雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

参観日

2006年04月29日 | 楽しい学校生活
今日は今年度最初の参観日。
平日お勤めの方たちも参加できるように、ということなのか
毎年4月の参観は土曜日です。

障級の参観は音楽室で。
狭い教室に子どもたちと、子どもたちにマンツーマンでついている
先生たち、それに保護者で60人を超え、
人口密度の高いこと高いこと。

まずは1人ずつ名前を呼ばれて返事をすることから始まり、
手遊び、合唱、先生たちの出し物である「はらぺこあおむし」の
ぺープサート、最後に合奏でおしまい。

毎年6年生は「リーダー」として挨拶をしたり遠足のしおりを
作ったり、と華をもたせてもらえますが、今年はこの参観の
プログラムを息子が書かせてもらっていました。

1年生にとっては小学校生活初めての参観日なのに、各担任が
ぴったりくっついていることもあってか、パニックになったり、
走り回ったりする子はなし。
音楽の好きな子が多いので、合唱や合奏はそれなりにノリノリ。

ぺープサートは5人の障担の共作共演、子どもたちは声も出さずに
じーっと見つめていました。
これは多動な子の多い障級ではすごいこと、でも、先生たちは
やっぱり歓声とか拍手とか聞きたかったかな~?

ちびくまは最初ちらっとこちらを見ていましたが、その後は
先生についてもらわなくても落ち着いて座って、全ての活動に参加し、
最後の合奏ではみんなをリードして(?)ピアノを弾きました。

もう、こういう場面ではほとんどハラハラしないで見ていられるように
なったな~、と思います。
本人も「ピアノじょうずにできた。がんばった」と上機嫌でした。

「立った」「座った」「手を挙げた」でうるうるしていた
1年生の参観日が、ついこの前のような気がするんですが、
子どもは親が思うよりずっと早く成長していくんですね。

画鋲事件・その4

2006年04月28日 | 時には泣きたいこともある。
さて、夕方、約束の時間に少し遅れて、息子と夫と3人で
M小に着きました。
私たちが校舎に入っていくと、すぐ校長先生が校長室から
出てこられて、中へ招き入れられました。
すぐに職員室から教頭先生も駆けつけました。

お話しする間は、これも休日出勤してくれた障担が
息子を預かってくれました。

最初に、2人の先生が「この度は、ちびくまくんと
親御さんに本当に辛い思いをさせ、申し訳ありません」と
深々と頭を下げてくれました。

教頭先生はこの春転任してこられたばかりでこれが初対面ですが
校長先生は今年で5年目、これまでも毎日のように障級を覗いてくださったり
障級の遠足や去年の自然学校にも一緒に行かれたりしているので
息子のことはよくご存知です。
私もこれまでの障級保護者会の活動を通して
何度も直接お話しさせていただいてきた先生です。

「うちの学校は障碍の有無に関わらず、『共に生きる』という
 教育をしてきたつもりでしたが、こんなことが起きてしまって
 私はとてもショックでした。こんなことであの『ちびくまくん
 スマイル』が消えてしまったら、と思うと・・・」

そしてお2人から、昨日、各学年主任と生活指導担当の会議で
この件に対する指導の仕方を話し合った、その結果の説明を
受けました。

ちびくま個人に対して反感や排除する気持ちがあったというよりも
自分の鬱憤を晴らすのに、自分より力の弱いものをターゲットに
したのではないかと思われること。
本人は新学期の不安定さもあって思いついたちょっとしたいたずらのつもりで
まさかこんな大騒ぎになるとはおそらく思っていなかっただろうということ。
この事に関して、各学年にその発達段階に応じた指導をしたが、
特に6年生にはこれは一歩間違ったら命に関わるんだ、
こういうことは絶対に許されない、という強い姿勢を示したので
本人も感じるところはあったのではないか、ということ。

大体、私たちが予想していたとおりの説明でした。
やったのが誰なのか、学校側にはおよその見当がついている
様子でしたが、私たちには教えてもらえませんでしたし、
私たちも訊くつもりはありませんでした。
目撃者があるわけではありません。所詮憶測に過ぎないからです。

「これまで私たちは、障碍のある子とない子が一緒に暮らしてさえいれば
 理解しあっていける、と安易に考えていなかったか、と反省しています。
 これを機会に、『共に生きる』とはどういうことなのか、
 もう一度学校全体で考えてみたいと思っています」
 
障級の仲間たちには痛みを訴えることが出来ない子もいれば、
ちょっとしたきっかけで不登校になったり、精神的に大荒れになったり
する可能性のある、デリケートな子どももいます。
そういう子に被害が及ばなかったのは不幸中の幸いとも思うが
やはり人を信じきっている息子をこのような目に合わせることは
絶対に許せないと思っていること、
しかし、ここまであからさまなことをするのは、その子自身にも
大人にうけとめてもらわなければならない不全感や不満が
溜まっていたのではないか、とも思っていること、
また、今回は息子には「靴に画鋲」がどういう意味を持つのかは
「息子のために」教えないでおきたい、ということを
私たちのほうからは伝えました。

そして、もう2度とこのようなことが障級の子にはもちろん、
普通学級の子どもたちにも起きないように
先生方で子どものSOSを受け止め、事の重大さをみんなで考える機会として
この出来事を生かして欲しい、とお願いしました。

自分でも、ちょっとものわかりが良すぎるかな~、もうちょっと
ごねたら良かったかな~、とも思ったのですが(笑)
普段から人となりをわかっている先生たちだったから、
そうはできなかったのかも。
日ごろから信頼関係を積んでおくことはとても大切なことですね。

起きてしまったことはもう変えようがない。
でも、起きたことを無駄にしないことは、私たちにもできる。
息子に起きた、辛い辛い出来事を通して、何かが変わったら、
私たちが流した涙も押さえつけた憤りも、きっといつか報われるでしょう。

これからも、学校と綿密に連絡をとって、自分の子どもだけでなく
息子の仲間みんなを温かく見守り続けてもらえるような、
そんな環境を守っていきたいと思います。
私が息子の学校生活に求めるのは、「ありのままの自分を尊重してくれる
温かい人たちに囲まれて楽しく過ごした幸せな日々の思い出」なのですから。



画鋲事件・その3

2006年04月27日 | 時には泣きたいこともある。
さて、また一夜明けた土曜日(22日)の朝、障担からメールが届きました。
「昨日、この度の件について会議がありました。その結果を
 お家の方にご説明するため、午後、校長がお宅にうかがいたいと
 言っています」

そんなこと急に言われても、他人様に入っていただけるような
家の中ではありませんからして・・・
そこで、午後の教育大の訓練の帰りに、学校へ伺うので
そこでお話を聞きたい旨、電話で連絡しました。

その頃にはだいぶ私の気持ちも落ち着いてきて、少し客観的に
いろいろなことを考えられるようになりました。

息子はどちらかと言うと遅れがあることがはっきりしていて
周りの子どもたちからはかばってもらうことがしょっちゅうあります。
息子を知る人たちからは、「人から可愛がられやすく、反感を買いにくい、
得なタイプ」と言われつづけてきました。
息子の学年は息子と同じようにふんわりおっとりした雰囲気の子どもが
多く、息子には常に大人が一緒にいることもあって、
私の心配に反して、これまでからかわれたり嫌なことを言われたり
することすらありませんでした。

それが一足とびに「画鋲」。
なんだか今度のことは「息子に対する反感の表れ」というよりも
思いついていたずらをするときに、先生や親に言いつけたり、
犯人探しをしたり、仕返しをしてこない相手を選んだら、それが
たまたま息子だったんじゃないか、というような気がしてきました。

もちろん、彼(または彼女)のやった事自体はとても許せることでは
ありません。でも、6年生にもなって、こんなことをして結果がどうなるか、
そんな思慮すらない様子に、仲間が言ってくれたように、これはその子自身の
心の問題、その子が発するSOSでもあるのではないかと思うようになりました。


画鋲事件・つづき

2006年04月26日 | 時には泣きたいこともある。
障担はその夜、私と息子を心配してメールをくれました。

「それをやった子が何食わぬ顔をしているのかと思うと
 もう交流級へは行かせたくない気持ちです」
と私は返信しました。

もし、これが「靴に画鋲」の意味も、それがクラスメートの
仕業だろうこともわかる子だったら、明日またニコニコ笑って
学校に行けたりするでしょうか?
自分がやったことの結果を、その子に思い知って欲しい、という
気持ちもあったのです。

でも、翌朝、息子は何もなかったのようにニコニコ笑って
学校へいく準備を始めました。
ここで「学校を休みなさい」と言うことは、彼に
「クラスメートが自分に悪意を向けたこと」を
教えて彼を二重に傷つけることのような気がしました。
障担からも「どうか今日も登校させてください」と
メールが入っていました。
結局、ちびくまは何事もなかったような笑顔で登校しました。

その顔を見て、画鋲を入れた子は何か感じてくれたでしょうか。

その日の連絡帳には、模倣を防ぐため、全学年に
それぞれ一般的な指導をすることと、
その日、「なぜこのようなことが起きたのか」
「今後どのように指導していくか」の会議が行われることが
書いてありました。

その間、私はネット仲間に事の次第を打ち明けて、
彼女らと話し合いました。
私たちが以前から話し合っていたのは、「障碍のある子を
からかったりいじめたりするのは、その子自身が何か
大人にわかってもらいたい問題を抱えているから」と
いうことでした。

でも、いざ我が子がターゲットになったとき、すぐにそんなふうには
気持ちを切り替えられませんでした。

話を聞いた夫も、「そいつを捕まえてぶん殴ってやる」と
息巻いていましたが、私もそうできるならやりたいくらいの
気持ちだったのです。

それでも、息子は「靴に画鋲が入っていた」事実はわかっていても
その裏にある人の悪意を想像する力を持っていません。
私たちは、「周りの人を信じられること」こそが息子の生きる力に
なると信じて、何よりも息子が「ぼくの周りのひとはみんなぼくに
優しくしてくれる、守ってくれる」と感じていられるような
環境づくりに奔走してきました。
そのことを、こんな出来事で台無しにされたくない、と思いました。

世の中には悪意をもった人がいます。
今も「こわい人に連れて行かれてお家に帰れなくなるかもしれないから
知らない人にはついていかないこと」は教えています。
でも、学校の中でも同じように悪い人がいるのよ、とは教えたく
ないと思いました。いずれは教えなければならないかもしれないけど、
少なくとも今は。

それで、息子には「靴に画鋲が入っていたのは、誰かが
わざとやったものであること」は教えないことに決めました。



辛い出来事

2006年04月25日 | 時には泣きたいこともある。
先週木曜日(20日)のこと。
学校から帰ってきた息子が、私の顔を見るなりこう言いました。
「おかあさん、きょうね。ぼくのくつに、がびょうが
 はいってたんだよ~。あぶないね~」

靴に画鋲?慌てて、息子に問い直します。
「ちびくまくんの靴に画鋲が入ってたの?それ、いつ?
 朝学校へ行ったとき?それともお家へ帰ってくるとき?」
「かえるとき~」
「画鋲を見つけたとき、誰か先生と一緒だった?」
「えーとね、F先生~」
「じゃあ、F先生はちびくまくんのお靴に画鋲が入ってたの、知ってる?」
「しってるよ~」

頭の中が真っ白になりました。とりあえず、すぐ障担の携帯にメールします。
「今日、帰宅するなり『今日、僕の靴に画鋲が入ってたんだよ』との
 報告、ドキッとしています。本人の言では事情がよくわかりませんが
 介助のF先生がその場におられたとのこと、詳しい事情がわかるようでしたら
 お知らせください」

しばらくして、障担から返信がありました。
これまで携帯メールを使っていなかった障担、わざわざ自宅へ一度帰って
PCでメールを送ってくれたのです。

息子の靴の両方に1つずつが画鋲が入っていたことと、
その他の子の靴には1個も入っていなかったことが
わかりました。
息子の靴には名前が書いてありますから、誰かと間違えて、と
いうことではないだろうと思いました。
息子を狙って、誰かが画鋲を入れたのです。

障担のメールからは、学校側は交流級の誰かがやったものだろうと
考えていることが読み取れました。
下足箱はクラスごとに位置が決まっていますが、個々の名前はなく、
出席番号順に入れるところが決まっています。他の学年やクラスでは
誰かの靴を探すというのはかなり骨がおれることだからです。
画鋲という凶器を使われていた点からも重大な事件だと考えて
いること、すぐに交流担が交流級の子どもたちに問いかけをするほか、
全校的に対応を検討することも知らされました。

ここに何度も書いているように、これまで、息子の交流級の子どもたちは
もう低学年のころのようにべたべたするわけでも一緒に遊ぶわけでも
ないけれども、息子が困っているときにはさりげなく手助けしてくれたり
息子が頑張ったときにはすかさず褒め言葉をかけてくれたり
とても優しくおおらかに息子の存在を認めてくれていると思っていました。
その中に、息子を痛い目にあわせてやろうと考える子どもがいたことが
私にはとてもショックでした。

「どうして?どうして?息子が何をしたというの?
 なんでこんな陰湿な嫌がらせをするの?」

息子は、「靴に画鋲」がどんな意味を持つのか知りません。
「ねえ、おかあさん、どうしてがびょうがはいったのかな~。
 がびょうがはいってたらあぶないから、これからは
 がびょうがはいらないようにきをつけないとねえ~」
ニコニコしながらのんびりと言う息子がかわいそうで、
涙があふれてとまりませんでした。




それぞれの賢さ

2006年04月22日 | Wonder of Autism
アスペルガー症候群当事者で翻訳家・著作家としても有名な
ニキ・リンコさんが訳された「私の障害、私の個性。」(花風社)という本の
前書きに、リンコさんがこんな一節を書かれています。

「自閉者だけではありません。知的障害者にも、精神障害者にも、
 幼い子どもたちにも、『健常者』と呼ばれる人たちにも、
 その人らしい賢さの『かたち』があり、それが一人ずつ
 ちがっているのだと思います。」(花風社HPより)

これを読んだとき、私は本文そのものより強い感銘を受けたのです。
(原著者さん、訳者としてのリンコさん、ごめんなさい)

それぞれの賢さ。それぞれの無限の可能性。
「息子には知的障碍がある」というたびに
「どうして親の癖に子どもの可能性を信じないのか」
「どうして障碍を克服させる努力をさせないのか」と
言われては傷つき揺れた、私の迷いを吹き飛ばしてくれる
言葉でした。

息子には知的障碍がありますが、彼は馬鹿でも愚かでもありません。
障碍があるらしく見えないようになることは、
私と彼の目標ではありません。
訓練を受けることは息子の息子らしい賢さを伸ばし、息子が
生き生きと暮らしていけるように援助することで
知能検査や評価を受けることは、息子の認知にはどんな特徴があるのか、
それぞれの分野でいまどのあたりから手をつけるのが
息子にとって最良なのか、「息子らしい賢さのスタイル」を
考えるための手段にすぎません。

IQというのは、「その人がその時に、標準化された知能検査に
応える能力の高さ」を数値化したものです。
IQでは計れない「我が子の賢さ」と「その子にとっての幸せの形」を
見つけていくことは、障碍のある子をもった親にとって
とても大切な仕事であるとともに、ひょっとしたら
障碍のある子を授からなければ知ることのなかった喜びなのかも
しれないと思っています。

IQも高く、進学校・一流校というところを出ていても
結婚していてもお勤めをこなしていても、
自閉ゆえの不全感や生きづらさに苦しんでいる人が多くいることや
なまじ勉強ができ、「目だった障碍らしさ」がなかったために
成人になるまでなんの援助も得られなくて、人知れず苦しんできた人が
沢山いることを、私たちは知っています。
自らの傷口を開くような思いで成人自閉者の人たちが語ってくれる
経験から、貴重な教えを受ける幸運に、私たち世代は恵まれました。

そこから何を学び、子どもに何を与えていくかは
親である私たちの「賢さ」にもかかっているような気がします。

はだ市

2006年04月15日 | adorably autistic
とあるテストを受けていたちびくま、

「ちびくまくん、『はだし』ってどういうことかな?」と問われて
しばらく考えたあと、

「なに県にあるの?」と訊き返したそうです。

先生と2人で大笑いさせていただきました。
さすが我が息子。

そういえば
「靴下を脱いでね」と指示を出したことはあっても
「はだしになってね」と言ったことはなかったような気がします。
生活のなかで触れている語でないとわからないんですね。

神戸空港

2006年04月14日 | adorably autistic
今日は学校をお休みして、朝から息子と神戸へお出かけ。
中学進学の教育相談に使う予定の診断書をドクターに書いて
いただきました。

そのあと、とんぼ返りすれば給食に間に合う時間だったのですが
昨日本人に確かめると
「とちゅうからがっこういかない。こうべくうこういきたい」

実は前回受診の予約を取っていたときは春休みだったので
受診のあと新しくできた神戸空港を見に連れて行ってあげるよ、と
約束していたのですが、ちびくまが吐き下しの風邪にかかって
しまったので、キャンセルになっていたのです。

ちびくまとしては約束していたのに行けなかったところ、として
心残りなままだったのでしょう。自閉っ子の心残りは
できるだけ早く納得いく形で解消しておかなきゃ。
そこで、前回の予定と同じように、診察が終わったあとは
神戸空港へ行くことにしました。

神戸市営地下鉄とポートライナーを乗り継ぎ、空港に着きます。
3Fのガラス越しに少し飛行機を眺めてから、昼食を食べる候補の
お店を見て回ります。ちびくまは例によって
「ちびくまくんはカレーライスのおみせにします!」と言うので
滑走路に面した洋食レストランに入ることにしました。


ちょうどお昼時なのでレストランには行列ができていましたが
これも私が並んで、息子は私が見えるところで待っています。
席に案内される少し前に声をかけると、ちゃんと来ました。

テーブルについて、オーダーをし、料理が運ばれてくるまでの間
息子は席で伸び上がって飛行機を見ています。
お天気はあいにくの曇り空で、海もグレーに見えましたが
滑走路のすぐ向こうを行きかう船の姿も見えます。

それに飽きると、こんどはテープルに用意されたカトラリーを
1つ1つ取って、
「おかあさん、もんだい。これはスプーン、これはフォーク、これは?」
「えーーっとねえ、なんやろ。のこぎりやったかな?」
「ブブー。ちがいます。これはなんでしょう?」
「えーーとねえ、それじゃあ、ストロー」
「ちがいます。おかあさん、これはナイフです」
しょうもないボケですが、これで結構時間が稼げます。

まもなく、料理が運ばれてきました。
自宅ではいまだに手づかみ・うろうろ遊び食べなちびくまですが、
一歩家を出ると、ちゃんと席についたまま食事をし、
箸やカトラリーを使います。
本人もちゃんと家と公共の場の違いはわかっていて、
外では頑張っているのです。

途中で飛行機が目の前で離陸すると、その場で立ち上がって
手を振ってたのですが、これはまあご愛嬌ということで。

食べ終わった後は展望デッキに上って、フェンス越しに飛行機を
見ます。ちょうど時間帯が良かったのか、離陸も着陸も
2機ずつ見ることができました。

空港を堪能したあとは、直通バスで1時間強かかって帰宅。
その後療育センターまで飛んでいきました。
早速先生に「こうべくうこうへいきました」とご報告。
開港のニュースを見て以来、「行きたい」「行きたい」と
繰り返していたくらいなので、やっと念願かなって嬉しかったのでしょう。


それにしても、ちびくまを連れて外出するのは本当に楽になりました。
学校でこまめに外に連れていってくれていることもあるでしょうし、
やはり昨年秋の東京旅行の経験が大きな成長につながったようでもあります。

アメリカにいた頃にこれくらい落ち着いていたら、
もっといろんなところに連れて行ってやれたかもしれないなあ、と
ちょっぴり残念に思ったりします。


歯医者その後。

2006年04月13日 | Wonder of Autism
しばらくネタにしていませんでしたが、ちびくまの歯医者通いは
まだ続いております。

乳歯の最後の2本の抜歯、奥歯のシーラントを経て、
ドクターの提案は
「ここまでできるんだったら、歯石とりに挑戦してみない?」

実は、口内過敏のため、長い間あまり十分にはみがきが
できていなかったため、ちびくまの歯にはびっしりと
歯石がついているのだそう。

とくに下の前歯の裏は、歯そのものが見えないくらい
歯石がついているのだとか。鏡で見せてもらったら、
実に「タバコすってんのか?」と思うくらい
茶色いというか黄ばんでいるというか。

「取れるもんなら、取っておいたほうがいいんだよね。
 でも、音が結構すごいからね、それに耐えられないのに
 押さえつけて無理やりすることはないとは思うんだけど」

確かにあの歯石取りの音と歯にきーんとくる感覚は
息子にとってはかなりの難関かも。
それに、かなり長い間口をあけてじっとしておかないと
いけないし。

それで、息子に一度確かめてみました。
「ちびくまくん、ちびくまくんの歯の裏に、ばい菌の塊が
 ぎゅーってくっついてるんだって。それを取るのに、キーンの
 機械なんだけど、どうしよう。頑張って、先生にばい菌を
 取ってもらう?それともこのまま置いておこうか」

すると、息子は
「キーンがんばれる。ばいきんとってもらう」

え?ドクターと母のほうがびっくり。
「本人がその気になってくれたんだったらやってみようか。
 一番ひどいところだけでもいいし、長い間が無理なら
 ちょっとずつやっていってもいいし」

・・・というわけで、初めて歯石とりに挑戦したのが先週。
ちびくまは診察台の上で手を握り締めて硬直していましたが
休憩を二度入れながらも、一番ひどい部分の歯石を
無事とってもらうことができました。

今日はその続きで、残りの部分の歯石をとってもらいました。
2回目なので、少し緊張はゆるみ、でも、やっぱり音と感覚は
嫌なのか、指先まで硬直したままでの治療でした。

でも、これで無事に歯石とりも完了。
「いやあ。びっくりした。ここまでできると思わなかった。
 あと、来週、もう一度全体を磨いて、フッ素塗布したら
 完了かなあ」
とドクター。

ちびくまは終わるとすぐ「ありがとうございました~」と叫んで
待合室のトイレに逃げ込みました。

受付の奥さんも
「ちびくまくん、がんばってくれてますね~。
 全然問題なかったですね~」

ドクターがいちいち器具の説明をしたり
処置の説明をしてくれたりと手間をかけてくれたおかげで
ちびくま自身も頑張る力が発揮できたわけで

これはやはり本人の頑張りだけでも周りの人の
支援だけでもだめなんだろうな、と思います。

もっと早く歯医者にかかっていたらよかったのかもしれないですが
これが1年前だったら無理だったかも知れないですし
一度押さえつける経験をさせてしまっていたら
こうはスムーズにいかなかったかもしれません。

ちょっとしたタイミングで、それまで無理だったことが
すごくうまくいくことがある。

「啐啄同時」という言葉がありますが、自閉っ子と付き合うにも
それは大事なことかもしれない、と思ったりします。