雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

2つの裁判(その4)~子どもの支援は親支援

2007年07月29日 | 「発達障碍」を見つめる眼
障碍のある子を授かると、「この子はあなたを選んで生まれてきたのだから」と
言われることがあります。
「お母さんがまず頑張ってあげなければね」とも。
我が子が自分を選んでくれたのだから、へこたれてはいけない、
泣いてばかりではいけない、頑張ろう、そう思える親はまだいいのです。

でも、障碍のある子は、本当は親を選ぶ自由を持たずに生まれてきます。
障碍のない子どもでさえまともに育てる気持ちのないような親のところにも、
その前に背負ったものが重過ぎて、とても子どもの障碍のことで
頑張れるような余力のない親のところにも、
どんなに追い詰められても「助けて」と言えない親のところにも、
孤立や孤独から脱出したり、たとえかろうじてでも自分自身を
支えることができない親のところにも
どう頑張ったらいいかどうしてもわからない親、頑張れない親のところにも。

自身が病気や障碍を持った親のところにも生まれてくるし、
私のように、親自身が自閉っ子を授かったあとで病気になったり
障碍をもったりして支援を必要とする状態になることさえあります。

だから、「自閉っ子」を持ったらまず「(母)親が頑張る」を前提にし、
「(母)親の頑張りを補う支援」「(母)親をもっと頑張らせるための支援」を
している限り、2つの事件のような悲しい結末は決してなくならないのでは
ないかと思うのです。

自閉っ子本人の福祉(Well-being)を考えるとき、支援する側には、まだまだ
「どうして親なのにもっと頑張らないのか」
「どうして家族なのにわかってやらないのか」という気持ちがないでしょうか。

「親なのだから頑張って当然」「家族なのだから理解して当然」という前提を
まずとりはらって、
「どう援助すればこの親は楽な気持ちになれ、余力がでるのか」
「この家族に理解しようという気持ちが出てくるには、何が必要なのか」
そこまで考えなければ、本当に支援しているとはいえないのではないか、と
私は思うのです。

特に、障碍のある子どもとその親は、定型発達の親子以上に生活上も
心理的にも密接な関係にあることが多いです。だから、特に子どもが
幼少である場合には、子の福祉(well-being)は親の福祉(well-being)と
不可分と言ってもいいと思います。

最近、「子どもを支援し続け、就職させた立派な親」
「会社やNPOを立ち上げ、頑張っているすてきなおかあさん(おとうさん)」が
注目されて、あちこちで紹介されています。
それはそれで、とても素晴らしく、エンパワメントにもなるのだけれど、
「そんなふうに頑張る力を今もっていない」多くの人たちのために
「家族を頑張らせない支援」「家族が自ら『頑張ろう』と思えるための支援」
「家族を追い詰めない、孤独にさせない支援」
というものを、教育や福祉、医療といった「支援する側」に立つ方々には
もう一度考え直してみて欲しいと思います。

2つの裁判(その3)

2007年07月28日 | 「発達障碍」を見つめる眼
「とことんこのこにこだわって」にも書いた、こうした孤独の中で、
それでも私が一線を越えることなく息子と共に生きていられたのは、
息子が私に明らかに愛情を示してくれていたことと、
同情からか真意からかはわからないけれど、それでも変わらず
付き合いをしてくれて、時にはいたわりの言葉をかけてくれていた
ごく限られた人たちの存在と、
やがてインターネットを通して結びついていく仲間たちの存在、
そして、苦しい日常の中でも、花のきれいさだとか、TV番組や
我が子のアヤシイ仕草におもわずくすっと笑う瞬間だとか、
ほんのちょっとしたことに小さな幸せを見つけようとする努力で
かろうじて自分を支えていることができたからでした。

あれから10年以上経って、自閉症やその他の発達障碍の認知度や
支援体制は、当時とは比べ物にならないくらい高まったはずなのに、
まだあの頃の私と同じ思いをして、追い詰められてしまう人が
こんなにもいるのだということに、本当にやりきれない気持ちがします。

もちろん、自閉っ子も、その他のどんな子どもも、
親の所有物ではない、1人の独立した尊厳ある人間です。
だから、東京地裁の青柳裁判長が言ったとおり、たとえどんな理由があろうとも、
その子が生きる権利を奪うことは何人にも絶対に許されません。

子どもの命を奪う権利は母親にはない、それはゆるぎない信念ですが
私には、そこまで思いつめてしまった母親の痛みや孤独が
とても他人のそれとは思えなくて、
「どうしてそんなところまで追い詰められる前に
 助けてあげられなかったのだろう」
と思うと、命を奪われた子どものためと、その命を奪ってしまった母親のために
2重の涙が出てしまうのです。

「子どもの障碍がわかった。もう将来に何の希望も持てない。
 子どもを殺して、私も死にたい」

私のサイトの掲示板には、これまで何度も、我が子の診断を
受けたばかりのお母さんたちからこんな書き込みがありました。
ここにたどりついて、その気持ちを打ち明けてくれただけでも
きっと希望がある。その気持ちを非難し、否定するだけでは
誰も救われない。
だからこそ、母親のその言葉がどれだけ自閉当事者の人たちを
傷つけるかを知りながら、私は「そういう気持ちになること」
「そういう気持ちを吐き出してしまうこと」を否定はしませんでしたし、
これからもきっとしないだろうと思います。

でも、「絶対に子どもに手をかけてはだめ、絶対に死なないで」
私はそう、訴え続けてきましたし、これからも、そう訴え続けます。
見ず知らずの相手にSOSを発信できたあなたは、きっと
お子さんを愛しているはず。今はどんなに悲しくても、あなたになら
きっとお子さんと一緒の明日への光が見つけられる。
そう、信じさせて、と。

昔、息子が本当にしゃべったりする日が来るのか、この子を育てることを
「楽しい」と心から思える日が来るのだろうか、と悩んだ日に、
今も仲間であるまつこさんがくれた言葉を、ここでは何度も
紹介していますが、

もしここを今も辛い気持ちを抱えたまま読んでくれている人がいたら、
もう一度贈らせてください。

「子どもの状態が悪いときは、それが一生続くような気がするけど、
 あとで振り返ってみると、ほんの一時期だった、というようなことが
 よくあるから」

どうか、あなたのお子さんを信じてください。
どうか、あなた自身を信じてください。
きっと、トンネルには出口があるから。きっと光は見えてくるから。

2つの裁判(その2)

2007年07月27日 | 「発達障碍」を見つめる眼
2つめの記事は、その4日後、限られた新聞に小さく載りました。

**********************引用ここから********************

「生きていても幸せでない」 2児殺害の母が心境

 広島県福山市で昨年、自閉症の長男(5)と二男(3)を殺したとして殺人罪に問われた無職C被告(35)は25日の広島地裁(奥田哲也裁判長)の公判で被告人質問に答え、「世間では障害者は不幸という見方が強く、生きていても幸せになれないなら一緒に死んだ方がいい」と殺害を決意した心境を話した。

 C被告によると、二男は知的障害もあり、パニックになると手に負えなかったといい「わたしの養育方法が間違っていたのか」と悩んでいたと説明。一方で「かわいいという気持ちはなくなっていなかった」と言葉を詰まらせた。

 また「夫に助けを求めたが、『おまえの育て方が悪い』と言われた」「自閉症は障害なので薬をのませるものではないのに、母親に『のませろ』と言われ無理解だと思った」と孤立感を深めていった状況を話した。

 奥田裁判長は、弁護側が求めた精神鑑定の実施を決めた。

(7月25日18時43分)

引用元:山陽新聞 2007年7月25日
(原文では被告名は実名ですが、ここでは仮名としました)

************引用ここまで*******************************

1つめの事件の被告人のこれまでの人生は、弁護士さんの言うとおり、
想像を絶するものがありますが、2つめの事件の被告人の孤独は、
おそらく自閉っ子を持つお母さんの多くが多少なりとも経験したことが
あるのではないでしょうか。

私にも、痛いほどわかります。

息子が生後4ヶ月から米国に単身赴任した夫は、自分のことで
精一杯で音信不通、たまに連絡をよこせば残された私たち母子を
気遣うどころか「俺の給料で安穏と暮らしやがって」と嫌味と
不満をぶちまけるばかり。息子の発達についての相談など
とてもできる状態ではありませんでした。

実母は実母で、息子の言葉の遅れを心配する私に、
「私が反対したのにマタニティビクスなんか行くからだ」
「だから総合病院で産みなさいというのに、逆らって個人医のところで
産んだからだ」
「あんたは性格が悪いから子どもなんか育てられない」と
私を責め続ける。

ことばの遅れを心配して通い始めた母子教室では
「おかあさん、あなた、性格が悪い、冷たいといわれたことあるでしょ?
 もっと謙虚に反省しなきゃ」
「自分の胸に手をあてて、何が悪いのかよく考えてみて」
と私を諭しつづけた保健師さん、心理士さん。

渡米後、自閉症の症状が顕著になり始めると、夫は
「子どものことはおまえに任せていたのに、まともに育てていない」
「お前の性格が悪いから、育て方が悪いから、こうなったのだ」と
私を責め、息子を「頭のおかしいガキ」「恥さらし」と呼ぶ始末。
現地で検査を受けるにあたっても療育を受けるにあたっても
彼は金銭的な負担をしたのみで、精神的・心理的サポートは
全く無く、私と息子にとって「最も近くにいる最も遠い人間」でした。

「おかあさん、お子さんにもっと愛情を持ってください」
「他のお子さんの迷惑も考えてください」
「人任せにしないで、ちゃんとお家でも躾をしてください」と
言い続けた日系幼稚園の先生、
「どう育てたら、あんな子ができるのかしらね」
「うちの子が真似したら困るわ」
「もうちょっと普通に遊べるようになったらお付き合いしましょうね」
同情や憐憫、時には明らかな侮蔑や悪意を込めてかけられた
周りのお母さんたちからの言葉。


2つの裁判(その1)

2007年07月26日 | 「発達障碍」を見つめる眼
最近、胸を締め付けられるような2つの裁判の記事が目にとまりました。
どちらも殺人事件で、被害者は自閉っ子、加害者はその母親です。
1つめの記事は、夏休みに入ってすぐのものでした。

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知的障害ある息子殺害の母に懲役7年 東京地裁
2007年07月21日00時34分

 東京・日比谷公園で知的障害のある息子を刺殺し殺人罪などに問われた母親が20日、東京地裁で懲役7年の判決を言い渡された。母親は自らの生い立ちを我が子に重ね合わせ、「かわいそうだから」と殺害の動機を法廷で語っていた。「経緯には多分に同情の余地が認められる」。青柳勤裁判長はこう言いながら「自らの思いこみから息子の将来を一方的に悲観し、殺害した。独りよがりのそしりはまぬがれない」と述べた。

 母親は埼玉県川口市の無職A被告(52)。昨年6月10日夜、小学5年の次男B君(当時10)を果物ナイフで刺殺し、自らも自殺を図ったが死ねなかった。

 判決などによると、A被告は、母子家庭で育ち、9歳で母と死に別れた。軽い知的障害があり養父母から虐待を受けた。結婚して2男2女をもうけたが、夫は借金を抱えて失跡し離婚した。

 次女は1歳7カ月で髄膜炎で亡くなり、重いぜんそくだった長女も16歳で死亡した。生活保護を受けながら総菜屋などで働き、知的障害のある2人の息子を育てたが、次男のB君は小学校に行きたがらなくなった。「いじめを受けている」。そう思いこみ、悩んだ。

 「死ぬ前に一度乗せてやりたい」。2人は新幹線で新潟の温泉宿に向かった。翌朝、睡眠薬と缶酎ハイを翔君にも飲ませ、山中で死のうとした。B君が眠らなかったため新幹線で東京に戻り、日比谷公園を目指した。

 夜になり、眠りについた息子をベンチに寝かせた。「B君、ごめんなさい」。果物ナイフで胸を突き刺した。

 「Bと自分とはイコール。ああするよりほかにありませんでした」。公判で殺害の理由を問われたA被告はこう述べた。

 検察側は懲役13年を求刑した。弁護人は「被告の身に起きたことは一人の人間が抱えることができる許容量をはるかに超えている」と訴えた。

 「喜びや楽しみ、悲しみや苦しみも含め人が生きていく上で経験するであろうことをB君も経験できたはず。これを奪う権利は何人にもない」

 裁判長の言葉を、A被告はじっと法廷の床を見つめながら聞いた。

引用元:朝日新聞(2007年7月21日)
(原文では被告名、被害者名は実名ですが、ここでは仮名としました)

「らしさ」へのこだわり(その3)

2007年07月24日 | 「発達障碍」を見つめる眼
障碍のある子の「成長」を見守る姿勢は、ものすごく大雑把に分けると
大きく2つの考え方に分かれるように感じます。

1つは、「定型発達の子ども」を基準にして、そこに近づければ近づけるほど
「成長した」とする考え方。これは、「『普通の子ども』らしさ」を
求める姿勢とも言えると思います。
確定診断が簡単につくケースより診断名がつかないほうが「良い」、
固定制特別支援学級(障碍児学級)より通級や通常級在籍のまま
支援が受けられるほうが「良い」、
あるいは特別支援が必要でないほうが「良い」、というような
考え方は、特に学校の先生の多くに顕著に見られるように思います。

もう1つは「目の前のその子」を基準にして、その子が日々
刻々と変わっていくこと、時を重ねていくことを「成長した」と呼ぶ考え方。
この場合、その「成長」は周囲にとっては必ずしも望ましい形でないことさえ
あります。
その時その時、この子は何をどう感じ、どういう支援を必要としている
のだろうかということを追求するとき、それは「『その子らしさ』へのこだわり」とも言えるかもしれません。

言わずもがなかもしれませんが、私は「ちびくまらしさ」へのこだわりが
かなり強いほうです。
ちびくまが何か特定のスキルを身につけたとき、他人から「ちびくまくんも
『成長』しましたね」と言われるとなんだかカチンとくるのは、
「普通の子に近づいたのでめでたい」と言われたような気分になるからかも。

私は、自閉っ子への支援というのは、まず今のその子をまるごと
100点満点と受け止めた上で、その子の成長がより意味深く、より
広がりを持ち、より円滑に行くことを助けるための、環境調整を含めた
援助活動だと思うのです。

だから、「指導」によってその子にスキルを身につけさせること、
その子を「変化させる」ことにだけしか目がいかない人は、
自閉っ子の「指導者」や「訓練士」にはなれても、
「支援者」や「援助者」にはなれないのではないかと考えています。

「子どもが軽度だと思って何も努力していない」
「子どもの能力を伸ばすことに消極的」
「子どものご機嫌ばかりを伺って言いなりになっている親」
私はこれまで、何度もこうした批判を受けてきましたが、
私は息子にとっての指導者ではなく、母親です。
私の仕事は「おかあさん」。だから、どんなことになっても、
「ちびくまらしさ」へのこだわりだけは、捨てずにいようと思っています。

「らしさ」へのこだわり(その2)

2007年07月23日 | 「発達障碍」を見つめる眼
ちびくまが全く考えていなさそうなことを「ぼくは…と思います。
(ました)」と書いてあるのも、私にとっては違和感大有り。
「なんで、本人の気持ちの部分にまでずかずか踏み込むかなあ」と
いう感じです。

そもそもちびくまはいまだに自分の感情をしっかりモニターして
文章化できるスキルはありません。せいぜい「嬉しかったです」
「楽しかったです」ぐらい。

それも、本当に「嬉しかった」のかどうかもあやしいもので、
「作文指導」の中で、「自分の感情を書くように」と繰り返し
指導されるなかで身につけてしまった「処世術」のようなものです。
(彼は「きらい」「いや」「苦手」といった否定的表現が嫌いなので
 どうしても「楽しかった」「嬉しかった」と書いてしまうようです)

本当は全然違うことを感じていたり考えているかもしれないのに
大人に「○○と思ったんだよね」と言われてしまうと、
「そうなんだ」と思い込んでしまいそうなうちの息子に、

(ちなみに、こうした「思い込み」を自閉っ子に抱かせてしまう
周囲の「失敗」については、成人自閉当事者の方々が著書の中で
わかりやすく文章にしてくださっています。
例えば「自閉症だった私へ」(ドナ・ウィリアムズ)
「ずっと普通になりたかった」(グニラ・ガーランド)
そして、ニキ・リンコさんの最新刊
「自閉っ子におけるモンダイな想像力」、いずれもお勧めです)


ちびくま自身がどう感じたか、どうしたいと思っているか、を
時間をかけて慎重に観察し、想像し、探ってみることもしないで
「ぼくは○○しようと思います」と書かせるなんて、13年近く付き合った
母親の私でも「やってはいけないことリスト」のトップに
大フォントで書いておきたいくらいなのに…。

今のちびくまの素直な思い、今のちびくまのありのままの力を
反映したものでないこんな作文は、どんなに上手に書けていても、
私にはちっとも価値のある成果だとはと思えないんです。

「らしさ」へのこだわり(その1)

2007年07月22日 | 「発達障碍」を見つめる眼
ところで、もらってきた卒業アルバムは、前半分が写真集、
後ろ半分が卒業文集になっています。
なんだかこういうアルバムだと、写っていない子がいると
問題になるのだそうで、特に6年生になってから
交流級集団と離れての行動が多かったちびくま、
やたら個人写真がありました。(ラッキー?)

で、文集のほうは、交流級の中で、他の子と同じように
見開き2ページの絵と作文。
これは原稿を在校中に既に返してもらっていたので、
あらためて印刷したものを見た、という感じなのですが、

構図もしっかりしているし、作文なんかは用語の使い方も正確、
自分の気持ちや将来への決意なんかも書かれていて、
添えられたイラストも含めて、いかにも小学6年生らしくて
通常級のお友だちの作品と比べても全く遜色のない
とっても良い出来でした。

よその人が見たら、「障碍があっても、指導次第でここまで書けるんだわ、
すごいわね」と思うかも知れませんし、障碍のある子の親御さんでも
「うちの子でもここまでできるんだわ」と感激する人は多いかもしれません。

でも、私個人の感想はというと、せっかく「後に残るものだから」と
一生懸命指導してくださったのであろう先生には申し訳ないけれど
「見た目がきれいなだけで、とってもつまらない」

…だって、その作品は「書かされた」感満載で、「ちびくまらしさ」は
ほとんど感じられなかったからです。

例えば、「思い出ベスト5」なんてコーナーがあるのですが
1位の「運動会・組体操を頑張りました」はいいとしても、
2位に「マラソン・走ることが好きです」って
ちびくまを知る人なら「そりゃ嘘やろ~!!」と思わず
突っ込みたくなってしまうはず。

ちびくまは小学校時代毎年あったマラソン大会がとっても苦手。
大体、普段の生活でものんびりおっとり、「走る」ことなど
ほとんどない子どもなのに、冬の寒い中グラウンドを何週も走る、と
いうことには全くモチベーションが上がらず、
歴代の障担は毎年涙ぐましい努力をして、ちびくまがなんとか
この行事に参加できるように頑張ってくれたのでした。

マット運動の苦しさと達成の喜びについて書かれた作文は、
その表現に「ちびくまらしさ」は微塵もないばかりか、
私が息子の学校生活には最も求めていなかった
「我慢することで得られる喜び」がテーマになっていて、
なんだか自分がこれまでちびくまを育ててきた姿勢自体を
全否定されたような気持ちにさえなってしまいました。


卒業アルバムと仲間意識

2007年07月21日 | adorably autistic
昨日の朝、M小学校の卒業アルバム兼卒業文集が出来上がったので
取りに来てください、と連絡があり(自閉っ子相手だとわかってるん
だから、もう少しゆとりをもって連絡してくれたらいいのに)
終業式を終えて帰宅し昼食を食べた息子と一緒に、
久しぶりにM小に向かいました。

ところが、ちびくま、車の中にいるときから
「ぼくはもう中学生だから、M小は卒業したんだよね」
と繰り返します。
「うん。だけど、アルバムがやっと今できたからね、取りに行くだけだよ」
「どこに取りに行くの?」
「そうだなあ。M先生、ちゃんと教えてくれなかったんだけど、
 校舎に入ったらわかるんじゃない?」
「でも、ぼくはもう中学生だから、小学校には入らなくていいんだよね。
 ぼくはどこで待ってたらいい?」
「あれ?校舎に入らないの?M先生、ちびくまくんに会いたいなあ、って
 待ってるかもよ」
「校舎に入らなくていい。M先生に会わない」

どうやら、彼にとってM小はもう「自分の居場所」ではなくなったので、
校舎の中に入ったり、元の担任の先生に会いに行ったりする気持ちは
ない、ということのようです。
「じゃあ、お母さんが入ってもらってくるよ。ちびくまくんは
 運動場か駐車場で待ってたら?」
「はい、そうします」

M小に着いて駐車場に車を停めると、ちびくまのかつての同級生K君も
ちょうど来ていて、やはり車を降りない、小学校には入らない、と
頑張っているところでした。
これは自閉っ子共通の発想なんでしょうか(笑)

しょうがないので私が1人校舎の中に入ります。幸い、玄関を入って
すぐのところに旧6年担任の先生がアルバム受け取りの受付を
しておられ、顔見知りのお子さんたちも何人かいたので、場所を
探してうろうろせずに済みました。

私の顔を見て、「あ、ちびくまくんのおばちゃんや!ちびくまくんも
一緒に来とるん?」と声をかけてくれる子もいますが、ちびくまは
はるか遠くからこちらを見守っていて、手招きしても全くこちらへは
来ないので、とりつく島もありません。

結局、K君とちびくまの分のアルバムは、ちびくまの昨年の担任
M先生が預かっているとのことで、わざわざM先生を呼びに行ってもらって
やっと手に入ったのですが、ちびくま、昨年の担任の先生の姿を見ても
嬉しそうな顔をすることもなければ、こちらに寄ってくることさえしません。
でも「もうアルバムもらったよ、お家に帰るよ」と声をかけると
すぐ私たちの前に立って車のほうに向かいました。

そして、先生にろくに挨拶もしないまま、すぐに車に乗って
「さあ、家に帰ろうね」とあっさり。
ところが。

家に戻る車の中で、ぽつりとこうつぶやきました。
「良かったねえ」
これは、ちびくまにとって何か「いいこと」があったときに、
彼がよく言う言葉です。彼が小さいころから、彼が本当に嬉しそうな
顔をしているときに、私が「良かったねえ」と声をかけていたら、
嬉しいときにはこういうのだ、と間違って学習してしまったようです。

「なにが良かったの?」
「会ったから」
「誰に会ったのが良かったの?」
「Kくん」

つまり、ちびくまは6年間、大きな行事のたびに行動を共にしてきた
K君には、久しぶりに会えて嬉しい、と思ったようなのです。
それならそうと、もっとわかりやすく言ってくれれば、
もう少し再会を楽しませてあげたのに~。
自閉っ子の仲間意識って、とっても微妙で、外見的にあっさりしていて、
実は根っこはあったかい関係なのかも。

通知票

2007年07月20日 | 楽しい学校生活
さて、あっという間に1学期が過ぎ、今日はいよいよ終業式。
ちびくまが中学生活初めての通知票を持って帰るのを
私はわくわく楽しみにしながら待ちました。

ちびくまは玄関に入るなり、
「これで1学期はおしまいです。ぼくはとてもがんばりました」
と宣言。
「ほんと。よく頑張ったよねえ。何が一番頑張ったと思う?」
とふってみると、
「え~と、いろいろです。いろいろ頑張りました」

わはは。ここで「わからない」とならないで
「いろいろ」と言えるようになったのは、すごいかも(笑)。

ちびくまには高校受験のための成績評定は不要なので、通知票も
すべてコメントが書かれているだけです。
K先生のコメントは、生活面と学習面に分けて、A4用紙2枚に
びっしりと書かれていましたが、これはこれまで毎日連絡帳で
細かく知らせてもらったことのまとめになっています。
その表現も、今後の課題も含めて全て前向き・ポジティブ姿勢で
書かれていて、「やっぱり障担はこうでないとなあ」と
改めて思いました。

3枚目は、教科担任、あるいは交流級担任としてちびくまに
関わってくれた先生たちの評価が書かれています。

美術:(略)色には大変興味を示し満足した様子でした。(中略)今学期は
    大変意欲的で素晴らしい姿勢でした。挨拶もしっかりでき、
    作業も大変几帳面で好感が持てました。

体育: 集合・整列など基本的な集団行動を身につけることができました。
    ストレッチは半分ぐらい覚えることができたので、2学期は
    全て覚えられるようにしたいと思います。(以下略)

技術: (略)パソコンの授業では、入力操作がとても手際がよく、淡々と
    作品をつくりあげていくのでまわりから注目されることが多かった。
    プリントへの記入については、となりの友だちに教えてもらいながら
    丁寧に書いていくことができた。

家庭科: (略)ちびくま君はみんなの仲で指示を素直に受け入れ、
     裁ちばさみをうまく使って自分で布を裁ちました。また、
     (中略)同じ班の生徒の「上手やね!」という声に、なんだか
     うれしそうないい表情だったことを思い出します。2学期、
     また頑張ろうね。(略)

音楽: 初めのころは、音楽室に来ることができなかったのですが、
    途中から休むことなく授業に参加することができてよかったです。
    歌唱では、まだ声は小さいですが、よく歌っています。アルト
    リコーダーは、まだ指使いが難しいようですが、こちらが
    見本を見せると、自分で指の確認をしながら練習しています。
    (後略)

小学校のときは(特に障担が働きかけて他の先生から
直接コメントをとってくれない限り)全て障担が記入していたので
ある意味、「障担が息子をどう見ているか」しかわかりませんでしたが、
こんな風にいろいろな先生に関わってもらって、それぞれの
立場から息子を見てもらえるのは、中学校の教科担任制の
メリットでもあるんだろうなあ、と思いました。

それにしても、どの先生のコメントも、見事に前向き・ポジティブ。
K先生の教育に対する熱意とセンスは、他の先生にも
ちゃんと浸透していってくれているようです。


火事(その2)

2007年07月13日 | 「発達障碍」を見つめる眼
消防車から引かれたホースや人の動きから、どうやら火元は我が家とは
建物の反対側の端住戸のようでした。私は携帯から再びK先生に連絡を入れ、
詳しいことはわからないが、とりあえず我が家の占有部分には直接の
被害はなさそうであること、マンションは今封鎖されているので、
再度連絡を入れるまでちびくまを学校に留め置いておいて欲しいことを
伝えました。

でも、このまま鎮火するまでここに立っていることは私にはできませんし、
ここにいても家にも戻れず野次馬になっているしかないのなら、と
とりあえず車に戻って、本来親の会の帰りに済ませるつもりだった用事を
済ませに行くことにしました。
保健センターから帰ってきたのと反対側に回ると、建物のそちら側からは
まだもうもうと煙が立ち昇っていて、はしご車の放水が続いています。
あたりは霧でもかかったかのように真っ白になっています。
火元は3階ですが、その上は最上階に至るまで、すでに外壁は真っ黒に
なっており、その煙のすごさが感じられました。

用事を済ませてもう一度マンションに戻ると、そのあたりで眺めていた
マンションの住人たちが三々五々自分の家に戻り始めていました。
どうやら、もう建物の封鎖は解けたようです。
そこで、K先生に連絡して、ちびくまに「エレベーターは使えません。
お母さんがエントランスで待っています」と伝えたうえで帰宅させて
もらうよう依頼しました。

ほどなく帰ってきたちびくま、「どうしたの?火事になったの?」と
ちょっと不安そう。
「もう消防士さんたちが消してくれたから大丈夫よ。でも、エレベーターが
 使えないから、階段でお家まで帰りましょう」と言うと、
「ハイ」と素直にうなづいて、2人でえっちらおっちらと階段を上って
家に帰ります。その途中で、下の消防士さんが、消防車のスピーカーを
通して、正式に鎮火の宣言をしました。

幸い、除湿機をかける為に家のサッシはすべてしっかりと閉めて
あったので、一帯にたちこめたものすごい煙のにおいも、
家の中にはほとんど入っていませんでした。

ちびくまはやや興奮した様子で、制服姿のまま、バルコニーから
駐車場に何台も止まった消防車や警察のオートバイをチェックしたり、
そのうち始まった消防士さんたちの終礼(?)(鎮火するとそこで
解散式のようなことをするんですね)の様子を眺めています。

やがて家の中に戻ってきたちびくまは、今度はインターネットで、
今年はじめ、M小学校での消防訓練がコミュニティチャンネルで
放映されたときの動画や、やはりコミュニティチャンネルで放映された
「正しい消防車・救急車要請のしかた」の動画を繰り返し見ていました。

特に大きく荒れたわけではありませんが、やはり彼にとっても
ショッキングな出来事であったことは間違いありません。

結局、火事は火元の住戸を全焼し、その上下の住戸がかなりの期間
居住不能になる、という甚大な被害をもたらしましたが、
死者もけが人もでなかったのが不幸中の幸いでした。

ちびくまは勝手に1人で外出したり、危ない遊びをするようなことの
ない子どもなので、私も今まではよく1人で留守番させることが
あったのですが、もしちびくまが1人でいるときにこうした火事が
近くで起こったり、地震になったりしたときに、自分の身を守れる
だろうか、対処できるだろうか、ということも、改めて考えて
しまいました。

台風・火事・地震など、災害が続く中、息子に災害への対処法を
どのように教えていくか、ということも考えにいれておかないと
いけないなあ、と改めて思ったのでした。