雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

お土産

2005年11月30日 | adorably autistic
皆様にご心配いただきましたが、無事熱も下がり、
とりあえずは医師に指示されたとおりの抗生物質も
飲みきりました。
コメント、メールでアドバイスを下さった皆様、
ありがとうございました。
一朝一夕でどうこうなるものでもなさそうですが、
とりあえず、これから風邪のシーズンでもあるので、
サプリあたりで薬を飲む練習でもはじめてみようと
思っています。

さて、ちびくま、今日から学校へも復活。
朝は少し行きたくない、とぐずぐず言ってましたが
(どうやら嫌いな家庭科が1・2時間目にあったかららしい)
送迎バスの運転手さんと添乗員さんに
「元気になってよかったねえ。また乗ってくれてうれしいよ」と
言ってもらって嬉しかったのか
「ちびくまくん、げんきになったよ。もうだいじょうぶ♪」と
ご機嫌で学校に向かいました。

学校に着くとニコニコ顔で教室へ行き、
教室に入ると真っ先に、
「おみやげだよ~」と言って、障担に東京旅行のお土産を
渡したそうです。

クラスのみんなへのお土産は、ピューロランドで買った
キャラクター型のクッキー。
障担は業間休みの時間に、それをみんなに分けることを
許してくれました。
みんなにお土産を配れて、息子はとても嬉しかったようです。

そういえば、サイトの不具合を直すついでに、
去年の「ちびくまスケッチ」を読み直してみたら、
やっぱり11月に体調を崩してますね。
いろんな行事の疲れが出る時期なのかも・・・。

お薬。

2005年11月28日 | 驕らず焦らず諦めず
単なる疲れによる発熱かと思って、1日学校を休ませて
様子を見ていたのですが、夕方から急激に熱が上がってきたので
あわてて病院へ連れて行って検査してもらうと

なんと溶連菌感染症でした。


抗生物質がよく効くので、10日間続けて
飲ませられれば、それでOKですよ、と
ドクターは言ってくださったのですが、

この子に薬を1日3回10日間飲ませるんですか…

その内なる声に気がついたドクター。
「あ、薬むずかしいのか。じゃあね、まずいんだけど
1日1回、3日続けて飲めれば、それで1週間
抗生物質飲んだのと同じ効果がある薬があるんだけど、
そっちにしてみる?」

はいっっ。それくらいの努力ならしてみせますっ。

普段お薬はりんごジュースに溶かして飲ませるんだけど
このお薬はそれは駄目だそうで。
混ぜてもいいもののリストの中で、ちびくまに食べられそうな
ものと言えば、アイスクリームくらいかなあ。

本人に説明して、アイスクリームを買ってきて、
薬を混ぜて、味見。よし、あんまり薬の味しないわ。
…が。息子は、「これ、きらい。たべたくない」
そんな~。

が、ここは心を鬼にして。
「これはお薬のアイスクリーム。これ食べないと、
元気になれなくて、学校へ行けないんだよ」
「…がんばります…」
学校の好きな子で良かった。
結局、目に涙をためながらバニラアイスクリームを食べた
息子を褒めちぎって

夕食は彼のリクエストに従って卵サンドを作りました。

それにしても。
病気になるたびに、「錠剤が飲めるようにしとかないとなあ」と
思うんですが、元気になると「本人があそこまで嫌がるんだし、
ま、いいか」になってしまう私。
「子どもの表面上の状態の良さの上に胡坐をかいててはいかんよ」と
神様にくぎをさされた気分になりました。

口内過敏がひどくて、甘いものが嫌いで、プリンも
ゼリーもヨーグルトも嫌いな自閉っ子に
錠剤を飲んでもらう方法、誰か教えてくださーーい。

お疲れ~。

2005年11月27日 | adorably autistic
24日木曜日の晩から息子と2人で東京へ遊びに出かけ、
今朝帰って来ました。

しかも、往復は夜行バス。
わずかでも声を出したら思いっきり周りに迷惑、万が一にも
パニックになられた日には、逃げようがない、という
交通手段(それも片道7時間半)で、自閉っ子と初めての2人旅をしようなぞと、

はっきり言って無謀としか言いようのない
計画でしたが、なんとか大きなトラブルもなく、
特に心配だったバスはノートラブルで過ごすことができました。

大人が勝手に計画を立てて連れて行ったのではなく、
息子の「夜行バスに乗って東京へ行きたい」という希望を
かなえる形での実行だったのが勝因かも。
本人も、「ちびくまくん、バスのなかでしずかにした。
おりこうだった」とご満悦の模様。

東京では遊園地2箇所を1日ずつ制覇してまいりました。

息子は母親の私もびっくりするくらい
終始いい子で過ごしてくれましたが、そのせいもあって
普通以上に疲れたのでしょう、
夜半から熱を出して寝込んでしまいました。

ちょっと無理しすぎたか?とちょっと反省モードの母でもあるのですが
本人が嬉しそうに「おかあさん、とうきょうたのしかったね」と
言ってくれたのでよしとしましょう。

詳しい旅行記はまたおいおいサイトのほうにでもアップしますね。





「くて」の思想。

2005年11月22日 | 「発達障碍」を見つめる眼
「タラは北海道、レバは肉屋!」
唐突になんだ?という感じなんですが、私が好きな言葉の一つ。
実は、若い頃好きでよく読んでいた田辺聖子さんの小説の中に
あったフレーズなんです。

「…だったら良かったのに」
「…したら良かった」
「あの時…していれば
「…でさえあれば

そんな風に、過去を悔やんだり、ないものねだりを
続けていたりするだけでは、幸せにはなれない、
今すぐそこにある幸せに気づくことはできない、
だから、「タラは北海道、レバは肉屋!」と叫んで
そんなネガティブな考え方は捨て去って

「…しなくて良かった!」
「…じゃなくて良かった!」
と考えれば、今の生活にも幸せはいっぱい見つかるよ、と
いう趣旨で書かれていました。

それは独身女性を主人公にした恋愛小説で、もう正確な
タイトルすら思い出せないのですが、なぜか子どもの障碍を知って
しばらく経ったとき、ふとこのフレーズを思い出したのでした。

はっきりと知的障碍はあるけれど、言葉を話し、
穏やかな性格で、特に目立った問題行動のないちびくまの
母である私は、実はどこに行っても居場所がない、と感じることがあります。

知的障碍を併せ持つ自閉っ子の親の集まりに行くと、
「だってしゃべるんだから、いいじゃない」
「どうせ軽度なんでしょ。重度の子どもの親の気持ちなんかわからないわよ」

高機能自閉の親の集まりに行くと
「障級へ行っているような子と一緒にされたくない」
「うちは勉強は人一倍できるんだから」
「重度の人は福祉のサービスがもらえていいわね」

確かに、私には、いつまでたっても「おかあさん」と
呼んでもらえないお母さんの切なさを本当に理解することは
できません。
確かに、私には、学校でわがまま扱いされて、サポートを
受けられない子やその親御さんの辛さを、本当に
わかることはできません。
なぜなら、それは、私の経験していないことだから。
立場の違う人の痛みを「本当に自分のものとして」感じることは
できません。ですが、それを「想像し」「思いやる」ことは
私にもできます。
「本当にはわからない」ことを自覚し、その上でなお
人の痛みに思いを馳せることが大切なのではないか、と思うのです。
それは、私も、種類は違うけれども痛みを知っているからです。

「あなたはいいわね、私はあなたよりずっと大変」
同じ自閉っ子の親同士でそう言い合っている間は、本当の意味で
自閉症の理解を外に求めることはできないのではないかという
気がします。

「うちも大変だと思っていたけど、そういう大変さもあるのね」
そう考えることができたら、奥の深い発達障碍の世界に
もう1歩踏み込むことができるように思うのです。

失くしたものは本当は沢山あったのかもしれない。
でも、失くした物を「たら」「れば」と悔やみながら暮らすより
最初は多少頑張ってでも明るい面を見ようとすることで
「幸せを感じるアンテナ」はぐんぐん育っていくような
気がするのです。

今の私は、
「ちびくまが私のところに生まれてきてくれて、本当によかった」
何の努力もなく、本心からそう言う事ができます。
この間の彼女にも、いつか
「あのとき、早まらなくて良かった~」と
心から笑って言える日がくることを信じたいと思います。

音楽会

2005年11月19日 | Wonder of Autism
今日はM小学校の音楽会でした。ちびくまたち5年生は
リコーダー奏が1曲、合唱が1曲、それに合奏が1曲。

1年生のときは「とにかく舞台から逃げない」が目標で
何もせずただにこにこと周りの子どもたちを見回しながら
その場に立っていただけで褒められた息子。

翌年から少しずつ自分から参加するようになり、去年はついに
リコーダー奏と合奏のオルガンを担当するまでになりました。

でも、さすがに5年生ともなると曲の難易度もぐっとあがります。
それでも、去年と同じように、リコーダー奏も合奏も
「がんばります」という息子に、障担は個別で特訓もしたりして
サポートしてくれました。

大切なのは、こうした特訓が「普通学級の子どもと同じことをさせるため」や
「普通学級のみんなの足を引っ張らないように」行われるのであっては
それは「指導」の形ではあっても「サポート」ではありえない、と
いうことです。障担は、あくまで、ちびくま本人の「みんなと同じように
リコーダーが吹けるようになりたい、オルガンが弾けるようになりたい」という
気持ちを「応援するため」の指導をしてくれました。

外見ではそう変わりませんが、指導してくださる先生がそのことを
わかって、意識しているのといないのとでは、全く違います。

その子その子の「今」のレベルで、ちょっと頑張ればできる、という
ところを目指して、しっかりと「参加できた」「頑張った」という
達成感を育てることを重視してくれる学校や先生だとわかっているからこそ
安心して子どもをまかせられるのです。

本人と障担の頑張りもあって、何とか本番の3日前には、
ちびくまの弾くオルガンを聴いていた他の先生が
「K先生(障担)が代わりに弾いているのかと思った」と
言ってくださるまでになりました。

途中では「ちびくまくんは、なかなかじょうずにオルガンが
ひけない。もうタンバリンにしようかなあ」
「リコーダーがじょうずにふけないから、もうやめたほうがいいね」
と弱音を吐きまくりだった息子も、ようやく自信が持てるように
なったらしく、今朝はついに
「おとうさんと、おかあさんと、2人でみにきてね。
 ビデオもとってね。ちびくまくん、じょうずにできるから」と
宣言して家を出て行きました。

M小の音楽会は運動会と並んで私の好きな行事です。
障級の仲間たちが、それぞれの性質や発達のようすに合わせて
一人ひとり違った形の支援を受けて、一人ひとり違った参加を
する姿を見て、なんとも幸せな気持ちになれるからです。

黒子の先生を背後に従えて、ノリノリで踊る子。
楽しそうにタンバリンを盛大に叩く子。
みんながリコーダーを吹いているときに、一人
調子っぱずれに「ピ~」とリコーダーを吹き鳴らす子。
でも、不思議なくらい、出るのを嫌がって泣いたり、
舞台の上でパニックになる子どもは誰もいません。
そんな「参加」もまた「あり」なんだよ、という空気を
しっかり感じるからなのかもしれません。

ちびくまたち5年生の出番は4番目でした。
リコーダー奏、ちゃんと指が動いていました。
合唱も、声の大きさはわからないけど、ちゃんと唇の動きが
歌詞にあっています。
合奏のオルガンは、指揮の先生の影になって手元までは
よくわからなかったけれど、弾き終わった瞬間に
息子の顔に笑顔が浮かんだことと、その後立ち上がった
瞬間に「えっへん」というように、腰に手を当てて
踏ん反り返ったポーズをとったこと(ちびくまが得意に
なったときに時折見せるポーズ)を考えると、
本人にとっても「やった!」と考えられる出来だったのでしょう。

教室へ迎えに行った私と夫の顔を見るなり、
「おとうさん、おかあさん、ちびくまくん、おんがくかい
 がんばったよ!」
出来よりなにより、本人がその実感を持ったことがなによりの
成果だと思いました。

いよいよ来年は小学校生活最後の音楽会。
「私、号泣するよ」と今から宣言して
障級のお母さん仲間に笑われている私です。





睡眠障害

2005年11月17日 | Wonder of Autism
これも自閉っ子には珍しくないと思うのですが、
ちびくまはとにかく「眠らない」子どもでした。

新生児の時期を過ぎても、まわりの赤ちゃんのように
夜何時間も続けて眠ることはありませんでした(最長で4時間くらい)し、
1歳~5歳ぐらいまでは毎日夜中の2時3時まで元気に走り回り(-_-;)
突然スイッチが切れたようにバタンと倒れて眠り、
また朝の5時6時から急にスイッチが入って走り回る、という日々でした。

自閉症の子どもの睡眠が不安定であることが多いことを
知るまでは、まわりの人たちがことあるごとに
「子どもを寝かしつける方法のアドバイス」を
してくれるのが、とても負担でした。
ただでさえ睡眠不足で辛いのに、「子どもが寝ないのは
あなたの育て方が悪いから」と言われているようなものでしたから。

睡眠障害は脳の違いから来ているものかもしれない、と
考えられるようになって、ずいぶん気持ちの上では
楽になりましたが、睡眠不足の辛さはどうにもできません。
もう1度新生児のお母さんになったつもりで、と割り切って、
家事もなにも後回しにして、昼夜逆転でも気にせず、
子どもが寝た隙に自分も眠るようにすることで、やっと
大変な時期を乗り切りました。

幸い、年長になったころから、息子はお昼寝をしなくなり、
その分、夜11時から12時半くらいに寝て、そのまま
朝まで6~7時間ほど眠るようになりました。
年齢から考えると非常に短い睡眠時間ですが、どうやらこれで
足りるらしいのです。目覚めはいつもすっきり。
朝ぐずることはめったにありません。
何か疲れることがあってお昼寝をしてしまうと、しっかり
夜の睡眠に響いて1時すぎまで起きていたり、何かのきっかけで
昼夜逆転したり、もありましたが、段々落ち着いてきているのは
よくわかりました。

さて、そんな息子ですが、ここ1ヶ月ほど、夜11時まで
起きていられない日々が続いています。そのまま朝7時すぎまで
ぐっすり眠るのです。
早い日には夜10時過ぎには眠ってしまうこともあって、
私のほうがとまどっています。

運動会、音楽会、クリスマス会、と立て続けに来る
2学期の学校生活の忙しさに心身ともに疲れているからなのか、
それとも、脳の成長に伴って、睡眠パターンが定型発達児に
近づいてきたのか…。
もう少し様子を見ないとなんとも言えませんが。

それにしても、息子が寝た後は、息子が起きている間では
できない用事をかたづけるチャンスなのに、
「ちびくまが寝てるとつまんないから私も寝よう」と
思ってしまう私って…。


着るものにこだわる。

2005年11月15日 | adorably autistic
自閉っ子としては珍しくもないことですが
息子は洋服や靴など、身に着けるものについては
比較的強いこだわりがあります。

しかも、こだわりのポイントが肌触りなのか
素材なのか重さなのか色なのかデザインなのか、
いまいちわかりません。

私にはほとんど同じもの、と思えるものでも
本人は「あれはいいけど、これはいや」ときっぱり。
一度「いや」という評価を受けたものは、どんなに
ブランド物だろうが、高かろうが、
義理ある人からもらったものだろうが、
絶対に手を通してもらえません。

それなら買う段階で自分で選んでくれたらいいのですが、
ちびくま、買い物に付き合うのは大嫌い。
「ちびくまくん、おかいものしない。おかあさんがかってくる」
で、母が買ってきたものは、およそ3分の1の確率で
ボツになってしまいます。

無駄になった服や靴は、バザーに行ったり、知り合いの
お宅にもらってもらったり。

そして、一度本人が「これ、すき」と言おうものなら、
あわてて店へ走って、サイズ違いを買い占める、という
生活を、小さい頃から続けてきました。

彼が、小さい頃から特にこだわっていたのは、コートなどの
アウター類と靴でしたが、最近はパジャマやシャツ、
ズボンや靴下にいたるまで、そのこだわりが
強くなってきました。

いえ、正確にいうならば、以前は変化がいや、とか
着用感とか、自閉っ子らしい理由のみでこだわっていたのが、
成長した結果、定型発達児と同じ意味で自分のファッションに対する
こだわりを持ち始めたようです。

なぜそう思うかというと、彼のOKが出た新しい服を
身に着けたとき、彼が周囲に対して褒め言葉を
要求するようになったから(笑)

ちびくまの場合、要求といっても、決して表現は強くありません。
たとえば、学校の先生の前で「ちびくまくんはあたらしい
シャツをきてるね」「これは、あたらしいようふくだね」と
さりげなく、でも盛んにアピール。それで先生が気が付いて
「ほんとだ。新しいシャツだね、かっこいいね」と
褒めてくれると、ニコニコ笑って満足、という具合です。

さらに、何か行事がある際には「何を着ていくか」で
数日前から悩み「ちびくまくんは、じょうきゅうせいなので、
かっこいいおようふくでがっこうへいきたいです」と
のたまう始末(笑)

いやはや、やっぱりお年頃なんだな~、と思っていた矢先。

私が来ている服を指差して
「おかあさん、そのおようふくはやめたほうがいいね~」
「え~、そう?おかあさん、これすきなんだけどな」
「やめたほうがいいよ。ちびくまくんはそれきらいです。
 いやなので、きないでください。こっちのおようふくに
 おきがえしたら?」
もうしつこいしつこい。

根負けして彼の言う服に着替えると
「ね?おかあさん、そのおようふくはいいね。にあうね~。
 おかあさん、かわいいね~」


どうも、彼は柄物は嫌いらしいです。そして、
ラベンダーなど、「寒色系の淡色」が好きな模様。
…まあそれは基本的に私の好みでもあるのですが…

それにしても、
「母親のファッションに注文をつける」っていうのは
ティーンの子どもには珍しくないとは思うけど
そんなところだけ定型発達っぽくならなくってもいいのに。



得たものと失ったもの。

2005年11月11日 | adorably autistic
掲示板のほうで、たぶんまだ子どもさんが自閉症の
診断を受けたばかりなのだろう若いお母さんと
やりとりをして、ふと考えました。

息子が自閉だったことで、私が失ったもの、そして
得たものはなんだったのだろう、と。

《失ったもの》
・それまでのママ友の大部分(まあ、結局、一緒の幼稚園に通っているとか
 家に呼び合って一緒に遊べる、というだけでつながっていただけなのかも)
・夫との友好関係(爆)
・息子を一流私学中・高から一流大学に入れ、一流企業に就職させよう、という
 野望(笑)
・せっかくのアメリカ駐在中に、アメリカ各地を旅行する機会
・同じく駐在中に、現地の大学院へ進学する機会
・どっかの企業にフルタイム正社員として再就職する夢
・健常児・者は障碍児・者より優れている・恵まれているという思い
・7号と9号の洋服(爆)

《得たもの》
・息子をキーとした、沢山のお母さん仲間、当事者の方々、学校の先生を
 はじめとする支援者の方々との出会い。
 特に「ことばと発達の学習室」掲示板での出会いを抜きに、
 私のこの7年は語れない。
・発達障碍についての知識。
・パソコンとネットのスキル。
・車とバスについての知識(笑)
・目の前の子どもをつぶさに観察する鋭い(?)眼。
・IQも偏差値も関係なく、何ができてもできなくても
 「うちの子が一番!」と満足して暮らせる安らぎ。
・自分が子どもを愛している、そして子どもにも愛されているという自信。
・診断前後に暴飲暴食に走ったために得た10キロの体重(小学校入学後の
 ダイエットで、半分は返上しました)

で、結論。
息子が自閉症に生まれてきてくれたおかげで、私は失ったものより
得たもののほうがずっと多かった。
診断直後には自分の失うものにしか眼が行かなくて
とてもそんな風には思えなかったのだけど、
今なら胸張っていえるのです。
「息子が自閉症でよかった」と。
自閉症で良かった、というより、息子が生まれてきてくれて、
生きていてくれてよかった、と言うほうが正確かもしれない。

今日、夕方一緒に買い物に出かけた帰り道、息子が
「ぼくは雨が嫌い。市民会館が嫌い。インターホンが嫌い」と
嫌いなものを挙げつづけるので
「じゃあ、ちびくまくんが好きなものは何かな?」と訊くと
彼はこう答えました。
「あのね、おかあさんだよ」

私も、子どもが自閉症ならもう2度と自分は幸せに
なれないと思っていた。
未来が怖くて、何度も息子と一緒に逝ってしまおうと思った。
でも、今なら、あの時、一線を越える方向に私の勇気を使わなくて
本当に良かったと思えるから

彼女にも何とかこの一番辛い時期を乗り越えて欲しい、と思います。
せめて一線だけは越えないで欲しい、と思うのです。

嵐の日には見えないけれど、雲の向こうには
いつも青空があるのだから。

彼女のことを心配して、何度も見に来てくださる皆さん、
一生懸命書き込んでくださった皆さん、ありがとう。
親の辛い気持ちの書き込みを読んで、辛くなっているだろう
当事者の皆さん、ごめんなさい。
どうか皆さんのやさしい気持ちが、熱い思いが、
閉ざされた彼女の胸に届きますように。
今すぐでなくていい、いつか彼女の凍りついた心を
溶かしてくれますように。

合言葉大作戦。

2005年11月08日 | adorably autistic
息子が生まれたとき、私はひとつ心に決めていたことがあった。
息子に、毎日「大好きよ」「可愛いね」と声をかけること。

私の母は、
決して、と言っていいほど、子どもをほめることがなかった。
「あなたはこういうところがだめ」
「あなたのこういうところが嫌い」
「あなたは本当に可愛くない」

本人に言わせれば、「本心は可愛いと思っていても、敢えて
他人は言ってくれない欠点を指摘するのが親の愛情」だったらしいのだが
私は今も、親にも褒めてもらえない自分は駄目な人間なのだと
いう気持ちからどこか抜けだけずにいる。

だから、せめて自分の子どもだけは褒めて育てよう、毎日、
「いい子ね」「可愛いね」「大好きよ」と声をかけて
育てよう、とずっと思っていたのだった。
そして、それを実行した。幸い、私の顔を見ればにっこりと
笑う息子にそんな言葉をかけることは、大して難しいことではなかった。

そんな私も、息子が「自閉症」の診断を受けてしばらくの間、
息子を可愛いと思えなくなったことがあった。
 
それまでは「育てるのは大変だけど可愛い息子」だったのが
まるで誰かの悪意で私の人生に放り込まれた、
得体のしれない不幸の塊のように感じられたのだ。

母親としてそのことにとてつもない罪悪感を持ちながらも
私にはわが子に向けるその否定的な気持ちをどうすることもできなかった。

だが、せめてその罪滅ぼしの気持ちもあったのだろう、
その間も私は毎日、息子に「可愛いね」「いい子ね」と
言葉をかけた。
いつしか、またその言葉は私の本心から出たものになり、
それは今も続いている。

そんな私が、息子のこだわりや反復質問にイライラしたときの解消法は
「合言葉大作戦」である。

息子に「ちびくまくんは?」と言うと、
息子は間髪を入れず「おかあさんのたからもの!」と答える。
「お母さんは?」と言うと「ちびくまくんがだいすき!」

これは私が唯一息子に教え込んだエコーである。
私には効果絶大だ。自分の宝物に手をあげることはできない。

しかも最近は、思わぬおまけまでついてきた。
息子が自主的に、もう一言を付け加えるようになったのだ。
「ちびくまくんも、おかあさんがだーいすき