雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

自信

2006年03月31日 | adorably autistic
ちびくまは、11才になった今も「おかあさんといっしょ」が
大好きです。いや、「今も」というより、「だんだんおもしろさが
わかってきた」という感じ。
精神年齢的には今ちょうど4、5歳っていうところなんでしょうね。

さて、今は春休みなので、総集編のような感じで、全国の
ファミリーコンサートの様子をやっています。

このコンサートって、最初に歌のおにいさんとおねえさんが
「みんな~、こんにちは~!」って呼びかけるところから
始まるんですが

この場面で、息子はテレビの前に正座して
「こんにちは~!」とお返事しております。(笑)

でもって、
「おかあさん、おかあさん、ちびくまくん、ちゃんとごあいさつできた!」
と大得意。もちろんこういうときは大真面目に
「ホントだ~。ちびくまくん、ちゃんとごあいさつできてお利口だね!」
と褒めることにしています。

本人が「できた」と感じているときに、すかさず寄り添うこと、
それを私はずっと心がけてきました。ちょっとした否定や失敗で
すぐ「世界の終わり」になってしまう息子に、
「自分はここにいていい子ども」「自分は母に認められ愛されている子ども」
だと感じて欲しかったから。

さて、司会のおにいさんとおねえさんが「ぐーちょこらんたん」の
キャラクターを呼ぶときには、
「おかあさんもいっしょによぼうね」と言われて
母子一緒に
「スプー、アネムー、ズズー、ジャ~コビ~」
と呼んでおります。(四十路になって何やってんだか
まさに「おかあさんといっしょ」ですね。

「おかあさん、ちびくまくん、じょうずによべたでしょ?」と言う息子に
「ほんと。じょうずだねえ」
息子はご機嫌です。
「おかあさん、ちびくまくん、おへんじもじょうずにできる。
 ごあいさつもじょうずにできる。
 ちびくまくんはおりこうだから、6ねんせいもがんばる!」

もう、新学期に向けて、やる気はばっちりでございます。

でも、これをテープレコーダーに録音して、一日何回もやらされるのは
いくら目に入れても痛くない息子のこととはいえ
正直言ってかんべんしてほしかったりもする母です。

ギャンブラー?

2006年03月29日 | adorably autistic
今日の午前中、息子はガイヘルさんとお出かけ。
近くの県立公園で、雪がちらつく中(3月末なのに)、3時間フルに遊んできました。

子どもが楽しく遊んでいる間に、息子がいてはできない用事
(主に電話と掃除)を片付けられるのは、ほんとにありがたい。
でも、これも来月からは一律1割負担になるので、経済的に
とっても痛いんですが・・・。

まあ、それはさておき。
帰ってきて昼食を済ませた息子、いそいそと
「きょうはすいようびだった」と言いながらTVのチャンネルを
変えます。見ると、そこに映っているのは競艇。

「ちびくまくん、なに見てるの?」と訊くと、
「きょうていだよ~」

・・・わかってるんかいな

「おかあさん、けいりんはかようびなんだよ
・・・・・・。

「ちびくまくん、競輪って何か知ってる?」
「じてんしゃだよ。すうじついてるの

なるほど。数字がついてるのがいいわけですね。

でも、土日には競馬中継も「おうまさん」なんて言って
喜んで見てるんですけど~。
大人になってギャンブラーになったらどうしよう。
いや、ひょっとするとその筋で才能を発揮したりして。<違




いかなご

2006年03月28日 | adorably autistic
私の出身地・神戸の春の風物詩と言えば、「いかなごの釘煮」です。
いかなご、という小さなお魚をしょうゆ、みりん、ザラメ、しょうがで
炊いた佃煮で、神戸のおばちゃんなら春には必ず作るもの。
2月の下旬から3月にかけて、神戸近辺のスーパーやホームセンターでは
「いかなご」コーナーが出来、佃煮用のでっかいアルマイトなべが
並んだり、定番の調味料がセットになっていたりします。
魚屋さんやスーパーの魚売り場には「今年は○月○日解禁」の
張り紙がされ、昼網の入荷をまつおばちゃんたちの行列が
できたりします。

1人で何キロも炊いて、一族郎等に送りつける人も多く、
この季節には運送業者さんが「いかなご便」なんてサービスも
はじめるくらいです。

今年も我が家にも私の実家から今年の第1便が届けられました。
これが来ると、「ああ、春だなあ」という感じがします。
息子のご飯にのせてやると、大喜びで食べました。

さて、今日の夕方、息子と2人で向かいのスーパーへ買い物に
行った時のこと。

それまで私について歩いていた息子が「あっ」と小さく叫んで
魚売り場に走っていきました。
私は「何か気になるもんでもあったのかなあ」と思いながら
別のものを買ってから、息子を探しにいきました。

そこには、魚の冷蔵ケースの前で嬉しそうに踊る息子の姿が・・・。

実はこの「いかなご」の宣伝ソング、というのがありまして・・・
魚売り場のいかなごコーナーにわざわざテレビデオを置いて
この宣伝ビデオが流れてたんですね。

広告のジングル、とか、宣伝ソング、とかはもちろん
人の耳に残るものでなくては意味がないのでしょうが

それに人一倍反応してしまう、わが息子。

ちなみに、今回の歌はこれ
この季節、あちこちのスーパーで流れています。

TOEIC

2006年03月26日 | 「発達障碍」を見つめる眼
特に目的があるわけではないのですが、次回からテストの方式が
変わるらしい、と聞いたら、なんとなく受けておきたくなって
14年ぶりにTOEICを受けてきました。

テスト形式自体は変わっていないのだけど、さすがにブランクが
長いので、細かいところがいろいろ変わっていて、とまどうことが
ちょこちょこありました。

受験票は以前は届いたものをそのまま当日に持参すれば
それでよかったのですが、今回は証明写真を貼り付けて署名し、
それに写真つきの公的な身分証明書(免許証、パスポート、学生証など)を
添えて、受付で本人確認をしてもらわないといけなくなっていましたし

携帯電話の電源を本当に切っているかどうかの検査までありました。
(14年前は携帯電話はなかったですもんね)

なかでも「あいたた・・・」と思ったのは、マークシートにマークする以外、
問題用紙にも解答用紙にも一切書き込みは不可になっていたことです。

TOEICを受験したことのある方ならおわかりだと思うのですが
TOEICにはリスニングとリーディングがあり、リスニングだけで
100問あります。特にパート4はある程度の長さのある英語の
アナウンスを聞いた後で、その内容についての3~4の問いに
答えるものです。

以前は問題用紙への書き込みがOKだったので、課題文を
聞きながらキーワードと思われる情報をメモしておくことが
できたのですが、これができないとなると、ただ一度放送される
内容をしっかり聞き取って細部まで覚えておかないと
設問には答えられません。

リーディングのテストのほうは、時間が余れば見直しも
できるのですが、リスニングは一発勝負。集中力と
聴解力と、短期記憶の3つが一度に試されます。

長らく脳をフル回転させるような生活をしていなかったせいか
途中で集中力が途切れて、キーワードを聞き逃すミスを
いくつかしてしまいました。
自分が聞き取れなかったときにも、きちんと回答している(らしい)
周りの人の鉛筆の音が聞こえるのって、ものすごくプレッシャーを感じて
焦っちゃうんですよね~。

ふと、これって、「話し言葉の聞き取りが苦手」な発達障碍の子の
困り感の疑似体験に使えるんじゃないか、なんて考えてしまいました。
何やっててもふと発達障碍と結びつけてしまうのは
それだけ自閉っ子と共に生活しているのが長くなったせいなんでしょうか。

「どうしてちゃんと聞いておかなかったの」
「さっきちゃんと言ったでしょう」
そう言って、子どもをついつい叱ってしまう、お母さん、先生方。

TOEIC受けてごらんになりませんか。
一生懸命聞いていたつもりなのに何言われたのかわかんなくなっちゃった
子どもの気持ち、きっと実感できると思いますよ。




ありがとう。

2006年03月24日 | 楽しい学校生活
今日は修業式。とうとう5年生が終わってしまいました。
この1年は、初めて5泊も息子と離れた自然学校、
これも生まれて初めての東京までの2人旅など
息子の成長を実感できる機会に恵まれましたが
気がつけばあっと言う間に過ぎてしまったような気がします。

息子は今年も、1年分の連絡帳にクラスの先生たち(担任+介助)の
メッセージや1年間のスナップ写真や図工や生単の作品の写真を添えて
布のカバーをつけて1冊の本にしたものをもらって帰ってきました。

成長を感じるちょっとしたエピソードや家でのパニックの様子、
母の気持ちなどを書いて、毎日障担と交換日記のように
書き綴った1年間の記録は、ずっしりと重くなりました。

1年間の間に一番沢山書いた言葉は、きっと「ありがとう」だと
思います。
1週間の間に何度も連続して
「ありがとうございます」「ありがとうございました」と
書いてあります。
担任がわざわざ出向いてくれたこと。息子のために手間をかけて
くれたこと。息子のために工夫してくれたこと。
話を聞いてくれたこと。時間を割いてくれたこと。
勉強してくれたこと。
息子のいいところを伝えて嬉しい気持ちにさせてくれたこと。

卑屈になって子どものために下げたくない頭を下げるのではなく
心から感謝の気持ちで「ありがとう」と書けることの
幸せを思います。

小学校最後の1年もこんな感謝に満ちた日々にできればいいなあ、と
思っています。

卒業式

2006年03月23日 | 楽しい学校生活
今日は小学校の卒業式でした。
息子は5年生なので在校生代表として出席。
学校によっては全校生が式に出ることもあるようですが
このあたりでは卒業式は5・6年生だけ、入学式は1年生と6年生、と
いうパターンが普通です。

式では苦手なリコーダーを4曲も吹かないといけないし、
校長先生や来賓の方の挨拶を聞いたり、卒業証書授与の間は
じっとすわっていないといけないし、で、息子にとっては
少しハードなのではないかと心配していましたが
無事に終えることができたようです。

これで、来年自分の卒業式でもどんな進行をするのか
よくわかって見通しが立ったことでしょう。

M小の障級からは今年5人が巣立ちます。
その中でも肢体クラス以外の3人のお子さんとは
息子とは何度も同じクラスになったりして特に密接な関係だったので
その子たちがもうM小に来ないんだなあということには
特別な感慨がありました。

絵や字がとても上手なR君。ちびくまが最初に学校で
喧嘩したのはあなたでしたね。
なんでも交流学級の仲間に伍してこなせるあなたに
ちびくまはライバル心を燃やしていました。

友達と遊ぶのも機械で遊ぶのも好きなY君。
休み時間にはCDプレーヤーやパソコンの奪い合いになることも
ありましたね。

なんでもきっちりしているのが好きなSちゃん。
セーターの裾や靴下を直されたり、中途半端に閉めた
ドアを閉めなおされたり(笑)。
同じようにこだわりの強いちびくまとはぶつかって、
やりあったこともありましたね。

1年生としてもかなりちびっこだったちびくまといくらも
変わらない幼い2年生だったあなたたちが
今ではすっかり大きくなって、思春期の入り口に立っている。
もう昔のように「○○ちゃん」と呼んでは申し訳ないほどに
お兄さんらしく凛々しく、お嬢さんらしくきれいになった。

6年という月日と、あなたがたのご両親と、
そしてあなたがたを温かく育んでくれたこの学校と先生方と
あなたがた自身の頑張りが今日の晴れの日につながりました。
卒業おめでとう。それぞれの新しい学校で、これまでどおり
元気に楽しく過ごしてください。

しかし。
…よそのお子さんの卒業でこんなにしみじみしてたんでは
いったい来年はどうなることやら・・・。

さて、帰ってきた息子はもちろんそんな感傷とは無縁、という感じで
開口一番「おかあさん、ホットケーキはなんじなんぷんからつくる?」

約束どおり、今日はホットケーキを焼いて、一緒に食べました。


プロフィールノート

2006年03月21日 | 「発達障碍」を見つめる眼
さてさて、5年生も残すところあとわずかになってしまいました。

毎年春に作り直すのが、息子のプロフィールノート
息子の得意なこと、苦手なこと、配慮してもらいたいことなどを
まとめたプリントで、新しい交流担の先生や新任の介助の先生などに
お渡ししています。「これを読むだけでも、ちびくまくんのことがよくわかる」と
障担や教育大の院生先生たちにも概ね好評です。

今では「サポートブック」の名がすっかり有名になり
いろんなところで作成講習会が開かれたりしていますが

初めて我が子に出会う人(特に先生)に、ただ「その子を知る」ために
費やす時間を短縮してもらえると共に
「なんとなく」わかっているつもりの我が子のことを客観的に
見直すいい機会にもなりますので、この春新しい環境に入られる方には
特にお勧めです。

うちでは2年生になったときに作ったものを毎年少しずつ改訂しながら
使っていましたが、昨年秋、旧パソコンのハードディスククラッシュで、
サイトで公開しているものの元になっているワードファイルが
なくなってしまいました。


まあ、考えようによってはいい機会なのかも。診断から7年、
小学校生活もあと1年。中学進学の就学活動を前に
ここらあたりで、一から息子を見直して、考えてみなさい、という
神様のお達しだと思うことにしましょう。

ホットケーキ

2006年03月20日 | adorably autistic
17日、母がセンター校移設の説明会に行っている間、
息子は障担と一緒に件のF小へ交流に行ってきました。

今回は障碍児学級での「おたのしみ会」と地区児童会への参加。
F小障級での「おたのしみ会」は「たのしめない会」になることが多く、
ちょっと心配だったのですが

今回は和太鼓とホットケーキ作り、というメニューが良かったのか
楽しんでこれたようです。

息子が赤ちゃんのころは、野菜ペーストを混ぜ込んだホットケーキなどを
よく作ったものでしたが、いつのころからかケーキ類をガンとして
食べなくなったので、家ではここ数年ホットケーキを作ったことは
なかったのですが、今回、随分気に入ったようで、帰ってくるなり

「おかあさん、ホットケーキおいしかったよ。こんどはおうちで
 いっしょにつくろうか!」
「そう、おいしかったんだ。よかったね。じゃあ、また今度
 お家でも作ろうね」
「おかあさん、ホットケーキをつくるのはなんがつなんにちのおひるごはん?」

…出た…。

「じゃあねえ、卒業式を頑張ったご褒美に、23日のお昼ご飯にするのはどう?」
「やったあおかあさん、ホットケーキはえいごでは
 pan cake だよね

…いやもちろん、そのとおりなんですが・・・英語でなんというかは関係ないやろ。

…というわけで、それ以来息子は
「23日のおひるごはんはホットケーキ」と一日中
繰り返しながら過ごしております。

誇り

2006年03月17日 | 楽しい学校生活
息子が通っているのは、地域の学校ではなく、
市の障碍児教育センター校です。

このブログでも何度か触れていますが、このセンター校が
来年の4月から今のM小からF小に移転することになりました。
ちびくまたち、現在のM小在校生たちは卒業までM小で
教育を受け続けることができますが
センター校として新1年生を迎えるのは、今春が最後になります。

今のM小を卒業できる保障を教委からもらったおかげで
在校生たちにはセンター校移設の影響はありませんし
新しいセンター校には通うことはないはずですが

自分たちの子どもが行くのではなくても
その仲間たちが新しいセンター校で幸せな学校生活を送れるように
5年後10年後のお母さんたちが「いい学校に入れた」と
喜べるように

今の私たちの意見を新しい学校作りに生かしてください、と
教育委員会にお願いして設計段階企画段階から
私たち保護者や現場の先生方のの意見を
取り入れてもらえることになりました。

今日はこれまで1年間でまとまった計画の説明会ということで
公民館に保護者が集まって、教委からの報告を聞き
こちらからの率直な意見や要望をお伝えしてきました。

その帰り、4月に我が校へ入学予定のお子さんのお母さん2人と
一緒になりました。
入学式への不安、入学後の生活への不安を口にした彼女らに
私たちはそろって
「うちの学校は先生がとても勉強熱心でよく対応してくれるのよ」
「周りの子どもたちもとっても優しいわよ」
「校長先生もとっても理解があって優しい人よ」
「障級の生活は楽しいことがいっぱいあるわ」
「すごく良い学校よ。うちの子は本当にM小に入れて良かったわ」
「どうぞ楽しみにして来てくださいね」
と言っていました。

私だけじゃなく、周りのお母さんたち皆で
これから私たちの仲間になろうとする人たちに
心から「うちの子はとてもいい学校生活を送っているわ。
あなたの子もきっと大丈夫」と言えるのは
どんなに誇り高いことでしょう。

この気持ちをどうか今私たちがこの言葉をかけた
お母さんたち、そのまた後に続くお母さんたちに
ずっとずっと受けついでいけるように

新しいセンター校のお母さんたちにも思ってもらえるように

私たちも私たちにできることを、しっかり頑張りたいなあ、と
思ったのでした。



ミャンマー語

2006年03月15日 | Wonder of Autism
「おかあさん、ミャンマー語で『ありがとう』は
 なんていうの?」
突然息子に訊かれました。

「ミャンマー語…?ごめん、おかあさんわかんない。」
「あれ~、おかあさん、☆●×△#@¢っていうんだよ」
…息子よ、母は君のような器用なのーみそを持ってはいないのだ

米国から帰国して6年が経っても、いまだに「なんちゃって
バイリンガル」状態の息子、
「これは英語でなんていうの?」と訊いてくるのは日常的ですが
最近はそれに「ドイツ語で○○は?」「フランス語で△△は?」
「スペイン語では?」「イタリア語では?」「ハングルは?」
とバリエーションが増えてきました。

そのほかにも
「おかあさん、ガーナではなに語をしゃべってるの?」
「スワジランドは?」
「シンガポールは?」
…この子に付き合っている限りぼけないような気がする…。

日本語も年齢相応にしゃべれない(はっきり言っちゃうと幼稚園児にも
負けている)うえに概念理解の極端に弱い知的障碍を持つ息子が、
これほど世界には様々な国があることと多言語の存在を
すんなりと理解し、興味を持っているというのは不思議な感じがするのですが

「この世」の存在に気がついた頃に2重の文化に接し、
「ことば」を使うようになったときに2つの言語に接していた、という
彼の生い立ちが関係しているのでしょうか。
それとも、自閉っ子のもつカタログ的知識への興味の強さから
きているのかしら。

ちなみに、息子が「ミャンマー語」を仕入れたのは
どうもこのCMからのようです。
やっぱり、耳はいいのね。