたのでした。

カウントダウン

2013年02月20日 | ちいさな幸せ
この間お正月だったと思ったら、もう2月も下旬。
卒業まで、既に4週間を切りました。

あとは行事と言っても卒業前のテーブルマナー講習(ホテルで
フルコースを食べる)と「卒業を祝う会」くらいで、
すぐ卒業式本番になりそうです。

卒業制作として作っていた農園の柵やかかしも出来上がり、
卒業アルバムの写真の選定(今はデータをPC上で選ぶんですね)、
時期生徒会の選挙も終え、息子たちは教室に日めくりカレンダーを
教室中に張り巡らして、1日1日をカウントダウンしています。

私は私で、卒業式にPTAから出る記念品の選定だの、
卒業記念に学校に贈呈する物品の手配だの、
来年度に向けて、PTAの引継ぎに向けての資料整理だの、
あわただしく過ごしています。

今年は、学校でも家でも、ノロやインフルなどの感染症が
出ていないのがなにより。落ち着いているとは言え、
持病のある身には、何の引き金になるかわからない感染症が
一番怖かったりしますから。

このまま穏やかに卒業まで行けたら、最後の春休みには
息子と2人で卒業旅行に行こうか、と思って、
旅行ガイドの本を買って、行き先を模索する今日この頃です。

明けましておめでとうございます。

2013年01月01日 | ちいさな幸せ
またもブログ更新をサボっている間に、年を越してしまいました(汗)
息子がすっかり落ち着いて、穏やかに学校生活を送っているため、
ブログに書くネタもなかなか見つかりません。
それを考えると、昔は随分スペクタクルな毎日を
送っていたんだなあ、と思う今日このごろ。
ネット上には登場しませんでしたが、
息子も私も、おかげさまで慌しくも健やかに過ごしております。

いよいよ、あと3か月足らずで、息子も特別支援学校
高等部を卒業することになりました。
学校生活はわずか12年、あっと言う間で、卒業した後の
人生の方がずっと長いんだよ、と初先輩から
耳にたこができるほど聞かされてきたのに、
いざわが身がその立場になると、やっぱり「え~、もう?」と
思ってしまいます。

卒業後は、地元の作業所で、指導員さんたちの援助を
受けながら作業や実習に励む予定です。
ゆくゆくは一般就労できれば、とは思うのですが、
安定して仕事を続けるには、まだまだ様々な面で本人の成長を
待つ必要があるし、本人の良さが発揮できる環境を
慎重に選んでゆく必要がある、というところで
学校側と私の意見は一致しているので、
息子らしさを大切にしながら、のんびり長い目で
見守ってゆこうと思っています。

皆様にとっても、今年一年が健康と喜びに満ちた年に
なりますよう、お祈りしています。

誕生会

2010年12月08日 | ちいさな幸せ
息子の通う特別支援学校高等部では、月に一度、
その月生まれの生徒を祝う誕生会が開かれます。

そこではバースデイボーイズ&ガールズが
「一芸披露」をする決まりです。
これまでにも、少林寺拳法、ピッチング、PCキーボードの
早打ち、手作り紙芝居の披露、ウルトラマン知識の披露、
キーボード演奏、それはそれはいろいろあったのですが

12月生まれの息子、担任の先生と相談して決めてきたのは
歌と「アナウンスの真似」。

バス車内のアナウンスをそっくりそのまま再現するのは
息子の楽しみでもありと特技でもあり、これは
納得いったのですが、

自分から「歌を歌う」と言ったのは正直びっくりでした。
息子は耳がよく、宇宙語しかしゃべっていない頃から
カセットテープに合わせてとてもきれいに
童謡を歌っていましたので、音程やリズムが
正確であることはわかっています。

でも、本人にとって「人前で歌う」のはとても抵抗がある
ことのようで、他人が見ていないところでは歌っていても、
人が見ているとわかるとぴたっとやめてしまうことが
よくありました。

小学校時代の音楽会や、中学校の合唱コンクールでも
きちんと歌ってはいましたが、1人で歌わせると
蚊の泣くような小さな声になってしまいます。

あれほど息子の心をいつも汲み取り、支えてくれた
中学時代の担任K先生でさえ、彼が「普通の大きさの声」で
人前で歌うのを初めて聴いたのが3年生のときで

「こんなに歌がうまいとは知らなかった」と
べた褒めしていただいたものです。

その息子が、高等部の3学年の生徒と先生が揃った
その前で、1人で歌を披露するというのです。
それも、2曲。
1曲目は「高原列車は行く」。言わずと知れた
昭和の名曲ではありますが、どうしてこんな昔の曲を
知っているのかというと、You Tubeにこの曲と
機関車トーマスの映像を組み合わせたビデオが
投稿されていて、すっかりお気に入りになったようです。

2曲めはお気に入りの英語の曲のCDから「おお、スザンナ」を
もちろん英語で。

はてさてどうなるのか、と気をもんでいましたが、
結果から言うと、ハンドマイクの助けもあり、とても
上手にこなせたようです。

中学校時代は英会話の授業には参加していましたから、
息子が英語ならそこそこしゃべれることを知っている
仲間はたくさんいましたが、

今の高等部には息子が英語を理解できることすら
知らない人がほとんどですから、

日頃、細い小さな声で、日本語すらたどたどしく
話す息子が、まさかこんな風に歌えるとは思われて
いなかったらしく、

普段の息子を知っている人、特に音楽の先生には
とてもびっくりされたようです。

みんなからずいぶん褒めてもらったのでしょう、息子は
「おかあさん、ぼく、歌も英語もとっても上手なんだよ」
とご機嫌でした。

ちょっとずつ殻を破って、私の知らない力を
つけていく息子。
頼もしいやら、ちょっと寂しいやら。
障碍があっても、やっぱり高校生男子なんですね。

プレゼント

2010年12月02日 | ちいさな幸せ
いつも穏やかな笑顔で帰宅することの多い息子ですが、
今日はなんだかとろけそうな満面の笑みで
帰ってきました。

「うれしそうだねえ。なんかいいことあったの?」と
訊くと、
「ほら、これ、もらったの」
とカバンのなかからごそごそと取り出したのは
一枚の絵。

「Rくんからプレゼントだって」
12月生まれの息子のために、Rくんが授業で
息子の似顔絵を描いて、担任の先生と一緒に
教室まで届けてくれたのだそうです。

毎日嬉しそうに小学部の教室に通い、Rくんと
触れ合うことを何よりの喜びにしている息子への
小学部の先生の配慮なのでしょう。

Rくんの描いた息子の絵は、やっぱり笑顔です。

教室で絵を受け取ったときの息子は、「ありがとう」と
Rくんにお礼を言って、「目が嬉しそうだなあ」と
いうくらいのおすましモードだったようですが

家に帰ってくると嬉しさ爆発、という感じで、
ずっと手に持って歩き、「うふうふうふ」と
吹きだしを顔の周りに描いてやりたいような
浮かれモードでした。

2学期もあと3週間あまりですが、これですっかり
エネルギー充填されて、学期末までしっかり頑張れるかも。
Rくんさまさまです。

やっぱりRくん

2010年11月17日 | ちいさな幸せ
一年を通しての一大イベント、創作祭も無事に終わり、
学校生活もまた平常どおりに戻りました。

2学期も半ばになった今も、やっぱり息子の毎日の
学校生活での何よりの楽しみは、小学部のRくんとの
触れ合いです。

毎日、スクールバスが着くまで、Rくんが今日は乗っているか
どうか、どきどきしながら到着を待ち、
Rくんが乗っていれば、満面の笑みで迎えて
手をつないで小学部の教室まで連れて行き、

乗っていなければ、「ショック~」「がっかりです~」と
明らかにテンションが下がり、

スクールバスに乗り遅れたRくんがお母さんの車で
登校すると、またテンションが急上昇。
もちろん、自分の授業中にRくんが廊下を通るのを
見かけても、飛んでいくようなことはなく、
自分が今すべきことをわきまえて我慢している様子ですが

そのあまりのわかりやすさに、先生の方が思わず
「じゃあ、ちょっとだけ挨拶してきていいよ」と
許可を与えてしまうほど、なのだそうです。

基本的に他人とのコミュニケーションは受身の
姿勢の息子ですが、
Rくんに会いたさに、休み時間に小学部の教室まで
行ってきていいかの許可を担任の先生に求めたり、
小学部の先生に教室に入る許可を求めたり、

自分の次の予定を頭に入れて、Rくんとの遊びを
切り上げて教室に戻ったり、
小学部の行事の関係で教室に入れてもらえなかったときには
ひとりで気持ちを切り替えて別の行動に変えたり、

単独行動に必要な学びの機会をずいぶん与えて
もらっているようです。
強いモチベーションに支えられているだけに
どんな授業より意欲的に取り組めるのでしょう。

「授業そのものより、それ以外の時間の人とのやり取りから
 多くを学んでいくタイプ」と
担任の先生に評価される息子ですが

まさに今はRくんの存在が、彼にとっては人との関わりを
持つためのモチベーションであり、何より楽しい余暇活動であり、
円満円滑なコミュニケーションをとれたことへのトークン
(ご褒美)になっている感じです。

それでも、
「いっそのこと、小学部に入れてもらったら?そうしたら
 お勉強も給食も、ずっとRくんと一緒にいられるよ」
との母のそそのかしには
「それはないよ。僕は高等部の生徒なんだからね」
と、クールに答えるところは、

やっぱり「高校生のお兄さん」としてのプライドなのかも。