雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

丁寧な放し飼い

2008年10月09日 | 「発達障碍」を見つめる眼
息子が今使っている連絡帳は普通の大学ノートです。
見開き2ページが一日分。
左側にその日の時間割と各時間の学習内容が
簡潔に書かれていて、
右側には障担K先生の所感と私から先生への連絡を
書くようになっています。

この連絡帳を息子が帰ってくるなりすぐチェックするのが
私の楽しみです。

中学の授業は1限50分(体育大会や文化祭など大きな行事の
準備期間は放課後にクラスごとの練習時間を確保するため45分)
なのですが、

息子の様子を見ていると交流級でこそ最初から最後まで
授業を受けているものの、
障級の授業では「あと10分というところでギブアップ」
「残り5分休憩」「本人から疲れたと申告あり残り20分休憩」
とやたら「休憩」の文字が出てきます。

人によっては目くじらを立てそうな内容ですが
私はいつも「実に丁寧な『放し飼い』をしてもらっているなあ」と
感心しています。

『放し飼い』というのは『放置』と外見こそ似ているけれど
全く違います。
まず、安全で快適な環境でなければできないということ。
放し飼いされる側と放し飼いする側の信頼関係がなければ
なりたたないということ。

そして、動物の場合であれば無理矢理エサを口に押し込んだり
水を飲ませたりすることは無理で
動物が自ら食べたくなるような良質のエサを育てたり
動物がストレスなく過ごせる環境を整えたり

動物のニーズを汲み取って、間接的に動物に働きかけるのと同じように

息子の頭に無理矢理知識を詰め込んだり
ソーシャルスキルを叩き込もうとするのではなくて
息子が自ら学びたくなり頑張りたくなるような雰囲気を作り
ストレスが少なく安心してくつろげる環境を整えたり

息子のニーズや気持ちを汲み取り、間接的に学ぶ意欲を育てて
気持ちが十分温まったところで「ここぞ」と必要な情報を入れ込む。

ぱっと見は熱心に指導しているようには見えないけれども
子ども自身の特性と、その時その時の心の動きまで
注意して観察する意識とセンスがなければ
こういう『丁寧な放し飼い』はできないと思うのです。

息子の性格や特性を知ったうえで、その日その時の息子の
状態に合わせて、「学習=我慢・苦痛」にならない
ぎりぎりの線を探っているからこそこういう対応になるのだと
私は考えています。
これを見ていれば、今の息子は無理に頑張らせれば
50分は静かに座っていられるけれど、自ら集中して
何かに取り組めるのはだいたい40分くらいであることも
わかります。ある意味、息子の本当の姿を知る
貴重な統計資料ともいえるでしょう。

障碍のある子への指導は、どうしても指導のテクニックとか
働きかけの密接さなど「直接的な」アプローチ、
「眼に見える」熱心さにのみ光があたりがちですが

本来とても臆病で繊細な神経を持つ自閉っ子に接する私たちは
この「丁寧な放し飼い」の精神、「機が熟するのを待つ」心の大切さを
折々に見直すべきではないのかと思っています。

納得できる進路(その2)

2008年10月02日 | 楽しい学校生活
「あのね、ちびくまくんは今、○○ルーム(特支学級)と
 クラス(交流級)と2つのクラスがあるでしょう。
 難しい言葉でいうと、○○ルームは特別支援学級、
 クラスは通常学級、っていうの。

 通常学級はクラスみたいに沢山のお友達がいて、
 みんな同じ教科書で1人の先生のお話を聞いて
 お勉強するところ。

 特別支援学級は○○ルームみたいに、少ないお友達で
 先生がちびくまくんがわかるまで何度も説明してくれたり
 ちびくまくんが休憩したいかどうか訊いてくれたり
 1人1人にあわせて丁寧にお勉強できるところだね。

 学校がぜ~んぶ○○ルームみたいな特別支援学級になっている
 ところを、特別支援学校、っていうんだよ。
 ちびくまくんが行ってたM小学校とF中学校は
 特別支援学校とは違って 通常学級と特別支援学級と
 両方があるので ちびくまくんも両方へ行ってたんだけど、
 高校になったら、通常学級しかない学校と
 特別支援学級しかない学校と2種類しかないの。

 学校ぜ~んぶがクラス(通常学級)みたいな高校と
 ぜ~んぶ○○ルーム(特別支援学級)みたいな高校と
 ちびくまくんはどっちへ行きたい?」

すると息子は間髪をいれず
「ぼくは○○ルームみたいな高校がいいな~」

「じゃあ、特別支援学校の高校を受けようか。
 3年生になったらみんな高校の見学に行くから、
 ちびくまくんも行こうね」
「はい!」

…ここで「普通高校がいい」といわれたら収集がつかなかったのですが
彼なら「特別支援学校がいい」と言うに違いない、という
密かな自信があったからこそ言えたことですね。

自ら特別支援学校を選んでもらうには、これまでの
特別支援学級が居心地のいいところで、子ども自身にとって
充実した生活ができる場所であることが必要なわけですから

子どもが小さい時から「自らのニーズに合わせた支援を受けること」を
タブーにしないだけでなく、
自分の可能性を開くためのポジティブなルートだと
捉えられるように環境を整える必要がありますね。

その意味では、私たち親子は随分恵まれてきたといえそうです。

 
 


納得できる進路(その1)

2008年10月01日 | 楽しい学校生活
息子が隣の部屋から飛んできて、
「おかあさん、見て見て!かっこいいバスだよ!」
と叫びました。

息子は自他共に認めるカーマニアでバスおたくです。
テレビに車やバスが映ると大喜び。

画面に映っていた車椅子用のリフトがついた特別支援学校の
送迎バスはこのあたりでは見られないもの。
息子は画面に貼りついてよだれがたれそうな顔で見ていました。

「ねえ、おかあさん、特別支援学校ってなんのこと?」
唐突に息子が尋ねました。
息子は3歳のときからずっと障碍児教育を受けてきましたが
帰国後の1年間通園施設に通ったほかは
すべて定型発達の子も通う普通学校へ通ってきました。

それぞれの進路を選ぶときには息子本人を連れて行って
その反応をじっくり見るようにはしていましたが
これまで息子に「特別支援学級」に所属する意味や
彼には他に「特別支援学校」という選択肢が常にあるのだということは
きっちり説明したことがありませんでした。

13歳になった今、彼は自分がなんとなくみんなとは違う存在で
「しゃべることと運動とうるさいところは苦手」であることは
自覚しているようですが、その「違い」に「障碍」や「自閉症」という
名前がついていることは知らないようです。
みんなとは違って自分には2つのクラスがあり2人の担任がいて
他の生徒とは違うカリキュラムで勉強していることも
「そういうものだ」と納得しているようですが
この機会に彼が特別支援学級に在籍している意味を
説明してみようと思い立ちました。

何年か前、特別支援学校(当時はまだ養護学校でしたが)の
中学部・高等部を見学させてもらったときに、
「入学までにこれだけは身につけておいて欲しい、という
 ことがありますか?」という質問に対して
高等部の先生がおっしゃった言葉を思い出したからです。
「他へはいけないからしかたなくここへ来るのではなくて、
 ここが自分にとって一番いいところだから来るのだ、と
 子ども自身が納得して、
 他の子たちを同じように、高校生になったという
 誇りをもって来られるようにしてください」

中学までは無理をしてでも通常学級に在籍していたり、
障碍児学級在籍でも、できるだけ通常学級の生徒に近づくことを
目的にしてきた子が、養護学校の高等部に入学が決まったときに、

「自分は普通高校へ行けないからここへ来なくてはならなかったのだ」
「自分はだめな人間だからここへ入れられたのだ」
という挫折感を抱いてしまうことがあり、

そうすると、その気持ちを立て直すためだけに
かなりの時間とエネルギーを費やしてしまうのだ、と。

つい最近も、特別支援学校に進学した先輩のお母さんから
中学まではできないことが山ほどあっても胸を張って通学していたのに
特別支援学校に入学した自分を認めたくなくて不登校になってしまった、
という子の話を聞いたばかりです。

本人に理解できるかどうかはわからないけれど、
障碍があるから特別支援学校、なのではなくて
彼に一番向いた環境を探して行きたいのだ、という
私の気持ちは伝えておきたいと思いました。