雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

ぼけとつっこみ(その2)

2007年10月24日 | 「発達障碍」を見つめる眼
手を引いてキッチンに連れて行かれて、クレーンで冷蔵庫のドアを
開けさせられる、それは「ジュースが欲しい」ということだと
わかってはいるのですが、わざと「あ、これが欲しいの?」と
牛乳パックを持ってみる。ジュースはアップルジュースに限ることが
わかっているのに、わざと野菜ジュースのパックに手を伸ばしてみる。
パニックになって泣き叫んでしまう寸前のところで止めるという
高度な技が要求されることではありますが、こういうことを
続けているうちに、息子は段々と確実に自分の要求を実現するための
意思伝達の方法を編み出していき、それがやがて少しずつ
話し言葉に置き換えられていきました。

ただ泣くだけより暴れるより、指差したり、自分で取って見せたり
するほうが伝わる、
身振りだけで伝えようとするより、言葉で言ったほうが
早くて確実だと、毎日の生活の中で学んでいったのでしょう。

息子が中学生になり、生活に必要なコミュニケーションはほとんど
話し言葉で取れるようになった今も、私は相変わらずの
おとぼけ母をしています。

「おかあさん、カレーライス、何杯おかわりしていい?」
「えーっと、8杯!」
「そんなに食べられないよ!」
「そう?じゃあ、2杯までにしとく?」
「はい」

「おかあさん、靴下出してください」
「はい」
「・・・おかあさん、これ、パンツだよ」
「えっ、そうだった?これ、靴下じゃないの?」
「違うよ、靴下は足にはくんだよ」

息子は私のことを「なんて間違いの多い人だろう」と思っているかも(笑)。

ちびくまが小さい頃は、言葉の遅れのある子には、とにかく
「テレビを消して、言葉かけを増やして」というアドバイスを
されることが多かったのです(今はどうなのでしょうね)が

もし今の私が、11年前、息子の言葉の遅れを心配し始めたころの
自分にアドバイスができるとしたら

ただ「その子にとって意味のない言葉」をシャワーのように浴びせるより
話し言葉でなくてもいいから、「伝えることの必要性」
「伝えることの便利さ」ひいては「伝わることの喜び」を
子どもに沢山感じてもらえるように

適当に「ぼけ」キャラになってみることを勧めてみたいと思っています。

ぼけとつっこみ(その1)

2007年10月22日 | 「発達障碍」を見つめる眼
関西の人間、特に大阪人はみんな自然に「ぼけとつっこみ」を
体得しているとか言われるのですが、まあ、それが本当かどうかは
とりあえずおいておいて。

親の会の集まりとか、行政との交渉の席なんかではガンガン
しゃべりまくる私は、周りの人たちからはきっと「つっこみ」キャラだと
思われていると思うのですが

ちびくまとの生活においては、ずっと「ぼけ」役に徹しています。

それはちびくまの言葉の発達に遅れがあると気が付き、でもまだ
それが「障碍」と呼ばれるほどのものだとは思っていなかった
(「思いたくなかった」のかも)頃から、ちびくまがいろいろなことを
わかっているのか知りたくて、また、ちびくまのコミュニケーションを
引き出したくて始めたことがすっかり定着してしまった感じです。

ちびくまは、5歳くらいまで私や他の人の真似をすることや
一般的な親子遊びへの興味はほとんど持っていませんでしたが、
絵本を読んでもらうことはとても好きで、生後7ヶ月のころには
既に「この本を読んで」ということだけは身振りで示すことが
できました。1歳1ヶ月で歩けるようになるとまずしたことは
お気に入りの絵本を私のところへ持ってくることでしたし、
1歳半のときに1つだけ出てきて、すぐに消えてしまった
初めての言葉も「ゆんで(読んで)」でした。

1歳半検診でひっかかったときも、「新聞もってきて」
「わんわんどれ?」には全く反応しないのに、
「『3びきのこぶた』持ってきて」「『ぐるんぱのようちえん』
持ってきて」という指示には確実に従えたのです。

最初は私に絵本を渡してしまうと、すぐに「旅に出て」いた
息子でしたが、私が「聞いていないのかな」と思って読むのを
やめると、途端に戻ってきてページをパンパンと叩いて
続きを読むように要求してきました。

3歳くらいになると膝に座って一緒に絵本を楽しめるように
なってきましたが、「ぞうさん、なにしているのかなあ?」などと
絵本の文そのもの以外の話かけをするとすぐページを指差して
「そんなことここに書いてないだろう」と言わんばかりの
不服そうな顔をするのでした。

試しに「てにをは」や文尾などを少し変えて読んでみると、また
ページをバンバンと叩いて「ちがうやろ!」という意思表示。

アメリカの養護幼稚園に入ると、先生たちが
息子が確実に欲しがりそうなものを、わざと「見えているのだけど
大人の手を借りないと手に入らないところ」に置いては
息子の言葉や態度で「とって」の意思表示を引き出しているのを見て

それを家でも試してみると同時に、息子の意図はいつもどおりで
こちらにははっきりわかっていることも、とりあえず一度は
「おとぼけ」してみることに決めました。

文字と数字が読めて、街で見かける車のメーカーは
ほとんど知っていて大きな声で読み上げる息子でしたが
私に伝えようとしてくれることと言えば欲しいものや
して欲しいことの要求だけで、それ以外には
ほとんどコミュニケーションのネタがなかったからです。


まっくろ。

2007年10月17日 | adorably autistic
自分のパソコンで夢中になって遊んでいて、ふと
窓の外に目をやったちびくまが、

「お母さん、見て、まっくろだよ」

真っ黒って、何が?・・・と思って外を見ると、外はすでに真っ暗。
秋の陽はつるべ落としと言いますが、ついさっきまで向かいのスーパーの
明るいベージュの壁に西日が反射してきれいだったのに。

「ほんと、もう真っ暗になっちゃったね。秋になると、お日様が
 出ている時間より、お日様が出ていない時間のほうが
 長くなるから、夜になるのが早いんだね」

さりげなく「まっく」にポイントをおいて
しゃべるのは、彼が小さいころからしてきたことです。
彼が言い間違ったときに「それは違うよ、こう言うんだよ」と
わざわざ指摘するのは「失敗感」を植えつけるので逆効果。
でも、彼が違いを聞き取れる程度にはっきりと発音します。

べらべら長い説明をするのは自閉っ子には逆効果、ということも
すっかり有名になりましたが、息子が何かに興味を持ったときには
こうして少し説明がましい台詞を付け加えてみたりするのは
最近心がけていることです。

彼の場合、あれほど文字が好きなわりに、文章を読んで知識を
身につけるのが難しいので、こうしたやりとりの中で知識の断片を
残していけば、いつの日か彼の中でパズルがぴったり合うことが
あるかもしれない、と思っています。

「そうか~、お空がnavy blueになることは、『まっくろ』じゃなくて
 『まっくら』って言うんだね」

なんだか不思議な納得のしかたをしている息子なのでした。

問題行動(その3)

2007年10月13日 | 「発達障碍」を見つめる眼
そして、これまでまだ「いい子モード」を発揮してきた交流級での
授業でも、特に素のままのちびくまを見ようと努力してくれる
先生を選んで「自分勝手な行動」に出たことは、
「問題行動」なのではなく

交流級の生徒たちと一緒にいてもリラックスして素の自分を
出せる場面が出てきた証拠であり、
K先生やS先生以外の先生のことも信頼できるようになってきた
証拠だと考えてくれているからこそ、K先生の電話は親への
「嬉しい報告」になったのだと思うのです。

障碍があるとかないとか、診断名がどうだとかいう前に
1人1人の子どもを先入観のない目で見つめ、その子のものの感じ方、
性格、人への接し方、行動の特徴などを綿密に観察したうえで
その子に合わせた課題とその提示の仕方を考えてくれる姿勢を
もった先生だからこそ、このような発想や柔軟な対応が
可能になるわけで、

障碍児教育の専門でもなければ、講演会や学習会に行きまくる
わけでもないし、誰に考え方を説かれたわけでもないのに、
こうしたセンスを持っているところがK先生を「天才」と
呼ぶ所以です。}

気を許せない相手の前では変に構えてしまったり、どうしても
わかりあえないと感じる相手とは適度に距離をとって
あたりさわりのない「大人の付き合い」をしたりする一方で、

反対に気のおけない相手とは本音でぶつかりあって喧嘩したり、
絶対に自分を見捨てない相手だと思っているからこそ
わがままを言ってみる、などということは
私たちの生活では普通にあることのはずなのに、

ただ障碍を持っている、というというだけで、「障碍児」「自閉症児」と
ひとくくりにして、まるでこの子たちには心がないかのように
指導技術や課題の選択ばかりを工夫しようとする傾向が
最近保護者にも専門家の方たちにも特に目に付くような気がします。

その子がどんなものの感じ方をし、どんな表現をする子なのか、
指導云々の前に、自分はその子の気持ちをわかろうとし、
その子に信頼してもらえるように努力しているかどうかを
見つめることのないまま「支援グッズ」だの「指導テクニック」だのを
濫用することは

「視覚支援などなくても言って聞かせればわかる」「言って
わからないなら体できかせるしかない」と言い張る人と同じくらい
自閉っ子の人格を無視したやり方ではないのかと
私には思えてなりません。

問題行動(その2)

2007年10月12日 | 「発達障碍」を見つめる眼
その結果、K先生の出した答えは、「体育の先生が大好きなので
気をひこうと思ったか、この先生なら頭ごなしに叱ったり
押さえつけたりしないということがわかったうえで、どこまで
自分のしたいことが許されるか、という冒険に出てみた」と
いうことだったようです。

これまでも何度か書いていますが、ちびくまは初めての人、
まだ自分のことがよくわかってもらっていないと思われる人、
心を許せる関係になっていない人の前では「いい子モード」に
入ります。

つまり、「こうすることを相手が望んでいるだろう」と思われる
姿に、自分のほうを徹底的に合わせるのです。時々は読み違いも
ありますが、概してこのモードに入っていると、彼の自閉らしさ、
私の知っている、怪しくてへんてこりんなところもある息子の姿は
影を潜めます。素直で調和的で、何でも我慢して、何でも力いっぱい
頑張る、理想的な「いい子」に見えます。

怖いのは、指導者の側がそういう息子の姿を「本来の力を
発揮した姿」だと思い込んでしまうと、
「親(前任者)が甘やかしたのでこれまでできていなかったが、
頑張らせれば本当はできる」とか「自分は親や前任者よりこの子に
適切な対応をしているから力を発揮させている」とか思って
「子どもの気持ちを無視して頑張らせすぎている自分」に
気付けない状態が続いたり、「自分は指導力がある」と変な
自信をつけてしまったりすることです。

こういう指導者は、やがてちびくまが頑張りきれなくなって
体を壊してもその原因には気が付かないし、息子が甘えられる人のもとで
やんちゃをして自分の生活全体のバランスをとろうとしたりすると、
「指導方法が悪いからだ」と考えて、視覚支援などを駆使して
これまで以上の頑張りを強制してしまったりするわけです。

でも、私が見る限り、これまでのちびくまは
100%相手に合わせる「いい子モード」から、相手との信頼関係が
できてくるに従って地の姿が出る「やんちゃモード」になり、
そこで無理に締め付けられたりしなければ、やがて相手との
信頼関係を基礎に自分なりの参加の仕方、頑張り方を見つけて
「折り合いモード」に入っていく、という過程を繰り返してきましたし、
実際K先生との関係もそういう風に推移してきました。


問題行動(その1)

2007年10月10日 | 「発達障碍」を見つめる眼
異常に暑い気候による特別な配慮だったのか、ちびくまの通う
中学では、9月の終わりまで保健体育の授業はプールでしたが、
さすがに10月に入るとそうも行かなくなり、体育館での
創作ダンスに変わりました。

それでなくても自分の体を自分の思いどおりに動かしたり、
見たイメージを自分の体で再現することの難しいちびくまですが、
それに加えてダンスのテーマや振り付けは班ごとの「話し合い」で
決めるとあって、聴覚過敏と言語力の不足、とまさに
泣き所が勢ぞろいした感じで、かなりハードルの高い課題であるようです。

それでも、耳をふさいだり、落ち着きなく体を動かしたりしながら、
よく我慢して頑張っていたちびくまですが、今日はこれまでと
全く違った行動に出たようで、障担K先生から電話がかかってきました。

「今日は自分の班を離れて体育館の中をうろうろして、
 他の班のやっていることを見て回ったかと思ったら
 体育館から出て行ってしまったそうなんですよ」

字で書くとまるで叱られているみたいですが、K先生の声は
明らかに楽しそうで、「やったあ」と言わんばかりでした。
この先生が障碍児教育の天才じゃないのかと私が考えるのは
こういうところです。

これまで、聴覚過敏があってもうるさい環境も我慢して
いい子で一生懸命頑張っていた子が、突然こんな行動に出たら
普通の人の目には「これまでなかった問題行動が出てきた」と
見えるでしょう。

ちょっと自閉症のことを知っている人だったら、「自分のいるべき
場所に○を描く」とか「やるべきこと(やってはいけないこと)を
紙に書いて示す」とかいう視覚支援を増やすことを思いつくかもしれないし

もっとわかっていない人だったら、頭ごなしに叱り付けるとか
力づくで連れ戻すとかして、息子に「2度と体育の授業には
行きたくない」という気持ちにさせてくれたかもしれません。

でも、体育の先生もK先生も、ちびくまの表情や動き、言葉などを
よく観察して、「特に何かが辛かったとかわからなくて不安だったとか
いうのではない」ことだけはしっかり確認した後は、
「どうしてあんな行動に出たんだろうね~」と面白がりながらの
謎解きにはまってくれたようなのです。

助けを求める力(その2)

2007年10月02日 | 楽しい学校生活
それはあくまで、「周りの人が気が付いて助けてくれるのを
待っている」だけの受動的な姿勢でしかありません。
でも、「自分を認め、応援しようとしてくれる人は親や先生以外にも
沢山いて、適切なやり方で助けを求めれば、助けてもらえることは
沢山ある」という実感が持てるようになれば、もう一段
ステップを登って、自分から助けを求めていけるのではないか、と
いうのが私の考えであり、希望でもありました。

息子が、転地学習のときに同じ班でいろいろと助けてくれたK君に
初めて自分から質問をして疑問を解決したというのは、
まさにそのステップを一段登ったことに相違ないと思ったのです。

実は、私が「息子を進学させる中学校に求めること」のひとつは
まさにこのこと、つまり、「ありのままの自分を認め、応援して
くれる人は親や先生以外にもいるという実感の持てる環境」でした。
小学校6年間の間に、親や担任の先生、介助の先生、訓練士の先生、
ガイドヘルパーさん、施設の職員さんなど、「障碍のある子と
共に生きることを『選択した』大人」との関係をしっかり
作り上げることができたので、

今度は、「特に障碍のある自分と一緒にいることを『選択した
わけではない』同年代の子どもたち」とも信頼関係を持つことができ、
「自分はみんなと違っているけれども、そのままで尊重されている」
「ちゃんとした助けの求め方をすれば、助けてくれる人は
 沢山いる」ということを

自我が確立しはじめるこの時期にしっかり実感しておいて欲しいと
思ったのです。
もちろん、それをなしとげるには、ただ息子を定型発達の仲間のなかに
放り込んでおくだけでは逆効果になるので、息子と周りの子どもたちの
双方の気持ちに寄り添ったきめ細かいフォローが必要になってきます。

息子がやっと2学期になって、多分これまで一番息子のことを
気遣って積極的に助けようとしてくれてきたK君を選んで
こうした行動に出たことは、そうした環境がちゃんと中学で
用意されていること、息子が自分が守られているという安定した気持ちで
中学生活を送ることができていることの証拠のように思えて
とても嬉しかったのでした。



助けを求める力(その1)

2007年10月01日 | 楽しい学校生活
ちびくまは毎日、翌日の予定を障担K先生と口頭でやりとりしながら
自主ノートと呼ばれるノートに書き込んで帰ってきます。
何時間目にどこの教室でなんの授業を受けるのか、必要な
持ち物は何なのかが、これを見るとわかるようになっています。

障級で受ける授業については、場所と持ち物はK先生が
教えてくれますが、交流級で受ける授業については、ちびくまが
給食後、食器を交流級の教室に返しに行くついでに、教室の後ろの
黒板に書いてある(係の生徒が書くことになっています)のを
自分で書き写してくるのです。

ところが、先日、交流級の教室でちびくまがいつものように翌日の予定表を
自分のノートに書き写そうとしたところ、2時間目の持ち物が
黒板には書いてありませんでした。すると、ちびくま、
クラスメートのKくんに「2時間目の持ち物はなんですか?」と尋ねて、
教えてもらって書いてきたそうです。

なんでもないことのようですが、この話を聞いて、私は「すごいな~」と
思いました。

ちびくまは障担K先生のことも交流担S先生のこともすっかり
信頼していますから、わからないことがあるとすぐに質問して
解決しようとします。
「○○ってどういうことですか?」
「○○はどうしたらいいですか?」
「終了時刻は何時何分ですか?」
これは母親である私に対しても同じ、というか、常に見られることです。

ところが、まだ信頼関係がそれほどでない人が相手だと、「自分が
困っていることについて助けてもらうため」の質問がなかなかできません。
「何に乗って来たの?」とか「車は何ですか?」と
いった、「自分の困難についてではなく、こだわりの分野に
ついての質問」はできますし、

混乱したからといって暴れるわけでも泣くわけでも
暴言を吐くわけでもなく、
ただただ黙って固まって困っているタイプの子どもなので
「わからないことを訊いて教えてもらう」という能力が
極端に弱いことが、なかなかわかってもらえません。

それでも、1学期に転地学習を経験してからは、クラスメートたちの
ほうがそれに気が付いて、息子が苦手としている場面(うるさいところ、
暑いところなど)では「ちょっと休憩したら?」など、
助け舟を出してくれることも出てきました。
そのうちに息子のほうでも、「これで合ってるのかなあ」などと
独り言のようにつぶやいて、「それでいいよ」「こうした方がいいよ」と
いうようにクラスメートが確認してくれるのを待っているような
様子も見られるようになってきました。