雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

「みゅうの足(あんよ)・・・」を見て(その1)

2008年08月31日 | CIDP
ご覧いただいたでしょうか、「みゅうの足(あんよ)、パパにあげる」。
いや~、テレビってやっぱり影響力があるんですね。
ドラマ放映開始直後から終了1時間後ぐらいまでの間で
この零細ブログのアクセスが1万超えてました。(びっくり)

患者会のホームページもアクセスが多すぎて
カウンターに不具合が出たようです。(笑)

松本潤くんは、演技がうまいですね。何の前触れもなく
手足に力が入らなくなっていく様子や、自分の体がどうなっているのか
わからない恐怖感、これからどうなるのかという不安感、
上手に表してくれていて、私も思わず発病当時のことを
ありありと思い出してしまいました。

子役の女の子も可愛かったです。やっぱ、子どもの存在って
親のポジティブ思考の原動力なんだよな~、と思いました。

単なるお涙ちょうだいでなく、見終わったあとにさわやかな
気持ちが残る、いいドラマにしあがっていたと思います。

ただ、自閉もののドラマを見ているとあっちこっち思わず突っ込んで
しまうのと同様、患者の目から見ると、
おそらく多くの人が素直に感動してご覧になっているだろう場面で
「それはないって~!」と思わず突っ込んでしまうところも
沢山ありました。

○最初のドクターの「ギラン・バレーは治る」発言と
 高酸素療法について

 「ギラン・バレーは治る」というのはわりとよく言われることなのですが
 これは「神経内科の病気は不治の病が多いのに対して、治る確率が
 高い」ということのようです。現にギラン・バレーの患者さんの2割以上に
 軽重の差はあれ、なんらかの後遺症が残っている、という調査もあります。
 救急車で運ばれてきたおばさんがいたように、ギラン・バレーの
 場合は、CIDPに比べて悪化が急速で激しいので、呼吸が停止して
 命に関わったり、重篤な後遺症が残る場合もあります。 

 また、ギラン・バレーは確かに4週間後に症状のピークを迎え
 後は徐々に快方に向かう病気なのですが、通常は悪化するのを待たず、
 ギラン・バレーが疑われた時点でまずIVIg(免疫グロブリン静注)に
 踏み切るのがデフォルトです。
 このドラマは実話が元になっているので、山口さんは実際にそういう
 治療を受けられたのでしょうが、ギラン・バレーでもCIDPでも
 まずはIVIgを試してみるのが一般的で、高酸素療法というのは
 患者会でも他に聞いたことがありません。
 かなり珍しい治療のやり方のようです。

「みゅうの足(あんよ)パパにあげる」

2008年08月30日 | CIDP
以前にも告知しましたが、CIDP患者の手記を原作としたドラマ
「みゅうの足パパにあげる」が

日本テレビ系列24時間テレビの中で
今日30日(土)夜9時30分ごろから放映になります。

CIDPは人によって症状の出方もその程度も様々ですが

・現在の医療では根治療法がない
・したがって治療は対症療法のみになるが、既存の薬では進行が止められない、
 あるいは進行を止めるための治療に保険がきかなかったり
 保険がきいても治療費が莫大となったりするケースが多い
・医療費について助成があるのは東京都と埼玉県だけである
・身体的に常にハンディを抱えた状態になるが、症状が固定しないため
 身体障害とは認められない場合が多い
・若年者の場合介護保険の対象ともならないので、身の回りに
 介護が必要となった場合、家族介護のみに依存せざるを得ない

などの困難を抱えている点で共通しています。

日本全国で患者が約2000人程度の希少難病であるため
医療従事者でもよく知らない人がいるほどです。

この病気について多くの人にしっていただき、
経済的・精神的負担の大きい長期療養の必要な難病として
様々な支援を受けられるようになることを望み
患者会あげてこのドラマを応援しています。

どうぞ皆さんご覧になってくださいね。

思春期

2008年08月22日 | 「発達障碍」を見つめる眼
この春から夏にかけて、思春期の少年少女の犯罪が相次いでいます。

これまでも少年少女による驚くような犯罪には
心痛む思いはもちろんあったのですが
息子が思春期と呼ばれる時期になってみると、
わが子と同じ年代の子どもがそういった事件を起こしたことに
受けるショックは、これまでとは程度が違っていました。
わが身に繋がる要素があるだけで、物事の感じ方はこんなにも
変わるものなのだなあ、と改めて感じます。

どこかの新聞の調査で、思春期の子どもを持つ親に
アンケートをとったら、約3割の人が「自分の子どもも
いつ同じようなことをやるかわからない」と答えた、という話や
バスジャックの事件のあとは、「次は自分の子どもが事件を起こすのでは
ないかという不安」で心身の不調を訴える親が相次いだ、という
新聞記事を読んでいると、
「うちの子に限って」というのは過去の話になってしまったのかなあ、と
いう感じがします。

この間、「光とともに」の最近の数刊を図書館で借りて読んだのですが
中学生になった光くんの周囲には相変わらずトラブル連続で
「これを読んだら『やっぱり思春期は問題続発なんだ、大変だ』と
 不安になるお母さん、多いだろうなあ」
と思いました。

私も、息子が小さい頃は、「思春期」という言葉が
なんだかとても恐ろしいもののように思えていました。
「自閉症児の思春期に対する対応」なんていうテーマの
講演会があったら飛んで行こうという感じでしたし、
息子が6年生になる春には、「思春期になって荒れたときに備えて
落ち着いている状態を見ておいてもらいたい」と
自閉症の診断がついて以来始めて児童精神科の専門医を受診したほどです。

それで、いざ自分の子が思春期を迎えてどうだったかというと、
「大変」とか「もう小さな私の○○ちゃんではない」というより
佐々木正美先生があちこちでよくおっしゃっている
「自閉だから特別(にハード)な思春期が来るわけではない」
「思春期は人生の通過点」
「思春期だからというより自閉症の特性にどこまで丁寧に対応してきたか、
 対応しているか、の問題」
という言葉が、改めてとてもしっくりくる感じがしています。

もちろん、従順なうちの息子にも多少の反抗期はあるし、
体が大きくなった分、もはや「可愛い」ではすまされないこともあれば
性的な問題もないわけではありません。
「心身ともにかなり幼いお子さんなので、思春期はやや遅めかもしれない。
 中3くらいになってやっとそういう感じになるかもしれませんよ」と
児童精神科医の先生からも言われていますから、まだこれから
どうなるのかはわかりません。

ただ、思春期になって「突然」子どもが荒れた、という話をたくさん聞くうちに
それは「思春期」が悪いのではなく、
例えば親が良かれと思ってしてきたことが子ども本人にとっては
負担であったり、とても辛いことであったりしたことに
子ども自身が気が付いて「NO」のサインを出し始めた、と
いうことも少なくないのではないか、という気がしてきました。

自分自身の思春期を振り返っても、確かに精神的にも不安定だったり
思考が極端だったりしたことは否めませんし
本人としてはそれなりに真剣に悩んだり、揺れ動いたりして、
自分で思うほど大人でもなく、周りが思うほど子どもでもない
微妙な時期だったなとは思うのですが

その時期はやはり多少なりともその前の子ども時代と
その後の人生とも繋がっています。決して思春期だけが
独立して別物だったわけではないですし、その時期抜きで
今の私があったかと言えば、やはり答えは否でしょう。

そう考えるとやはり思春期もそれ以外のときも、私にできるのは
目の前の息子をできるだけ掛け値のない目で見つめて
彼がどう感じているのか
彼が何を伝えようとしているのか
彼がどういう「俺ルール」で世の中を理解していて
そのどこに、どういう形での修正を加えることが
彼が世の中で円満にやっていくために必要なのか

常に探りながら、ひとつひとつ丁寧に関わっていくことしか
ないのだろうと思っています。



いつでもどこでも

2008年08月18日 | ちいさな幸せ
自他共に認める「べたべた仲良し親子」の息子と私。

息子は元々かなり触覚過敏のきついタイプだったのですが
なぜか赤ちゃんのころから私にくっつくのは大好き。
特に不安になったり眠くなったり甘えたりするときには
私の頬を両手でぺたぺたと触るのが彼の癖です。

元気はつらつな時には、それでも一歩家の外へ出ると
少し離れて歩いたり、学校で会っても知らん顔をしていたり
「フツーの中坊」らしい顔を見せる息子ですが
(今年の夏は「おかあさんと2人でプールに行こうか」と誘っても
 「うーん、いいです」と断られるに至りました)

中2になった今でも、声高に騒ぐ子どもが近くにいたりして
感覚的に辛くなると、体全体でくったりと寄りかかってきたり
抱きついてきたりするので、傍目にはちょっとやばいかも(汗)。

言葉の面でも、まだ彼が乳飲み子だったころから毎日意識的に
「ちびくまくんはいい子だね」「ちびくまくんは可愛いね」と
声をかけていましたし、布団に入ると必ずと言っていいほど
「おかあさんはちびくまくんが大好きだよ」
「ちびくまくんはおかあさんの宝物だよ」
と言い続けていましたから

最近では
「おかあさんは・・・」と言うと「ぼくのことが好きなんだよね」
「ちびくまくんは・・・」と言うと「お母さんの宝物だね、知ってるよ」
と先取りされるようになってしまいました。

そして、思春期を迎えて少々生意気になってきてからも
毎日「ぼくはおかあさんがいっぱい好きだよ」と言ってくれる
息子なのですが、最近なぜかその頻度が増えてきています。

「ぼくは朝でもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくは車に乗っててもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくは○○のお店でもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくはごはんを作っててもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくはおやつを食べるときもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくはお風呂に入ってもやっぱりお母さんが好きだよ」

・・・その「やっぱり」ってなんなんだ・・・
どうしてこういう風になるのかよくわかりませんが
2人きりになると必ずこう言う息子が
こそばゆくも嬉しい私は、当分子離れのできない母親になりそうです。


海津敦子さんの本

2008年08月12日 | 「発達障碍」を見つめる眼
息子が診断を受けたばかりの頃、アメリカの図書館で探しても
自閉症の本なんてほとんど置いてなくて、
バーンズ・アンド・ノーブルという有名な大型書店へ行ったら
1つの本棚に20冊ぐらい自閉症の本が並んでいて感動したことがありました。

日本の本屋さんでも、最近では1つの書棚全部が自閉症関連、なんて
すごいことになっていたりして、ほんの10年ほどの間に
時代はずいぶん変わったのだなあ、なんてしみじみしてしまうのですが

読んでみたい本が次から次へ出版されるのに
財布の中身が追いつかないので、最近は図書館を利用することが
多くなりました。幸い、うちの市の図書館は自閉症関連が
とっても充実していて、ニキ・リンコさんの著書もあるし、
「光とともに・・・」なんかも全巻揃っています。

そんな中で、私が一目置いているのが、海津敦子さんの本です。
海津さんはご自身も障碍を持つ子どものお母さんなのですが
いわゆる「母物」ではなくて、ジャーナリストとして
一歩も二歩も引いた視点から、冷静に「発達に遅れを持つ子ども」を
持った親の心の在り方や彼らを取り巻く状況を分析し、

その中から「その子にとって本当に幸せな人生とはなんなのか」を
見つめようとする真摯な姿勢が読み取れます。

自分も「とことん・・・」で手記を書いておいてなんですが、
「私はこんなに頑張った」
「私はこんなに子どものことをわかっている」
というニオイのする「親もの」には
どうも「うーむ」と思ってしまう私には

当事者としての気持ちや生活を持ちながらも、自らの「思い」に
振り回されることなく、しかもどんな姿勢の親についても
「非難」の色なく淡々と書き進めてある彼女の本は

そのクールさがとても心地よく、息子が小さい頃にこういう本が
あったら良かったなあ、とよく思います。

我が子に障碍があるのでは、と疑い始めた頃から、診断を受け、
それを「現にそこにあるもの」と見つめることができるようになる
過程について書かれた「発達に遅れのある子の親になる」、

障碍のある子の就学先選びについて書かれた
「発達に遅れのある子の就学相談」、

どちらも日本評論社から出ています。
特に、「障碍、それとも個性?」と揺れることの多い方、
これから幼稚園・保育園・小学校・中学校を選ばれる方に
お勧めしたいと思っています。



どこでも行ける

2008年08月09日 | ちいさな幸せ
息子が小さいころは、息子が学校へ行っている間だけが
私が自由に動ける時間でした。

「自由に」と言っても、好きなことばかりできるわけではなく
掃除や片付けや針仕事、スーパーでの買い物など、
息子がいてはできないことをやっているうちに大抵はタイムアップで

ゆっくりとお店を見て回るとか、映画を見るとか、
昔の友人と会っておしゃべりをするなんて、
年に1度あるかないかのお楽しみに過ぎませんでした。

最近は息子もすっかり落ち着いてきたので、昔ほど大変では
なくなりましたが、それでも夏休みになると、
掃除機がかけられない(この音だけはどうしても耐えられないらしい)し、
買い物は向かいのスーパーへしか行けないし、で
やはり閉塞感があって、

息子がヘルパーさんとお出かけしてくれると
ここぞ、とばかりに掃除をして向かいのスーパーでは買えない
買い物をして終わってしまう、という感じ、
夏物のバーゲンをゆっくり見るなんて無縁の世界でした。

でも、自力通学も2年目になり
トライやるウィークの事業所さんへも1人で通い、
ヘルパーさんとのお出かけの回数も重ね、

息子は危ないことをしたり、人に大きな迷惑をかけたり
勝手にどこかへ行ってしまったりということがないと
思えるようになったので

今年はもう少し手綱をゆるめて、比較的大きなショッピングセンターでも
「ここで○時○分に待ち合わせしようね」というのを試してみることにしました。
最初は心配なので何度もこっそり様子を見に行きましたが、どうやら
待ち合わせの場所から大きく動くこともなく
ICレコーダーで好きな音楽などを聴きながら
おとなしく待っていてくれることがわかりました。
たまに「おこづかい」を渡しておくと、自販機でお茶を買って
飲んだりしているようです。

本人も、私に付き合って、興味もないものを見て歩かされるよりは
自分のペースで自由にしていられる分、ラクチンなようで、
このごろは
「お母さん、今日はどこで何時に待ち合わせする?」と
訊かれてしまいます。

おかげで、今年の夏休みは随分いろいろなお店に行ける
ようになり、夏物のバーゲンも存分に見て回ることができました。
「行こうと思えばいつでもどこにでも行ける」という気持ちがあると
たとえ本当には行かなくても気分的にだいぶ違うものだなあと
思います。

おかげで今年は、気持ちの上では随分楽な夏休みを過ごしています。

デイキャンプ再び

2008年08月07日 | adorably autistic
今日は親の会のデイキャンプ。ここ数年夏休み恒例の
野外親子活動です。

場所は先日の交流キャンプと同じ野外活動センターですが
母親が計画するものだけに

受け付けの関係で集合時間は決めているものの、
帰りは自由。
暑さを避けて風の通る部屋を借り、子どもの休憩や
お昼ごはんはここで。
昼食は各自持参、もちろんコンビニ弁当でも可。

施設から出ない範囲で思い思いに遊んで可。
時計と絵で一日のおおまかなスケジュールを書いた表が用意され、
触ってはいけないところ、入ってはいけないところには
「さわりませんカード」が貼られ、対策はばっちり。

「みんなで○○をしましょう」には疲れてしまううちの息子も
こういう自由度の高いプログラムなら楽しめるから・・・と思っていたら

どうやら先日の交流キャンプがよほどしんどかったのか
息子にとってはここのセンター自体が「いやな場所」になってしまった様子。
昨年は我関せずでじゃばじゃばと施設内の小川に入って
水が流れていく様子を楽しんでいたり、シャボン玉を吹いたりしていたのに

今年は水着には着替えたものの、水の中にはほとんど入らず
脚だけ入って少し葉っぱを流したりして遊んだ後は
さっさと部屋に戻って服に着替え、
木陰のベンチに座って駐車場に出入りする車を眺めているだけです。

近所のスーパーで朝買ってきたお弁当を食べると、息子はもう
帰る気満々。
「おかあさん、早退するにはだれにご挨拶したらいい?」と
訊いてきます。
「○○くんのお母さんだよ」と教えると
すたすたと歩いて行って「お先に失礼します」と挨拶までしてきました。(笑)

仲間が1人午後から参加になっていて、受付がまだ終了していなかったので
「△△くんが来て、受付をしてもらうまで、赤の手帳(療育手帳)が
 返してもらえないから、それまで待ってくれる?」
と言うと、素直に「はーい。何時まで待つ?」
「うーん、1時半くらいかな」
「じゃあ、1時半くらいで帰ろうね」
で、息子はまた駐車場のベンチへ。

係りのお母さんが用意してくれたすいか割りにも、子どもたちは
ほとんど「興味なーし」で、「すいか割り」というより
「すいか食べ」大会になっているのも、まあご愛嬌ということで。

息子は、小さな仲間たちに混じるのがイヤで、遠くの木陰に隠れて
座っていましたが、スイカは近頃喜んで食べるようになっているので
スライスを持っていってやると素直に取りました。
「おかあさん、種はどこに捨てたらいい?」と言うので
「そうだね~。その木の根元のところだったら人が踏まないから
 捨てちゃってもいいと思うよ」
と答え、みんなのところへ戻っておしゃべりしながらふと息子を見ると、

スイカから種をほじくり出しては、まるで種まきのように
丁寧に植え込みの根元近くに種を並べている息子の姿が・・・(笑)。

結局、スイカを食べ終わって、療育手帳を返してもらい、
「もう手帳を返してもらったけど、どうする?」と訊くと
「帰ります」と即答。
前回エンジントラブルを起こしたのと全く同じ道なので
なんとなくトラウマになっていてひやひやしていましたが
なんとか無事に家に帰ってきました。

息子は「お母さん、ぼくは早退してばっかりだね~。
また早退しちゃったね」とニコニコ。
おやつにアイスを食べ、ごろごろしているなと思ったら、
あっという間に爆睡していました。

全然遊んでないのに疲れたのね。
数年前のことを考えたら信じられないほど柔軟で扱いやすくなった
息子ですが、

集団行動がとてつもなく負担になることには何ら変わりがないようです。

エンジントラブル!

2008年08月04日 | 時には泣きたいこともある。
さて、昨日、ほうほうの体で交流キャンプから
「早退」してきたその帰り道のこと。

自宅まであと150メートルぐらいのところまで帰ってきて
地元の小学校前で信号待ちしていたら、

アイドリングしているはずのエンジンが急に
「ブオーン、ブオーン、ブオーン」と吹き上がったかと思うと、
「ブッスン」とエンスト。


「ひえええ~、なにこれ~」と慌ててエンジンをかけなおしてもまた
「ブオーン、ブオーン、プッスン」
「ブルルル、ブオーン、プッスン」

ぎえええええ。エンジン故障?
幸い、後ろに車は並んでいなかったのでクラクションは
鳴らされずに済みましたが、幹線の右車線でエンコって・・・


もう一度エンジンをかけてみると、今度は不安定ながらも
なんとか車が動いたので、ハザードをつけたまま
わき道に入って車を路肩に寄せることができました。

すぐに保険屋さん(ロードサービスつき)に電話しますが
日曜の夕方なのとこの暑さのせいか、なかなか繋がりません。
しばらく待って、やっと繋がり、事情を話すと
レッカー車の手配ができたら折り返し電話しますということに
なりました。

なにしろエンジンがかけられないのでエアコンを入れるわけにも
いかず、車の中は蒸し風呂のようです。
息子は不安そうに
「車、こわれちゃった?」
「うん、故障だね。今、保険の会社の人が、レッカー社の
 会社にお電話してからお母さんにお電話してくれるから
 ちょっとここで待ってないといけないの」
ここから自宅までは徒歩でも10分かそこらで帰れます。
そこで息子に
「どうする?ここでお母さんと一緒に待つ?それとも
 先にお家に帰って待ってる?」と訊くと
「先に帰っとくよ」との返事。

キャンプの荷物の中から水筒と汗拭きタオル、
それに自宅の鍵を渡して、一足さきに1人で帰らせることにしました。
「冷蔵庫にアイスクリーム入ってるから。おやつに食べてもいいよ」
「はーい」

ほんの数年前なら、こんな風に息子を1人先に帰らせるなんて
とてもできなかったはずですが
やはり中学になってからの自力登下校や、トライやるウイークで
片道25分ほどの道を1人で行き来してきたことが
息子にとっても私にとっても自信になっていたようです。

さて、息子を見送り、しばらくエンジンを冷やしてから
もう一度試しにかけてみると、今度はさっきよりも
回転が安定しています。そこで、そろそろと運転して
5分ほどで無事マンションの駐車場まで帰り着きました。
そこへ保険屋さんからレッカーの会社と連絡が取れたとの連絡が入り、
30分後にマンションまで迎えに来てくれることになりました。

とりあえず荷物を持って一度自宅へ帰ると、
息子は汗だくになった服を脱ぎ捨てて、扇風機を回し、
アイスクリームを1個選んですっかりくつろいでいます。
自宅の鍵もちゃんと所定の場所にしまってありました。

時間を見てもう一度駐車場へ戻り、入り口でレッカーを待ちます。
荷台に車をそのまま載せるタイプのトラックが来て
我が家の車を積んでもらい、私も助手席に乗っていく様子を
バルコニーから一心に眺めている息子の姿が見えました。

ディーラーまで乗せてもらって、車を預け、代車を借りて
帰ってくるまで約30分。
息子は「レッカー車、すごかったねえ。お家の車と
おかあさんをのせていったねえ」とご機嫌です。

「車、どうしたの?」というので
「修理してもらうためにお店に預けてきたよ」と答えると
「代車(こういう言葉は使える)はなに?」と目がキラキラ。

「ワゴンRだよ」と言うと
「えー、ぼくも乗りたかったなあ」
「明日朝プールに行くときは、まだ修理ができてないから
 乗れるよ」
「わーい、じゃあ、明日はワゴンRでプールに行くんだね!」
大小、メーカーを問わず、いろいろな車に乗るのが大好きな息子、大喜び。


結局、この日最大のイベントはエンジントラブルだったのかも。
幸い、エンジン本体は無事で、制御部品の交換で済んだのですが
私にとっては踏んだり蹴ったりの1日なのでありました。


交流キャンプ

2008年08月03日 | adorably autistic
うちの市では、毎年夏休みに全市の小中の特別支援学級在籍者を
対象にしたキャンプがあります。
(昔は「療育キャンプ」と呼ばれていましたが、今は
「交流キャンプ」と名前が変わったようです。)

息子が小1のときは、マンツーマンの先生に、保護者や家族までセットで
バスに乗って日本海で海水浴のあと、丹波自然の家で1泊という
豪華版(?)でした。
子どもが寝た後、親と先生だけ集まっての懇親会で
日ごろゆっくりお話ししたことのなかった先生やよその
お父さんとお話ししたりしたのがとても楽しかったです。

その後、障級(特支級)在籍の子どもの数が爆発的に増えたのと
財政緊縮で市からの補助金が減ったのとで

海水浴の後1泊するのは小学校高学年と中学生だけになり
保護者や家族は参加できなくなり
小学校低学年は淡路島へ日帰り、高学年と中学生は海水浴なしの宿泊だけになり

ついに今年は宿泊も小学校高学年だけになって
中学生は送迎も付き添いも保護者で
日帰りの飯ごう炊さん、ということになりました。

この猛暑の中、毎日子どもの3食を用意するだけでは足らず、
キャンプ場まで車を運転して行って、炎天下で薪を燃やして
自分と子どものご飯を作れと言うんですかい?・・・と

よっぽどパスしようかと思ったのですが
「夏休みと言えば交流キャンプ」とお決まりのようになった息子が
「交流キャンプいきます。もうしこみします」と言うので
しかたなく(笑)申し込んでありました。

さて、昨夜、「あしたは交流キャンプだよね~♪」と
初めてゆっくりとプログラムを見た息子、
「ぼく、行きたくないな~。早退してもいいのかな~」

・・・だから言ったじゃない。
息子は暑いのと人ごみと子ども集団が大の苦手。
ヘルパーさんと大好きなプールに行くほかは、ほとんど家から出たがりません。
子どもを預かってくれる日中一時支援施設にさえ
「つかれるので、行きたくありません」と言う始末。
(小さい子が泣いたり騒いだりするのでストレスがたまるらしい)

人の大勢いるところで食事をするのも大の苦手。
外食はおろか、慣れているはずの交流級で給食を食べることさえ
いまだに「うるさいので苦手です」と拒否しているくらいです。

炎天下で中学生と小さな弟妹たちがわいわい集まって
カレーライスを食べる、なんて、最も嬉しくないプログラム
だったようです。

それでも、参加料支払っちゃったし、ということで、
ぶつくさ言う息子を乗せてキャンプ場まで行ったのですが、
現地で迎えてくれた障担K先生の顔を見るなり
「今日は早退したいと思います」と言い切る息子。

それでも「はじめの会」ではちゃんと学校ごとに整列し
同じ学校の1年生Nくんをなんとなく気遣いながら一緒にいて
自己紹介の順番を決めるじゃんけんにもちゃんと参加し、
じゃんけんに勝ったためトップバッターで自己紹介することになっても
「F中2年1組と○○ルームの○○です。好きなキャラクターは
 どらえもんはどらみちゃんで、ちびまる子ちゃんはとし子ちゃんです」と
アドリブでちゃんと挨拶したあたりは

さすがに場数を踏んだというか、成長したんだなあ、と思ったのですが

その後はひたすら
「もう帰りたいなあ」
「だれに言ったら早退していいのかなあ」
「いつ早退しようかなあ」
「カレーを作ったら早退していいかなあ」
とひたすら「早退モード」。

仕方がないのでカレー作りではジャガイモと人参を洗ってもらって
たまねぎの皮むきをしたところで放免し、
カレーを食べて後片付けが済んだところで帰ることにしました。

車に乗る前に、と思って私がトイレに行っている間に、
班の担当の先生のところへ自分で行って
「疲れたので早退します。ありがとうございました」と
あいさつまでしてきて、準備万端(笑)。

車に乗り込むともうご機嫌で
「おかあさん、ぼくは交流キャンプも早退しちゃったねえ。
 でもちゃんとご挨拶できたよ」

・・・高温多湿のところと立ちっぱなしは体に悪いと言われている
私は、なんのために行ったんだ~。
来年は、プログラムをもうちょっと考えてもらうか
参加自体を考えないとなあ。

でも、先生たちは本当に汗だくでかけずりまわってくれていて
お気の毒でした。
もっとみんなが楽で楽しめるやり方はないのか、考えて
提案してみましょうか。

昼夜逆転?

2008年08月01日 | adorably autistic
暑さでぼーっとしている間に7月が終わってしまいました。

この夏休み、息子はまた大量の宿題をもらってきました。
先生から一方的に渡されたものではなく、息子と先生で話し合って
内容を決めたのだそうですが

一日に音読プリント1枚、漢字プリント1枚、エレベーター計算1枚、
百ます計算1枚、県名パズル全国分1回、それに日記。
そんなに沢山できるのか、と心配だったのですが、本人は「できるよ!」と
自信満々。

やったら○をつけていくタイプの記録表も作ってもらい、
全てを自己管理してやっています。
今年は私からお願いして、「(日記以外の)宿題を終えてからPCの
電源を入れる」という欄も作ってもらいました。
これまでの夏休みは、朝、目が覚めると同時にPCの電源を入れ、
夜眠る寸前までPCの前に座りっぱなし、ということが多かったので・・・。

効果はてきめん、息子は先生と約束したルールをきちんと守り、
夕方までPCの電源が入っていないということもあります。

さて、こうした長期の休みには、1日のリズムがいとも簡単に
狂ってしまいがちなのが自閉っ子たち。
息子も昔からすぐ昼夜逆転しがちだったのですが

暑さに弱いうえに、プールへ頻繁に通っていることもあって
午後には昼寝していることも多く、
夜の寝苦しさも手伝って夜中に起きていることも多いようです。

昨夜も、暑さで目が覚めたら、息子が起きていてごそごそ何か
やっています。危ないことはしない子なのでしばらく放っていましたが
トイレに行くときに何をしているのかと覗いたら、
翌日の分の宿題をしていました。

そして今朝、私の顔を見て、ニッコリ笑って言いました。
「おかあさん、ぼく、深夜に宿題やっちゃったから
 朝からPCつけていいよね?」


・・・はい。