雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

耳はネイティブ?

2010年07月25日 | Wonder of Autism
息子本人よりも私の方が特別支援学校に馴染めぬまま
迎えた夏休み。

連日の暑さにもめげず、息子は毎日ご機嫌です。
週3回はヘルパーさんにプール行きにつきあってもらう
予定も出来ています。

家では、PCで車・バス関係のサイトを見たり、動画サイトで
日本やアメリカの子ども番組を楽しんだり、
CDやカセットやネット動画に合わせて大声で歌い、
「ひとりカラオケ大会」をしていることも。

少し前までは人前で歌うのが嫌いで、たとえ一緒にいるのが
母親の私だけであっても大きな声では歌わず、
私が入浴中で部屋に1人になっているときや
逆に自分の入浴中に風呂場で歌っていたのですが、
最近は親が同じ部屋にいても大して気にならないようで

大きなバランスボールに乗って飛び跳ねながら
大きな声で歌っています。楽譜は全く読めない子ですが
歌詞とリズムと音程は正確です。
耳の良さと短期記憶・長期記憶の力のたまものです。

でも、何気なく聴いていてびっくりしたことに、
息子は、日本語の歌だけでなく、
フォスターやディズニーの映画音楽や
ABBAのCDなんかでも、きれいにコピーしているのです。

私なら歌詞カードを見せてもらっても口が回らないような
早口の英語を、数度聴いただけで、ステレオ録音のように
合わせて歌っている様子は、とても障碍のある子には
見えなかったりします。(でも、同時に跳んだり踊っている
姿は、誰がどうみても普通ではない(爆))

試してみたら、日本人が最も苦手とするといわれている、
LとRの音も聞き分けて、発音もし分けていることもわかりました。

アメリカにいて、自然に英語が耳に入っていたのは3年ちょっと、
実際に英語で話しかけられる環境にいたのはわずか一年半。
発語すらあやしかったあの時期に、英語の音の基礎がきっちり
できている、というのはなんとも不思議な感じがします。

でも、見たものと音を結びつける力の強さが
「しゃべれないけれど字は読める」ということに繋がった
のだろう、とか、
よく不思議がられる、自然なイントネーションや
絵本などを朗読するときの情感のこもった読み方も、

しゃべることは決して得意ではないけれど、
自閉っ子のコミュニケーションの例としてよく言われる
「しゃべるよりメールなどのほうが得意」ということは
全く当てはまらないことなども

なんとなく謎が解けてきた感じです。

「わからない、理解できない」ことが減った分、
私の「息子と付き合う力」もバージョンアップしてきたんだろうな
と思っています。


9年目に解けた謎

2007年07月11日 | Wonder of Autism
無料動画配信サイトとして有名なYou tube
ちびくまはなぜかこのサイト検索の達人で、大好きなアニメの
外国語版だとか、よその国のCMだとか、お気に入りのビデオを
どんどん探し出しては、毎日楽しんでいます。

そんなちびくまが、今日何度も再生しては笑い転げていたのが
このビデオ(注:音が出ます)。
これは、私たちが米国に住んでいたころPBSというチャンネル
(日本で言うNHK教育テレビのような感じ)で放映されていた
"Puzzle Place"という小学生向けの番組のエンディング部分です。
そして、私にも何度も画面を示して、「どうだ、面白いだろう、
びっくりしただろう」と言いたげなのです。

まあ確かに、あの頃家ではちびくまの強いこだわりで、一日中
ずっとTVをつけておかねばならなかったので、せめて教育番組なら
さほど害はなかろうと、幼児向け・小学生向けの教育番組や
ニュース放送ばかりをつけていましたので、

"Puzzle Place"の番組自体には全く今日興味を示していなかった
ちびくまが、当時頻繁に耳にしていただろうそのフレーズを見つけて
面白く思うこと自体はさほど驚くことではないのだろうと思っていました。

ところが、ちびくまが言いたいのはどうやらそんな単純なことでは
ないらしく、私の反応を見て、いかにも不満そうなのです。
そのうち、自分が言いたいことを私がわかっていない、ということに
気が付いたらしいちびくま、にやっと笑うと、
「お母さん、『あ~そんで~で~』だよ」
あっ、と思いました。

まだ、アメリカの養護幼稚園に行きだしたばかりのころ。
ちびくまと私の言葉を介したコミュニケーションと言えば、
ちびくまが持ってくる絵本を読んでやることと、
ちびくまが私に言って欲しがるフレーズを
オウム返しに言ってやることくらいしかありませんでした。

そんなフレーズの1つに、「あ~そんで~で~IBM」と
いうのがありました。
「遊んで」という意味ではなさそうでしたが、どこが出処なのか
全くわかりません。当時私の使っていたPCがIBM製だったので
そのせいかとも思いましたが、なぜこういうフレーズになるのかは
全く謎のままでした。

でも、ちびくまが私に「あ~そんで~で~?」と
振ってきたときに、すかさず「IBM!」と返してやると
それはそれは嬉しそうな顔で笑うので、私は随分このフレーズを
口にしたものです。原因のわからないパニックで大泣きされたときや、
スーパーの床に大の字にひっくり返られたときにも、彼をなだめるために
何度もこれを繰り返しました。

「え?ちびくまくん、あの『あ~そんで~で~』って、
 このことだったの?」
ちびくまはまたクククッと笑って、「間違ってたね~」と一言。

つまり、このビデオに出てくる最後の部分、
"The Puzzle Place is supported by IBM."のフレーズが
当時の彼には「あ~そんで~で~IBM」に聞こえていて、
そのフレーズが彼のお気に入りになっていたのだ、ということを
9年後の今になって初めて彼自身が説明してくれたのでした。

彼がどうやってその動画を見つけたのか、意図的に探したのか、
偶然見つけたのか、探したのだとしたらなぜ今になって、
そしてどういう方法で探し出したのか、は依然謎のままです。

でも、昔、なぜなのかわからなかった謎をこうやって彼自身の口から
説明してもらえることが、これから段々に増えてくるのかも
しれない、と、ちょっぴり楽しみな気もしているのです。

バスまつり

2006年09月18日 | Wonder of Autism
今日は地元のバス会社の営業所で開かれる「バスまつり」。

普通のお祭りや子ども向けのイベントにはまったく興味を示さない
ちびくまですがこの「バスまつり」の事はいったいどこで耳に挟んできたのか、
何日も前から
「おかあさん、18にちはバスまつりにいこうね」と
催促の嵐でした。

少しお天気が心配だったのですが、どんより曇りの空にかすかに
日がさし始めたこともあり、予定通り息子と2人で出かけていきました。

営業所の構内には、展示用のバスが4台並んでいます。
でも、ちびくまは、それを一通り見たあとは、営業所の端っこに
しゃがんで、その後ろにずらりと並んでいる、普通の(展示用でない)
バスを眺め始めました。

中に2台、「教習車」の看板を上げたバスが止まっていましたが、
ちびくまが眺め始めてまもなく、それぞれ4~5人の運転手さんたちを
乗せて、相次いで発車しました。路上教習なのでしょう。
営業所の出口に向かってゆっくりと動き始めたそのバスに向かって
ちびくまが「バイバーイ」と手を振ると、バスの中から運転手さんたちが
手を振り返してくれたので、ちびくまは大喜び。

しばらくバスを眺めた後は、運転手さんたちが焼いて売っている
やきそばとフランクフルトを買ってお昼にしました。

昼食後はバスの洗車体験。バスに乗って、専用大型洗車機でのドライブスルー
洗車を体験できるのです。1回の洗車に使われる水は300リットルとの
ことで、大迫力。これにもちびくまは大喜び。
バスに乗るときには自分から運転手さんに「よろしくおねがいします」
降りるときには「ありがとうございました」と挨拶もしていました。

その後は去年もあった、クイズ大会。昨年の「東京行き夜行バス
往復ペアチケット」獲得
に続き、今年も、と意気込みましたが
そうは問屋がおろさず、商品がもらえるぎりぎりのところで
惜しくも敗退してしまいました。

さて、それで再度展示バスのところへ戻ったところ、先ほどの
洗車体験でガイド役を務めておられた運転手さんに会いました。
「洗車、もう乗ってこられましたか?」と訊かれて「はい、さっき
乗せていただきました」と答えると、「そうですか、じゃあ、このあと
クイズ大会がありますから、そっちもどうぞ。豪華商品がでますよ」と
言われるので、「はい、実は去年1等を頂きました」と言うと、
「あ、思い出した~、そうだそうだ、F地区にお住まいでしたよね、確か。
 それで、子どもさんがバス好きで~、と言ってはった、ああ、それが
 このボクですか~」

なんと1年前のことをしっかり覚えておられたのです。
「そうか、ボク、バス好きなん?」と訊かれて、ちびくまは「バスすき」。
「もうマニアでしてね、最近なくなったラッピングバスのナンバーなんかも
 全部覚えてますよ」と私が言うと、
「へえ、すごいな。じゃあ、青いのは何番やった?」
ちびくまは済まして、「○○○○」
「あたり!じゃあ、××××は何色?」「オレンジ」
「じゃあ、黄色いのは何番?」「△△△△」
「即答や~、すごいなあ。じゃあ、○系統は何行き?」

・・・・と延々マニアックな会話が。
運転手さんは「わあ、こんなにすっと答えが返ってきたら
むっちゃ気持ちええわあ。なあ、ボク、大きくなったら
うちの会社おいでえな。なんやったら所長に紹介しよか?」とニコニコ。
(ぜひお願いしますう~)

バスマニア同士、大いに通じるものがあったようです。

バス祭り終了の時間になって、夫に車で迎えに来てもらっても
ちびくまは車に乗る前にわざわざその運転手さんのところまで
走っていって、「ありがとうございました~」と挨拶し、
「今度ぼくのバスに乗ったら声かけてな~」と言ってもらっていました。

好きなもののことなら、ちゃんと人と会話もできるし、
社交的に振舞うこともできるんですね~(笑)

会場には息子のお仲間(?)・先輩(?)と思しき人も
沢山いました。中にはずっと独り言を言っている人も・・・。
でも彼らも、ちゃんと仲間でつるんでいたり、運転手さんたちと
マニアックな会話を楽しんでいたりするのです。
息子も大人になったらあんなふうになるのかなあ、なんて
思った一日でした。

おむつばなれ(その2)

2006年08月03日 | Wonder of Autism
タイトルから推察できるとおり、今回もビロウな話ですので、お食事中には読まないでくださいね。

とうとう紙おむつが最後の1枚になったのは、交流キャンプに
出かける朝でした。
私はちびくまに「これで最後だよ」とそれを見せてから
荷物につめました。万が一おねしょをするようなことがあっては
いけないので、夜宿舎で履かせてもらおう、と思ったのです。

でも、翌日、ちびくまはそのオムツを未使用のまま持ち帰ってきました。
先生が忘れたのかはたまた必要ないと判断したのか、あるいは
息子が履くのを拒否したのかはわかりません。

そして、帰宅するとすぐ、履いていた布パンツを脱ぎ捨てて、
その紙おむつに履き替えました。
「ちびくまくん、それが最後のダイパーだよ」と声をかけると、
はっとしたように私を見ましたが、そのまま遊び始めました。

その夜、ちびくまがなんだかごそごそ家の中のあちこちを探っています。
「ちびくまくん、なにを探してるの?」と訊くと
「ダイパーがなくなっちゃったの」

私がまだどこかに紙おむつを隠しているのではないかと思って
探していたようです。でも、そんな中途半端な覚悟で、11年半も引きずった
強いこだわりに対抗できると思うほど、私も甘くはありません。
「ちびくまくん、さっき履いたのが最後のダイパーだよ。もうダイパーは
 おうちにはありません」

ちびくまはしばらく考えて「・・・ダイパーは廃車?」
彼は何かが使えなくなることを車にたとえてこう言うのです。
「そう、廃車になったね」
「新車はアンダーウェア?」
「そうよ」
「でも、ちびくまくんはダイパーがはきたいの」

彼が言葉で主張したことを無視することは滅多にありませんが
ここは頑張りどころ。
「アンダーウェアを履いてね」と布パンツを渡しました。

ちびくまはしばらく無言でパンツを見つめていましたが、
やがてそれをはくと、トイレに入っていきました。
便座に座ると、少しいきむ様子が見られます。
これまでちびくまは「大」はいつもオムツを履いてしていました。
でもどう探してもオムツが見つからなかったので、ついに諦めたのでしょう。

「わあ、ちびくまくん、トイレでうんちするの?すごいなあ、かっこいいなあ」
すかさず褒めにかかります。
気を良くしたのかちびくまも珍しく「うーん、うーん」と声をだして
いきみます。私も彼の前に立って、一緒に「うーん、うーん」
無事に排便できました。後始末はまだ難しいようなので、私が
介助します。息子は最後に水を流して、トイレから出てきました。

「やったあ、ちびくまくん、おうちのトイレでもうんちできたねえ。
 すごいねえ、さすが6年生だねえ、なんておりこうさんなんやろ、
 ちょっと抱っこしてもいい?」
私はひたすら褒めちぎり。息子はまんざらでもないような顔で
ちょっと私とハグをしました。

その翌日もまたその翌日も、ちびくまはひとしきり紙おむつを
探しては、「ほんとうにダイパーなくなっちゃったのかなあ」と
つぶやいていました。

でも、その夜、「おかあさん、なんだかお尻がむずむずするよ」と
言い置いてトイレに入ったのを追いかけていくと、またしっかり
「大」ができていました。
もちろん、今回も褒めちぎり大会です。

7月31日の登校日には連絡帳に事の次第を書いて、障担からも
「ダイパーなし」で過ごしていることを褒めてもらえるよう依頼しました。
障担はしっかり周りの子どもたちにもそのことを披露して、
みんなで拍手をしてくれたようです。

そして今日。ちびくまは4回目の「トイレでうんち」に成功しました。
まだダイパーに未練はあるようですが、夜の失敗も最初の1晩だけで
その後は早朝にトイレに走っていく姿も見られるようになりました。

どうしても本人にとって苦痛であるならば、もう一度ダイパーに戻すという
選択もあり、と考えてはいたのですが、この分ならなんとか頑張れるのでは
ないかと思います。本人に他のストレスが少ない夏休みを選んだのも
正解だったようです。

ちびくまのトイレットトレーニングは、結局長い長い「待ち」の集大成でした。
焦らずせかさず、でも諦めず。子どもを信じてじっと待つことも、
時には成長のために必要なのだと思います。
何ヶ月も何年も辛抱強く待ちながら、わずかなチャンスを見逃さないように
じっと見続けていること、ちょうどいいタイミングでちょうどいい強さで
子どもの背中を押すことは、親だからできることかもしれません。

でも最終的に頑張ったのは息子。だからこれは「おむつはずし」ではなく
「おむつばなれ」です。
ちびくまが、また1つ大きな自信を抱えて2学期を迎えることができるよう
願ってやみません。




おむつばなれ(その1)

2006年08月02日 | Wonder of Autism
タイトルから推察できるとおり、今回はビロウな話ですので、お食事中には読まないでくださいね。

これまでも何度か触れていますが、ちびくまは身辺自立の分野の
遅れがもっとも目立ちます。特に排泄は鬼門でした。

アメリカの養護幼稚園と日本の通園施設、2つの施設での
トイレトレーニング、それに家での排泄の躾(あせって何とか
しようとして、7時間一緒にトイレにこもったことも)にも失敗した結果、
ちびくまは排泄についてはかなり強いマイナスのこだわりを持ってしまい、

小学校に入るころには、布パンツを履くことにも、トイレという場所に
入ることにも強い拒否感を示すようになっていました。
また、紙おむつ以外に排泄することはできず、たとえ紙おむつを履いていても
自宅以外の場所では一切排泄ができない状態が続きました。
日々の学校生活ではもちろん、1泊2日のキャンプですら、1度も
おしっこをせずに帰ってくる始末だったのです。
これは、息子の生活の質に関わる大きな問題でした。

ただ、過去の失敗から、私は息子の気持ちがほぐれることが
この問題の唯一の解決法だと考えるようになりました。

そこで本人の「いやだ」という気持ちは否定せず、先生たちとスクラムを組んで
本人のプライドややる気を少しずつ少しずつくすぐっていった結果、
学校へは布パンツを履いていけるようになり、やがて5年生のとき、
障担と学校のトイレに行って排尿に成功(トイレ記念日)、
そのすぐあとの自然学校では6日のあいだきちんとトイレに行き、
無事に帰ってきました。(2005年6月のブログ参照)
それで自信をつけたのか、ちびくまはその後は「外出先では
トイレ、家では紙おむつ」で排尿するようになりました。

一方、大のほうは、ほとんど進展がありませんでした。
今年の5月、訓練会の宿泊先のトイレで1度だけ成功したものの、
その後はまた紙おむつのなかに戻ってしまいました。

ところが、6年生になって急に縦にも横にも伸びたちびくま、
一番大きいサイズの紙おむつが、ビキニブリーフよろしく
ぴちぴちパツパツになってきてしまいました。お腹や太ももに
ゴムがくいこんだあとが真っ赤になり、暑くなってきてからは
本人も不快なのか、脱いでしまってフリ○○で遊んでいることも
多くなりました。

これはそろそろ紙おむつ卒業のチャンスなのかもしれない、と
私は考えました。そこで「ちびくまくんが大きくなったので
ダイパー(紙おむつ)が小さくなっちゃったんだねえ。
でも、もうこれより大きいダイパーはないから、今お家にあるのが
なくなっちゃったら、アンダーウェア(布パンツ)にしないとねえ」
と話をしました。

これまでは紙おむつを切らしたら大変という気持ちと少しでも
安く買おうという気持ちがあって、いつも紙おむつが買いだめして
あったのですが、ここはぐっと我慢、もう追加は買わずに
ストックを使い切った時点での切り替えを目指すことにしました。

そして、ちびくまに毎日、でもさりげなく、「ああ、ダイパーが
あとこれだけしかないわ。これがなくなったらアンダーウェアにしないと」
と減っていく在庫を確認させ、最後の1袋になったときには
「この袋がなくなったらダイパーはおしまいです」と宣言しました。

ちびくまは、「ぼくはダイパーがいいです。アンダーウェアは
はきたくない」と主張しますが、
「だってこれより大きいのは売ってないから、ちびくまくんが
はけるダイパーはもうありません。これからはアンダーウェアを
履いてね。」とこちらもきっぱり。

その上で小さな声で「じゃあ、これからはちびくまくんはアンダーウェアの
中でおしっこやうんちをするのかなあ」とひとりごとのようにつぶやいてみると

「あるべき姿」にこだわりのあるちびくま、すかさず
「アンダーウェアのなかでおしっこやうんちはしません!」と
言い返してきます。
「え?じゃあ、どこでするの?」と訊いてみると
「トイレです!」

「ええっ?でもちびくまくんはトイレでおしっこやうんちはできないでしょ?」
「できる!ちびくまくんは、トイレでおしっこやうんちができる!」

・・・しめしめ。
かくて「完全おむつばなれ」を目指して、ダイパー在庫のカウントダウンは
進んでいったのでした。

別人。

2006年07月16日 | Wonder of Autism
今日は月に一度の動作法の訓練会。
トレーニーの子どもたちは下は3年生から上は19歳まで8人、
それにスーパーバイザーの先生が2人、あと指導や勉強に来てくださる
先生方が数名、先生たちは全てボランティアです。

この春から、スーパーバイザーの先生が、勤務先の養護学校の
若い先生たちにも声をかけて、新しく来てもらえるように
誘ってくださいました。

今日、ちびくまと訓練室に入ると、中に既に座っていた
初参加の若い女性の先生が「あっ」と声を上げました。
「ちびくまくん、すごく大きくなってる~」

実はこのF先生、ちびくまと私がアメリカから帰国した2000年に
今も通っている教育大にお世話になるようになったとき、
そのゼミの院生1年生だったお嬢さんなのです。
修士課程を終了後、別の県で養護学校の先生になり、
今回郷里の兵庫県で採用になって地元の知的障碍養護学校に
着任されたのでした。しかも、M小でちびくまを3年生から5年生までの
3年間担任してくれたK先生と同じ学校、同じクラスの担任。
世間って本当に狭いんですね。

さて、訓練が始まると、親子でそれぞれ訓練を進めながら
要所要所で先生方の指導を受けます。
ちびくまにも、M先生が指導をしてくれ、その間も
F先生はちびくまの様子を近くで観察していました。

「どうや、ちびくまくん、これはきついか?」
「ううん、だいじょうぶ」
「じゃあ、こうしたらどうや?」
「あっ、きつい」
「そうか、これはきついか、でもちょっとがんばってみよか」
「はい、がんばってみます」」

そんなやりとりをしながら訓練をすすめるちびくまとM先生の様子を見て
F先生は「すっご~い、別人みたい~」。

それもそのはず、F先生が知っているちびくまは、まだほとんど
日本語が通じず、発語もほとんどが英語で、しかも独り言のようなものが多く、
課題に誘っても反応がなかったり、途中で逃げ出したり、
そもそも教室に入ろうとしなかったり、という状態だったのですから。
言語指示に従うことは皆無ではなかったけれども、言語で相手と
「やりとり」をしながら行動できるようになる、とは、当時の彼の姿からは
ちょっと想像できなかったに違いありません。

ごく限られた場面でごく限られた相手に対して要求を伝えるだけだった
ちびくまの言葉がぐんと伸びたのはやはり小学校に入ってからです。
マンツーマンで、決して強くない発信をしっかり受け止めてもらい、
語彙もコミュニケーション能力も驚くほどの成長を見せたのです。
今、ちびくまの周りに、彼が話し言葉を持たなかった頃や
日本語を理解しなかった頃があったことを実際に知る人はほとんどいません。

「どうりでK先生と私と話が食い違うはずですよ~。私、そろそろ
 ちょっとくらいおしゃべりができているかな、と思ってK先生に訊いたら
 『ぺらぺらしゃべってますよ、会話ができますよ』って言うし~。
 なんだか私の記憶にあるちびくまくんとは、完全に別人ですよね。
 すごいな~、こんなに伸びることがあるんですね」

ちびくまの昔話や、懐かしいK先生やお友だちのお子さんの近況などで
すっかり盛り上がり、訓練が終わった後も楽しくおしゃべりしてしまいました。

親は毎日子どもを見ているので、子どもがどれだけの進歩を遂げてきたのか
忘れて、愚痴や不満が出ることがあります。
でも改めて我が子の「来し方」を見直させてもらって、また新たな気持ちで
息子の成長をこれからも応援していこうという気持ちになることができました。

こうして、ちびくまの「応援団」は、1人また1人と輪が広がっていきます。


ちびくまの作文

2006年06月27日 | Wonder of Autism
ちびくまが学校で修学旅行について作文を書きました。

6月21日と22日に広島とチボリ公園に修学旅行に行きました。広島に着くととてもあつかったです。平和公園で、お弁当食べてその後平和学習をしました。広島のことや原爆のことがよくわかりました。

それからフェリーに乗って宮島に行きました。船の中に車が乗っていたのでおどろきました。ホテルには、F君と同じ部屋でゆっくり過ごしました。夕食を食べてお買い物にも行きました。S学級(障級)のお友だちにおみやげを買いました。帰ってきてからお風呂に入りいつも(より)早くねました。

2日目は、雨がふっていました。少し気になりましたがチボリ公園へ出発しました。また、フェリーボートに乗ると車がまた船に乗っていたのでわらってしまいました。チボリ公園に着くとM先生(障担・体調不良のため途中で合流)がいました。お昼にサンドイッチを食べてそれから乗り物に4回乗りました。一番気にいった乗り物は、かんらん車です。そしてチボリでもおみやげを買いました。それは、ぼくが気にいったおもちゃです。ずっと雨がふっていましたがとても楽しかったです。修学旅行にいってとてもよかったです。○○に着くとお母さんがおむかえに来てくれていました。ぼくは、元気に「ただいま」と言いました。お母さんは、「おかえり」と言ってわらっていました。いい思いでもいっぱいできた楽しい修学旅行でした。


*()内は母の注釈

多分先生のヒントで書く要素を整理し、順番に文にしたものと思いますが
一応きちんと作文の形になっていますね。

しあわせ

2006年06月02日 | Wonder of Autism
ちびくまは週に一度、市の療育センターで感覚統合療法の
訓練を受けています。

今日もセッションのあと、OTの先生から訓練の様子を
うかがっている間、待合室の玩具で遊んだり、うろうろと
歩き回ったりする息子。

そのちびくまを見ながらOTの先生が
「ちびくまくんって、なんか見てるだけでしあわせになりますよね
 ずーっと見てたいくらい」

いえ、私は彼の母親ですから、もちろん息子が世界で一番可愛くて
一番癒される存在なんですけどね。

息子の先生にまでそんなふうに言ってもらえると、
息子がいるしあわせがもっともっと膨らむ感じ。

なんだか照れちゃって、そこに大きく反応はできなかったのだけど、
先生、ありがとう。
あなたの言葉は、息子の存在と同じくらい、私をしあわせにしてくれましたよ。

春の遠足

2006年05月31日 | Wonder of Autism
今日は障級の春の遠足。
ちびくまはいつもより30分以上も早く起きて、
「おかあさん、おきがえします。おようふくだしてください!」と
大張り切り。「バスのなかでみせてもらう」とビデオテープも
しっかりリュックに入れて、準備万端です。

バスで出かける遠足の朝は、いつもの通学バスには乗らず、私が
車で集合場所(M小の周囲の道は細くてバスが入れないのでバス遠足のときは
別の場所で集合になる)まで送っていく、というのが息子のこだわりでしたが
6年生になったらそろそろ通学バスに乗っていく、と言ってくれないかな、
という私の目論見はあっさりとはずれ、今回もまた車で送るはめに
なりました。どうやら卒業までこのパターンでいくつもりのようです。

1年生のときから遠足のたびにこれなので、集合場所に着いても、
もう母が送ってきた理由さえ訊かれません。
車を降りた息子は、すぐに担当の介助の先生と一緒に
入ってくる通学バスを見たり、トイレに行ったり、で、もう母は用無し
なのですが、せっかく来たのだから子どもが全員揃い、遠足のバスが
発車するのを見送ってから帰る、というのが、これもパターンになって
しまいました。子どもが揃うのを待つあいだ、担任以外の先生たちとも
ちょっと世間話なんかできるのも、すっかり私の楽しみになっています。

ちょうど隣のクラスのH先生と「今日は暑くなりそう~」と話しているところへ
通学バスが1台到着。ぽっちゃり可愛い1年生のSくん、バスの中で
既に大泣きです。いつもは学校へ向かうバスが、今日は別の場所へ
向かいだしたので、納得がいかないんでしょうね。

でも、介助の先生たちはちゃんとこうなることを予想していて、
別の刺激にさらさないうちに、彼をまっすぐバスの中に連れて行く
算段を立ててありました。その対応に感心しながら、まあるい顔を
くしゃくしゃにして泣いているSくんに、思わず「かわいいなあ」と言ったら

H先生が満面の笑顔で「ほんま可愛いやろ?Kのミニ版や。1年生のときは
Kもあれくらいやったのにな~」と、まるで「可愛い孫の自慢話をする
おじいちゃん」。(H先生、ごめんね

Kくんというのはちびくまの同級生で、H先生が通算4年
担任をしている男の子。入学式もはじめてのお泊り経験も自然学校も、
H先生が付き添ってきました。そして修学旅行も卒業式もH先生が
付き添うことになります。

ちびくまの仲間には、半端でなく手のかかる子も沢山います。
時々、「おいおい、勘弁してくれよ~」と
ちょっぴりぼやいたりしつつも、とりわけ手のかかる子どもたちを
「その分可愛い」とまるで我が子のように可愛がってくれる
障担の先生たち、介助の先生たち。

こんな人たちに囲まれて、親では連れていけないようなところにも
連れて行ってもらい、楽しく遊べる遠足が普通学級のお子さんたちの
倍もある、この子達の学校生活はほんとうにおいしいなあ、と改めて
思ったのでした。

ちびくまは、「ぼくは、らいねんの4がつからはちゅうがくせいになるから、
もうえんそくにはいけないんだね」と、これが最後の春の遠足だということを
わかっているようです。この1年はすべての行事に「最後の」がつきます。
1つ1つの行事を、息子とともに胸に刻みながら、大切に過ごしたいと
思っています。

こくっぱ家の秘密

2006年05月16日 | Wonder of Autism
自分のことのようにドキドキわくわくしながら待った、NHK教育
「福祉ネットワーク」「こくっぱ家の人々」の放送。

予め息子に「今日は夜8時から、お母さんにテレビ見せてねっ」と頼み、
ビデオもセットして、テレビの前に陣取って見ました。

こくっぱの母さんとは、1999年に「ことばと発達の学習室」の掲示板で
知り合い、その後やりとりを重ねて昨年一緒に「とことんこのこにこだわって」を
出版した仲間です。お互いの子どもの行動についても、ずっと一緒に考えたり、
笑ったりしてきました。

母さん本人とは昨年学会で会えたのですが、小さい時から
その育ちを知っている4人の子どもたちとはこれが初対面(?)。
「うっわ~、大きくなってるなあ」
「うわ~、かあちゃんそっくり」
まるで久しぶりに見る親戚の子どものように、その成長ぶりに惚れ惚れしながら
あっという間の30分でした。

番組のナレーションでは、母さんは子どもの発達に長い間悩み、
辛いことも辛抱して今の境地にたどり着き、今も子どもの発達に
あわせる為に我慢や努力をしているような印象だったけど

ほんまもんのこくっぱ母さんは、きっと我慢もしてなければ
努力してもいない、と言うだろうな、とも思いました。
障碍があるから療育をしなくちゃ、って言うけど、親ができる
一番の療育は、「その子のものさし」を探って、それにあわせて
丁寧に子どもを育てることなんじゃないか。
「療育は丁寧な子育て」そんな名言を、彼女は既に6年も前に
自分のものにしていたのだから。

将来のために子どもの今を犠牲にするのではなく、
その子が「今日も楽しかった」と思いながら眠りにつけるような、
そんな生活を用意すること、「おかあさんはいつでもぼくを
受け止めてくれる、わかってくれる」そんな安心基地になることこそが
どんな専門家にも真似ができない、親の役割であり、特権でもあると
私は思います。

それは障碍があってもなくても、おそらく根本の部分では
変わらないだろうと思うのです。

障碍のある子とない子、それぞれの個性を尊重しながら、
ごく自然体で「生活」しているこくっぱ家、
「子どもとの日々は毎日おもしろいことがいっぱい」と言う
こくっぱの母さんのほがらかな笑顔、子どもたちの明るい笑顔から
きっとみんなが元気をもらったことでしょう。

本当は取材スタッフが撮りためた、お宝映像がまだまだ他にも
あるらしいのですが・・・
どうせなら、「にんげんドキュメント」にでもしていただきましょうか。
みんなでNHKにメール送れば実現するかも。

見逃した方、再放送は23日(火)13:20~です。
今度はお見逃しのないように。