雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

靴。

2006年08月28日 | 楽しい学校生活
長かった夏休みももう少し、今週金曜の9月1日からまた2学期が始まります。
そろそろ新学期の用意をしなくっちゃ、と思って、洗ってあった上履きを
息子に履かせてみようとすると・・・まったく足が入りません。
ひええ、と思って体育館シューズのほうも試してみると、これも駄目。

慌てて翌日、息子を連れて上履きと体育館シューズを買いに行きました。
息子は靴を試着するのが大嫌いなのですが、こんなに急に足が大きく
なっている以上、付き合ってもらわなければどうにもなりません。

ぶつぶつぎゃーぎゃー言う息子をなだめつつ、靴屋さんで試し履きさせてみると、
なんと23cmがぴったりでした。
1学期の終わりには22cmを履いていたんですけど・・・

靴屋のおばさんは「男の子ってそういうものよ。大きくなるときには
一気に大きくなるから~。身長も伸びたんじゃない?」

そう言われればそうかも。学年の中でもかなり身長の低い息子に
私は「小さい」という印象しか持っていなかったのだけれど、
衣替えした6月には十分着れていたTシャツが
夏休みにはパツパツピチピチになってきたので、慌てて買い足したのでしたっけ。

この分ではこの秋は体操服上下もシャツもズボンも
運動靴も(とりあえず今は履けるのが1足あるけど)
新調しなければならないかも・・・


小さなちびくまだった息子が見上げるような大熊になってしまう日も
そんなに遠くないのかもしれません。

自閉症スペクトラム学会研究大会(5)

2006年08月23日 | 「発達障碍」を見つめる眼
会場についた私たちは、それぞれに自分の興味のある口頭発表や
講演などを見て回ります。

私は、作業療法士の先生が開設された児童デイサービスについての
発表や就学に際してのコンサルテーションのお話などを聞いた後
学会企画シンポジウムを聞きにいきました。

ここで再び仲間と合流し、お昼ご飯。
少し会場から離れた学生会館へ行くと、そこに先客が。
なんと「かやの先生の感覚統合療法入門」の若松かやの先生でした。

「かやの先生の感覚統合療法入門」は
まだちびくまが自閉だとかハイパーレクシアだとかがわかるずっと前、
息子の一見不思議な行動にもきちんと理由があるということを
教えてもらったサイトです。ここから、息子をありのままに観察しようという
私の姿勢は始まりました。ですから、いわば密かに一方的にお世話になった
大恩人。

また、ちびくまを現に指導してくださっているOTの先生たちの
SVもされていたことがあるので、2重に間接的にお世話になっているのです。

そのことをお話ししてご挨拶して、名刺をいただいて、ほくほく。
その後はまた仲間と自閉ネタで盛り上がりました。
朝倉玲さんはここでお別れ、一足先に福島に帰ってしまいます。

午後からはまた仲間と別れて学会企画シンポを聞き、ついに2日間の
全日程が終わりました。
再び仲間と合流して、羽田空港へ向かいます。

まつこさんと私は同県人で隣接した自治体に住んでいるので、
帰りの飛行機も一緒です。空港での夕食時も飛行機の中でも、
空港からのリムジンバスの中でも、ひたすら自閉ネタと特別支援教育ネタで
しゃべりまくり。もう1年分くらいしゃべったかも(笑)

まつこさんと別れてから、JRとバスを乗り継いで自宅に帰ったのは
10時半すぎ、仲間の中では一番遅い帰還でした。

私にとっては昨年に続いて2回目の参加でしたが、
自閉症スペクトラムについて研究・実践し、より一層の自己研鑽を
積もうという専門家の先生方がこれほど沢山いることに、また
勇気付けられましたし、自分たちの話したことにきちんと耳を傾け
その裏にこめた思いもしっかり「受け取ったよ」というサインを
下さった専門家の先生方が何人もいてくださったことは、私たちにとっての
何よりのエンパワメントになりました。

また来年、仲間たちと胸を張って会えるよう、これから1年
精進していきたいと思っています。

自閉症スペクトラム学会研究大会(4)

2006年08月22日 | 「発達障碍」を見つめる眼
さて、翌日私は朝7時に目を覚ましました。
朝一にネットを覗いてみると、仲間はすでに5時ごろから起き出して
活動を始めています。

着替えを洗面を済まして、近くのファーストフードショップに
朝ごはんを食べに出かけると、まつこさんと出会いました。

そういえば私たち、これまで一度も
「同じ飛行機に乗ろう」「一緒に新幹線に乗ろう」と相談したことが
ないし(でも同じ時間帯になったときは隣同士の席に変更したりする)
「節約のため一緒にツインに泊まろう」という話が出たことがないし
(でもホテルは同じところに泊まる)
「朝ごはんを一緒に食べよう」「お弁当を一緒に買いに行こう」と
いう相談をしたことがないし(でも学会会場へは一緒に行く)
学会の会場でもそれぞれが聞きたい演題のところへ勝手に行くし
(でも昼食とか帰るときとかはなんとなく集まっている)

自閉症支援についての考え方は限りなく似通った「同志」だし
ネット上とはいえ7年間毎日のようにやりとりしてきた友達なのだけれど
根っこのところはつながりつつも、あとは「自分の領域」を
しっかり持ち、しっかり考え、しっかり行動している

そういう人たちだからこそ、人間関係の難しい私が
程よい距離感を保ちつつ付き合い続けてこれたのだろうなあ、と
思いました。

さて、それぞれに朝食を食べた後、チェックアウトを済ませて
ロビーに集合。西武新宿線の中井駅で降りて目白大学に向かって
歩き始めた途端に、地下鉄大江戸線で来たひいろさんとばったり。
「私たちって、やっぱりお互いに呼び合うのねえ~」などと
冗談を飛ばしつつ、会場に向かいます。

すると、後ろから「おはようございます~」と見知らぬ女性に声を
かけられました。
なんと昨日の私たちのシンポを聞きに来てくださったのだということでした。
「とても良かった」「NO TEACHERの話は、学生にも聞かせたかった」と
感想を聞かせていただいて、名刺をいただいて
「私、ちょっと急ぎますので」と先に行かれたのですが

頂いた名刺をじっくり見てびっくり。この学会でも運営に関する仕事を
分担しておられる、教員養成系大学の先生だったのでした。

無冠の保護者である私たちが、専門家の集まる学会で自主シンポを
開くなんて、無謀かなあと思ったことは何度もあったけれど、
こうしてきちんと私たちの思いを受け止め、考えてくれる専門家の
先生はやっぱりいるんだなあ、と、みんなでしみじみ。

やっぱり、今年も出てきてよかったねえ、と言い合ったのでした。

自閉症スペクトラム学会研究大会(3)

2006年08月21日 | 「発達障碍」を見つめる眼
さて、この後はさらに学会企画シンポを聞いて、本日の学会プログラムは終了。

私たち5人は連れ立って、高田馬場にとってあるホテルに向かいます。
それぞれがチェックインを済ませてから、近くの居酒屋へ。
私たちのほかに、秘密の大物ゲストが2人加わってくださいました。

こと自閉症の話となると、話題の尽きることのない私たち。
日ごろこれほど話の通じる相手と話せることは珍しいくらいなので
ひたすら自閉ネタ、特別支援教育ネタで盛り上がりまくり、
存分に飲んで食べて、楽しい時間を過ごしました。

10時過ぎに一旦お開きにしたものの、こくっぱの母さん、朝倉玲さん、
まつこさん、私のホテル宿泊組はまだまだ喋りたくて、
再び缶チューハイなどを手にまつこさんの部屋に集合。
夜12時までしゃべりまくって、さすがに「まだ明日があるから」と
それぞれの部屋に引き上げました。

みんなハイになりすぎて、なかなか寝付けなかったようですが。

自閉症スペクトラム学会研究大会(2)

2006年08月20日 | 「発達障碍」を見つめる眼
同じ時間帯に開かれる自主シンポは私たちのものも含めて3つ。
他の2つは誰もが知っている大御所の先生が開かれていたり、
外国から当事者のかたを招いていたりします。
さてさてこんな中で私たちのシンポに来てくださる方が
どれだけいるかしら、と少し心配になりましたが、ふたを開けてみると
それでも去年よりずっと多い70人ほどのお客さんが入ってくださいました。
私たちの応援団長であるT先生も会場のほぼ真ん中に陣取って、にこにこと
見守ってくださっています。

まずは司会のまつこさんが挨拶。

次に、私が「私の仕事は『おかあさん』~息子から教えられたこと~」の
演題で話します。
内容は「NO TEACHER」のエピソード、息子のトイレトレーニングの話、
親だからできること、親にしかできないこと、親がただ親であり続けるために
専門家ができること、など。
本邦初公開、ちびくまの写真も数枚お見せしました。

続いて、こくっぱの母さんの発表。
主に長男ハカセくんの歩みを中心に子育てのあり方、考え方について
いつもどおり力強い話に、私たちも引き込まれます。

さらに私たちの発表内容を踏まえてひいろさん、朝倉玲さんがコメントと
自らのエピソードを紹介します。

まつこさんの舵取りでその後4人でひとことずつ教育に望むことを述べて
タイムアップ。
もっと時間があれば、会場から質問などいただきたかったのですが残念でした。

私は最初緊張でハンドマイクを握る手が少し震えていたのですが、
会場のあちこちでブンブンと頷きながら聞いてくださる方、
話の節々で拍手のジェスチャーを送ってくださる方、
とても熱心で好意的な雰囲気にすっかり嬉しくなって、元気に
話し終えることができました。

前回は発表が始まるなり「なあんだ」という顔で出て行ってしまう人が
いたりで残念なこともあったのですが、今年は皆さん(入ってきたときは
半信半疑だったかもしれないけど)最初から最後までしっかり
聞き続けてくださった方がほとんどで、とても嬉しく思いました。
結局、途中から入ってこられた方を含めて、80名ちょっとくらいの
皆様に聞いていただけたようです。

終わってから「とてもいい話を聞かせてもらって、ありがとうございました」と
わざわざ個人的に声をかけに来てくださった方もあり、
昨年に続いて、とても「やってよかった」と思える自主シンポになりました。

自閉症スペクトラム学会研究大会(1)

2006年08月19日 | 「発達障碍」を見つめる眼
私は今朝6時に家を出て、東京行きの新幹線に乗りました。
目的地は新宿区の目白大学。
そこで、今年の自閉症スペクトラム学会研究大会が開かれるのです。
大会テーマは「支えあう社会を目指して」。

自閉症の子を持つ母親である私たちは、自閉症の子が最初に出会う
「共に生きる」人間です。
去年の自主シンポの成功(?)に気を良くした私たち、
学会に参加される専門家の先生方に今年も私たちの考えを
聞いていただこうと、再び自主シンポを企画しました。
「自閉と一緒に楽しく生きる~保護者の視点から~」

企画・司会はまつこさん
話題提供者はこくっぱの母さんと私
指定討論者がひいろさんと朝倉玲さん
という構成です。

学会でご自分の研究を口頭発表する場合の持ち時間が20分
学会企画のシンポジウムでさえ話題提供者の持ち時間は
20~25分だというのに、私がもらった発表の持ち時間は30分。

せっかく聞きに来てくださった方がおもしろいと思ってくださるよう、
また、「おみやげ」を持って帰っていただけるよう、
10日ほどのあいだ、ブログの更新もさぼって
持ちネタの中から厳選して選んで、過去の写真からおもしろいと思われるのを選び、
30分の原稿を仕上げました。

当日配布する資料の印刷にも走り、前日には準備完了。
夫が出張中なので実家に息子を預かってもらうため、前日夜に
実家へ共に泊まり、19日の朝、1人で東京へ向かったのでした。

西武新宿線高田馬場駅のホームで福島からきた朝倉玲さんにばったり。
かんかん照りの中、ふーふー言いながら会場の目白大学についたところで
こくっぱの母さんに遭遇。
受付を済ませて昼前から始まった学会企画プログラムの会場に入ると
スムーズにまつこさん、ひいろさんにも会えました。

午前の部が終わってから、自分たちのシンポの会場に移動し
打ち合わせを兼ねて一緒に昼ごはん。
ところが、打ち合わせどころか、われわれ5人は「説明の要らない同志」に
会えたからかテンション上がりっぱなし。

いよいよシンポ開始の2時になりました。

おむつばなれ(その2)

2006年08月03日 | Wonder of Autism
タイトルから推察できるとおり、今回もビロウな話ですので、お食事中には読まないでくださいね。

とうとう紙おむつが最後の1枚になったのは、交流キャンプに
出かける朝でした。
私はちびくまに「これで最後だよ」とそれを見せてから
荷物につめました。万が一おねしょをするようなことがあっては
いけないので、夜宿舎で履かせてもらおう、と思ったのです。

でも、翌日、ちびくまはそのオムツを未使用のまま持ち帰ってきました。
先生が忘れたのかはたまた必要ないと判断したのか、あるいは
息子が履くのを拒否したのかはわかりません。

そして、帰宅するとすぐ、履いていた布パンツを脱ぎ捨てて、
その紙おむつに履き替えました。
「ちびくまくん、それが最後のダイパーだよ」と声をかけると、
はっとしたように私を見ましたが、そのまま遊び始めました。

その夜、ちびくまがなんだかごそごそ家の中のあちこちを探っています。
「ちびくまくん、なにを探してるの?」と訊くと
「ダイパーがなくなっちゃったの」

私がまだどこかに紙おむつを隠しているのではないかと思って
探していたようです。でも、そんな中途半端な覚悟で、11年半も引きずった
強いこだわりに対抗できると思うほど、私も甘くはありません。
「ちびくまくん、さっき履いたのが最後のダイパーだよ。もうダイパーは
 おうちにはありません」

ちびくまはしばらく考えて「・・・ダイパーは廃車?」
彼は何かが使えなくなることを車にたとえてこう言うのです。
「そう、廃車になったね」
「新車はアンダーウェア?」
「そうよ」
「でも、ちびくまくんはダイパーがはきたいの」

彼が言葉で主張したことを無視することは滅多にありませんが
ここは頑張りどころ。
「アンダーウェアを履いてね」と布パンツを渡しました。

ちびくまはしばらく無言でパンツを見つめていましたが、
やがてそれをはくと、トイレに入っていきました。
便座に座ると、少しいきむ様子が見られます。
これまでちびくまは「大」はいつもオムツを履いてしていました。
でもどう探してもオムツが見つからなかったので、ついに諦めたのでしょう。

「わあ、ちびくまくん、トイレでうんちするの?すごいなあ、かっこいいなあ」
すかさず褒めにかかります。
気を良くしたのかちびくまも珍しく「うーん、うーん」と声をだして
いきみます。私も彼の前に立って、一緒に「うーん、うーん」
無事に排便できました。後始末はまだ難しいようなので、私が
介助します。息子は最後に水を流して、トイレから出てきました。

「やったあ、ちびくまくん、おうちのトイレでもうんちできたねえ。
 すごいねえ、さすが6年生だねえ、なんておりこうさんなんやろ、
 ちょっと抱っこしてもいい?」
私はひたすら褒めちぎり。息子はまんざらでもないような顔で
ちょっと私とハグをしました。

その翌日もまたその翌日も、ちびくまはひとしきり紙おむつを
探しては、「ほんとうにダイパーなくなっちゃったのかなあ」と
つぶやいていました。

でも、その夜、「おかあさん、なんだかお尻がむずむずするよ」と
言い置いてトイレに入ったのを追いかけていくと、またしっかり
「大」ができていました。
もちろん、今回も褒めちぎり大会です。

7月31日の登校日には連絡帳に事の次第を書いて、障担からも
「ダイパーなし」で過ごしていることを褒めてもらえるよう依頼しました。
障担はしっかり周りの子どもたちにもそのことを披露して、
みんなで拍手をしてくれたようです。

そして今日。ちびくまは4回目の「トイレでうんち」に成功しました。
まだダイパーに未練はあるようですが、夜の失敗も最初の1晩だけで
その後は早朝にトイレに走っていく姿も見られるようになりました。

どうしても本人にとって苦痛であるならば、もう一度ダイパーに戻すという
選択もあり、と考えてはいたのですが、この分ならなんとか頑張れるのでは
ないかと思います。本人に他のストレスが少ない夏休みを選んだのも
正解だったようです。

ちびくまのトイレットトレーニングは、結局長い長い「待ち」の集大成でした。
焦らずせかさず、でも諦めず。子どもを信じてじっと待つことも、
時には成長のために必要なのだと思います。
何ヶ月も何年も辛抱強く待ちながら、わずかなチャンスを見逃さないように
じっと見続けていること、ちょうどいいタイミングでちょうどいい強さで
子どもの背中を押すことは、親だからできることかもしれません。

でも最終的に頑張ったのは息子。だからこれは「おむつはずし」ではなく
「おむつばなれ」です。
ちびくまが、また1つ大きな自信を抱えて2学期を迎えることができるよう
願ってやみません。




おむつばなれ(その1)

2006年08月02日 | Wonder of Autism
タイトルから推察できるとおり、今回はビロウな話ですので、お食事中には読まないでくださいね。

これまでも何度か触れていますが、ちびくまは身辺自立の分野の
遅れがもっとも目立ちます。特に排泄は鬼門でした。

アメリカの養護幼稚園と日本の通園施設、2つの施設での
トイレトレーニング、それに家での排泄の躾(あせって何とか
しようとして、7時間一緒にトイレにこもったことも)にも失敗した結果、
ちびくまは排泄についてはかなり強いマイナスのこだわりを持ってしまい、

小学校に入るころには、布パンツを履くことにも、トイレという場所に
入ることにも強い拒否感を示すようになっていました。
また、紙おむつ以外に排泄することはできず、たとえ紙おむつを履いていても
自宅以外の場所では一切排泄ができない状態が続きました。
日々の学校生活ではもちろん、1泊2日のキャンプですら、1度も
おしっこをせずに帰ってくる始末だったのです。
これは、息子の生活の質に関わる大きな問題でした。

ただ、過去の失敗から、私は息子の気持ちがほぐれることが
この問題の唯一の解決法だと考えるようになりました。

そこで本人の「いやだ」という気持ちは否定せず、先生たちとスクラムを組んで
本人のプライドややる気を少しずつ少しずつくすぐっていった結果、
学校へは布パンツを履いていけるようになり、やがて5年生のとき、
障担と学校のトイレに行って排尿に成功(トイレ記念日)、
そのすぐあとの自然学校では6日のあいだきちんとトイレに行き、
無事に帰ってきました。(2005年6月のブログ参照)
それで自信をつけたのか、ちびくまはその後は「外出先では
トイレ、家では紙おむつ」で排尿するようになりました。

一方、大のほうは、ほとんど進展がありませんでした。
今年の5月、訓練会の宿泊先のトイレで1度だけ成功したものの、
その後はまた紙おむつのなかに戻ってしまいました。

ところが、6年生になって急に縦にも横にも伸びたちびくま、
一番大きいサイズの紙おむつが、ビキニブリーフよろしく
ぴちぴちパツパツになってきてしまいました。お腹や太ももに
ゴムがくいこんだあとが真っ赤になり、暑くなってきてからは
本人も不快なのか、脱いでしまってフリ○○で遊んでいることも
多くなりました。

これはそろそろ紙おむつ卒業のチャンスなのかもしれない、と
私は考えました。そこで「ちびくまくんが大きくなったので
ダイパー(紙おむつ)が小さくなっちゃったんだねえ。
でも、もうこれより大きいダイパーはないから、今お家にあるのが
なくなっちゃったら、アンダーウェア(布パンツ)にしないとねえ」
と話をしました。

これまでは紙おむつを切らしたら大変という気持ちと少しでも
安く買おうという気持ちがあって、いつも紙おむつが買いだめして
あったのですが、ここはぐっと我慢、もう追加は買わずに
ストックを使い切った時点での切り替えを目指すことにしました。

そして、ちびくまに毎日、でもさりげなく、「ああ、ダイパーが
あとこれだけしかないわ。これがなくなったらアンダーウェアにしないと」
と減っていく在庫を確認させ、最後の1袋になったときには
「この袋がなくなったらダイパーはおしまいです」と宣言しました。

ちびくまは、「ぼくはダイパーがいいです。アンダーウェアは
はきたくない」と主張しますが、
「だってこれより大きいのは売ってないから、ちびくまくんが
はけるダイパーはもうありません。これからはアンダーウェアを
履いてね。」とこちらもきっぱり。

その上で小さな声で「じゃあ、これからはちびくまくんはアンダーウェアの
中でおしっこやうんちをするのかなあ」とひとりごとのようにつぶやいてみると

「あるべき姿」にこだわりのあるちびくま、すかさず
「アンダーウェアのなかでおしっこやうんちはしません!」と
言い返してきます。
「え?じゃあ、どこでするの?」と訊いてみると
「トイレです!」

「ええっ?でもちびくまくんはトイレでおしっこやうんちはできないでしょ?」
「できる!ちびくまくんは、トイレでおしっこやうんちができる!」

・・・しめしめ。
かくて「完全おむつばなれ」を目指して、ダイパー在庫のカウントダウンは
進んでいったのでした。