雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

積み上げたもの

2011年11月26日 | 驕らず焦らず諦めず
私たちの住む町の公共施設で、毎週土曜日
無料で卓球台を貸してくれるところがあります。
珍しく何も予定の入っていない土曜日、
「いっぺん行ってみようか」と息子と2人で
出かけてみました。

カウンターで「卓球したいんですけど~」と
申し出ると、結構人気があるみたいで、
1時間待ちだとのこと。
しかたがないので、息子は近くのバスターミナルで
バスと車見物、私は隣のショッピングセンターを
うろうろして時間をつぶすことに。

「ひょっとしたら、1組キャンセルが出て早くなるかも」
と言われていたので、少し早めに1人で様子を見に行ったら
結局キャンセルは出ていなかったのですが、カウンターに
なんだか見覚えのある人が・・・

「あれ、Nさんじゃないですか?」
「そうですけど、えっと、ごめんなさい、お名前が・・・」
「Mです。アメリカから帰ってきた時お世話になった」
「ああ!まあ、お久しぶりですね。もう、大きく
 なられたでしょうね」
「今、高等部の2年です」
「まあ、そう!どうですか、その後、落ち着かれてますか」

アメリカからの帰国が決まって、市役所の福祉課へ国際電話を
かけて相談したときに対応してくれ、その後息子が燐市の
通園施設へ編入することになるまで、受け入れ先探しや
手帳取得などのあれこれを担当してくれた職員さんなのでした。

今はこの施設を運営している外部団体の職員さんになって
このセンターの受付と事務を担当しているとのこと。

なにしろ、意に反して急にこのS市に帰ってくることになって
それまで大学病院のICUにいた患者が
いきなりまじないで病気を治そうとする村に放りこまれたかのように
親子でとまどい、パニくり、不当な扱いや無理解や無策に怒り、
悔し涙を流しまくっていた頃のことですから

この人個人のせいではないとわかっていても
お世辞にも楽しい思い出がある相手ではなかったのですが
それでも「懐かしい」と感じ、今は素直に「その節は
お世話になりました」と笑顔で挨拶できるようになったのは

結局のところ、私も息子もトータルでは出会いに恵まれ、
息子が昔の笑顔もそのままに、ここまで心身ともに健やかに
育ってくれたからなのかも。

自閉の診断を受けてから13年、日本に帰ってきてからもうすぐ
12年。あっと言う間だったし、私自身は何一つ
大きなことを成し遂げたわけではないけれど、

日々の生活の中で、「自分が大切にしたいもの」を見失わず
1つ1つ積み上げてきたものが、昔は想像もできなかったような
今の穏やかな生活と心持ちをもたらしてくれたのかもしれません。

息子とひとしきり卓球を楽しんだ後、受付に借りたピン球を
返しにいったら、Nさんから話を聞いてたのか
他の職員さんたちも口々に息子に声をかけてくれます。

「卓球、上手ね」
「おかあさんと、ずいぶんラリーが続いてたね」
「おもしろかった?また来てね」

「はい。おもしろかったです。また来たいです」
と息子はにっこり。
「おかあさん、卓球楽しかったね~」と言いながら
ご機嫌で帰途についたのでした。




涙の年越しそば

2010年12月31日 | 驕らず焦らず諦めず
とうとう2010年も終わり。
愛用のPCが壊れたり、父が亡くなったり、他にもあれこれと
なんだかここ数年で一番波乱万丈の1年だったような気がします。

父の喪中なので、今年は年賀状の用意をすることはありませんが
それ以外はごく普通の年末でした。
大晦日、近所のスーパーの閉店間際の値下げを狙って買い物をし、
帰ってから年越しそばを家族で食べるのもいつものこと。

8時すぎに大きな海老天入りのおそばを作ると、息子が
「年越しそばだ~。お母さん、これ、12月31日の特別の
 食べ物なんだよね~」
「うん、そうだよ。おそばみたいに、長~い間頑張れますように、
 っていうお願いの食べ物だね」
と答えて、いつもどおり食べ始め…

と、3口ほど食べた息子が、急に隣りの部屋へ駆けこんでいきます。
様子を見に行くと、体を丸くして、泣いてる…?
「どうしたの?熱すぎた?」
「ううん」
「なにか嫌なことあったの?」
「なんでもない」
「泣いてるんだから、なんでもないことないね。
 どうして泣きたくなっちゃったのかな」
「なんでもないよ」

ゆるりゆるりの問答の末、やっと引き出せた答えは
「おそばは苦手」
はあああああああ~~~~っ?

キミ、これまでずーーっと、大晦日にはご機嫌で
年越しそばを食べてきたじゃない?
夏にはざるそばだって「おいしい」って食べたじゃない?

でも、何度訊いても「おそばは苦手。おいしくない」との答え。
うーむ。今日の味もこれまでと全く変わらない味付けだし…
これまで気づかなかったおそばの味に、今日突然気がついた、と
いうことなのでしょうか?
それとも成長とともに味覚が変わってきた?

結局、ぽろぽろと涙を流して「おそばは苦手」と言う息子に、
「じゃあ、来年からは『年越しうどん』にするね」と言って
やっと立ち直っていただきました。

一緒に暮らして16年、彼の好き嫌いはもうきっちり
把握していると思っていたのですが、まだこんなびっくりが
出てくるとは…

なにはともあれ、来年からは我が家から「年越しそば」が
姿を消すことだけは決まったようです。

高等部入試

2010年02月19日 | 驕らず焦らず諦めず
ついに息子も来月は中学卒業、そして4月からは高校生(のはず)です。
うちの地域では従来近隣には知的障碍、肢体不自由の子どもを
受け入れる特別支援学校はなく、

肢体のお子さんは中学か高等部から全寮制の特別支援学校に入り、
知的の子ども達は一般道では車で1時間以上もかかるところにある
2つの特別支援学校のどちらかに通うか
あるいは特別支援学校の近隣へ転居するかしかなかったのですが、

ようやく20年度からこの地域でも知的区分の高等部ができ、
22年度からは小学部・中学部の受け入れも始まることになりました。

高等部は義務教育ではないので、入試があります。
(とはいえ、高等特別支援学校以外では不合格になる例は
 ないそうですが)

息子が進学予定の高等部の入試は、国語15分・数学15分の筆記テストと
面接。
他に体育と作業学習については、夏休みの体験入学時に
既にアセスメントが済んでいます。

交流級で既に公立の推薦入試や、私立高校の入試があった後だけに
「テストに合格しないと高校には行けない」と思っている息子は
2月の初めからピリピリした緊張が目立つようになり、
担任のK先生があえてゆっくりしたペースを心がけてくれても
なかなかリラックスはできない様子でした。

でも、「自分は試験を受けて、合格して高校生になるのだ」という
誇りと自信を持って進学してもらいたい、という思いが
K先生と私の間で一致したので、全入なので心配はいらない、と
いうことは、あえて息子には教えないことにしました。

さて、いよいよ当日になった今日の朝は、肝が据わったのか
息子は緊張はしながらも、笑顔で張り切った様子です。
2人で一緒にバスを乗り継ぎ、無事学校に着きました。

高等部の入試に来ていたのは、なんと男子ばかり息子を入れて
たったの3人。
控え室で先生から諸注意を聞いた後、子ども達は先生に誘導されて
試験の部屋へ。親は控え室で待機です。
筆記試験が済んだ後、先生が控え室に入ってきて
「筆記が済みましたので、今日の試験問題、貼っておきますね」

国語はひらがなのなぞり書きから、絵をみて名前をカタカナで書く、
ひらがなを漢字に直す、ひらがなをローマ字に直す、
簡単な読解問題
数学は、単位の換算、図形問題、計算問題が数問、
文章問題が2問。

中学の間、小3~6レベルのプリントを何度も反復学習してきた
息子にとっては、丁度よいレベルの問題でした。
2番目に面接を終えて、担当の先生に付き添われて戻ってきた
息子は、「頑張ったよ。難しくなかった~」とニコニコ。

一度家に帰ってから、「入試を頑張ったご褒美」にガストへ
行きたい、という息子のリクエストに応えて
2人で日替わりランチを食べに行きました。

「3月1日が合格発表だね。合格できるかな~」
自信半分、不安半分、息子は結果を楽しみにしているようです。





新型インフル襲来!(その4)

2009年10月31日 | 驕らず焦らず諦めず
息子がインフルを発症してから2日目の夜が明けました。
今朝の息子はまだ体温こそ38度代ですが
目の充血もとれ、表情にもいつものような活気が戻り、
食欲も出てきたようです。枕元にワンセグの小さなテレビをつけて
番組を見てケラケラ笑ったりしています。

昼過ぎには体温もほぼ平熱に戻って、布団を抜け出して
PCでネットを見る元気も出てきました。
どうやらもう大丈夫そうです。

登校開始の基準は解熱してから2日以上、ということだから
月曜日は無理でも、祝日明けの水曜日には登校し、
木曜の合唱コンクールにも無事参加できることでしょう。

いやー、タミフルってよく効くんですね。
誰も彼もがこんなに軽く済むのなら、いつ接種できるか
あてにならないワクチンなんか待たずに、今のうちにさっさと
かかっておいたほうが後々の心配がなくて
手っ取り早いのになあ、なんて考えたり。

でも、何の持病もない人があっという間になくなっている例も
多いので、軽く見てはいけないのでしょうね。
私も用心のために1日何度もうがいと手洗いをしながら
家の中でもずっとマスクをしていますが、
とりあえず今のところなんの症状もなく、大丈夫そうです。

なんとかワクチン接種で免疫ができるまで、これでもたせられると
良いんですが。

新型インフル襲来!(その2)

2009年10月30日 | 驕らず焦らず諦めず
さて、一夜明けて。
息子の体温は37.6度まで下がっていました。
う~ん、これはインフルなのか?
インフルじゃなかったら、小児科で逆にインフルを
もらってくることになりかねないしなあ…

迷いながらもとりあえず障担K先生に欠席の連絡を入れると、
「いや、お母さん、中学生は元気なせいか、37度台ぐらいでも
 インフルだった例がよくあるみたいですよ。
 出席停止になるか欠席になるかの違いもあるので
 念のため病院には行っておいてください」
とアドバイスされ、かかりつけの小児科を予約することに。

息子のかかりつけ医は診察券を持っていればネット予約が
できるところなのでとっても便利。
さっそくアクセスしてみると、まだ予約受付開始から
10分ほどしかたっていないのに、すでに33人待ち…

噂には聞いていましたが、小児科はすごいことになっているようです。
ネットで順番待ちの状況をチェックしながら
出かけていき、診察室に入れたときには既に12時を回っていました。

ここでは息子の障碍のことはよくわかってくれているので
私も息子も安心して診察を受けることができます。
やはり喉が腫れていて、今の熱は大したことがないけれど
経過から考えてインフルの可能性大、と。

「検査、できるかなあ?押さえつけたら怖がるかな」
「説明して、本人が納得すれば大丈夫だと思います」

「あのね、今からお鼻に綿棒をいれて、くちゅくちゅってするよ。
 お鼻の中に悪いばい菌がいるかどうか検査してもらうの。
 痛いけど、すぐ終わるから、頑張れるかな?」
私が説明すると、息子は神妙な顔でうなずきます。
「じゃあ、お顔が動いちゃうと危ないから、ちょっと頭
 触らせてね」
と看護婦さんが声をかけて頭をホールドし、
もう1人の看護婦さんが
「お腹も動かないように押さえるからね」と
体幹をホールドして、

息子が「ふぎゃっ」と声をあげた一瞬で
検査終了。
「説明したらちゃんと我慢できるんだ。さすがお兄ちゃんだねえ」
とドクターがすかさず褒めてくれると、息子はうなずいて
「もう外へ出ていいですか?」

「うんいいよ。あとはお母さんだけ待合室で結果を待ってて」
と言われると、
「ありがとうございました!」とぺこりと頭を下げて、
すたこらと医院の外へ逃げていきました。
小児科でも歯科医院でも、診察室そのものより待合室の方が
ずっと苦手な彼は、後は建物の外で待っているつもりなのです。

昔は右を向いて左を向いたらもういなくなっている子なので
常に手首を握り締めていたり、フードのついた服を着せて
そのフードの先を握り締めていたり(手だと振り払われるので)
苦労したものですが、

今はさっと出て行く息子を安心して見送っていられる、
あまり頻繁にご縁があっても困るけれど、
ここに来るたびに息子の成長は確実に目に見えるなあ、と
思ったのでした。

巣立ち

2009年03月07日 | 驕らず焦らず諦めず
今日は、息子が地元の教育大学の臨床心理センターで
最後の訓練を受ける日でした。

初めてここを訪れたのは、アメリカから帰国して
半年経った、2000年の秋。

英語しか理解できないことから受け入れを拒まれたり
アメリカの系統だった指導支援に比べてあまりに
彼の特性に沿わない旧来式の障碍児教育を受けるなかで
混乱し、自信をなくして笑顔が消え、
パニックが増え、どんどん退行していく息子に
どこか救いが得られないかと児童相談所に相談して
心理員さんからF教授に紹介してもらったのが
そもそものきっかけでした。

小学校に入学して先生に恵まれ、息子が元通りすっかり明るくなり
どんどん成長し始めてからもその時その時課題となる
ピンポイントのスキルに焦点を合わせながら
毎年大学院の臨床心理コースの院生さんに引き継がれた指導は
この春まで8年半にわたって週1で続いてきました。

最初は部屋に入ること、椅子に座ること、与えられた
課題に取り組むことという目標から始まって

はさみ、お箸、衣類の着脱、ボール投げ、ラジオ体操、
オルガン演奏、トランプ遊び、だるまさんがころんだ、
ベルトを締めたりはずしたり、靴紐結び・・・
すべてここで教えてもらいました。

今春、担当のF教授が定年退官されるにあたり
Fゼミの院生さんたちによるこの指導も終了することになり
今日がその最終日となったのです。

いつもどおりの内容に加えて、今日はプチ終了式を
用意していただきました。
F教授自ら終了証を手渡してもらった息子は
小学校の卒業式で学んだやりかたで
押し頂いて受け取り、「9年間、ありがとうございました」と
自分で考えて挨拶しました。

この日が息子の最後の訓練セッションだというので
過去に担当してくださった先生たちが何人か来てくださっていました。

どなたも現在は学校現場や発達障碍児者支援の現場で活躍しておられる
方々でしたが、息子の成長ぶりに目を細めておられました。
通い始めたころとはまるで別人だと、幼児期の息子を知る先生は
支援指導の可能性に改めて光を見た、と言ってくださいました。

就学前の辛い時期も、順調な時期も、いつでも息子のことを
一緒に考えてくれる人たちがいたこと、
私が「母親であること」だけに専念できるよう
「訓練」の部分をしっかり科学的に支えてくれる人たちがいたこと、

改めて私と息子はとても恵まれた環境にあったのだと思います。

最後にみんなで記念写真を撮ったあと、息子が教授に
「しゃしんをとってもらって、とてもうれしかったです。
 9年間、ありがとうございました。
 これからもがんばります」
と挨拶したのを聞いて、教授が
「おかあさん、この子、本当にいいねえ。
 いい子に育ててこられましたね」
と言ってくださいました。

私はいつも、息子にとって安心できる存在であることと
息子が安心して暮らせる環境を整えることしかしてこなかったけれど
これはなによりも嬉しい褒め言葉でした。

これまで長い間当然のようにそばにあった大きな支えを
これからは頼らずにやっていかねばならないけれど

ここでもらった息子自身の自信、私自身の自信、
そして私と息子の間の信頼関係が
これからの息子と私を導く大きな力に
きっとなってくれると思っています。

10年

2008年12月18日 | 驕らず焦らず諦めず
息子が自閉症の診断を受けてから、今年でちょうど10年になりました。

もう2度と、息子のことで笑うことはない、
もう2度と息子がいてくれて幸せだと思うことはない、と
人間はこれほど涙を流せるものかと思うほど
涙にくれたあの12月の日々が

いつの間にか遠い日のほろ苦い記憶になり、
今、私は毎日ゲラゲラ笑いながら暮らしています。

一瞬も目を離すことができなくて
39℃近い熱があっても医者にも行けず、市販の解熱剤を飲みながら
ソファーの上で毛布にくるまって
リビングで跳び回る息子を明け方まで一睡もできず見守り続けた夜。

今、私は息子が遊んでいる横で
ぐーぐー昼寝をしています。

家を出るときには必ず息子の手首を握り締めたり、
手を振り払って逃げられないように、フードつきの服を着せて
そのフードの端を握り締めていた私。

今、息子は私がちゃんと付いてきているかどうかを
確認しながら私の前を歩き、
「ちびくまくんは、場所を移動するときには必ず
 『今度はあっちへ行くよ』と声をかけてくれるので
 安心なんですよ」
とガイドヘルパーさんに評される子になりました。

一日中、数字とアルファベットと車の名前と宇宙語以外は
発しなかった子が

いつの間にかそこそこ面白い話し相手になりました。

クレヨンもはさみもコップも持てなかった子が
わずか10分椅子に座っていることができなかった子が

今では鉛筆を握って漢字ドリルや計算ドリルに取り組み
中学の50分授業に自ら進んで参加できるようになりました。

そして今
私はにっこり笑って
「うちの息子は自閉症なんですよ」と言うことができます。
自閉症で、知的障碍もあり、できないことや苦手なこともいっぱいある、
でも私の宝物で、おもしろくて、自慢の息子。

10年。それはなんと長く、なんと大きく、
時代と私と息子とを変えたことでしょう。
10年前に、誰が今の息子と私の姿を想像したことでしょう。

今、私がしみじみ思うのは
「あのとき、早まらなくて良かった」ということです。

アンジェラ・アキさんの「手紙」では
未来の自分にあてて手紙を書いていますが

もしも10年前の自分にあてて手紙が書けるなら
「あなたの悲しみも痛みも、苦労も努力も
 すべてちゃんと実を結んでいるよ、
 だからどうか勇気を持って生きていてね」
と書きたいです。

歯医者

2008年09月03日 | 驕らず焦らず諦めず
ちびくま、1学期の歯科検診で「永久歯の虫歯あり」の
結果をいただいてきてしまいました。
私のCIDP発病・入院、うつ発病、とどたばたしている間、
息子の口腔衛生管理がすっかりお留守になっていた
つけが回ってきた感じです。

それなのに、息子の調子が悪かったり私の調子が悪かったりで
歯科受診が伸ばし伸ばしになってしまっていたのですが
やっとのことで夏休みの終盤から歯科通院を始めました。

小学生のときもお世話になった、近所のやさしい歯医者さんです。
今回は私の検診もお願いしたので、親子で隣同士のブースに入ります。

私がそばで見ていない状態で歯科治療を受けるのは初めてなので
大丈夫かな~と思いましたが、ついたて越しに聞こえてくる
息子の様子は落ち着いていて、ドクターの質問にもきちんと
受け答えができていました。

長い間受診していなかったので、息子も私もかなり歯石がついていて
息子には初期の虫歯が何本かできており、
私のほうは歯周病がかなり進行してきていて、
2人揃ってしばらく通院することになりました。

今日は2人とも歯石除去。
昔は歯ブラシを口に入れたり、歯科検診で口の中を見てもらうことすら
大騒ぎだった息子も、しっかり口をあけて歯石をとってもらうことが
できました。

「絶対この子には無理!」と思っていたことが
何年かするとまるで嘘のようにできるようになっているという
事実を目にすると、
毎日一緒に暮らしていると気付きにくいけれど
やはり子どもは確実に進歩しているのだなあ、と実感します。

なわとび

2008年02月02日 | 驕らず焦らず諦めず
最近、息子は「自立体育」の時間になわとびを
しているようです。

連絡帳には「なわとび 100回」とあるのですが
息子はなわとびが跳べません。
手でぐるっと縄を前に回して一旦止め、それを
またぐというやり方しかできません。

なんとか跳べるようにならないか、と毎週通っている
教育大でも、院生さんたちがいろいろ考えてくれたのですが
ついに跳べるようにはなりませんでした。

それが最近、「連続 7回」とか「連続 10回」とか
連絡帳に書いてあるのです。先生に直接確かめても
「ええ、跳んでますよ」というお返事。
私は正直「???」

そこで、今日大学のセッションに行ったときにお願いして、
本人に縄跳びを渡して「跳んでみて」と言ってもらうことにしました。
(ここの課題はいつもセッションの始めに提示されるので
 今日突然、という課題でも本人は驚かないですむ)

すると、多少ぎこちなさはあるものの、ちゃんと連続10回跳べたのです。
もう一度繰り返すように指示してもらっても、やはり10回跳べました。

ちょうどそこへスーパーバイザーの教授が私がいるモニター室に
入ってこられて、
「あれ?縄跳び、跳んでるぞ!ちゃんと手と足の協調ができてるじゃ 
 ないか!」
とびっくり。
「あれだけ課題分析してスモールステップで教えても
 全然できるようにならなかったのに、不思議だねえ。
 いやあ、学校でうまく教えてもらったんだねえ」
と感心しきり、息子にも
「縄跳び、跳べるようになったんだねえ、頑張ったねえ」と
声をかけてくださったので、
息子もとても嬉しそうでした。

「どうやって教えてもらったんですか?」
と障担に尋ねても、
「いや、ただ『やってみて』と言って、横で数を数えていただけです。
 本人の力ですよ。
 強いて言えば、2学期の自立体育で、縄を使わない片足とび
(左右100回ずつ)や両足とび(100回)でピョンピョンやっていたのが
 生きたのかなあ、と思います」

焦らず諦めず、少しずつ積み上げてきたものが、本人の中で
たまたま繋がったときに、ぽーんと大きく伸びる、
そんな実例をまた見せてもらったような気がします。

遅ればせながら

2008年01月07日 | 驕らず焦らず諦めず
明けましておめでとうございます。

しばらく更新が途絶えたので、ご心配をおかけしたかもしれません。
暖かいコメントの数々、ありがとうございました。
実は、年末年始にかけて、状態がかなり悪化してしまい、
文字通り「寝正月」に終わってしまいました。

正月休み明けと同時に主治医のところへ駆け込み、
とりあえずのお薬と紹介状をゲットして

本日心療内科デビューしてきました。
じっくり話を聞いてもらい、お薬をいただいただけでも
かなり心が楽になったような気がします。
「うつ状態」ということで、しばらく定期的に通って
経過をみていただくことになりました。

「辛いときにはお薬の力を借りることは恥ずかしいことではない」
「自力でなんとかしようと頑張りすぎないで、他人の
 力を借りることも考えましょう」
と自分では再々言っておきながら、いざ自分がその立場になると
なんとか自力で切り抜けようとしてしまっていたのですが

勇気を出して一歩を踏み出したことで、またひとつ何かを
乗り越えることができたような気がします。

また1つ新たな痛みを知り、新たな経験を積みながら
今年も息子と一緒にぼちぼち歩いていくさまを
皆様にお届けできればいいなと思っています。

どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
皆様にとって幸せで健康な一年となりますように。